兄弟姉妹に良い行いをする

2021年1月10日

エレミヤが監視の庭に閉じ込められているとき、エレミヤに次のような主のことばがあった。
「行って、クシュ人エベデ・メレクに言え。『イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ、わたしはこの都にわたしのことばを実現させる。幸いのためではなく、わざわいのためだ。それらはその日、あなたの前で起こる。
しかしその日、わたしはあなたを救い出す──主のことば──。あなたは、あなたが恐れている者たちの手に渡されることはない。
わたしは必ずあなたを助け出す。あなたは剣に倒れず、あなたのいのちは戦勝品としてあなたのものになる。あなたがわたしに信頼したからだ──主のことば。』」

エレミヤ書 39章15~18節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

先日、ロンドンの市長が「コロナは制御不能」と言ったことや、地震や災害、各国の紛争など現在起こっている様々な事象からも、私たちは今、世の終わりを生きていることを実感できます。

エレミヤが預言した時代もまさに、バビロン捕囚によってユダ王国が滅亡に向かう途上にありました。

「主はこう言われる。『この都にとどまる者は、剣と飢饉と疫病で死ぬが、カルデア人のところに出て行く者は生きる。そのいのちは戦勝品として彼のものになり、彼は生きる。』
主はこう言われる。『この都は、必ず、バビロンの王の軍勢の手に渡される。彼はこれを攻め取る。』」

エレミヤ書 38章2~3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

この時代、エレミヤは神様の言葉を忠実に語りました。しかし、人々はエレミヤを死刑にしようとしました。そしてエレミヤを捕らえて穴に投げ込みました。

 王宮にいたクシュ人の宦官エベデ・メレクは、エレミヤが穴に入れられたことを聞いた。また、そのとき王はベニヤミンの門のところに座っていたので、
エベデ・メレクは王宮から出て行き、王に告げた。
「わが主君、王よ。あの人たちが預言者エレミヤにしたことは、みな悪いことばかりです。彼らはあの人を穴に投げ込みました。もう都にパンはありませんので、あの人はそこで飢え死にするでしょう。」

エレミヤ書 38章7~9節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

この時、エベデ・メレクにとっては王に対する命がけの進言でした。一度王が決めたことを覆してエレミヤを助けようとすることは、王からはもちろん、エレミヤに反対する人々からも怒りを買う可能性があったからです。しかし、神様は王の心を変えられたので、王はエレミヤを助ける許可を出しました。

エベデ・メレクは人々を率いて、王宮の宝物倉の下に行き、そこから着古した衣服やぼろ切れを取り、それらを綱で穴の中のエレミヤのところに降ろした。
クシュ人エベデ・メレクはエレミヤに、「さあ、古着やぼろ切れをあなたの脇の下の綱に当てなさい」と言ったので、エレミヤがそのとおりにすると、
彼らはエレミヤを綱で穴から引き上げた。こうして、エレミヤは監視の庭にとどまった。

エレミヤ書 38章11~13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

エベデ・メレクは、命の危険をおかしてでも、エレミヤを助けるため王に進言しただけでなく、エレミヤを穴の中から引き上げる時にも、エレミヤの身体を傷つけないように細心の配慮を持って、助けました。このことは、神様に対する信頼がなければ決してできないことです。この記事のはじめに引用した、エレミヤ書39章15~18節の御言葉を読んでもわかる通り、神様はこのことについてエベデ・メレクを評価していました。

「行って、クシュ人エベデ・メレクに言え。『イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ、わたしはこの都にわたしのことばを実現させる。幸いのためではなく、わざわいのためだ。それらはその日、あなたの前で起こる。
しかしその日、わたしはあなたを救い出す──主のことば──。あなたは、あなたが恐れている者たちの手に渡されることはない。
わたしは必ずあなたを助け出す。あなたは剣に倒れず、あなたのいのちは戦勝品としてあなたのものになる。あなたがわたしに信頼したからだ──主のことば。』」

