2009年3月8日(日) 「星に導かれて」 マタイ2:1-12 竹口牧師
来月の5日には受難週を迎え、そしてその一週間後には復活節を祝う、これが今年のカレンダーでありますが、私達は1月からマタイの福音書を読み始めまして、きょうは、イエス様が誕生されたという所を見るのであります。従って、僅か1ヵ月後には、イエス様の30数年間のこの地上でのお働き、ことに公の生涯を送られた3年半の働きを見ずしてイエス様の死を見ることになります。しかしまあ、イエス様の誕生なくして、死も復活もありませんので、間隔的には短くてもまずは、時の流れ的には、良いのかもしれません。
さて、それではきょうの聖書個所へと入っていく事に致します。 まずは、どのような時代であったかを簡単に説明しなければならないでしょう。 イエス様の誕生の頃と言いますと、ユダヤを治めていましたのは、ローマからユダヤの王としての称号を付与され、紀元前37年から紀元前4年までユダヤを治めました、通称ヘロデ大王と呼ばれた人でありました。
その王は、生粋のユダヤ人ではありませんで、イドマヤ人でしたので、ユダヤの王としての地位を維持するためにローマに追従し、ローマの信任を後ろ盾として、領土拡張、独裁体制の強化、抜け目のない徴税、権力を誇示する壮大な建築物の建立など、支配者として様々な事業に手腕を発揮する一方で、権力維持のためには容赦なく身内の血さえ流す冷酷な王でありました。
10人の妻を持つ彼の家族は憎悪と不信に渦巻く権力争いが絶えず、彼はおよそ70歳で死ぬまで悲惨な流血を繰り返したと言われ、イエス様の誕生はまさに彼の治世の末期であったわけでありました。今回とそして次回に見ますことは、そのヘロデ大王が亡くなる少し前のことであります。
次回見ます19節にあることですが、ヘロデは、ベツレヘムとその近辺の2歳以下の男の子を一人残らず殺させておりますので、つまりは、今回みます出来事は、イエス様はすでに、2歳近くになっておられたと思われます。そして、このことは、イエス様の誕生が、紀元元年ではなく、紀元前6年頃だろうと言われています。
イエス様の誕生の知らせは、東方の博士達によってエルサレムにもたらされました。 この東方の博士達とは誰を指すのかと言いますと、マギというのだそうです。 そして、これは訳しがたい言葉だと言われます。
ヘロドトスが伝える所によりますと、マギと呼ばれる人たちは、元来はメディアの種族で、メディアは、ペルシャ帝国の時代に一緒になったために、いわば、ペルシャ帝国の一部でありました。ギリシャが支配する前の時代のことであります。
で、この種族は、ペルシャ人を追放してメディアの国力を回復しようとしましたが、その試みは失敗し、以来、マギは、権力や勢力を得ようとする野心を捨てて、祭司の種族になったと言われます。そのペルシャにおける地位は、イスラエルにおけるレビと同様であったそうです。
彼らは、ペルシャの国王達の教師、また導師となり、ペルシャではマギの一人が立ち会わなければ、犠牲を献げる事が出来なかったと言われるほど彼らは、聖人、賢人となったのでありました。このマギたちは、哲学、薬学、自然科学に秀でていて、占いをし、夢をといていたと言われます。
そんな彼らが、エルサレムにやってきたのでありました。 そしてこう言ったというのであります。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私達は、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」そして、これに敏感に反応したのがヘロデ大王でありました。先ほども言いましたように非常に猜疑心の強い男であったからです。
3節を見ますと、ヘロデだけでなく、「エルサレム中の人も王と同様であった」とありまして、その頃の権威、権力を握っている人たちは、みな大変恐れたのでありました。 当然と言えば当然でありますけれども、ヘロデ大王は、単に恐れるだけではなく、その情報収集と、根拠を探るのであります。
4節にこうあります。 「そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。」とであります。キリスト、つまりメシヤはどこで生まれるのか、でありました。この時代、人々はメシヤを待望していたからであります。そしてそれはまた、ヘロデの地位をも脅かすと彼は考えました。
