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祈祷会メッセージとお祈りの課題

見えない神を信じて 2020年10月21日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌315 主の御手に頼る日は

動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌301 わが行く道いついかに

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聖書

なぜ 地の王たちは立ち構え
君主たちは相ともに集まるのか。
主と 主に油注がれた者に対して。

詩篇2:2

メッセージ

聖書通読は詩篇になりました。今日は詩篇2篇を開きました。詩篇はその名の通り、多くの詩が収められています。作者は様々で、作者不明の詩も多いのですが、ダビデによる作が多いように思います。作者は思い思いにその時の心境をうたい、神様に祈り、神様の御力を賛美し、感謝しています。詩篇は賛美歌です。詩篇を読み味わうときに、私たちは作者の思いに共感し、同じように主を見上げます。苦しい時、うれしい時、どんな時でも味わいたいものです。

詩篇2篇は神様に選ばれた王の心境をうたっているように思います。もしかしたらダビデの心境かもしれません。多くの国々が神様に選ばれた王国に対して戦争を挑みます。その戦争に向かう王の心境がこの詩篇に表れているように思います。「なぜ、主と、主に油注がれた者に対して」戦いを挑むのかと問いかける詩は、敵である相手の心境を問う詩でありながら、ある種の悲哀がこもっているように思います。詩篇の作者からすれば、相手の姿は負けるとわかっている戦に挑む王たちに見えるからです。彼らはなぜ、空しい戦いに臨むのかとうたっています。

なぜ彼らは神様に対して戦いを挑むのか、それは神様が見えないからでしょう。彼らの目には、小さな国、弱そうな国イスラエルにしか見えません。大した武器や防具も持たず、兵の数も多くはない国です。ちょっと攻め込めばすぐ勝てそうに見えます。そしてその見た目はイスラエル側から見ても同じように見えています。自分たちは弱いです。武器も防具も万全ではありません。しかしイスラエル人たち、そしてこの詩の主人公である「油注がれた者」つまり神様に選ばれた王様は、天地万物を造られた主が自分たちを守ってくださることを知っています。II列王記6章には、アラムの軍隊に包囲された預言者エリシャとしもべの話が出ています。エリシャのしもべはアラムの軍隊を見ておびえました。しかしエリシャは全く動揺せず、神様にしもべの目を開いてくださいと祈りました。すると神様がしもべの目を開かれました。するとしもべは、今まで見えなかった神様の軍隊を目にしました。アラムの軍隊よりも強く、数も多い軍隊でした。

神様は普段は目に見えないかもしれませんが、この世のどの力よりも強く、そして神様を信じる者たちを守ってくださいます。見えていても、見えていなくても、それが真実なのです。詩篇2篇の最後の節はこのように述べています。「幸いなことよ すべて主に身を避ける人は。(2:12後半)」私たちは普段、目に見えるもの、私たちが五感で感じることができるものに頼って生きています。それらは私たちが生きていくうえで、注意すべきものです。しかし信頼すべきお方は私たち五感の外におられます。私たちが見えないから、聞こえないから、触れられないから、感じられないから、神様はおられないのではありません。私たちの五感の外側で働かれる神様は、実際に存在しておられ、必要な時に私たちに表れてくださるお方なのです。私たちはその神様の約束を信じて歩んでいきたいと思います。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 教団聖書塾のために
  • 八王子教会のために

賛美 新聖歌356 目には見えねども

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主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)