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勝子 毎月のニュース

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2013年4月4日(木) 石田勝子宣教師の活動視察記@

2012年10月に石田宣教師の母教会所属の保守バプテスト同盟から二名の牧師が石田宣教師に同行して、コンゴでの活動を視察してきました。
「石田勝子を励ます会ニュース」に転載する予定でしたが、諸般の事情で,発行ができていませんので、転載の許可をいただいて、お知らせします。
今回は母教会の古川聖書バプテスト教会牧師の飯塚先生の手記です。

コンゴの地を訪れて      古川聖書バプテスト教会      牧師 飯塚清昭  長い間の願いがかなえられて、去る10月15日から11月1日まで、コンゴ民主共和国への訪問旅行をすることが出来ました。
言うまでもなく、石田勝子宣教師の働きの現場を視察し、それを石田先生を送り出した教会であり、私の牧会する古川聖書バプテスト教会の兄弟姉妹を初め、祈って下さっている諸教会の多くの方々に報告するためでした。
コンゴに行くに当たって、様々な心配な要素がありましたが、私にとって一番の問題は、体力と健康のことでした。
しかし、主はみことばの約束をもって、この旅は主の御計画によるものだから、必ず目的を果たして帰国することができる、との確信と平安を与えて下さいました。
CBジャパン総主事の伊藤一寿師と一緒に行けたことは大きな励ましでしたし、行きは石田師に同行しての旅であったことは何よりも心強いことでした。
しかし、往復3万q以上に及ぶ旅は予想していたよりもずっとハードな旅となりました。
 コンゴに行って驚いたのは、まず道路です。
主要な道路も殆ど舗装されてはおらず、粘土質の道は至るところ雨水によって深い溝ができており、車は上下左右に大きく揺れて、腸がねじれるかと思う程でした。
車に酔う私も、酔う暇がなかったほどでした。
 もう一つは、電気です。夕方暗くなっても電気は来ず、やっと点いたかと思ったら、9時位には消えてしまうのです。そのような不自由さがありました。それが日常なのです。
ブニアでホームステーした家庭では毎日そのような暗がりの中で、聖書を読み、分かち合いをし、祈って家庭礼拝を守っている姿がとても印象的でした。
 コンゴではクリスチャン人口が全体の86%と言われ、石田先生によると、どんな村にも小学校と教会はあるというのです。
けれども、真に生まれ変わったクリスチャンは、その内の30%とも20%とも言われているようです。
そのようなコンゴの教会の課題は、ひとりひとりのクリスチャンの信仰が、真にみことばに従ったものとなるように教育と訓練をすることであると何度も聞かされました。
クリスチャン人口が1%にも満たない日本の教会にとっては羨ましい悩みだと思うと同時に、教会の成長は数的な成長よりも、まずひとりひとりが真に主の弟子として整えられて行く質的な成長こそが重要であるということを改めて教えられました。
 1974年に始まった石田先生のコンゴでの働きは初めルワングーバでなされましたが、1976〜86年にはルワングーバとニヤンクンデで半年ずつ交互に働かれ、1986年以後はニヤンクンデを中心に奉仕して来られました。
その間、2002年にニヤンクンデが部族抗争によって襲撃されてからの約6年間は、ベニとオイチャに避難して奉仕を続け、その後再びニヤンクンデに戻って来られました。
私たちが今回訪ねたのは、先生の働きがなされて来たそのニヤンクンデと、ブニア市およびベニ市でした。