ヘロデはもともと疑い深い性格でありましたが、それが年齢が進むと共に昂じて遂に晩年には、「殺意に満ちた老人」と呼ばれるようになったそうです。誰かが自分の権力の座を脅かすと思えばすぐにその人を葬り去ったと言われます。
彼は、妻マリアムネとその母アレキサンドラを殺し、長男アンティパテルと他の二人の息子アレキサンダーとアリストブロスも殺害してしまったそうです。ローマ皇帝アウグストは「ヘロデの息子であるよりは、ヘロでの豚であるほうが安全だ」と皮肉ったと言われます。それだけ危険であったわけです。
それだけに、ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおいでになりますか」との東方の博士の言葉は、大王を震え上がらせたに違いないのであります。大王が学者達に聞きますと、ちゃんとどこで生まれられるかを書いてあるものですから、彼らはそれを報告したのでありました。預言者によってこう書かれていますよ。
『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから』と。
これは、預言者ミカの言葉であります。この頃活躍した預言者の中にイザヤとかホセヤとかがいます。イスラエルの人たちは、そういう預言者の言葉から、神様のお約束を信じて待っていたのでありました。
考えてみますと、その預言者がいたころと言いますのは、南北に分かれたイスラエルの北がまずアッシリヤによって捕囚となるか、まさにそうなろうとしている時代であり、そして、その135年後には、今度は残された南ユダもバビロンによって捕囚となり、ペルシャ、ギリシャ、ローマの支配へと移り変わってきている、そのように外国に翻弄されて来ていたのですから、イスラエルは強く主の約束を民が待ち望んでいても不思議ではありませんでした。
しかし、それだけに、ヘロデ大王の心を刺激したことだけは確かでありました。7節「そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。」のでありました。
ところで、その星の出現ですが、ある人はこのように書いておられます。 「彼らが見た星のしるしについて、魚座における木星,土星,火星の接近に伴う異常な輝き(前7年)、ハレー彗星(前12/11年)、前5/4年に中国の天文学者が観測したと言われる新星(爆発によりしばらく異常に輝き、やがて消えていく星)などがこれまで挙げられてきたが、その星がイエスの居た家まで先導したとあるから(9)、他の超自然的な星の動きととるべきかもしれない」とであります。
当時の状況は、正確にはわかりませんが、それにしても、ヘロデは、ユダヤ人の王として生まれた者がいる。そして、それはいつ頃かも分かった。あとは、それがどの子であるかを把握した上で、殺害に取り掛かろうとの魂胆であったわけであります。まずは、博士達を行かせ、様子を見ようとの考えでありました。勿論、のんきにかまえていたわけではありません。確かな情報が入れば、直ぐにでも行動するつもりであったでありましょう。
ヘロデは、博士達にこう言いました。 8節「行って幼子の事を詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」心にもない事をヘロデは言うのであります。 9節、10節「彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。」とあります。神様の特別の取り計らいで、彼らは星を目印に、イエス様の誕生の場所へと導かれるのであります。
ところで、私はこの10節を読んで不思議に思うのであります。 彼らが喜んだのは、誘導してくれた「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。」とあるのであります。赤子のイエス様を見てではないのです。イエス様そのものを見てではないのです。
もっともここで、付け加えておかなければならない事がありますが、それは、博士が見たイエス様は、いくつであったかで、意見が分かれることであります。 一つの考えでは、生まれたばかりの赤ん坊であります。これは、普通、よく取られる考えであります。それと共に、別の考えもあるのであります。それは、生まれたばかりの赤ん坊ではなく、この時イエス様はすでに2歳近くになっていたという説です。
それは、ここに記された出来事は、ヘロデ大王が亡くなる少し前のことであるからです(19)。が、まあ、いずれにしましても、博士達がイエス様に会う前に、イエス様のおられる所のその上に星が留まった。その星を見て博士たちは喜んだ、そこに不思議があるのです。これはまさに、神様が導かれた大いなるしるしでありましょう。だから、喜び感動したのであります。
