終末の時代から天国へ

2022年9月11日 

また私は、大群衆の声のような、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のようなものがこう言うのを聞いた。「ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた。
私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。
花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」
御使いは私に、「子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、と書き記しなさい」と言い、また「これらは神の真実なことばである」と言った。

ヨハネの黙示録 19章6~9節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

お祈りします。

愛する天の父なる神様。あなた様は私たちに終末の時代、また天国について全てではありませんけれども、書いてくださって、私たちがこの終末の時代を生き残り、天国の民として生きることができるようにみことばを与えてくださった事をありがとうございます。隠されていることもあります。でも、隠されていることはあなた様のもの、開かれているものは私たちのものとみことばにありますから、難しくわからないところは帽子を脱いで、敬礼して、そこを過ぎ去り、私達のために明らかにされたことに目を止めて歩んでいくことができるように助けてください。難解なところですが、どうか各自、一人ひとりが主のみことばから養いを得て生きてゆくことができるように導いてください。とうとい救い主イエス様のみ名によってお祈りします。アーメン。

 聖書は天国についてたくさんのことを取り扱っていますから、それをお伝えするには半年から一年ぐらいかかりそうですので、ハイライトの部分だけ、みなさんと一緒に見て行きたいと思います。

 今から10年近く前に、「歩く預言者」(ウォーキングプロフェット)と呼ばれたアメリカのヘンリー・グルーバー先生に教会に来ていただいたことがありました。先生は、アメリカの高速道路を走っていて交通事故に遭い、臨死体験をしました。その時の様子を詳しく語っていただいたのですが、このとき、地球から外の天体を見ながら天国に引き上げられたそうです。先生は宇宙旅行なんてしたことがありませんから、天体の様子をじっと見て覚えていたそうです。そしてそのあと、天国を訪問し、地上に天国のことを言いひろめなさいと言われてイエス様から地上に戻されたのですが、天国の様子や、引き上げられるときの天体の様子を詳しく覚えていて、あるアメリカの集会でそのことを話したそうです。するとその集会に宇宙学の専門家が来ていて、集会が終わったあとに、「私はあなたの言うことを信じますよ。だって普通の一般人が到底知り得ないことや専門家しか知らないことをあなたは正確に描写しましたから」と言われたそうです。

 天国については、聖書が書いているとおりの場所だったとのことです。ヘンリー先生は子供さんが八人くらいいる大家族で、地上での生活もとてもいいものだと思っていたのですが、天国に行くと天国のほうがずっとずっと良いところだったので、地上には帰りたくないと思ったそうです。

 そして聖徒たちが輝く素晴らしい白い亜麻布を着て歩いていて、地上であんなきれいな布は見たことがないと思って、その聖徒の一人に「その布の端を掴ませて、どんな繊維でできているのか見せてください」と声をかけたそうです。さわってみて、とても肌触りが良い布だなあと思って後ろを見たらびっくりしたそうです。後ろにはびっしりと、その人が地上でなした良いおこないについて書かれていたそうです。それも、小さいことから大きいことまで、自分はもう忘れてしまったような事柄―例えば坂道で知り合いが元気をなくしてしょんぼりして歩いていたとき、「お元気ですか?どうしたのですか?」と声をかけたことまで、善い行いや正しい行いが記されていました。イエスさまに水をのませてさしあげた者は報いに漏れることがないというのはそのとおりなのだと思ったそうです。

 そのあと、イエスさまから、「あなたをもう一度地上に返すので、天国があるということや天国の素晴らしさを皆に言いひろめなさい」と言われて地上に返されたそうです。「いや、私は天国がいいです、ずっと居たいです」と言ったのですが、地上に返されたそうです。そして病院で目が覚めて、まずしたことは、聖書を取り出して、天国で見たあの聖徒たちの輝く清い亜麻布とそれを織りなす良い行いは、聖書のどこに書かれているのかと探すことでした。そうしたら、ありました。それが先ほどお読みしたヨハネの黙示録の19章6節から8節です。

 この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである、とあり、聖徒たちの正しい行いが、白く輝く清い亜麻布を織りなしていた、天国でみた亜麻布の後ろに書かれたよい行いとは、このことだったのだとわかって、先生は大喜びしたそうです。

