神の友となれる幸い(ヤコブの手紙2章14節~26節)

先週、ひとりの姉妹が「自分にとって、誰がいい友達だろうと考えることばかりでなくて、自分は誰かにとっていい友達だろうかと考えることが大切だと気付いた」ということを話してくれました。私たちは、自分のことを棚に上げて、人に注文をつけ、人を変えようとしがちです。自分に優しくしてくれる人、自分を楽しませてくれる人、自分のために尽くしてくれる人。そういう人に恵まれることは幸せなことです。けれども、大人の友人関係、成熟した友情を築き上げていくためには、人ではなく自分に注文をつけて、自分を変えていく、聖書的に言えば、自分を神さまに変えていただく、そこに立たなくてはなりません。神さまはアブラハムに「あなたは祝福となりなさい」と命じられました。アブラハムの存在が、周りの人の喜びになり、希望になり、平和の源、シャロームの源になるように。神さまはアブラハムに近づかれたのでした。この命令の背後には、神さまご自身のパッション、情熱があります。神さまご自身が、人の喜び、希望、平和の源そのものである。すべての人にとって、最高の友だちとなるべく、存在してくださる方。アブラハムは、神と共に生きる中で、この神さまの情熱に触れられ、影響され、神のパッションを共にもつようになっていったのです。そうして彼は「神の友」と呼ばれる実質を、中身を備えていったのです。そして私たちも、21世紀のアブラハム、21世紀のラハブ、シャロームの種としてこの道に招かれているのです。