2008年2月10日(日) 「キリストに留まる」 Tヨハネ2:18-29 竹口牧師
先回見ました聖書範囲には、子供たちよとか、父たちよとか、若い者達よ、小さい者達よ、というようにありましたが、その呼びかけはあまり老若男女を問わず、或は又、信仰の期間の長短は気にしなくても良いのではないか、そのように申し上げました。ヨハネは、信仰者全ての人を対象としているようにお話しました。
ですから、今回取り上げます最初の所に、「小さい者たちよ」とヨハネが語りかけていますが、キリスト信者である皆さんに語りかけている、そのようにお考えていただければ良ろしいかと思います。そしてヨハネが言いますのは、「今は終わりの時です」というのであります。この「今は終わりの時」というのは、何を指しているのか、大変重要なのであります。
旧約聖書では、終わりの日とか、主の日とか、そういう言い方がされていますが、勿論、同じ意味、内容を指しているわけではありません。例えば、終わりの日といいますのは、旧約聖書では、背信のために捕囚の民となったイスラエルが、主の恵みのゆえに再びシオンに集められ、回復される日を指しています。また国々のさばきが同じ文脈で語られたり、神の怒りの日と同一視されています。
黙示的なエゼキエル書の終りの日は、国々から集められ、安心して住んでいる平和なイスラエルの地を攻めるメシェクとトバルの大首長ゴグに対して燃やされる怒りの日でもあります。詳しくあげれば、その説明だけで今回の説教が終わってしまいますので、この辺にしておきますが、旧約聖書では、他の言い方で、先ほども言いましたが、主の日という言い方もされています。
それは、その当時のエドムの滅亡のように、ごく近い将来における神の訪れを指す場合もありますが、同時に主が来られる世の終りの日をも意味しているのであります。 また旧約聖書では、おもに神の怒りによる審きが行われる暗い不吉な日として表現されています。
そして今、ヨハネの手紙を読んでいまして、ヨハネが書いている「今は終わりの時です」という「今」というのは、当然ながら、第一義的には、ヨハネがこの手紙を書いている時代、1世紀の終わりの時代をさしていることは間違いありません。そして、その頃には多くの反キリストが現れていると言うのです。それによって、今が終わりの時である事が分かるといいます。しかし、多くの反キリストが現れたのは、決してヨハネが生きている時代だけではありません。今も、そう言えるのではないでしょうか。
これから具体的に、反キリストの立場の事が上げられているのを見ますときに、今の時代も「終わりの時」であると言えるでしょう。
では、それは何を持ってそのように言うのか、という事になりますが、19節にありますように、キリストの教えから離れていった。留まって一緒にやれなくなった。なぜそうなったかと言いますと、離れて行った人達は最初から仲間ではなかったからであると言います。
イエス様は、マタイの福音書24:5で、こう言われています。 「わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、 『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。」 これが、世の終わりの前兆だと言われます。これは、昔も今も変わっていません。ヨハネは、時代をよく読みとっていますが、それは変わらずに今も継続中であります。 そして、このことを決して馬鹿にしてはならないのであります。
なぜなら、ペテロが言っていますように(Uペテロ3:8-10)、 「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。 主は、ある人たちがおそいと思っているように、 その約束のことを遅らせておられるのではありません。 かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、 ひとりでも滅びることを望まず、 すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。 その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、 天の万象は焼けてくずれ去り、 地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。」とあり、 終わりの時が確実に近づいているからです。
ヨハネは20節でこう言います。 「あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、だれでも知識を持っています。」と。「聖なる方からの注ぎの油」とは、聖霊であります。イエス・キリストこそ、真の神、真の救い主、私の罪を完全に贖ってくださったお方であると信じさせていただいた信仰者には、内住してくださっているお方、聖霊、その方が住んでおられるので、正しい知識を持っていると、ヨハネは念を押すのであります。そして、何を信じているか、何が間違いかを具体的に述べていきます。
言うまでもない事ですが、人は、誰でも、何かを信じています。その「何かを信じています」の「その何か」が、とても大切です。また、どのように信じているかも大切なのはいうまでもありません。間違った事を真理として信じているなら、その人は間違いなく、滅びの道へと行く事になります。
だからヨハネは信仰者に対してあなた方は離れていきませんでしたね。私たちと同じ仲間だからです。私たちは、聖なる方から注ぎの油を受けましたねと、同じ救いの恵みに与っている事を確認するわけです。あなた方が正しい信仰を持っているので、このように言うのですと語りかけます。「偽りはすべて、真理からでていない」と言います。
偽り者とは何か。 22節、「偽り者とは、 イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。 御父と御子を否認する者、それが反キリストです。」と。
非常に明解であります。これくらいハッキリとした事はありません。この世に多くのキリスト教を名乗る集団があります。しかし、よくその言っている事を聞き分けてください。この、ヨハネが語っている事と違った事を少しでも言っているなら、確実に、その団体は異端です。反キリストです。偽キリスト者です。イエスがキリストであることを否定する、そんな団体があるの?と言う方は、気をつけていただきたい。ヨハネの時代にあったのですが、今の時代にもあるからです。恐ろしい事です。
ヨハネはその福音書3章17,18節でこう言います。 「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、 御子によって世が救われるためである。 御子を信じる者はさばかれない。 信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、 すでにさばかれている。」とであります。