 私たちが地上で何気なくする、もしかしたら忘れてしまうような正しい行いや良い行いが、私たちが天国で着る、輝く清い亜麻布を織りなしてゆくということを覚えたいと思います。クリスチャンとして救われ、イエス様に信頼し従う中で織りなして行く正しい行いを、私たちは常に心がけていきたいと思います。

 もう一つのハイライトは、千年王国のことです。ヨハネの黙示録20章1節から九節からお読みします。

また私は、御使いが底知れぬ所の鍵と大きな鎖を手にして、天から下って来るのを見た。
彼は、竜、すなわち、悪魔でありサタンである古い蛇を捕らえて、これを千年の間縛り、
千年が終わるまで、これ以上諸国の民を惑わすことのないように、底知れぬ所に投げ込んで鍵をかけ、その上に封印をした。その後、竜はしばらくの間、解き放たれることになる。
また私は多くの座を見た。それらの上に座っている者たちがいて、彼らにはさばきを行う権威が与えられた。また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。
残りの死者は、千年が終わるまでは生き返らなかった。これが第一の復活である。
この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対して、第二の死は何の力も持っていない。彼らは神とキリストの祭司となり、キリストとともに千年の間、王として治める。
しかし、千年が終わると、サタンはその牢から解き放たれ、
地の四方にいる諸国の民を、すなわちゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海の砂のようである。
彼らは地の広いところに上って行き、聖徒たちの陣営と、愛された都を包囲した。すると天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。

ヨハネの黙示録 20章1~9節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 千年王国のところも、よく読まれるところです。

 私は日本で教会生活を送った後、アメリカの神学校に行きましたから、千年王国は、ほかの日本の人たちと同じように、これから来るものと思っていたのですが、アメリカの神学校に行ってみると、一つだけの解釈ではなく、これから実際に起こることの抽象的な描写だとの解釈や、もう歴史上終わったある時代を指すなど、いろいろ解釈がありました。私はその解釈を一つ一つ聞いていくうちに、どう解釈していいか分からないなあ、いろんな説があるなあと思っていました。

 しかし最近の、ロシアによるウクライナ侵略戦争を見て、もう千年王国は終わりつつあって、ロシアの独裁者が聖徒たちの陣営と神様の愛される都、すなわちエルサレムを攻めるけれども、主が火を下され千年王国が終わる、つまりもしかしたらこの千年王国は比較的平和だった過去のある時代の事を指すのかもしれないと気持ちが傾いてきました。

 この千年は、第一次第二次世界大戦を除いて比較的平和な時代でした。サタンはどこに行ったのかというぐらい平和な時代だったと思われるフシもあります。そして、リバイバルが起こって多くの人たちがイエス様を信じる信仰に導かれました。ウェールズのリバイバル、アズサストリートのリバイバルなど、大勢の大衆伝導者と呼ばれる人たちが出てきて大勢の人をイエスさまの元に導く時代がありました。

 そして今、悪魔が解き放たれ証印を押される時代、獣を拝まないものは殺される時代であり、エルサレムや聖徒たちの陣営が攻撃される時代に入る、または入った時代とも考えられると思います。

 聖書を理解するために、イスラエルで何が起こるかを見る必要があります。エゼキエル戦争については聖書のエゼキエル書の28章と29章に詳しく説明があります。また私も日曜礼拝でもエゼキエル戦争について詳しく説明しましたが、ロシアの支配者、独裁者であるゴグが、ペルシャ(今のイラン)とトルコと同盟を組んで豊かになったイスラエルを包囲して攻めると書いてあります。

 そして、日本では小さく、一カ月ぐらい前に報道されたことですが、イランをロシアのプーチン大統領が訪問しました。ウクライナ侵攻以降、初めての外国訪問がペルシャ(イラン)で、アメリカ以外、ドルを使う国以外の国が世界を治めることができるということでイランの指導者と一致したと書いてありました。私はそれを読んで恐ろしくなりました。これはエゼキエル戦争の舞台が整ったと思いました。しかもそこにオブザーバーとして、トルコがその会議に参加しました。千年王国の終わりには、独裁者と組んだペルシャとトルコが、神様の愛される都であるエルサレムと聖徒たちの陣営を攻めると聖書にあります。今、聖徒達の多くは西側諸国にいますので、今そこで戦争していますけども、そこを攻めると、彼らの陣営を攻めるとありますから、もしかしたら、千年王国は、比較的自由にイエスさまに対する信仰に入ることができたこの時代のことをさすのであり、それが終わってこれからいよいよ終わりの時代を迎えるのかな、と思いました。そして天から火がくだされて、竜や獣や偽預言者なども火の中に投げ込まれるとあります。