そして、実際に、そのユダヤ人の王であるイエス様を目の前にして、更に喜んだのは言うまでもありません。神様が、この事の為に、わざわざ恐らく遠くメソポタミヤのほうから彼らをここまで導かれたのですから。彼らは、持って来た宝を贈り物として差し出しました。黄金、乳香、没薬でありました。
なぜ、黄金、乳香、没薬であったのか、それをこのように説明する人がいます。 黄金は、王への贈り物である。乳香は、祭司への贈り物である。そして3番目の没薬は、死者への贈り物であるという風にであります。 本当の所は分かりませんが、いずれにしましても、その贈り物は、あるいはプレゼントは、イエス様が、マリヤとヨセフに連れられてエジプトへとヘロデの虐殺から逃れる時には、大いに役立っただろうと思います。
外国の地にどれくらいの期間、身を避けたか分かりませんが、お金が必要になった事だけは確かであります。贈られた贈り物を売ってお金を工面しただろう事は容易に想像がつくのであります。神様は、そのようにして必要を備え、ヘロデの殺意から、また、イエス様の身の危険を守られたのでした。
守られたと言いますと、12節において博士達は、「それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。」とありまして、博士たちはそれぞれヘロデに会う事もなく、自分の国へと帰って行ったのでした。恐らくヘロデは、博士達が戻ってくるのを今か今かと待っていた事でしょう。それだけにまた、博士達の取った行動を知った時のヘロデは、怒り心頭であった事でしょう。
イエス様の誕生と言う大きな出来事の故に、この世は、大きく揺れるのであります。 それはまだまだ、ユダヤと言うローマ帝国の小さな地域での出来事でありました。 しかし、その小さな地域での出来事が、やがては世界へと広がっていくのであります。
当時のユダヤの支配者であったヘロデ大王は、「ユダヤ人の王として、お生まれになった方はどこにおいでになりますか」との質問に慌てふためきました。それは、ヘロデ王が考えていた以上に大きな出来事でありましたが、当のヘロデは、自分の事しか考えていなかったのでありました。
一方、東方の博士たちは、もっと大きな目で、王の誕生を捉えていたのではないかと思うのであります。それは、何日もかけて星に導かれてきた事からも容易に想像がつきます。世界の片隅で起こったことが、今や全世界に2000年という歴史を通して伝えられてきました。
今は、世界の裏側で起こったことが一瞬にして、世界に伝わる時代であります。 その事を考えますと、今私達が読んでいます所は、世界に救いの福音が広がる原点に立っているといえましょう。その原点に立っているその時から、もうすでに、神に敵対する力が働いていた。にも関わらず、神の計画はつぶされる事なく、今日まで続いてきた。これは、大変素晴らしい事であります。
ヘロデの計画は、つぶれていきます。逆に神の計画は進んでいきます。 一方、私たち信仰者は、神の計画の一端を担うべく召されているのです。 とするなら、あの博士達のように、主にあった喜びを、もっと喜び、暗い世の中でも主にある希望を持って、主の導きにお従いさせていただこうではありませんか。
2009年3月29日(日) 「身を避けて」 マタイ2:13-23 竹口牧師
先回は、星に導かれて東方の博士達がイエス様の誕生を祝い、礼拝する為にやってきた、という所を見ました。ヘロデは博士達の、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおいでになりますか」という質問に敏感に反応し、彼らに「行って幼子の事を詳しく調べ、分かったら知らせて貰いたい。私も行って拝むから」と言いましたが、本心は違っておりました。
それは、自分がユダヤの王であるが故に、その権威が脅かされる事を恐れての手配であり、博士からの情報が入ればすぐにでも殺すつもりであったと思います。それだけに博士からの情報を今か今かと待っていたわけでありました。
ところが、当の博士たちは、夢で、ヘロデの所に戻るなとの戒めを受けましたので、王の所に戻ってキリストの事を伝える事はありませんでした。そして、今日の最初のところでは、そういう誕生したばかりか、あるいは一年位経っていたか分かりませんが、キリストにとって大変危険な事態の時に、神様は、今度は、主の使いをヨセフの所に遣わされ、ヨセフの夢に現われて、ヘロデが幼子を殺そうとしているのでエジプトに逃げるようにと勧める所から始まるのであります。