このヨハネの言葉のごとく、イエス様は間違いなく、メシヤ、即ち救い主なのです。 バークレーは注解書でこう書いています。 「御子を否定する者は父を持たない、とヨハネは言っているが、その裏にはどう言う意味があるのか。偽りの教師達はこう言っている。 『イエスについて、私達とあなた方とは違うかもしれないけれども、しかし、神については同じ事を信じている。御子については、お互いに食い違っているが、父については、お互いの意見は一致している』と。 ヨハネの答はこうである。 「御子を否定していながらなお父を持っている事は不可能事である」と。
偽りの教師の言っている事の微妙な言い方ですが、しかし、そこにははっきりと違いがあることがお分かりでしょう。まさにヨハネが23節で語っている通りであります。 「だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。」と。
よく耳を澄まし、目を凝らして、頭を働かせて、聞いて、見て、考えていただきたいのです。大きな団体なら間違いないだろうという変な安心感、しかし団体の大きさ、建物の大きさ、ではなく、よくその教えているところを聞き、聖書と違っていないか、しっかりと調べていただきたいのです。間違った信仰、これはとっても恐ろしい事なのです。
ヨハネは、24-25節でこう言っています。 「あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。 もし初めから聞いたことがとどまっているなら、 あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。 それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、 永遠のいのちです。」であります。
教会のキリスト者は大きく二つのグループに分けられます。それは、生まれた時から御言葉のもとで育ってきた人と、人生の途中で御言葉に触れた人との違いです。生まれた時からみ言葉を聞いて育った人は、どのように聞いて育ったかが問われますし、 人生の途中で御言葉に触れた人は、一番最初に聞いた教会、或は友達の教えから少なからず影響を受けていますが、いずれにしましても、大切なのは、その聞いて育った私たちが、絶えず、御言葉に照らし合わせて、正しいかどうかをいつも調べるというのは、非常に大切な行為であり、必要なことであります。
なぜなら、聖書はこれからも永遠に変わらないのに、人は、時代の影響を受けて変わりやすいからです。だから常に、聖書によって、軌道修正をされ、始めの信仰に戻る、その事が求められるのであります。
私は、この事の大切さを思う時に、ベレヤの教会の事を思い出さずにはおれないのであります。みなさんは、パウロと言う人物を良くご存知でしょう(使徒17:11)。 そしてまたパウロが話した事は、全部正しいと思っておられるでしょう。そして、安心して聖書を読んでおられる事でしょう。聖書には誤りがないということで、私たちは安心致します。
しかし、そのパウロが話すことを聞いて、果たして、聖書に書いてあることはその通りかどうか、毎日聖書を調べたのが、ベレヤの人達なのであります。あの、パウロをしてさえ、毎日聖書に照らし合わされ、調べられた。その結果、何と驚く事に、彼らのうちの多くの者が信仰に入ったのでした。聖書を常に読み、自分達が聞いている事が正しい事か、自分達の行ないは、御心に反した行動になっていないか、それをチェックする事は、何と大切な事でしょうか。
ヨハネは、この手紙を書くに当たって大きく4つの目的を持っていたと言います。 そのうちの2つは、もうすでに見ました。
一つは、1:4にありました。 「私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。」でありました。
そしてもう一つは、2:1にあります。 「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。」という目的がありました。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです」と書いておりました。
そして今回見ます聖書範囲の中で2:26 「私は、あなたがたを惑わそうとする人たちについて以上のことを書いて来ました。」とありまして、惑わそうとする人達とはどう言うものかをヨハネは書きました。 私たちもまた、これを読みまして、御父と御子との関係を、もう一度確認したのではないでしょうか。そして、正しく信仰を守る為に神様は、聖霊なるお方を、私たちの内側に入れて下さいました。その方が、私たちの信仰を守ってくださるのであります。
27節「あなたがたの場合は、キリストから受けた注ぎの油があなた方のうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように――その教えは真理であって偽りではありません。――また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。」とあります。聖霊なるお方に留まって、真理へと導かれ、更に信仰の高嶺へと導いて下さるのであります。
ここで注意していただきたいのは、 聖霊なる神様は必ず、御言葉を通して語って下さるという点は、忘れてはなりません。 ヨハネは18節で「小さい者達よ」と呼びかけておりましたが、同じ話の続きで、28節では「子供たちよ」と呼びかけます。ヨハネがこの手紙を書く頃の年齢を考えますと、もはや、自分より上の者はそうはいない。「小さい者達よ」とか「子供たちよ」という言い方になるのでしょう。そして親愛なる思いをもって語りかけているのであります。
「今は終わりの時です」だから、28節「キリストのうちにとどまっていなさい。 それは、キリストが現われるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。
29節「もしあなた方が、神は正しい方であると知っているなら、義を行なう者がみな神から生まれたこともわかるはずです。」
反キリストとは、どういうものであるかわかりましたね。キリストを否定するものですよ。イエスがキリストであることを否定するものですよ。御子を否認する者は、御父を持っていません。あなたたちはそうではありませんね、というのです。
信仰に熱心なのはいいのですが、間違った信仰は、いくら熱心でも滅びへと行く事になります。それ故に、ヨハネは、信仰の基礎を確認するのです。 そして、正しい信仰の上に立って、キリストに留まりつづける。神様はそのように導いて下さる。ですから、ヨハネの勧めていますように安心して、御言葉を通して働かれる御霊の導きに従って、キリストに留まり続けさせて戴こうではありませんか。
|