キリスト教の音楽①

キリスト教の映画について、これまで連載で書いてきましたが、今度は音楽シリーズに挑戦してみたいと思います。

当たり前のことかもしれませんが、映画と同様、このブログでは著作権に配慮して、youtubeで公式に掲載されている音楽だけ、紹介していきます。

世の中には、本当にたくさんのキリスト教の音楽があり、私達の心に慰めと励ましを与えてくれます。

私個人の証ですが、過去には、クリスチャンになってからも、全く聖書とはかけ離れた、この世の音楽のとりこになっていた時期がありました。
ただ、聖霊様が私のうちに、徐々に働かれ、全く興味がなくなってしまいました。

今でも、好きなリズムやビート等(リズムアンドブルースやヒップホップが好きでしたので)を魅力に感じて、この世の音楽に戻ろうとする力は働きますが、神様がその曲の中心におられないと、聴いても平安が失われてしまいます。
なので今はまったく聴いていません。

今では、本当に聖書の信仰、御言葉に基づいた音楽を楽しんでいます。
慰めや励ましが必要な時には、いつもではありませんが、音楽をとおしてそれらが与えられるときもあります。
このようにして、神様から、音楽を聴くという趣味を通しても、恵みを頂けるのは感謝なことです。

このような経緯から、自分が特に、恵みを受けた音楽だけを厳選して、ブログで紹介していきたいと思います。
(キリスト教を銘打つ音楽であっても、歌詞の内容が本当に御言葉に基づくものか、よく吟味する必要がありますので、厳選させて頂きます。)

なお、洋楽、とりわけポピュラー音楽しか個人的に聴いていないため、紹介できる範囲は限られてしまいますが、記事を通して、ひとりでも多くの方に恵みを届けられれば、と思います。

また、英語の歌詞を日本語にして、御言葉と共に概要を説明し、どなたが読んでも励ましを受けられる内容となるよう、心がけています。歌詞の紹介やその他の説明の基となる御言葉を最後の方に、順序通りに載せてますので、参考にして頂ければ、幸いです。

さて、それでは紹介に移りたいと思います。

一回目に紹介したいのは、Light That Never Fades · Unspoken featuring Blancaです。

端的に言うと、大袈裟ではなくこれほど永遠の御国(天国)に目を向けさせてくれる曲を、私は他に聴いたことがありません。(他にもあれば、ぜひ教えてください。)

イエス様も、「あなたがたの心が、放蕩や深酒や生活の思い煩いで押しつぶされていて、その日が罠のように、突然あなたがたに臨むことにならないように、よく気をつけなさい(ルカの福音書21章34節)」と言われました。この世の思い煩いに押しつぶされそうな時に、この曲が流れると、ふと、永遠に心の目が向き、心配がなくなってしまうことがあります。

曲の冒頭では、「太陽が西に沈むのが最後になる日が来る(ペテロの手紙 第二3章7節参照)」「私達がお金を稼ぐのが最後になる日がくる(1ヨハネの手紙2章17節参照)」と歌います。しかし、「この最後の日が、私達(クリスチャン)にとって、新しい人生の最初の日となる」と続きます(同上参照)。

そして、サビの部分では、「私達(クリスチャン)は、その家を沈む砂の上に建てるのではなく、変わらない石の上に建てる(マタイの福音書7章24節〜27節参照)」「太陽の光は、永遠にこの世とこの世の宝を照らし続けることはない(マタイの福音書6章19節、20節1テモテへの手紙6章7節参照)」と歌います。

曲の2番目もクリスチャンたちにとって、励ましを歌う内容となっています。

そして、最後のサビにつながるCメロでは、「この世ではなく、天国が私達(クリスチャン)の故郷(ヘブル人への手紙11章13節〜16節参照)」と歌い、「この世の短い人生に気をそらされることはない(詩篇39篇4節〜6節参照)」「希望は永遠に続く(1コリント人への手紙13章13節参照)」と続きます。

この曲全体をとおして、クリスチャンたちは、この世に目を向けるのではなく、永遠にあるものに、いつも目を向けているべきだと、思わされます(コロサイ人への手紙3章1~3節参照)。そしてそのことをとおして、神様から私達に喜びが与えられるのだと信じます(ヤコブの手紙1章25節参照)。

これらの御言葉を実行して、永遠のいのちを得ていくものでありたいと思います。

しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。

ペテロの手紙 第二 3章7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。

ヨハネの手紙 第一 2章17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。
また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。

マタイの福音書 7章24~27節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。
自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。

マタイの福音書 6章19~20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。

テモテへの手紙 第一 6章7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。
そのように言っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。
もし彼らが思っていたのが、出て来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。
しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。

ヘブル人への手紙 11章13~16節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

主よお知らせください。私の終わり私の齢がどれだけなのか。私がいかにはかないかを知ることができるように。
ご覧ください。あなたは私の日数を手幅ほどにされました。あなたの御前では私の一生はないも同然です。人はみなしっかり立ってはいても実に空しいかぎりです。セラ
まことに人は幻のように歩き回りまことに空しく立ち騒ぎます。人は蓄えるがだれのものになるのか知りません。

詩篇 39篇4~6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。

コリント人への手紙 第一 13章13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。
あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。

コロサイ人への手紙 3章1~3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。

ヤコブの手紙 1章25節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会