14,15節「そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。』と言われた事が成就するためであった。」とある通りであります。
マタイがここで引用しました個所は、旧約聖書のホセヤ書11:1でありまして、神の子としてのイスラエルの体験とイエス様の幼い頃の体験とが重なる背後には、イエス様を神の子とする告白があるといえましょう。
それと共にまたイエス様の体験は、モーセの体験とも重なるのであります。 幼子モーセもエジプトの王に危うく殺されかけ、拾われました。後に成人してエジプトを脱出しますが、神様の召しを受けて、出エジプトを経験し、イスラエルの民の救済者となりました。そのモーセのような預言者を起されるという神の約束もイエス様において成就しているといえましょう。
神様の愛がイスラエルに注がれ、イスラエルを愛しておられるが故に、ヘロデの手から、幼子イエス様を守り、エジプトにかくまい、またこの聖書の時点では、戻してくださろうとしているのであります。しかし実際には、イエス様が、イスラエルに帰って来られるまでには、イスラエルでは、大変大きな犠牲が払われる事になるのであります。
16節を見ますと、「その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年令は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである」とあり、何と「ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子」が犠牲となるのであります。
当時、ベツレヘムは、人口千人程度の小さな村だったそうです。 ですから今回のことでヘロデの犠牲になった幼児は2〜30人であったろうとも言われています。犠牲者数に対しての感じ方は、人それぞれ違いはありましょうが、殺された親の心を思うと心が痛むのは誰しも同じでありましょう。
ところで、そもそもヘロデとはどういう人物だったのでしょうか。ある方はこう言っておられますのでかいつまんで紹介いたします。 「ヘロデの一生を読んでも、・・・ただ一回読んだだけでは、ヘロデの一生の輪郭が浮かび上がってこないくらいに、実に複雑な、言ってみれば、波瀾万丈な生活を送った。・・ローマの権力者を相手に回し、そのご機嫌を取り結んだかと思うと、裏では策略をめぐらす。賢く力を拡大していった、なかなかの人物であったと言っても良い。
ただ、この人にとっての一つの大きな悲劇は、絶えず人を殺さなければならなかったと言う事である。ヘロデが真実に愛したただ一人の妻、マリアンメをついに殺さなければならなかった。彼は死ぬまで、自分が殺した事を思い出しては嘆き悲しんだ。また、このマリアンメと通じていたのではないかという疑いで、自分が出征している間、妻を預かっていてくれた伯父をついに殺してしまう。また三人の息子を殺し、自分の義理の父を殺し、およそ、自分に身近な存在であった人々を次から次へと殺していった。
なぜか、みな、自分の王位を狙っていると思ったからだ。特に晩年には、ユダヤ人を非常に恐れ、自分の死ぬ時が近づいた時、それを知ったヘロデは、あえて、ユダヤの主立った指導者達を虐殺するように命令したと言われる」という風に、であります。
今回のベツレヘム近辺で起きた幼児虐殺も、自分の王位が脅かされるのを恐れてのものでありました。ヘロデ自身、生粋のユダヤ人ではありませんで、エドム人でした。従って、しばしばその血統が純粋でないために、ユダヤ人から色々言われたようでありまして、ヘロデの、ユダヤ人に対する敵意は、相当なものでした。
それでも、自分はユダヤの王として君臨したい為に、そしてまたユダヤ人に対して権勢を確保する為に、神殿を建てたといっても良いかもしれません。実に壮麗な神殿をこしらえつつあったヘロデですが、結局は、自分の栄光を輝かすものでありました。そして更に言いますなら、完成を見る事なく死んでいくのであります。
ところで、話をもとに戻しまして、ヘロデは、自分の身を守る為に、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子を一人残さず殺させましたが、その虐殺の事をマタイは、エレミヤ31:5の成就だと言います。マタイは18節でこう引用しております。
