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祈祷会メッセージとお祈りの課題

宝の民

きょう、主は、こう明言された。あなたに約束したとおり、あなたは主の宝の民であり、あなたが主のすべての命令を守るなら、主は、賛美と名声と栄光とを与えて、あなたを主が造られたすべての国々の上に高くあげる。そして、約束のとおり、あなたは、あなたの神、主の聖なる民となる。(申命記26:18-19)

申命記に入っております。祈祷会の回数の関係で、申命記は今日一回だけで申し訳ありません。申命記は、イスラエルの民が約束の地カナンに入っていく直前、モーセがイスラエルの民に最後に語った説教だと言われています。その内容は、神様が今まで教えてこられた律法をもう一度思い起こして語っています。今までのイスラエルの歴史を振り返り、律法を書き直し、祝福を祈る祈りで閉じています。この長い申命記を一回で話したかどうかはわかりません。おそらく何回かに分けたと思います。今では、申命記を3つに区分して読んだりします。ちょうど27:1にありますが、「ついでモーセとイスラエルの長老たちとは、民に命じて言った。」同じような言葉が5章の初めにもあります。これを区切れ目として、1-4章、5-26章、27-34章と3つに区分して、モーセの第一の説教、第二の説教、第三の説教と分けますとキレイですよね。内容も大体、歴史の振り返り、律法、呪いと祝福と分けることができます。

そういう分け方でいきますと、26章は律法の最後の部分になります。25章は誠実さについて、弱い物を憐れむことについてなどの教えと言えます。物を測るはかりは正しい物を使いなさいですとか、兄弟の家を絶やさないようにしなさい。喧嘩の時に相手の急所をつかむなというものまであります。最後に、アマレク人の事についてちょっと触れられていて、「アマレク人は情け容赦のない民だった。」と言われています。暗に、イスラエル人はアマレク人のようになるなと教えているわけです。26章は、捧げ物についての教えです。捧げ物をちゃんと間違いなく納める事。この捧げ物は神様への感謝として捧げますが、土地を持たない祭司たち、レビ人たち、そしてみなしご、やもめたちに配られます。神様への感謝と、彼らへの助け合いの精神が同時に込められているのです。それの捧げ物をないがしろにしないように語られています。

こうして第二の説教の最後に締めくくりの言葉が書かれています。16節には「心を尽くし、精神を尽くして、それを守り行おう」と書かれています。似たような言葉が申命記には繰り返されています。申命記のキーワードの言葉です。イスラエルの律法とは、神様とイスラエルの民を結ぶ絆です。神様はイスラエルの神様となり、イスラエルの民は神様の民となるという約束を表す絆です。ですから、この律法がある限り、神様とイスラエルの関係は続いていて、神様はイスラエルの民を祝福し続けて下さいます。律法の精神は、25-26章の律法にも記されている通り、愛と誠実さと配慮です。神様にとってはイスラエルの民は宝の民なのです。神様はイスラエルの民を愛しています。だからイスラエルの民のために、エジプトから救い出し、カナンの地まで連れてこさせ、カナンの地では存分に祝福を与えようとしておられます。神様は、神様とイスラエルの関係においても、イスラエルの民同士でも、同じ愛と誠実と配慮をもって互いに接してほしいと願っておられます。それが律法に反映されています。

神様は私たちのことも宝の民とみて下さっています。ですから私たちも神様を愛し、お互いに愛し助け合う関係を築いていきたいと思います。

お祈りの課題

  • 10月の諸集会のために
    • 聖書の学び会、せいねんうんどうかい、女性リトリート、聖書塾、JHA関東聖化大会、伝道礼拝、宣教礼拝、宣教フェスティバル
  • 昭島教会のみなさんのために
  • 南大沢チャペルのために