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祈祷会メッセージとお祈りの課題

田舎ユダヤから御言葉が

私の理解するところでは、彼は死罪に当たることは何一つしていません。ただ、彼自身が皇帝に上訴したので、私は彼を送ることに決めました。
使徒25:25

使徒の働きも終盤になりました。使徒の働きの後半は、主にパウロの宣教旅行が描かれて、パウロがローマにたどり着くところで終わります。パウロは3回目の宣教旅行を終えて、エルサレムに戻りました。するとそこで大変な騒ぎが起きて裁判沙汰になります。この辺りから、ローマ人らしい名前の人が多く登場し、ややこしくなるので、少し整理したいと思います。

当時ユダヤの地域は、ローマ帝国の属州でした。しかしある程度の自治権が認められていました。そのため、ユダヤ人たちはユダヤ独特の言語や文化、宗教を守ってせいかつすることができました。しかし支配階級のレベルになると、あまり安定した統治が行われているとはいえず、ちょこちょこと紛争がありました。新約聖書の時代を見ると、ヘロデ大王が一人で統治していた時期、ローマ帝国本土から送られたローマの総督が統治していた時期、ヘロデ王の子孫である王たちと総督が共同統治していた時期など、様々です。使徒25章の時代はアグリッパ王2世と総督ポルキウス・フェストゥスの共同統治となっていました。ユダヤ人から見れば、ユダヤの首都はエルサレムでしたが、ローマ帝国から見れば、ユダヤ州の州都はカイサリアということになっていました。ですので、ユダヤ人たちはエルサレムで裁判することを望んでいますが、パウロはカイサリアに送られ、そこで裁判を受けています。

使徒の働きはパウロの裁判について、イエス様の裁判の時のように描いています。パウロには何の罪も認められませんでしたが、ユダヤ人たちは死罪を求め続けました。これにはユダヤの文化を良く知らないフェストゥスも困り果てたと思います。アグリッパ王2世は、ユダヤ人の血が混じっていることもあり、やや理解していました。26章に入ると、パウロはイエス・キリストについて力強く証しし、アグリッパ王2世が心動かされている様子が描かれています。イエス様の裁判とパウロの裁判の共通点は、どちらも罪はありませんでしたが、神様の召しによるものであったということです。違いは神様の召しの目的です。イエス様は十字架に架かることが目的でしたが、パウロは外国人にキリストを証しすることでした。パウロは鎖につながれてはいましたが、裁判を通して、多くの人にキリストを証しすることになったのです。

ローマ帝国にとってユダヤ属州はどのような位置づけだったでしょうか。おそらく片田舎のちょっと変わった民族くらいにしか思っていなかったでしょう。地理的に見ればエジプトに接する重要拠点ではありましたが、文化的には程度の低いものとして見ていたと思います。しかし、神様は、全く違う見方をしていました。この片田舎ユダヤから始まってやがて世界全体へキリストの福音が宣べ伝えられていきます。そのための一歩として首都ローマへのパウロの旅がありました。神様からの視点と、片田舎と思っていたユダヤに翻弄されるローマ中央の役人たちのお様子が混じって描かれているのが使徒の働き後半と言えます。どのような文化の違いも、神様の導きの前では障害とはならず、逆に福音を広める器となります。そう信じていたからこそ、パウロは鎖につながれても全く動揺せずにキリストを証しすることができました。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 2-3月に初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 教会総会、50周年準備委員会、交換講壇礼拝のために
  • FMYC(教団の青年キャンプ)のために
  • 守谷教会のために