「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。 ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」と。
この言葉を理解するには、旧約聖書にあるエレミヤ書の背景を理解しなければなりません。そうしませんと、話がわからないのであります。そこで大変大雑把にイスラエルの歴史をお話しすることに致します。
時を遡る事、アブラハム、イサク、ヤコブという族長が続く時代があります。 その族長時代のヤコブの時に、彼には二人の奥さんがいまして、そばめもいれますと4人ですが、その4人からヤコブには12人の子どもが与えられます。そしてその12人からイスラエルの12部族が生まれるわけです。
ところで、その12人の子供の中でヤコブが一番愛した妻ラケルからヨセフとベニヤミンが生まれます。そのラケルは、ベツレヘムの近くで産気づき、ベニヤミンを産むのですが、難産の為に自分は死んでしまいます。そして、そのベツレヘムの近くにラケルは葬られるわけであります。
その事があってから、時代はずっと降ってきまして、紀元前586年、ユダヤはバビロンに滅ぼされ、ユダヤ人は捕囚となってバビロンに強制移住させられました。預言者エレミヤは、その時代の人でありますので、ユダヤ人のその時の悲しみを表す為に、最愛の妻ラケルを失ったヤコブの悲しみと関連させて今日の所で言いますと18節で書いたのであります。
ラマは、エルサレムの北方約8kmにある国境の町でありました。そこから自分の国の民が捕虜としてバビロンに連れて行かれる。その悲しみを、ラケルがその墓の中で泣き悲しんでいると書きました。ラケルの墓は先ほども言いましたようにベツレヘムの近くでした。 それでベツレヘムでヘロデによって子どもが殺された母親の悲しみ、それを指すものとして、ここに引用されているのであります。
ヘロデが紀元前4年に死んだと言われています。ですからイエス様は、それより2年位前辺りにお生まれになったのではないかと言われます。ヘロデの2歳以下の男の子を殺すようにとの命令からです。こうして、イエス様は両親によって守られ、エジプトに避難されたのでありました。
ある本によりますと、イエス様の誕生以前の波乱の多い数世紀に、ユダヤ人は、危険、圧制、迫害の為に生活に脅威を感じますと、エジプトに逃れたそうであります。そのため、エジプトの都市には、どこにでもユダヤ人の移民がいて、アレキサンドリア市では、ユダヤ人口は100万以上に上り、都市のある部分は、完全にユダヤ人のものになっていたそうです。ですから、ヨセフとマリヤは、エジプトに避難しましたが、決して異国人ばかりの間で暮らした訳ではなかった、という風にありました。
とはいえ、自国で暮らすのとでは訳が違っていまして、移民生活は大変であった事でしょう。そして19、20節によりますと、ヘロデが死ぬと、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現われて、「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。」というお告げを受け、イスラエルの地に帰っていくのであります。
ところが、ここでまた、考えなければならないことが起きるのです。 それは、ヘロデ大王が亡くなった後、彼が支配していた王国を分割する事になるからです。ローマはヘロデを信頼して広範囲な領土を治めさせておりましたが、ヘロデは、自分の息子達に、それと同じ権限をローマは与えるとは考えられませんでしたので、王国を三分割し、遺言によって、それを三人の息子達に与えました。
つまり、ユダヤはアケラオに。ガリラヤは、アンティパスに。北東の地方とヨルダン川の向こう側はピリポにというように分譲したのでした。そしてヨセフとマリヤ、それにイエス様はエジプトからベツレヘムへとまず帰っていきますが、22節にありますように、
「しかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。」のでありました。
と言いますのも、アケラオは、悪い王でありまして、その治世の最初に、ヘロデに勝る残虐行為をし、国中の最も有力な人たち三千人を計画的に殺害したと言われます。
ですから、ヘロデ大王は死にましたけれども、野蛮で無謀なアケラオの支配しているユダヤには、ヨセフたちにとって安全な所は無かったわけでありました。そこで夢で戒めを受け、更に北上しガリラヤに行ったのでありました。
