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祈祷会メッセージとお祈りの課題

神様の霊が人を生かす

そこで、主は言われた。「わたしの霊は、人のうちに永久にとどまることはない。人は肉にすぎないからだ。だから、人の齢は百二十年にしよう。」
創世記6:3

創世記を開きました。創世記6~9章にはノアの箱舟と大洪水の話が記されています。今回、通読していて改めて気づいたのですが、大洪水の記録の中には、ノアのセリフが一度も出てきません。代わりに神様はずっと話し続けています。これは他の聖書箇所と比べるととても珍しい特徴ではないかと思います。他の聖書箇所では人物が良くしゃべり、神様は必要最低限の言葉しかお語りにならなかったりします。これはこの大洪水のお話が、神様の目線で記録されていることを示しているのではないかと思います。そう改めて見返しますと、神様がご自分の感情をあらわにしている箇所が多々あります。神様が悔んだり、心痛めたり、という言葉が6章には見られます。神様は人々が地上に増え広がっていくのをご覧になりました。同時に、人の心がいつも悪に傾くのをご覧になりました。そして心を痛めておられます。そして大洪水を決断されるのです。

神様は6:3でこのようなことを言われました。「わたしの霊は、人のうちに永久にとどまることはない。人は肉にすぎないからだ。」神様の霊を表すヘブル語はルアハという言葉で、「息」や「風」という意味もあります。聖書は、地の塵から造られた人に、神様の息が吹き込まれて生きるようになったと書いています。人の内に神様の霊、息が吹き込まれているので人は生きています。逆に神様の霊、息が去ってしまうと人は生きていけません。人はいくら肉体が健康であっても、神の霊が内に注がれていなければ、生きていけないのです。この真理は創世記の始めから語られ、聖書全体を貫いています。そして創世記6章で神様がご覧になった悲しいことは、私たちの肉がいつも悪に傾いて、神様の霊を受け入れることを拒否してしまう事です。

特に、この神様の霊と肉の関係について詳細に語っているのは、新約聖書のローマ人への手紙8章です。ローマ人への手紙によれば、私たちは肉の思いと神様の霊に従う事を両立させることは出来ません。「なぜなら、肉の思いは神に敵対するからです。それは神の律法に従いません。いや、従うことができないのです(ローマ8:7)」ですから私たちが肉の思いに惹かれて、いつも心を悪に傾けている以上、神様の霊は私たちの内に留まる事ができず、私たちは生きていくができないのです。ローマ8:6はハッキリと言います。「肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。」そして私たちはこの肉の思いに傾かないようにするのが、とても難しく、自分の力で克服できないのです。

しかしそのようなみじめな私たちを救って下さったのもまた神様です。キリストの十字架が私たちの肉を処罰し、贖って下さったからです。こうして私たちは肉の思いではなく、神様の御霊に満たされることで生きる事ができるようになります。「キリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、御霊が義のゆえにいのちとなっています。(ローマ8:10)」と書かれています。ですから私たちはキリストの十字架の救いに感謝し、肉の思いではなく、神様の霊に従って歩みたいと思います。神様は私たちをいのちに導くために、神様の霊を豊かに注いで下さるのです。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 代議員総会、タイ宣教ツアー、プレイズジャムのために
  • APFMMAのために
  • 八王子教会のために