 ニヤンクンデは、コンゴ東部の北キブ州にあり、ブニアとベニの中間、ブニア寄りの所にあります。
そのニヤンクンデ山の麓の広大な敷地に福音主義医療センター(CME)があり、そこに診療所と医療専門学校(63名)が置かれていました。
静かで独特の雰囲気が漂っている美しい場所でした。
しかし、あちらこちらに2002年の襲撃で破壊された建物が残っており、当時の出来事を生々しく物語っていました。
 ブニア市(人口30万)には、CMEの病院と医療短大(約300名)があり、協力関係を持つ福音主義に立つキリスト教大学がありました。
その神学科には約90名の学生がおり、卒業すれば殆どが牧師になるということでした。
注目させられたのは神学科のカリキュラムの中に弟子訓練の科目が設けられていたことです。
そして、ベニ市(40万)には、CMEの病院(新旧2か所)と薬の製造所が置かれていました。
ブニアの短大もベニの病院も更に施設を拡大し、働きを広げようと大きなヴィジョンをもって歩んでいました。
 1965年に5つのキリスト教グループによって設立されたCMEには、3つの重要な理念が掲げられており、その明確な理念に基づいて専門学校や短大、そして診療所や病院の働きが進められていました。
その理念とは、(1)医療を通して福音を述べ伝える(2)主のしもべとして仕える医療従事者を訓練し育成する(3)専門の医療活動を行う、で、その理念が、各部門の働きを推進する原動力となり、また、そこで働く人々や学生たちの中に継承されていることがわかりました。
そして、それが地域社会の中に大きな影響を与え、人々の信頼を獲得しているのだと見受けられました。
それは、あのエゼキエル書47章の幻のように、ニヤンクンデ山の麓から命の水が各地に流れ出て、人々を生かし潤している光景のように私には思えました。
 石田先生は、そのCMEの理念を大切に受け止めて、単なる医療の知識や技術を伝達するのではなく、ひとりひとりが主の弟子となって仕えて行くように指導し、訓練し、育てるという働きを、これまで38年間にわたって続けて来られたのだということがよくわかりました。
先生を「私のお母さんです」と呼ぶ専門学校の卒業生にも幾人か出会いました。
先生がこれまでいかに親身になって、また犠牲を払ってそうした人々の世話をして来られたかを思わせられました。
特に私たちが出会った、ブニアの医療短大のデレクターであるキレレ氏、その夫人で、水のプロジェクトと保険制度を設立して地域に仕えているローズさん、ベニでNGOを設立して、農村の人たちを支援しているモアカ氏、そして、癒しと和解のミニストリーを展開し、部族間の和解、教会内の和解、牧師や働き人の和解のために命の危険さえ冒して仕えているマスンブコ氏は皆、石田先生から大きな感化と影響を受けた人たちで、それぞれクリスチャンとして社会にしっかりと根をおろし、実を結んでいる人たちでした。
これらのことは帰国された時の石田先生の口からは決して語られなかったことです。
 これらのことを見聞きして、ニヤンクンデにおいて、石田先生の存在がいかに大きいものであるかを知らされ、深い感動を覚えさせられました。
 コンゴを訪ねることによって、遅まきながら、ようやくコンゴにおける石田先生の働きと、CMEの働きの全体像を掴むことが出来たように思います。
そして、これまで先生のために祈り、献げて来たことには大きな意味があり、すばらしい主の御業にあずかって来たのだと確信させられました。
今後はこれらのことを踏まえて更に祈って行こうと思っています。                    (2012.11.19)