 先ほど申し上げたように、隠されて記されていないことは主のものですから、わからないこともたくさんありますが、世の終わりの日は近いということを私たちは読み取って行きたいと思います。

 世の終わりは近いです。そして私たちは必ず神様の裁きの座に立ちます。ですから、目を覚ましている必要があります。イエスさまに対する信仰を堅く持たないといけないということです。

 そして天国はとても素晴らしいところだということを覚えていきたいと思います。天国はどういうところか残されたしばらくの時間を見て行きたいと思います。ヨハネの黙示録の21章1-7節をお読みします。

また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」
すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」
また私に言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。
勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

ヨハネの黙示録 21章1~7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 天国では、神様もイエスさまもおられ、私たちは子どもとして受け入れられる。そして涙もぬぐいとってくださる、死も、悲しみも叫びもすべて消え去る。そのようなところが天国だと言うことを、ここから知ることができます。

 もう一つの箇所をお読みします。黙示録22章1節から5節です。

御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、
都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。
もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊の御座が都の中にあり、神のしもべたちは神に仕え、
御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の御名が記されている。
もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める。

ヨハネの黙示録 22章1~5節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 いのちの川の両側に12の木があり、毎月一つの実がなり、その葉が諸国の民をいやしたとありますから、死がなくなりました。創世記の最初のところを思い出してください。アダムとエバが罪を犯し、神様に背いたのでエデンの園を追い出されました。そして永遠に生きることのないように、いのちの木への道が閉ざされ、封印されました。そして人間は死ぬ者となって、絶対に命の木の実にたどり着けなくなりました。しかし聖書の最後の黙示録で、私たちはいのちの木に、天国に行ってアクセスできる。その木の葉をいただいて生きる、死が私たちから消え去るということが起こるわけです。ですから、創世記時代の回復が天国で起こるということを私たち覚えていきたいと思います。

 私たちは死なない者となり、神様の子となり、受け入れられて永遠を天国で過ごすことになるのです。グルーバー先生が、地上にどれほど良い家族があっても、天国を見たら、もう二度と地上に戻りたくないと言われたのは本当だと思います。私たちがそのようなところに行くのか地獄に行くのか、これが生きている間の私たちの生活によって決まるのです。天国は神様もイエス様もおられ、良いものばかりあって、悲しみも死も叫びもない、本当に良いところです。地獄は臭くて蛆虫が食い、燃える火の中で苦しくてたまらないし、夜も昼も永遠に苦しみを受ける、何にも良いものがない、神様もイエスさまもおられないところです。

 地上はその中間時点で、良いものもあるし、悪いものもあるところですが、天国は比べ物にならないほど良いところであり、地獄は比べ物にならないほど悪いところです。私たちは努力して狭い門を通って、この天国に入りたいと思います。私たちが地上でイエスさまにどういう態度をとるかによって決まってきます。イエスさまを救い主として受け入れ、イエス様が言われたように、すべてをイエスさまにゆだねて、そしてイエスさまに聞きしたがって正しい行いをして天国にゆくのか、それとも地獄に行くのか、大きな違いをもたらすと言うことです。

 時はもう縮まってきました。聖書に書かれたことは全部真実です。聖書のみ言葉を朗読し、そこに書かれていることを守る者は幸いだと言われていますから、みなさま、色々思うところあったとしても、是非天国に行ってほしいと私は心から願っています。この地上でのあゆみが大きな違いをもたらすと言うことを覚えて、努力して天国に入り、ともにすごすものでありたいと思います。

お祈りします。

愛する天の父なる神様。今日は終末の時代から、永遠の喜びの国、天国について教えていただいてありがとうございます。確かに隠されていてわからないところもありますけれども、あなたさまは私たちを愛し、必要なことは全部書きしるしてくださいました。預言を与えてくださいました。どうか感謝して、あなたさまの命令に従って、天国に入れるように、そしてこの終わりの時代を賢く見抜くことができるように、おひとりおひとりを祝福してください。録音や生で聴いてくださっている方々が、ひとりも漏れることなく天国に凱旋して喜びあえるように助けてください。とうとい救い主、主イエスさまのみ名によってお祈りします。アーメン。

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