私達が陥りやすい間違い

2021年10月10日

そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。
すると、ペテロはイエスをわきにお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」
しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」

マタイの福音書 16章21~23節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 今日は、私達が陥りやすい間違いについて、先ほどお読みしたペテロの例から見ていきたいと思います。

 私達クリスチャンは、人のことを愛し、人を思うがゆえに、神様に反することを言ったりしてしまうものです。確かに、自分の隣人を愛し、助け、配慮していくことは大切です。しかしながら、それが高じて神様の教えに反してまで、隣人のことを愛し、配慮するべきではありません。

 このことで、神様の御心を行なっていると誤解する人がいます。そしてそれが大きな問題へと発展してしまうこともあります。例えば、このことから異端が生まれたり、人びとをつまずかせて天国に行けないようにしてしまい、神様の御怒りを買ってしまうこともあります。また、時には、牧師や宣教師でも、えっ、と思うようなことをしてしまうことがあります。

 今日は、先ほどお読みした聖書の箇所をとおして、ペテロの誤りとは何だったのか、そして、イエス様はそれに対してなんと言われたのかについて、見ていきたいと思います。

 まず、もう一度前半の部分をお読みします。

そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。

マタイの福音書 16章21節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様は、「多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければ」なりませんでした。イエス様が、この地に来てくださったのは、まさにこのことのためです。それは、神様の御心で、神様から与えられたミッションでした。イエス様が、死んでも三日目によみがえられるということは、死に打ち勝つということです。死に打ち勝つとは、罪に打ち勝つことです。イエス様のよみがえりによって、死も、罪も、イエス様の前に何の力もないことが証明されたのです。

 イエス様は、ナザレを中心に活動されていましたが、イエス様はあえて中心であったエルサレムに下られることを、弟子達に示されました。そのことにより指導者達から苦しみを受けることがわかっても、あえてそれを決められていたのでした。なぜならそれは、神様の定められたことだったからです。イエス様は、以上のことを、弟子達に示したかったのです。

 しかし、続いて次のようなことが起こりました。

すると、ペテロはイエスをわきにお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」

マタイの福音書 16章22節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 すると、イエス様は次のように、強い言葉でペテロに叱責されました。

しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」

マタイの福音書 16章23節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様は、ペテロに「下がれ、サタン」と強い言葉で叱責されました。サタンは、神様に敵対し、イエス様に反対するものです。

 私達にとって、神様の言葉は真理です。神様が定められたことについて、ペテロが、そんなことが起こるわけはないと言ったときに、イエス様は、ペテロをサタンと言われたのです。

 神様の命令と御言葉は、聖書にすべて書かれています。この聖書の御言葉に反対する、ということは、神様に敵対するということです。聖書の御言葉に反対することの一つに、それにつけ加えたり、何かを取り除いたりすることが挙げられます。しかし、聖書には、それにつけ加えたり、何かを取り除いたりするなら、次のことが起こると書かれています。

私は、この書の預言のことばを聞くすべての者に証しする。もし、だれかがこれにつけ加えるなら、神がその者に、この書に書かれている災害を加えられる。
また、もし、だれかがこの預言の書のことばから何かを取り除くなら、神は、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、その者の受ける分を取り除かれる。

ヨハネの黙示録 22章18~19節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 また、聖書は、次のように預言しています。

というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、
真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。

テモテへの手紙 第二 4章3~4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 人びとが、神様が意図された健全な教えに耐えられなくなり、自分に都合の良い、心地よい教えに耳を傾ける時代がくるので、そのようなことがないようにと、聖書は警告しています。

 イエス様は、ご自身がこの地に帰ってくるときに、この地に本当に信仰が見られるだろうか、と言われました。このことによって、健全な教えにとどまっている人が少なくなることを警告されたのです。

 私達は、神様が意図されたように、神様の教えを理解していかなければなりません。それに付け加えたり、取り除くことは、神様の御心に反します。イエス様が、反対したペテロに対して、「下がれ、サタン」と言われたように、このことによって私達は神様に敵対することになってしまうのです。一つ目のペテロの問題は、人のことを思うあまり、神様の御言葉に反対し、神様に敵対するものとなってしまった、ということです。

 二番目のペテロの問題について見ていきたいと思います。

しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」

マタイの福音書 16章23節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様は、ペテロに、「あなたは、わたしをつまずかせるものだ」と言われました。ペテロを「わたしをつまずかせるもの」、すなわち、神様の御心を行わないようにさせてしまうもの、と言われたのです。

 イエス様は、十字架にかけられるまでは、そのことに対して大きな葛藤がありました。そして、その葛藤の苦しみで血の汗を流されるほどでした。それは、イエス様が、神様でもあり、人でもあったからです。そして、イエス様は、神様の御心に従うという勝利を、ゲッセマネで得られたのです。

 そのことのゆえに、その一番弟子であったペテロが言ったことは、イエス様ご自身が葛藤を覚えておられる中で、御心を行わせないようにつまずかせるものに他なりませんでした。イエス様は、人をつまずかせることについて、次のように言われています。

わたしを信じるこの小さい者たちの一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首にかけられて、海の深みに沈められるほうがよいのです。
つまずきを与えるこの世はわざわいです。つまずきが起こるのは避けられませんが、つまずきをもたらす者はわざわいです。

マタイの福音書 18章6~7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様は、イエス様を信じる小さい者たちの一人でもつまずかせる者について、厳しいことを言われました。そして、「つまずきをもたらす者はわざわいです」と言われたのは、その人が天国にいくのを妨げてしまうことについて言われたのです。自分も天国に行けなくなりますが、一人のたましいを失わせてしまうという、大きな問題を抱えることになることについて、ここでは語られているのです。

 このことから、私達は、たとえその行いが、人のことを思うがゆえのものであったとしても、気をつけなければなりません。

 最後に、三番目のペテロの問題について見ていきたいと思います。

しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」

マタイの福音書 16章23節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様は、ペテロに対して、「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と叱責されました。

 神様は、私達にとって絶対的なお方です。しかし、私達は、自分の愛する人びとを優先するあまり、神様を蔑ろにしてしまうという過ちを犯してしまうことがあります。

 例えば、父や母は人間の中で、私ちが一番愛する存在です。しかし、イエス様は、次のように私達に語られています。

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。

マタイの福音書 10章37~38節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 どんな人間よりも、イエス様を愛すること、すなわち、神様を第一に愛することが、私達には求められています。ペテロは、神様よりも人のことを思う問題を持っていました。

 以上、御言葉から、ペテロの三つの問題について見ていきました。冒頭でも述べたとおり、私達クリスチャンは、人のことを愛し、人を思うがゆえに、神様に反することを言ったりしてしまうものです。しかし、今日見てきたように、このことはクリスチャンである私達が陥りやすい、重大な問題なので、気をつけなければなりません。神様の御言葉は何を語っているのか、すなわち、神様の意図は何なのか、自分勝手に解釈していくのではなく、本当に理解して、行うものでありたいと思います。

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