祈り求めること

2020年11月8日

また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうちのだれかに友だちがいて、その人のところに真夜中に行き、次のように言ったとします。『友よ、パンを三つ貸してくれないか。
友人が旅の途中、私のところに来たのだが、出してやるものがないのだ。』
すると、その友だちは家の中からこう答えるでしょう。『面倒をかけないでほしい。もう戸を閉めてしまったし、子どもたちも私と一緒に床に入っている。起きて、何かをあげることはできない。』
あなたがたに言います。この人は、友だちだからというだけでは、起きて何かをあげることはしないでしょう。しかし、友だちのしつこさのゆえなら起き上がり、必要なものを何でもあげるでしょう。
ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれでも、求める者は手に入れ、探す者は見出し、たたく者には開かれます。
あなたがたの中で、子どもが魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与えるような父親がいるでしょうか。
卵を求めているのに、サソリを与えるような父親がいるでしょうか。
ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」

ルカの福音書 11章5~13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 今日お読みした聖書の箇所で、イエス様は、求め続けることの大切さを教えてくださっています。

 イエス様が語られたこのたとえでは、真夜中に友だちのところへ行き、旅の途中で自分のところに寄って来たもう一人の友だちのためにパンを三つ貸してほしいと言った人について、語られています。

 このたとえについて見ていくためには、当時の時代背景を知る必要があります。当時は、旅というと、私たちの時代のように交通機関が発達していなかっため、徒歩が一般的でした。このため、夕方から夜にかけて、遅ければ真夜中に、旅の途中で寄る場所に着くことはよくあったのです。また、当時は、旅の途中に寄った人を迎える側が、できる限りその客に答えることが、良いホスト(客を迎える側)の条件でした。

 このため、この人は、友だちのところへ真夜中に行き、パンを貸してください、と頼みました。しかし、その友だちは、「面倒をかけないでほしい(・・・)子どもたちも私と一緒に床に入っている」と言って、断りました。この当時の家は、一つの部屋しかなく、そこで皆が寝ている、といった状況でした。しかも、その時間帯は真夜中でした。このため、この友だちは、「面倒をかけないでほしい」と言ったのです。

 しかし、イエス様は、ここでこの友だちについて、「この人は、友だちだからというだけでは、起きて何かをあげることはしないでしょう。しかし、友だちのしつこさのゆえなら起き上がり、必要なものを何でもあげるでしょう」と言われました。この人がただ単に、その人の友だちだからという理由では与えないが、その人がしつこく求めれば与えてくれるだろう、と言われたのです。

 このことを通して、私たちは、失望せずに、しつこく祈ることの大切さを知ることができます。

いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、イエスは弟子たちにたとえを話された。
「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
その町に一人のやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私を訴える人をさばいて、私を守ってください』と言っていた。
この裁判官はしばらく取り合わなかったが、後になって心の中で考えた。『私は神をも恐れず、人を人とも思わないが、
このやもめは、うるさくて仕方がないから、彼女のために裁判をしてやることにしよう。そうでないと、ひっきりなしにやって来て、私は疲れ果ててしまう。』」
主は言われた。「不正な裁判官が言っていることを聞きなさい。
まして神は、昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たちのためにさばきを行わないで、いつまでも放っておかれることがあるでしょうか。
あなたがたに言いますが、神は彼らのため、速やかにさばきを行ってくださいます。だが、人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

ルカの福音書 18章1~8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様はこのたとえでも、しつこく祈り求め続けることの大切さを教えてくださっています。不正な裁判官は、自分のために裁いて自分を守ってください、と求めてきたやもめに対して、しばらく取り合いませんでした。しかし、後になって、この裁判官は、こう考えました。「このやもめは、うるさくて仕方がないから、彼女のために裁判をしてやることにしよう。そうでないと、ひっきりなしにやって来て、私は疲れ果ててしまう」。イエス様は、このことから、この不正な裁判官でさえこのように思うのだから、まして正しい神様が「昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たちのためにさばきを行わないで、いつまでも放っておかれることがあるでしょうか」と言われたのです。

 また、最初の御言葉に戻りますが、イエス様が言われた「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます」とは、祈り続けることの三つの表現です。「求めなさい」は「求め続けなさい」、「探しなさい」は「探し続けなさい」、「たたきなさい」は「たたき続けなさい」という意味です。そうすれば、「だれでも、求める者は手に入れ、探す者は見出し、たたく者には開かれます」とイエス様が言われたとおり、祈り求めたものが与えられます。

 また、祈り求めたものが与えられるための、もうひとつの条件は、信じて、祈り続けることです。

あなたがたは、信じて祈り求めるものは何でも受けることになります。

マタイの福音書 21章22節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 信じていると、何が起こっても怯まなくなります。なぜなら、疑う人について、聖書にはこのように書かれているからです。

ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
その人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。

ヤコブの手紙 1章6~7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 私たちは、主は必ず報いてくださると信頼して祈ることが必要です。

 また、私たちは、祈り求めるものがあれば、それを良い動機で求めなければなりません。

あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、人殺しをします。熱望しても手に入れることができないと、争ったり戦ったりします。自分のものにならないのは、あなたがたが求めないからです。
求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。

ヤコブの手紙 4章2~3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 聖書では、私たちは、求めるものが手に入らないと羨んで妬む、と語っています。また、自分のものにならないのは求めないから、つまり、信じていないから、ということを知ることができます。またさらに、求めても得られないのは自分の快楽のために求める、つまり、自分の欲のためという、悪い動機で求めるからだ、ということもわかります。

 以上のとおり、私たちが神様に求めるときに、気をつけるべき三つのことを見て来ました。一つ目は、与えられるまでしつこく祈り続けること。二つ目は、信じて祈ること。そして最後三つ目は、良い動機で求めることです。

 さらに、最初にお読みした御言葉に戻って、もう一度後半の部分をお読みします。

あなたがたの中で、子どもが魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与えるような父親がいるでしょうか。
卵を求めているのに、サソリを与えるような父親がいるでしょうか。
ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。

ルカの福音書 11章11~13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 この御言葉からわかるのは、私たちが、何か特定のものを祈り求めるとき、神様は私たちに悪いものは与えられない、ということです。そして主は、私たちの必要をすべて満たしてくださるお方です。

また、私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。

ピリピ人への手紙 4章19節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 そして、この地上のどのようなものより、神様が私たちに与えてくださる最高のものがあります。それは、聖霊様です。

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ニコデモはイエスに言った。「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。
肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。

ヨハネの福音書 3章3~8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 私たちは、生まれながらのままでは天国に入ることはできません。聖霊様が私たちのうちにおられることが唯一の保証になります。

神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。
神はこの聖霊を、私たちの救い主イエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。
それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みを抱く相続人となるためでした。

テトスへの手紙 3章5~7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。

エペソ人への手紙 1章14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 私たちのうちには、何も、良いものはありません。人を愛することも、ただ、聖霊様によってのみ可能となるのです。

 そして、私たちは、神様にしつこく祈り続けることにより、日々、聖霊様で満たされることができます。日々、聖霊様を求めていきたいと思います。

前のぺージに戻る