今いまし、昔いまし、もう来られた方

万物の支配者、今いまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。
黙示11:17

8章から7人の御使いがそれぞれ7つのラッパを吹き鳴らしている様子が描かれています。9章で第六の御使いがラッパを吹き鳴らしてから少し間が空いていますが、この間に11章の前半では神殿の様子が描かれています。神殿には神の聖所があり、祭壇があり、礼拝している者たちが集まっています。しかしその外側は異邦人が踏み荒らしていると記されています。ここでの異邦人とは、単に外国人と言う意味だけではなく、神様を信じていない人々のことです。外国人であっても、神様を信じている人は誰でも救われるというのが聖書の教えです。イエス様の時代、エルサレム神殿には神殿の建物の周りに、異邦人の庭と呼ばれる場所がありました。外国人であっても、神様を信じる人々は異邦人の庭で礼拝を捧げることができました。神様の救いは異邦人にも開かれているのです。黙示録11:2で、異邦人たちが踏み荒らしていた聖所の外の庭と言うのは、おそらくこの異邦人の庭のことと思われます。彼らは神様が彼らの救いのために開かれた場所を踏みにじっていたのです。

紀元70年にローマ軍とユダヤ人の戦争が起こり、ローマ兵によってエルサレム神殿は完全に破壊されます。イエス様の時代からエルサレム神殿の礼拝の形骸化は問題とされてきて、イエス様はエルサレム神殿が破壊されることも預言されました。しかし実際に神殿が破壊された時には、多くのユダヤ人たち、クリスチャンたちは悲しんだことと思います。またローマとユダヤ人が敵対したこともあり、クリスチャンたちへの迫害の手も一層厳しくなりました。黙示録11章にはそれでも神様を信じて礼拝する民がいて、その中から2人の証人が起こされることが描かれています。この2人の証人たちは、祈ると雨が降らなくなったり、水が血に変わったりと、まるでエリヤやモーセのような力強い証人たちでした。しかし獣がこの証人たちも殺してしまいます。そしてあらゆる国の人々が、その証人たちが死んだことで喜んで贈り物を贈り合っていると書かれています。このような記事は神様を信じない人々が神様を信じる人々を迫害する様子と重なります。

しかし黙示録はそのような迫害の期間がごく限られた期間であることを語っています。11章に出てくる数字は42ヶ月、1260日という数字です。42ヶ月×30日=1260日となるので、これは数え方を変えただけで同じ日数です。42ヶ月と言うのは、3年半です。3.5という数字は7の半分です。聖書では7という数字が完全数ですので、数えきれない大きな数字を意味したりしますが、3.5はその半分なので、不完全数、終わりのある数字、限りある数字と言う意味を含んでいます。商人たちが踏みにじられる期間、また証人たちが殺されて復活するまでの3日半というのは、必ず終わりが来るという事を意味しています。

そして11:15で第七の御使いがラッパを吹き鳴らし、キリストの支配の時が来たことを知らせています。苦難の時代、迫害の時代は必ず終わりが来て、キリストの時代が来ることを教えているのです。キリストの支配は3日半や3年半のような限られた期間ではなく、11:15にあるように永遠です。迫害下にある時には、その苦しみがいつまで続くのかと本当に絶望的な気持ちになります。またキリストの時代がいつ来るのか、いつ来るのかと不安になります。しかし黙示録は、苦難の時代が必ず終わることを告げています。そしてキリストの時代が必ずやってきます。黙示録1章や4章でイエス様は「今いまし、昔いまし、後に来られる方」と紹介されていました。「後に来られる方」というのは、その時が来ればイエス様が来られて全てを支配し、新しい天と地が来るという希望を表しています。その「後に来られる方」という表現が11:17では使われていません。それは11:17の時点ではもうその時が来てしまったからです。11:15の言葉を借りれば、「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものと」、これからなるのではなく、もうなったのです。神様は黙示録を通して、迫害に苦しむクリスチャンたちに、その希望のメッセージを知らせているのです。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです(ヨハネ16:33)」と仰るイエス様に感謝し、信頼してこれからも歩みたいと思います。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集っておられる方々、ご家族のご健康、信仰の成長、救いのために
  • 9-10月に新しく来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • スマイル合唱団のために
  • 南平・昭島の交流会のために
  • クリスマスの準備、飾付、チラシ配布のために
  • 守谷教会のために