2009年6月7日(日) 「光は上った」 マタイ4:12−17 竹口牧師
バプテスマのヨハネは、ユダの荒野で教えを宣べ伝えておりました。 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(3:2)と言って、でありました。 たくさんの人が、そのバプテスマのヨハネのところに行き、悔い改めのバプテスマを受けておりました。そんな中に、イエス様もおられました。
ただ、イエス様は、父なる神様に遣わされたお方でしたので、バプテスマのヨハネが言っているような悔い改めは必要なく、また逆に、バプテスマのヨハネこそがイエス様からバプテスマを受けるに相応しいと言えたでしょう。
そのようにヨハネは考えていたのでありますが、イエス様は、そうとは考えられませんで、ヨハネにこう言われました。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、全ての正しい事を実行するのは、私達に相応しい事です」とであります。
そこでヨハネはイエス様にバプテスマを授けたのでありました。 そしてその後、イエス様は悪魔の試みを受けられる為に、御霊に導かれて、荒野に行かれました。イエス様はそこで試みを受けられました。その内容たるや、私でしたら立ち所に悪魔の誘惑に嵌る所でしょうが、イエス様は、その時、的確に御言葉をもって、その悪魔に応対され、従って悪魔は、イエス様に敗れたのでありました。
そしてきょう見ます所は、ご自分にバプテスマを授けてくれたヨハネが捕らえられたと聞かれ、その事でイエス様ご自身、行動を起こされる所であります。きょうの最初の個所12節でこう書いてありました。
「ヨハネが捕えられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。」とであります。 ここで不思議に思われますのは、イエス様は、どこからガリラヤへ立ち退かれたのか、ということです。バプテスマのヨハネと同じ場所ではなかったにしましても、大体同じ様な所で、一緒に、ヨルダン川沿いで活動をしておられたのであれば、ガリラヤに立ち退くとは、地図で言いますと、言わば、北上された事になります。
それなのに、きょうの聖書個所の13節を見ますと 「そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。」とあるのであります。
これでは、北上ではなく、南下であります。 そこでまたまた疑問が湧くのであります。 それは、イエス様は、もともとナザレの人であったからです。 イエス様の誕生に当たっては、住民登録をしなくてはいけませんでしたのでナザレからベツレヘムにわざわざマリヤとヨセフは出向いたのでありました。 その後、ヘロデの殺害計画がありましたので、それから逃れるようにエジプトに行かれたものの、父ヨセフ、母マリヤの居住地はナザレにありましたので、イエス様は連れられてそのナザレに戻って来られたのでありました。
ですからイエス様は、30年間は、このナザレで過ごされた訳でありました。 それ故に、のちのちイエス様の事を人々は、「ナザレ人イエス」という呼び方をするようになります。
それなのに、きょうの12節にありますような 「ヨハネが捕えられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。」 とありますのは、明らかに違う場所を拠点としておられた、という事でしょう。
因みにバプテスマのヨハネが活躍していた所がヨルダン川沿いであり、 しかも、どうもガリラヤ湖近くではなく、殆ど死海に近い辺りだったようでありますから、もしかしたらイエス様もその近くにおられたと思われます。とするなら、「ガリラヤに立ちのかれた」とは納得できるわけです。
ところで、そのナザレという小さな村は、ガリラヤ湖の水が死海に向けて流れ出る出口あたり、その地点から東に25キロ位の所にありますので、イエス様は、そのナザレに一旦戻られまして、そこから再び、今度はカペナウムに来られたといえましょう。
では、そのカペナウムはどこにあるかと申しますと、ガリラヤ湖は、大体、東京の山手線の形に似ていますので、その形を思い出していただけますと分かりやすいと思いますが、大変大雑把ですが、品川辺りが、ガリラヤ湖から死海へと流れ出るヨルダン川の流れの始まりとするなら、カペナウムは、山手線池袋駅より東数キロ辺りに位置します。
先ほどは、ナザレは、ガリラヤ湖の水が出る出口と言いましたが、カペナウムは、逆にガリラヤ湖に流れ込む入口に当たりまして、ガリヤラ湖の更に北にありますフーレ湖から同じくヨルダン川が流れていまして、ガリラヤ湖に水が注がれる、その入口が池袋あたりになるわけです。
その入口の数キロ東にカペナウムがあります。 で、イエス様は以後、ガリラヤ伝道を展開されるのに、この町を拠点にされて、出ていっては又戻って来られるのであります。そういう大切な町なのであります。
