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2009年1月4日(日) 「神の歴史を担う」  マタイ1:1-17  竹口牧師

きょうからマタイの福音書を学ぶ事に致します。以前にヨハネの福音書を学びましたが、その第1回目が2003年8月31日でありました。そして終わりましたのが4年と2ヶ月後の2007年10月28日でした。それからそのままヨハネの手紙へと入りまして、丁度昨年の12月最終の主日でヨハネの手紙が終わりました。私は手紙の学びと福音書の学びとを交互に学び進めて参りましたので、次はマタイの福音書をという事になりました。

ところで、月2回の割り当てで朝を担当していますので、そのうち1回は伝道礼拝と言う事ですから、毎月1回のスピードで大体進むことになります。ですから、恐らくマタイの福音書を読み終わりますのは、随分先になって私は、大変なおじいさんになっているかもしれない。そんな気の長い予定で進めて参りたいと思っております。まあ、今でもそれなりのおじいさんでありますが・・・。

幸にも年の始めですから、新しい所を始めるに相応しい。しかも、新約聖書の一番最初の書ですから、何となく、気持ちがいいものであります。しかしながら、ご覧のとおり、人名ばかりでありまして、初めて聖書を手にする方は、多くの場合、躓きの個所でもある訳です。聖書を貰ったけれども、何やらカタカナばかりで、何のことだか、サッパリわからないと言う事で、読むのを諦める方が結構おられるのであります。

しかし、中にはこう言う方もおられたようです。
私が、ある方から手紙をいただいたのですが、それには、こんな事が書かれておりました。ある本を読んでいましたら、こんな話が載っていましたといって、その手紙の始まりに書いてありました。
「ある男の人がアルコール依存症になり、入院生活になってしまいました。
病院での一日の生活は大変長くてうんざりしていました。
彼の奥様はクリスチャンで、ある日、黒い表紙の聖書を持って来て、読むようにと置いていきました。
彼は何だろうと思い、新約聖書の始めのマタイ伝から読んでいきましたら、人の名前ばかりで何も分からず、でも人の名を読んでいるうちに一人だけ知っている人の名でソロモンが分かりました。それは、競馬の馬の名前でした。
彼は、なんて不思議な本だろうと思い、それから聖書を読むようになった」そうです、というものでした。

なかなか面白い話だなと思い、その手紙を私は大事にとって置き、今回皆さんに紹介したわけであります。このように私達日本人にとって、この新約聖書をうまく最初から読み進むというのは、大変、まれであろうと思うのであります。多くの人は、睡眠導入剤となって、途中で読むのがストップされる。これが現実ではないでしょうか。

しかしながら、このマタイの福音書をユダヤ人が読みますと、状況は一変するのであります。と言いますのは、彼らは、系図に出てくる人の名前をよく知っているからです。しかも、彼らは、大変系図を重んずる民族でもあるわけです。系図の中に登場する人物の多くは、旧約聖書に登場し、何をした人か、一人一人を知っているのであります。

一方、私たち日本人にとって聖書とは、大抵の人が目にしておられるのは、
日本国際ギデオン協会という団体の活動で贈呈されてホテルとか旅館に置いてあります新約聖書だろうと思います。ですから、私たち日本人は、旧約聖書を目にする事はあまりないのが現実であります。そういう意味で、私たちは、まず新約聖書を目にするのであります。

そしてその新約を最後まで読むか読まないかのまず関所となるのが、この一番初めの系図ではないでしょうか。そして、この系図が又、旧約と新約を結ぶ大きな鍵となる、それ程、大切な部分であることは、キリスト者になってわかってくるのであります。
前置きが長くなりましたが、早速本題に入りたいと思います。

まず、誰がこの福音書を書いたかでありますが、紀元125年頃にはすでに「マタイによる」という表題がつけられ、早くから使徒マタイであると言われております。では、そのマタイは、どんな人物であったかと言いますと、あまり聖書はマタイについて語っていませんので、わかりませんが、聖書で分かる事を言いますと、彼は、最初は取税人であったけれども、イエス様に出会って、弟子となった。

しかも彼は、レビという、ユダヤ人にとってはありふれた名前でした。その彼がマタイ(神の賜物の意味)と言う名前を使うようになった、そのように言われます。
又、彼は取税人でありましたので、母国語のアラム語だけでなく、ギリシャ語を知っており、職業上記録することにも慣れていた、と言われます。

