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祈祷会メッセージとお祈りの課題

主に相談する

彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。彼らはモーセを通して示された主の命令によって、主の戒めを守った。(民数9:23)

民数記になりました。民数記の初めの方は、レビ記や出エジプト記と重なる部分があります。民数記9章は、最初に幕屋が完成して、過越のいけにえを捧げる時、出エジプトの40章と重なります。この日は喜ぶべき日でした。エジプトを脱出してから1年が経過したことになります。過越は出エジプトを記念して行う祭りですが、エジプトを脱出してから1年で幕屋が完成して、幕屋の完成を祝うとともに、1年前の神様の御業を覚えるときともなりました。私たちは、レビ記を読んできてなんとなく神様の戒めは厳しい物ばかりで、とても窮屈なように見えます。しかし過越に限らず、イスラエルの多くの記念行事は、喜びの日でした。そんな喜びの過越の日ですが、たまたまその日は死体に触れていて過越に参加できない人たちもいました。民数記9章の初めにはそのような人たちがモーセに訴えています。「私たちはどうして参加できないのでしょう。」すると神様は「次の月の14日に過越を祝いなさい。」
神様は、どうしようもない事情というのをよくご存じです。そのような人たちに何が何でも汚れてはいけないんだと叱るようなことはなさいません。神様は、むしろ過越を共に祝いたいわけです。ですから、どうしようもない事情を抱える人たちと相談したいと思っていることがこの出来事から伺えます。おそらくこの人々は安心して、次の月に過越を祝ったことでしょう。みんなとはタイミングがずれましたが、エジプトから助け出された事を感謝して、過越の食事をしたことと思います。
民数記9:23には、イスラエルの人々がいつも神様の命令によって宿営し、旅立っていたことが記されています。宿営の時間がどんなに短くても、イスラエルの人々は宿営し、1年のように長く宿営するような時でも、しっかりとその期間を宿営しました。また旅立ちが昼間であっても、夜であっても、神様のタイミングで旅立ったことが記されています。このことからイスラエルの人々が本当に神様に忠実であった事が伺えます。この民数記9~10章からは、とても平和なイスラエルの人々の旅の様子が伺えます。
このような時にも神様は、イスラエル人々といろいろな事を相談しながら旅を続けたと思います。おそらくイレギュラーな事や、唐突な事もあったと思います。そんな時は、モーセは9:8のように神様に相談をしたでしょう。そんな時、神様はちゃんを解決策を与えて下さったと思います。このように神様と相談することを繰り返して、神様との信頼関係を育んでいったことと思います。ピリピ4:6-7に「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」とあります。これは何でも神様に相談しなさい。ということです。そうすれば神様は喜んであなたの悩みを聞き、相談に乗ってくださいます。そして神様しか与える事の出来ない平安を与えてくださいます。民数記9-10章にある平和な空気は、イスラエルの人々がいつも神様に信頼し、相談し、神様からの平安を受けていたからあるのではないでしょうか?

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々の健康と、夏の予定等が守られるように
  • 甲斐先生のために
  • 8月の集会(FMTC、修養会、キッズフェスタ、聖餐礼拝、伝道礼拝、改築感謝会)のために
  • 守谷教会のために