もはや神殿も必要ない

私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。
黙示21:22

黙示録も終わりに近づきました。キリストの支配が確立され、キリストと教会の婚宴が開かれ、21章には新しい天と新しい地の様子が記されています。この新しい天と新しい地には、キリストを信じる者、いのちの書に名前の記されている者が入ることができます。21~22章に記されている様子は、まさに天国の様子という事ができますが、これも黙示文学であることを念頭に入れておく必要があります。天国の様子が文字通りの意味であるかどうか、はっきりとは言えません。例えば、21:16には、御使いが都の大きさをはかっています。その寸法は、縦、横、高さがみな同じ長さで、12,000スタディオンだったと記されています。これは文字通りの意味で都の形が立方体であると捉えることもできます。また21:17には144(=12×12)という数字が御使いの尺度だと書かれていて、この数字が天において意味のある数字であることを物語っています。都の形についても12×12×12という象徴的な数字を用いて十分な広さを表しているとも言えます。

21:22ではこの都の中に神殿が無いという事が記されています。神殿とは礼拝をする場所、建物です。現代で言えば教会の建物のようなものです。これは一見「なぜ?」と思う事ではないでしょうか?旧約聖書の初めの方から、神様は神殿の原型である幕屋の作り方、そこでの礼拝の仕方を教えています。そしてイスラエル人はその幕屋と神殿での礼拝を大切に守ってきました。神殿は神様を礼拝するために必要な場所、もっと言えばユダヤ教、キリスト教にとってなくてはならないもののはずです。その神殿が新しい天と新しい地にはありません。このことは神殿、教会の建物について、またキリスト教とは何なのかという理解について大きな示唆を与えていると思います。

黙示録は新しい天と新しい地に神殿が無い理由について、「それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。」と記しています。神様ご自身が神殿であるということです。その神様は、新しい天と新しい地においては、常にそこに住む私たちのそばにいます。21:3には「神は彼らと共に住み、彼らはその民となる。」と記されています。新しい天と新しい地においては、私たちと神様の関係は今よりもっと近くなります。今は私たちは神様を目で見て、肌で触れることはできませんが、新しい天と新しい地においては、目で見るよりももっと近く、肌で触れるよりももっと近い関係になります。だから神様を礼拝するためにわざわざ場所を変える必要はありません。いつでも礼拝し、感謝し、話すことができるのです。神殿や幕屋、教会の建物は私たちが神様に近づくために必要な場所です。そこに来る時に私たちは心を切り替えて神様に近づきます。しかし真の礼拝とは、場所が大事なのではありません。私たちと神様の関係が大事なのです。私たちが神様に近づくことができれば、どこでも礼拝し、感謝し、祈ることができます。黙示録の新しい天と新しい地の描写は、究極的に大切な物は何かを伝えています。キリスト教にとって究極的に大切な物は、神様ご自身であり、教会の建物の事ではないことを伝えています。そして神様は永遠であり、不滅であり、いつも私たちのそばにいてくださいます。だから私たちは目の前がどんなに変わろうとも、心動かされず神様に信頼して歩むことができるのです。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集っておられる方々、ご家族のために
  • 9-10月に初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • クリスマスの案内チラシが用いられるように
  • 青梅教会のために