著作年代や執筆場所については、はっきりした事は分かっていません。大体50年から70年の間であり、執筆場所はユダヤ的色彩が濃い所から、一般的には、パレスチナのどこかであろうと言われます。まあ、詳しく申し上げればきりがありませんので、大変大雑把でありますが、前置きはそれくらいにして本文に入ることにします。

まず1章1節「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」とあります。これから述べるのは、イエス・キリストの系図ですよ。それも、アブラハムの子孫であり、ダビデの子孫なのですよと、マタイは書き始めます。

年の始めですから、家柄の良い家系では、我が家の家系は、先祖誰々の血が流れて今日に至っていると、もしかしたら、いわれる家庭があるかもしれませんし、いろんなしきたりが行なわれるかもしれません。少なくとも私の家では、そんな事は全くありません。大して誇るほどの家柄ではない。下々の家ですから。

まあそれはともかくとして、昔の戦争は、個人戦であり、どこそこの誰であるかを述べてから刀でやりあったと言われます。そのうちに団体戦になり、指令者がいて命令を出し、その指示に、下の者が従い戦いに行くと言う形態に変わり、そして今や電子戦になりつつあります。ボタン一つで、狙った標的を打ち落とすと言うものでありますが、今はともかくとしまして、昔は家名を重んじ、家柄を誇る兵士達がいて名を名乗って後、戦った。
家系を大切にする時代がかつて日本にもあったということを、申し上げたいのでありまして、そして、その家系を大切にする、重んずる慣習は、ユダヤ人にもあったのでありました。

家系、系図を明らかにする事によって、自分がどういう背景の人間かを相手に知らせる。これは、ユダヤ人にとって、非常に大切な意味を持っておりました。旧約聖書を読んでいきますと、偶像礼拝に陥り、神の怒りを買い、アッシリヤとかバビロンにユダヤ人は捕囚となります。その後、ペルシャの時代になりまして、南ユダの人々は、かつて自分たちの国であったイスラエルに戻ることが赦され、彼らはイスラエルに戻りますが、その戻ったイスラエルには、捕囚にならなかった人たちがいまして、しかも、外国からイスラエルに連れて来られた人たちと結婚した人もおりました。

そこで、ユダヤ人の血の純粋性を保つ為でしょうか。エズラ記には、外国人と結婚した者は、別れるように命令したことが書いてあります。彼らは、そのようにして、自分達には、誰の血が流れているか、先祖が誰であるか、とても大切にしたのでありました。

ところで、マタイは福音書を書くに当たって、イエス・キリストの系図を書きました。イエス・キリストから遡れば、アブラハムに行き着きますよ。そしてイエス・キリストがアブラハムの子孫であるので、イエス様こそ、神がアブラハムに対して約束されたことの成就である、と、そう言っているのであります。

それは、神様はかつてアブラハムとこういう約束をされていたからでありました。
創世記12章3節でありますが、「地上のすべての民族はあなたによって祝福される」とであります。

アブラハムは、ユダヤ民族の先祖で、信仰の父と呼ばれました。その彼と神様は契約を結んでくださいました。「地上の全ての民族はあなたによって祝福される」と言われたのです。それが2000年後のイエス・キリストへと繋がっていったのでした。

マタイは、この系図を書いたのでありますが、全部を書いているわけではありません。
むしろ、省いている部分もあります。そして17節を見ますと、3つの大きな部分に分けていることが分かります。

一つは、アブラハムからダビデまで14代であります。そして次にダビデからバビロン移住までで14代。そして三番目が、バビロン移住からキリストまで14代になる、というように、です。14代で統一しているようです。

先ほど、神様はアブラハムと契約を結んでくださったと言い、創世記を引用しました。そして、2番目の部分、ダビデを筆頭とするグループを挙げています。そのダビデに対しても神様は、同じく契約を結んでくださいました。それが、Uサムエル記7:12,13節でありました。(p.490)
「あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」とです。

これは、ダビデが、神様のために神殿を建て様としたとき、お前が建てるのではなく、お前の世継ぎが建てると言われ、それは、ソロモンを指して言われた言葉でありますけれども、しかしそれはまた、イエス・キリストの事をも含んでいたのでした。

ダビデと言いますと、ユダヤ人にとりましては歴史の中で最大の王であります。
ユダヤ人達にとってダビデは理想の王なのであります。
イスラエルは、神様の命令に背き、バビロン捕囚を経験しました。
その捕囚時代に預言者として立てられたエレミヤが、このような預言をしたのでありました。エレミヤ23:5,6節であります。3節からお読みしますが、(p.1178)

