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祈祷会メッセージとお祈りの課題

弱さのうちに働くキリストを誇る

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
IIコリント12:9

 

パウロは手紙の後半で自分の使徒としての召命について語っています。パウロの時代、宣教活動を行っていたのはパウロだけではありません。他の宣教師・伝道師たちもたくさん活動をしていました。中でもイエス様の地上生涯を目の当たりにしていた12弟子たちも多くの働きをしていました。コリント教会にもたくさんの使徒、伝道師たちが来たことでしょう。私たち人間は、人の外見や、肩書でその人となりを判断しやすいものです。パウロは12弟子と比べたら、イエス様の地上生涯を目撃した人ではありませんし、一度はイエス様に従う者たちを迫害した人です。そのような経緯を見ると、パウロが使徒として本当に相応しいのか疑問に思う人も多かった事でしょう。パウロは多くの場所で自分がイエス・キリストを主として信じていること、そのイエス・キリストから使徒として召されていることを説明しなければなりませんでした。そしてイエス様に従うものを迫害していた経緯からすると、その道は相手に赦されるまで謝罪し続けるという、とても大変な道でした。

パウロは、自分の使徒職について多くの手紙で弁明していますが、自分がどれだけ弱い人間であるかを強調することが多いです。それは過去の過ちに対する大きな反省から来るものであったことは確かです。パウロはイエス様に従う人たちを迫害する前から聖書に精通した学者でした。もしかしたら12弟子たちよりも聖書に精通してたかもしれません。自分の得意なこと、強味を強調することで、自分の適性を示すこともできますが、パウロはしませんでした。というのはパウロが人々に伝えているのは自分が獲得した知識ではなく、キリストの救いだったからです。パウロが自分の経験を通してキリストの救いを語ろうとすると、自分の過去の過ちを語らないわけにはいきません。キリストの救いがどのくらい素晴らしいものであるかを語ろうとすればするほど、パウロは自分がどれだけ弱い人間であるかを示すことになります。それはパウロに限ったことではありません。私たちは強い人間だから神様に救われたのではありません。もし本当に強い人間だったら救われる必要を感じないはずです。私たちは弱いからこそ、神様の救いを必要とします。神様は私たちの弱さのうちに働かれるのです。

私たちは自分の弱さが他の人の前にさらされるのを恐れます。しかしパウロはその恐れすらも神様に委ねました。そして弱さを人前に出すことにしたのです。むしろ誇ることにしたのです。それによって自分の知識や強さではなく、キリストを示すことができるからです。パウロは自分が使徒であることを示すために弁明をします。自分がいかに至らない人間であるか、むしろキリストの敵であったかを示すこと、そしてどのようにしてそこからキリストがパウロを捕えて下さったかを示すことで、自分がキリストを宣べ伝えるものであるかを示しているのです。パウロが自分の弱さを誇りますと言う時、その実パウロはキリストの力を誇っているのです。私たちは自分の弱さに希望を持つことはできません。しかしそこから救いだして下さったキリストに希望を置くことができます。自分の弱さを認め、キリストの力を仰ぎたいと思います。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 特別礼拝、聖餐礼拝、大掃除のために
  • 高木師結婚式、青年運動会のために
  • 桜ヶ丘教会のために