さて、きょうの最初の所で、ヨハネが捕えられたとありましたが、そもそも、なぜヨハネが捕らえられたのか、誰に捕らえられたのか、と言う事が問題になってきます。 それは、少し時をさかのぼりますが、 イエス様がお生まれになった時は、ヘロデ大王が、ローマ帝国からパレスチナを治めることを許されて支配しておりましたが。そして紀元前4年にヘロデは死にました。 その後を、3人の息子が、領地を分け合い、王ではなく、領主としてローマから治める事が許されました。
その3人とは、アケラオ、アンティパス、そしてピリポでした。 そしてその3人のうちの一人、アンティパスが、ガリラヤとペレヤの領主であったわけであります。ですから、イエス様は、そのアンティパスの支配する所に、この時は、ユダヤ、サマリヤの方から行かれたと言えましょう。
なぜ、ヨハネが捕えられたかと言いますと、 アンティパスは、もう結婚して妃はいたのですが、自分の兄ピリポの妻に恋をしてしまいまして、恋が恋で終わらず、とうとう奪ってしまうわけであります。 因みに、そのピリポは、アンティパスが治めていますガリラヤのその丁度東隣りの領域、ヨルダン川を挟んで東側にあるイツリヤ、テラコニテの領主でありました。 ガリラヤ湖を挟んで東側がアンティパス、西側がピリポの領土であったわけです。
バプテスマのヨハネは、アンティパスが兄から妻を取ったと言う事で、命をかけて、その間違いを正したわけでありましたが、その結果、都合の悪いアンティパスは、そのヨハネを捕えたのでした。
しかし、ここで問題になりますのは、イエス様はナザレの人でした。 ナザレは、ガリラヤにあり、アンティパスが支配しておりました。 それなのに、ヨハネが捕らえられたと聞いて、イエス様はナザレに、そして更にはカペナウムに行かれたというのは、イエス様からみれば、わざわざ危険な状況の中に踏み込まれたとも考えられます。
12節を読んだだけではそうは受け取れませんね。 12節だけでは、むしろ危険を察知して逃げられたようにすら感じます。が、実はそうではなかったのであります。アンティパスから見れば、ヨハネの仲間のようなイエスが、自分に近づいてきたと言えるでしょう。
どうせなら、アケラオの支配していたサマリヤ、ユダヤに、つまり、アンティパスから遠ざかって南下したほうが時代的、地理的には安全と思われるのですが、イエス様は、そうはされませんでした。
もっとも、今、時代的にはと申し上げましたが、 それには訳がありまして、イエス様がお生まれになって30年は経っていますので、 アケラオと言う人は、残忍で無能な王のために流刑になり、紀元6年で、解任され、サマリヤ、ユダヤ、イドマヤは、ローマの直轄、属州となっていましたので、イエス様が活動を始められた頃は、ヘロデ大王が亡くなって、3人の子どもが分割して支配し始めていた頃とは、状況が全く変わっていたのでありました。
では、イエス様は何をお考えになり、ガリラヤ地方をまず宣教地とされたのでしょうか。そのことをこれから見ていくことに致します。
まず13節にありますように、カペナウムは湖のほとりにあります。 しかも、時代をずっと遡りますと、このカペナウムはその昔、イスラエルがエジプトを出て荒野の生活をして、更にはヨルダン川を渡って、約束の地カナンに入ってきた時、占領し分け与えられた土地の一部が、12部族のうちの2部族、ゼブルン族とナフタリ族との境に位置していた、と言うわけであります。
きょうの所の15、16節は、イザヤ書9:1−2でありまして、そこには、このように書かれているのであります。 「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。 先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、 後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。 死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」とであります。
イスラエル全体から言いますと、神様が下さった約束の地カナンは、 北は、アッシリヤ、バビロン、ペルシャなど、南はエジプトが通る通り道でありました。そして今読みましたところは、アッシリヤがやってきたことを示しております。 そして、そのアッシリヤによって辱めを受けたけれども、イスラエルは、闇の中を歩んでいたが、大きな光を見た。それが、イエス・キリストの登場であったとマタイは言うのです。
マタイの言葉で言いますと15節にありますように、 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。」とこう呼ばれたのであります。
ところで、またここで疑問が湧くのであります。 それは、なぜイエス様は、宣教の地をダビデの町エルサレムから始めないで、カペナウムから始められたのか、と言う点であります。なぜ、カペナウムを一番はじめの宣教地の拠点とされたのか、皆さんもそういう疑問がわくでありましょう。 しかし、この点についてもよくよく調べて見ますと、そのわけが分かって来ます。 先ほど私は、イエス様がバプテスマのヨハネの投獄を知って、ガリラヤへ行かれたのは、退去されたのではなく、また自分の命に危険が及ぶのを避けるためではなかったことを、お話ししましたが、