2013年4月18日(木) 伊藤牧師の視察報告

前回、石田宣教師の活動を報告してくださった飯塚牧師と一緒にニャンクンデを訪問,視察した伊藤牧師の報告の記録を掲載します。
コンゴ民主共和国の石田宣教師を訪問して (2012年10月〜11月)
                        上山聖書バプテスト教会 伊藤一寿
 ウガンダのエンデベから軽飛行機(パイロット2名、乗客8名)で、コンゴ民主共和国のブニヤ空港に到着すると全てがフランス語になりました。
石田宣教師より事前に、「空港では写真を撮らないように!」と言われていたので、カメラをバックにしまったまま軽飛行機から降りました。
それから、石田宣教師に指示のもと、空港事務所で必要な書類に記入して無事、入国手続きが終わりました。
その後、石田宣教師が席を外して事務所から出たとき、係官からイエローカード(黄熱病の予防接種証明書)の提出を求められたので渡しました。
石田宣教師が戻ってきたのでイエローカードを係官に渡した旨を伝えると、石田宣教師は「渡しちゃダメ!!」と言って、大急ぎで空港事務所に行きました。
幸い、係官は石田宣教師を知っている方だったので事なきを得ました。
このこと以来、とにかく、誰から何を言われても、石田宣教師の確認を必ず得て行動することにしました。
 コンゴに入国して三日目、石田宣教師が奉仕しているCME(福音主義医療センター)の施設内に入ると、最初に目に入るのが破壊されたままになっているチャペルです。
屋根はなく、設備一式ももちろんなく、ただレンガの壁だけが残っている状況です。
同様に破壊されたままの建物が施設内に、現在も散在しています。
 2002年9月に一部族によって、CMEだけでも60人余り(スタッフ4名と入院患者)が殺され、建物が略奪され、破壊された跡です。
石田宣教師が住んでいたお家からも、現金を含めてあらゆるものが略奪され、建物は破壊されたままでした。
石田宣教師には、2004年にオイチャ市の自宅で強盗に襲われ、振り下ろされる斧で手を負傷するということがあっただけなく、2008年には、反政府の者たちによってCMEが襲われるという事件があったことを初めて知りました。
このとき、実際に施設内に反政府の者たちが入ってきて、お金等を略奪しました。
石田宣教師もお金の他にパスポートも奪われました。
CMEを救ったのが、現地に駐屯している国連軍でした。
CMEから連絡を受けたときの国連軍の指揮官がネパール人で、この方のお父様が親日的な方だったということです。
反政府の者たちが襲っている施設に“日本人がいる(つまり、石田宣教師)”ということが知らされると、指揮官が即座に国連軍を出動させたとのことです。
石田宣教師は、他の方々とともに国連軍によって無事救出され、しばらく現地の国連軍の施設内で過ごされました。
尚、パスポートの再発行を首都キンシャサでしなければならなかったが、往復も国連軍の飛行機を利用することができたとのことです。
以上の三つの大きな出来事を、石田宣教師は静かに話されました。
 現在、ニヤンクンデの施設は様々な支援を得て修復に向かい、コンゴ人医師五名の下に、診療所、診療室、事務室、歯科室、検査室、X線室、入院病棟、産科等があります。また、手術室と集中治療室は建物が完成し、来年1月から外国の医師とスタッフが来て、実際に動き始めるとのことです。
又、施設内に四科からなる四年制の医療専門学校があり、60名余りの学生が学んでいます。
石田宣教師は現在、もっぱら医療専門学校で教えられ、石田宣教師が育てた人材が検査室で仕事をしています。
なお、2002年以降、ブニヤ市とベニ市にもコンゴ人医師の下でCMEの病院が設立され、CMEの働きが広がっています。
 「コンゴ民主共和国の人口は凡そ6000万人ですが、そのうちの86パーセントがキリスト教徒です」と、ブニヤ市にあるキリスト教大学の神学部の責任を負っておられるカトー博士が話されました。
続けて、「教会が直面する課題の一つは、教会員が日々の生活に聖書の原理をいかにして生かすかです」と言われました。この指摘された事実の中に、石田宣教師の奉仕の意味の一端を知りました。
滞在中、石田宣教師より繰り返し々、「現在のスタッフが、CMEの基本理念を明白に把握して受け継いで欲しい」と言うのを聞きました。
病院も施設内にある医療専門学校も、毎朝30分礼拝をして仕事が始まり、学びが始まります。
しかし、石田宣教師の願いは、礼拝をするだけでなく、病院スタッフ、学生が、“聖書の原理を実生活に適用して歩んでほしい”と強く願っていることを知りました。
40年余り、キリスト教国コンゴで奉仕された石田宣教師は、このことの必要性を痛切に感じておられます。
専門のクリスチャン医療従事者を育成するだけでなく、主のしもべとして福音を伝え、福音に生きる医療従事者の育成に取り組んでこられたことを度々語ってくださいました。
今回、石田宣教師より様々な意味で指導を受け、キリスト教徒としての影響を受け、そして石田宣教師を母親のように慕う方々にもお会いしました。
問題を抱えたとき石田先生より親身な励まし、聖書の言葉からの励ましで立ち上がったり、経済的な問題を抱えているとき(例えば、学校の授業料が支払えない等)には経済的な支援を受けて卒業できたり、一緒に仕事をする中で石田宣教師を通して大きな神の愛を経験した人たちでした。
そして、このような方々は、実際に、其々の地でクリスチャンとして世の光、地の塩としての働きをしています。
ブニヤ市のキレレ御夫妻は、ヨーロッパ留学して博士号取得後、ニヤンクンデで医療短大を指導していましたが、施設が破壊された後、ブニヤ市でゼロから出発して医療短大を設立し、指導しておられます。また、ベニ市でNGOを設立し、農村の人たちを支援しているモアカ氏も、そのお一人です。
又、“和解”のセミナーを開催して、部族間の和解、教会内の和解、個人の和解のために労しているムスンバク氏も、石田宣教師より大きな影響を受けた人です。
 大半の人が一日1ドル以下で生活しているという国に住み、電気がない地域なので自家発電を頼りにする生活を送られる石田宣教師の日々の生活は質素そのものです。
テレビ受信設備もなく、インターネットもつなげず(一ヶ月30ドル以上必要とのこと)、携帯もつながりにくく(住まいが山の陰のため)、郵便制度が崩壊した地域のために日本からの郵便も一ヶ月から数ヶ月かかる地域で、福音にしっかり根ざした生き方をするクリスチャンを育てようとしている石田宣教師の姿を知りました。
ベニ市のCME病院の医師が、「2002年の事件後、殆んどの宣教師がCMEに戻らなかったが、石田宣教師は戻ってこられました。
私たちクリスチャンにとって大きな励ましとなりました。」と感謝の気持ちを言い表されました。
何処に行っても親しみをもって迎えられ、尊敬されている石田宣教師です。


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