そういうことで、ヨセフはナザレで落ち着き、イエス様は、ナザレで成長される事になるのであります。そのナザレは、静かな村でめまぐるしく移り変わる世の中とは違って隔離された所と思いきや、そんな事は全然ありませんでした。
と言いますのは、ナザレはガリラヤの南方の丘陵地のくぼみに位置していまして、丘を登ればすぐに足元には世界の多くが見られたからでした。
西を見れば、遠方に地中海が青い水をたたえ、洋上を、舟が地の果てを指して進んでいる。海辺の平野に目をやれば、今立っている丘のふもとを巡って、世界で一番重要な道路が一つ走っておりました。この道路は、ダマスコからエジプトに通じ、アフリカへの陸の掛け橋となっていました。
この道は、「南方の路」とか「海の道」と呼ばれていました。 更に別の道があり「東方の路」といわれるものがありまして、それはローマ帝国の東の境界線にまで届いておりました。ですから、ナザレは決して人里はなれた村ではなかったのであります。
イエス様がお育ちになった町の丘の麓を、遠い国の人が通っていた。 イエス様は少年時代、これらの光景を見て成長されるのであります。 マタイは23節でこう書いております。「そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して『この方はナザレ人と呼ばれる。』と言われた事が成就するためであった。」というようにであります。
ここに「『この方はナザレ人と呼ばれる。』と言われた事が成就するためであった。」とありますが、実は、ナザレと言いますのは、旧約聖書には一度も名前が出てこない、そのような全く人に知られないような村であったわけでした。
もともと、ガリラヤ自体が、「異邦人のガリラヤ」(イザヤ9:1)と言われて軽蔑されておりましたので、イエス様が後に「ナザレ人」と呼ばれる事は、決して名誉な事ではなく、むしろ軽蔑された言い方であったのでした。
ですから、ヨハネの福音書1章にでてきますナタナエルの言葉にもありますように、 「ナザレから何の良いものが出るだろう」というのは、まさにそういう軽蔑の意味が含まれておりました。イエス様が後に、人々からメシヤとして崇められるよりも、むしろ、馬鹿にされ、拒絶され、受け入れられないのは、そういう差別があったからでした。
しかしマタイは『この方はナザレ人と呼ばれる。』ことの成就として、特定の預言者の名前を載せないで書くのであります。それは、その通りのことばを書いた預言者がいないからですが、ある人は、それをこういう風に説明しております。
「むしろ彼は、詩篇22篇、イザヤ書53章などの内容から、イエスがナザレ人と呼ばれて軽蔑されることが預言の成就とみたのであろう。これからの公生涯においても、イエスは人々から拒絶され続けている。これも神の子であるメシヤと、サタンの支配下にある不信の人々との対立関係を示すものである」というようにです。
イエス様は、生まれた時から受難でありましたが、しかし、その受難の中で、神様は御子を罪人より守り続けられました。 13節で、主の使いによって夢で危険を知らせ、 19節で、イスラエルに戻るように夢で知らせ、 22節で、ユダヤを退くよう夢で導かれました。
神様は、この時、夢によって知らせ、母マリヤと父ヨセフをベツレヘムからエジプトへ、エジプトからナザレへと導き、移動させる事によって、色々な状況の中で、イエス様を確実に守り導いておられたのでありました。
赤子のイエス様を殺そうとする者、それが今はヘロデでありましたが、やがて成長されると、イエス様にとって同じユダヤ人である者から命を狙われる事になるのであります。イエス様は、この地上に来られた時から、常に死を背負って歩まなければなりませんでした。それは、他でもない、私たち罪人の為でありました。
私たちの罪を背負い、死を背負って歩まれ、最終的には、十字架への道を進まれる事になります。私達は、そのイエス様のお働きを覚え、主の十字架によって常に守られている事を感謝しながら歩みたいものです。
神様は私たちに今は、夢でもって語る事はなさいません。 御言葉をもって、御霊のお働きによって導いてくださいます。 それ故に、私たちは、御言葉に信頼し、静かに耳を傾け、救い主、助けぬし、導き手であるイエス様の所に身を避け、これからの人生の全てをお任せし、歩ませて頂こうではありませんか。
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