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祈祷会メッセージとお祈りの課題

イエス様に聞いているから幸い

しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。
マタイ13:16

マタイの福音書13章には、イエス様のたとえ話がたくさん書かれています。イエス様は人々に天の御国について話す時、たとえ話で話しました。マタイ13章には有名な種をまく人のたとえ話が記されています。種をまく人の種は、道端に落ちたり、岩地に落ちたり、いばらの中に落ちたりしました。しかし良い地に落ちた種だけがしっかりと成長し、多くの実を結ぶことができました。このたとえ話を通して、イエス様は御言葉をよく聞きなさいという事を教えています。

天の御国の奥義は、この地上での常識とまるで違います。ですので、私たちはなかなか天の御国を理解することができません。イエス様がたとえ話で話されたのは、私たちに分かるたとえで話されたとも言えます。しかしイエス様は、たとえ話で語られたもう一つの理由として13:11で弟子たちに向かってこう述べています。「あなたがたは天の御国の奥義を知ることが許されていますが、あの人たちには許されていません。」イエス様は弟子たちにはたとえ話の意味を説明しましたが、他の人たちにはたとえ話だけ話し、その意味までは説明しませんでした。イエス様はマタイ13章でたとえ話を語った後、何度か「耳のある者は聞きなさい。」と付け加えています。イエス様の語られたたとえ話は、話の筋は単純明快で分かりやすい物です。しかしそこに秘められた天の御国の奥義を知ることはイエス様のガイドなしには難しい物です。同じように聖書に述べられている神様の教えの全ては、話の筋はとても明快でわかりやすい物が多いかもしれません。聖書を読む時に神様の存在を考えずに、人生の教訓が並べられている書物として読むこともできます。それだけでも様々な良い教えを知ることができるでしょう。しかし聖書の奥義を知ろうと思った場合、神様のガイドなしに知ることはできません。イエス様は弟子たちには、たとえ話の意味を説明されました。イエス様の弟子となるのはとても簡単です。イエス様が「耳のある者は聞きなさい」と招いておられるので、もっと聞きたいとイエス様に望めばいいのです。イエス様はご自分を求めてこられる人には、弟子として認め、何でも教えてくださいます。イエス様を求め、もっと聞こうとする人は幸いです。

しかし注意しなければいけないこともあります。イエス様の弟子となるのが簡単なように、イエス様の弟子とならないこともまた簡単な事です。イエス様は、求めて聞く人には話してくださいますが、求めない人、聞かない人には無理に話しません。一度、イエス様を求めて聞けば、後はずっとイエス様が教えてくれるわけではないという事です。私たちはいつもイエス様の教えを聞きたいと思うのであれば、常に聞き続けなければなりません。一度弟子になったからいいのではなく、今、イエス様を見ているかどうかの方が重要です。イエス様に聞こうとする人には、イエス様はたくさんのことを教えて下さいます。私たちはどんな時でも、イエス様に聞く姿勢を持っていきたいと思います。一度、挫折してしまったとしても、何度でもイエス様に聞いていきたいと思います。イエス様は何度私たちが挫折しようが、何度でもまた教えて下さるお方です。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集っておられる方々、ご家族のために
  • 年末年始に初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新年度の導きと予算総会のために
  • 交換講壇礼拝のために
  • 八王子教会のために