ですから、もしそうなら、アンティパスのいるところではなく、ローマ直轄地のサマリヤやユダヤのほうが良かったと申し上げました。もし、危険を恐れてであるなら、ヨハネを牢に入れた領主ヘロデ・アンテパスの治めるガリラヤは避けるべきであったのでした。
それなのに、わざわざカペナウムという町を拠点とされたと言うのは、ヨハネの逮捕を機として、イエス様は立つべき時が来たことを確信し、ガリラヤに移られた、ということなのであります。
それと共に、実を言いますと、このガリラヤ地方を宣教の地とまずすることは、その後の働きに大きな助けともなるのであります。それはガリラヤ地方が持つ地形、位置が大きく関係していました。つまり、このガリラヤ地方は、まず一つには、南北を結ぶ大きな幹線道路が走っていまして、人や物の行き来の激しい、重要な拠点であったからです。
第二は、そこはまた、パレスチナ地方では一番土地が肥えていて、農産物がたくさん取れ、ガリラヤで5,6千のオリーブを作るほうが、ユダヤで一人の子どもを育てるより容易である、と言われていたほどに、良い土地であったからでした。
従って農業、牧畜が盛んで、農業を好まない者まで集まってきた。 そこで、ガリラヤは面積に比較して人口が非常に多かった、そのように言われます。 実際の所、南下すればするほど、雨が少なく、裸の山が多い。 耕作には適さない土地が多くなってくるのであります。 つまりイエス様は、伝道を始めるに当たって、まず、パレスチナの中で一番人通りの多い地方を選ばれ、伝道を始められたというわけであります。そしてまたそれは預言者イザヤが預言した通りとなるのであります。
15節「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、 ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。」 16節「 暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、 死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」 まさに、ここに光が上ったのでありました。
イエス様がお育ちになられたナザレではなく、まずガリラヤ湖畔の町カペナウムに!その場所を拠点として、イエス様は活動をされるのであります。 パウロが、アンテオケ教会を拠点として、旅に行っては、またアンテオケに戻ってきましたように、イエス様はガリラヤでの伝道は、必ずこのカペナウムに戻って来られるのであります。
ユダヤ人でありますと、普通は、メシヤの活動の中心はエルサレムであると考えますが、イエス様は、異邦人の町と言われたガリラヤ、それも決して中心都市とは言えないカペナウムを拠点とされたのでした。
まあここで中心都市と言いますと、何といっても大きな町というのは、テベリヤであります。紀元25年頃、ヘロデ・アンテパスによって領地ガリラヤとペレヤ両地方の首都として建設し、時の皇帝ティベリウスにちなんで命名された町でありました。ガリラヤ湖もこの名で呼ばれるようになりました(ヨハ6:1,21:1)。ヨハネの福音書によりますと、テベリヤの湖とあるのであります。
アンテパスがこの地域を選んだ理由の一つとして、ここがガリラヤ湖畔の岩の多い、 広範囲を見渡せる自然の要塞となっていたということがあるそうです。 またここはギリシヤ・ローマ風の都市で、競技場があり、宮殿はローマ風の彫像で飾られ、南の近郊には温泉浴場が設けられていたと言われます。
イエス様は、そういう所はあえて避けられ、カペナウムを拠点とされたのでありました。それがまたゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりにある町、これがまさに、聖書の預言の成就であったわけでありました。
「ゼブルンの地とナフタリの地」であるカペナウム。 異邦人が多く住む故、ユダヤの人々からは「異邦人のガリラヤ」 とさげすまれている町であり、地方であったわけであります。
霊的暗黒にあった人々が、メシヤの活動によって偉大な光を見た。 真の光が輝き始めた時でありました。 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」 と、この時から、イエス様は宣教を開始して言われました。
小さな一歩が、どんどん広がっていく、まさに、その事をまだ多くの人は知りませんでした。小さな光。しかし、確実に人の心を照らす光が輝き始めました。 なんという希望に満ちた光でありましょうか。 私達の教会もまた、その光を受けて、この地で輝きつづけているのであります。 小さな光であっても、本当の光であるなら、もっともっと輝きをまし、多くの人を照らすはずであります。それは、私達が輝くというよりは、イエス・キリストの輝きであります。
そのイエス・キリストの輝きを受けた私達が、その先駆けとなってその光をこの地域の人たちに、まだ救い主を知らない方々の所に運んでいくのであります。 共にその働きにあずからせていただこうではありませんか。
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