私たちが守るべき戒めについて

2020年10月25日

わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。
まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。
ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。

マタイの福音書 5章17~19節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様は、ご自身がこの地上に来たのは、律法や預言者を廃棄するためではなく、成就するためだと言われました。イエス様がここで言われた律法とは、旧約聖書の最初の創世記から五番目の申命記までのモーセ五書のことを指します。また、預言者とは、旧約聖書の預言書を指します。つまりイエス様が言われた「律法や預言者」とは、旧約聖書のことを指します。そして、旧約聖書は、イエス様のことを示していることが、聖書の御言葉に書かれています。

それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。

ルカの福音書 24章27節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

もしも、あなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことなのですから。

ヨハネの福音書 5章46節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様は、「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来た」と言われました。このことから、イエス様は、律法を成就された方であることがわかります。

 また、聖書には、私たちはイエス様の血による新しい契約の中にいるので、律法の種々の規定は守らなくても良いと書かれています。律法の種々の規定とは、たとえば次のようなものです。

自分が陥っていた罪のために償いとして、羊の群れの子羊であれ、やぎであれ、雌一匹を主のもとに連れて行き、罪のきよめのささげ物とする。祭司は彼のために、罪を除いて宥めを行う。

レビ記 5章6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 律法の種々の規定は、イエス様にあって成就されたので、私たちは守らなくても良いのです。

この幕屋は今の時を示す比喩です。それにしたがって、ささげ物といけにえが献げられますが、それらは礼拝する人の良心を完全にすることができません。
それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いに関するもので、新しい秩序が立てられる時まで課せられた、からだに関する規定にすぎません。
しかしキリストは、すでに実現したすばらしい事柄の大祭司として来られ、人の手で造った物でない、すなわち、この被造世界の物でない、もっと偉大な、もっと完全な幕屋を通り、
また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。

ヘブル人への手紙 9章9~12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ここで語られている「新しい秩序が立てられる時まで」とは、バプテスマのヨハネの時までのことで、私たちはその後の時代に生きています。

すべての預言者たちと律法が預言したのは、ヨハネの時まででした。

マタイの福音書 11章13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 そして、私たちは、「ただ食物と飲み物と種々の洗いに関する」「からだに関する規定」の中にいはいません。

それは人の心には入らず、腹に入り排泄されます。」こうしてイエスは、すべての食物をきよいとされた。

マルコの福音書 7章19節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 なぜならこれらは、「今の時を示す比喩」、すなわち、私たちが今いる新しい契約を示す比喩だからです。

こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは祭りや新月や安息日のことで、だれかがあなたがたを批判することがあってはなりません。
これらは、来たるべきものの影であって、本体はキリストにあります。

コロサイ人への手紙 2章16~17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

律法には来たるべき良きものの影はあっても、その実物はありません。ですから律法は、年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって神に近づく人々を、完全にすることができません。

ヘブル人への手紙 10章1節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ここで、「来たるべきものの影」や「来たるべき良きものの影」と対比して語られている「本体」「実物」とは、イエス様のことです。これまで、旧約聖書で人々に命じられてきた食べ物や飲み物、祭りや新月や安息日の規定や、動物の血による罪の贖いの規定は、すべてこれから来たるべきものの影に過ぎず、むしろイエス様こそが、その本体、実物なのだ、と聖書は語っているのです。

 私たちは、古い契約に属する「ヨハネの時まで」の時代に生きているのではなく、イエス様の血による新しい契約の中にいます。

また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。

マタイの福音書 26章26~28節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 そして、律法は、イエス様にあって成就したため、その一点一画も決して消え去ることはないと、イエス様は言われました。冒頭でお読みした聖書の御言葉をもう一度お読みします。

まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。

マタイの福音書 5章18節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ですから、私たちは、イエス様が命じられたことを守る必要があります。

ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。

マタイの福音書 5章19節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様の命じられたこととはどのような戒めでしょうか。次のとおり書かれています。

そして彼らのうちの一人、律法の専門家がイエスを試そうとして尋ねた。
「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」
イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
これが、重要な第一の戒めです。
『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。
この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」

マタイの福音書 22章35~40節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

さて、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試みようとして言った。「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」
イエスは彼に言われた。「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」
イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」

ルカの福音書 10章25~28節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様は、戒めを守りなさい、そうすればいのちを得ます、と言われました。そして、イエス様が、「これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます」と言われたとおり、私たちはその最も小さい戒めをも守る必要があります。

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである。

伝道者の書 12章13~14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 今お読みした伝道者の書は、富も名声も栄誉も、この世の人びとが手にしたいと思うものすべてを手に入れたソロモン王が、その晩年になって書いた集大成です。そのソロモン王は、「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」と、この伝道者の書の総括として、最後にこの言葉を記しています。なぜなら、「神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである」と。

 神様は、私たちがこの地上でなしたすべてのことをさばかれると、あります。私たちが自分でやることは、自分が考えている以上に大きな意味があることがわかります。実際、このことは、天国と地獄に行った15歳の少年ナタンが話していたことです。

わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。

マタイの福音書 28章20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 この御言葉は、イエス様が、この地上で命じられた最後の命令です。イエス様は、イエス様が私たちに命じられたすべてのことを、守るように教えなさい、と言われました。すべてのことを守るように、です。私たちは、この命令を聞くときに、とてもじゃないけど無理だ、と思います。もちろん、神様の御心をなすのは肉の力では無理です。なぜなら、聖霊によらなければ、私たちは、命令を守ることはできないからです。

 今日お話ししたことをまとめると、次のとおりです。まず、イエス様は、律法を成就されたお方です。そして、私たちは、イエス様の血による新しい契約の中にいます。このため、旧約聖書に書かれている、律法の種々の規定は守らなくても良いのです。そして最後に、イエス様が命じられたことを、その最も小さいものでも、私たちは守る必要があります。そしてこれは、聖霊様によってのみ、可能となります。

 私たちは、聖霊様により頼みつつ、イエス様の戒めをすべて守り、天国に行く者でありたいと思います。

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