「23:3 しかし、わたしは、わたしの群れの残りの者を、わたしが追い散らしたすべての国から集め、もとの牧場に帰らせる。彼らは多くの子を生んでふえよう。
23:4 わたしは彼らの上に牧者たちを立て、彼らを牧させる。
彼らは二度と恐れることなく、おののくことなく、
失われることもない。――主の御告げ。――
23:5 見よ。その日が来る。――主の御告げ。――その日、わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。
彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行なう。
23:6 その日、ユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。
その王の名は、『主は私たちの正義。』と呼ばれよう。」とです。

国を滅ぼされたユダヤ人は、ダビデの子孫から一人の人物が現われ、その人によってユダヤ人に救いがもたらされると預言したのでした。国を滅ぼされたユダヤ人は、ダビデの子孫の中から、自分達を救ってくれる救い主メシヤが現われる。このことを待望するようになっていくのであります。そしてバビロン移住からキリストまでの約580年は、ユダヤ人にとって暗く長い苦難の時代でありました。

さて、手短にもう少し、系図に目を留めておきたいのですが。この系図を見ますと、4人の女性が登場しているのであります。その4人とは、3節にタマル、5節にラハブ、そしてルツ、最後の4人目に名前は出ていませんがウリヤの妻として、バテ・シェバが登場しているのであります。

私はずっと最初のほうで、ユダヤ人は系図を大切にするといい、それも「ユダヤ人の血の純粋性を保つ為でしょうか。エズラ記には、外国人と結婚した者は、別れるように命令したことが書いてあります。」と言いました。それ自体は、間違いないのですが、では、救い主イエス・キリストの系図はどうであったかといいますと、決してユダヤ人だけの血が流れているのではない。更には、女性もその系図の中に加わっている。それも、人間的に言いますと決して素晴らしいとはいえない、そのような女性も加わっている。その事を認めなければならないのであります。

まず第一番目のタマルという女性。これは、創世記38章に出ているのですが、ユダの息子と結婚したが夫が死んでしまった。そこで二男と結婚しましたが、彼も死にました。そこでさらにユダは他の息子と結婚させると言いましたが、ユダは約束を果たさないものですから、タマル自身、遊女に変装し、しゅうとであるユダを欺き寝て、彼の子を得るのであります。そのようにして、子孫が出来ていくのであります。

2人目のラハブは、ヨシュア記2章に登場し、イスラエルの斥候を助けたとはいえ、遊女でありました。しかも、ユダヤ人ではなくカナン人でありました。

3人目は、ルツでありますが、ルツはモアブ人であります。選民イスラエルと民族意識の強いユダヤ人が、そしてユダヤ人以外の者を異邦人として極端に蔑視しているユダヤ人、そのユダヤ人の、ダビデの系図にルツが入っているのであります。

4人目は、名前こそ書かれていませんが、ウリヤの妻と言えば、バテ・シェバであります。ウリヤを戦場の一番厳しい所に出して戦死させ、ダビデはウリヤの妻バテ・シェバを横取りしたのであります。その彼女のことを載せている。聖書には普通に考えますと、書いて欲しくない事もこのようにしっかりと書かれているのであります。

ユダヤ人達は、自分たちの民族の血の中に、明らかに異邦人の血が流れていて、決して純粋ではない。その上、数々の罪、汚れ、恥ずかしい部分があったことをマタイは、この4人の女性を登場させて明らかにし、ユダヤ人達に語りかけているのであります。

あなた方ユダヤ人は、聖く、正しい民族であるから、神様が特別に選んでくださったわけではありませんよ。あるいはまた、他の民族と比べて、少しましだからでもありませんよ。あなた方は他の民族と何ら変わらない、罪と汚れの中にある者、そのために救い主が必要なのですよ。そして、その為に神はイエス・キリストをこの世に遣わされたのですよ、と。そのようにマタイは、この福音書を書き始めるのであります。

その事を踏まえたうえで、マタイは新約聖書の一番初めにあって、まさに旧約と新約を結ぶ鎖としての働きをこの系図は、持たせているといえましょう。

新しい年を迎えさせていただいた私達キリスト者は、マタイがユダヤ人達に対して語った事を、自分自身の事として受け止めたいものです。即ち、神に選ばれたあなた方は罪人であるということ、そして、そのようなあなた方を神様はあえて選んで下さった。それは、神の民として、その御用に当たらせる為であった、ということであります。

この新しい年、神の民としての誇りと共に、罪人としての自覚を常に持ちながら、謙遜にお仕えしていこうではありませんか。そして、どんなに小さな働きでも神様の歴史の働きの一端を担う者とさせていただいていること感謝して用いていただきましょう。




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