エレミヤ書 39章16~18節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

神様を信じる私達に悪いことが起こるとは、特にご利益を重んじる日本人の私達にとっては、なかなか理解しがたいことと思います。しかし、人が皆死に向かうのと同様に、世の終わりはこの世界にとって避けられないことです。そして神様は私達ひとりひとりの心と行いを見ておられます。私達は、そのことを恐れを持って覚えなければなりません。

神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。

ヘブル人への手紙 4章13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

主よあなたは私を探り知っておられます。
あなたは私の座るのも立つのも知っておられ遠くから私の思いを読み取られます。
あなたは私が歩くのも伏すのも見守り私の道のすべてを知り抜いておられます。
ことばが私の舌にのぼる前になんと主よあなたはそのすべてを知っておられます。
あなたは前からうしろから私を取り囲み御手を私の上に置かれました。
そのような知識は私にとってあまりにも不思議あまりにも高くて及びもつきません。
私はどこへ行けるでしょう。あなたの御霊から離れて。どこへ逃れられるでしょう。あなたの御前を離れて。
たとえ私が天に上ってもそこにあなたはおられ私がよみに床を設けてもそこにあなたはおられます。
私が暁の翼を駆って海の果てに住んでも
そこでもあなたの御手が私を導きあなたの右の手が私を捕らえます。
たとえ私が「おお闇よ私をおおえ。私の周りの光よ夜となれ」と言っても
あなたにとっては闇も暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗闇も光も同じことです。

詩篇 139篇1~12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。

コリント人への手紙 第二 5章10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

神様の前で申し開きをすることは、イエス様の裁きとイコールです。つまり、天国に行くか地獄に行くかといったことや、私達が地上でなした行いの報いについても、イエス様によって裁かれるということです。

ここで疑問に思われた方がいらっしゃるかもしれません。私達は行いによってではなく、信仰によって救われるのではないか、と。確かにその通りですが、聖書が言う「行い」とは、「良い木は良い実をならせる」とあるように、良い心が良い行いをさせる、という意味で捉えられます。つまり、良い心を持っている人には、良い行いもついてくるのです。

そして神様を信じる人々に良くしたことについて、神様は報いてくださるお方です。

バビロンの王ネブカドネツァルは、エレミヤについて、親衛隊の長ネブザルアダンを通して次のように命じた。
「彼を連れ出し、目をかけてやれ。何も悪いことをするな。ただ彼があなたに語るとおりに、彼を扱え。」

エレミヤ書 39章11~12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

ここは、ユダ王国の民がバビロン王国に捕らえ移された後、バビロン王がエレミヤに特別に目をかけるよう、神様が導かれた場面です。

そして先ほども引用したエレミヤ書39章15~18節で、神様がエベデ・メレクに語られた通り、エレミヤと同じ報いをエベデ・メレクも受けていることがわかります。

預言者を預言者だからということで受け入れる人は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だからということで受け入れる人は、義人の受ける報いを受けます。

マタイの福音書 10章41節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

まことに、あなたがたに言います。わたしの弟子だからということで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません。」

マタイの福音書 10章42節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

これからも難しい時代が来ることは確かです。世界的にも今、株価がどんどん上がってきており、経済的にもどうなるか、安心の保証はありません。

エベデ・メレクにとって、エレミヤの預言は大きな慰めとなっただけでなく、信仰もさらに深められ、大きな益をもたらすものとなりました。困難な時代になればなるほど、預言の賜物が与えられれば大きな慰めと励ましとなります。預言は、人を励まし、助言を与えるものです。自分自身のためではなく、人に益となるように預言の賜物を求めることが必要です。

しかし預言する人は、人を育てることばや勧めや慰めを、人に向かって話します。

コリント人への手紙 第一 14章3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。

コリント人への手紙 第一 14章1節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

同じようにあなたがたも、御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会を成長させるために、それが豊かに与えられるように求めなさい。

コリント人への手紙 第一 14章12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。
自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。
ですから、私たちは機会があるうちに、すべての人に、特に信仰の家族に善を行いましょう。

ガラテヤ人への手紙 6章7~10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

私達は、機会がある度に、すべての人に、特に信仰を共にする兄弟姉妹に良くすることを心がけていきたいと思います。

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