2010年11月14日(日) 「 病を負われるイエス」 マタイ8:14-17 竹口牧師
イエス様は、山上での教えを終えられると山を下りて来られましたが、そのイエス様の山上での教えを聞いた者は、一様に驚きました。というのは、イエス様が、律法学者たちのようではなく、権威ある者のように教えられたからであると、マタイは7:28−29で書いておりました。
そして今度は、教えだけでなく、更にはご自分がどういう者であるかを明らかにされたことをマタイは書いておりました。それは、多くの人の病気を癒してくださった事によって、でした。
ということで、今、医者について考えて見ます時に、 イエス様の時代ほど、さかのぼりませんが、昔は、医者と言えば、内科も外科も皮膚科もなどなどというように、一人の医師があらゆる病気の治療に当たっていたのではないかと私は想像するのであります。
現に、私の育った田舎では、病院は一軒であり、あらゆる病気の診察をしておりました。そして、手に負えない場合、都会の専門病院を紹介し、そこで治療を受けると言う按配でした。
そうしてみますときに、今日の16節を見ますと「夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみないやされた。」とありまして、最後のほうに特に「また病気の人々をみないやされた」とありますので、どんな病気か分かりませんけれども、悪霊だけでなく、イエス様は、あらゆる病気を癒されたお方であることを、私はここから読み取ることが出来るのではないかと思うのです。
「この病気は、私の専門外のものなので、治療は出来ない。他を当たってくれとは言われなかった」といえましょう。それこそ、イエス様のもとにいけば、必ずどんな病気でも癒された。それゆえに、人々は、よけいにイエス様に近づきたかった。また近づいてきたと言えましょう。
私は昔、頭のいい人をうらやましいなあと何度も思ったものでした。 でも、今は、頭がいいことよりも、健康であることのほうを、神様に私は感謝するのであります。病気は、苦痛を与え、時間とお金を必要とし、自分で、自分の体が思うようにならない。そうしてみますと、何よりも健康であることは、本当に感謝なことであります。
しかしまた、そう言いますと、では健康を害しておられる方は不幸なのかと言いますと、決してそうではありません。 神様はそれを通して、いろいろなことを教えて下さっているからです。 忍耐や、同じ病気の人の痛みの共有など、そうなってみないと分からないものを与え、それをもって、神様のお役に立てるからであります。
ところで、今日の聖書箇所に戻りますが、14節にこうあります。 「それから、イエスは、ペテロの家に来られて、 ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをご覧になった。」と。
ある人は、イエス様の行動をこういう風に言います。 「マタイとマルコの記述を総合すると、この事件は、カペナウムで安息日に、イエスが会堂で礼拝されたあとに起こったことがわかる。自分の家を持たれなかったイエスは、カペナウムにおられる間、ペテロの家を根拠地としておられた」とであります。
そういえば、イエス様は、ガリラヤ伝道の時はいつも、カペナウムから出て行かれ、また戻って来られております。これから見て行きますと、それがよく分かってくることと思います。
ところで、キリスト者迫害の急先鋒でありましたパウロが後に、キリストを伝える使徒となって、旅に出かける時にいつもその伝道の根拠地としていたのがアンテオケでありました。やはり、それぞれに戻る所があって初めて、よい仕事が出来るものだと思います。
地上の教会で戻る所はいつも東京聖書教会、そういう東京聖書教会でありたいと私は思うのです。そして言うまでもなく、キリスト者の最終的な戻る場所は、天の御国であります。そしてそこは、永遠の休息の場が用意されているのであります。
さて今、きょうの所でのイエス様の場合、ガリラヤで宣教活動されておられた時の町と言いますのは、カペナウムでありましたが、中でも、ゆっくり休める所と言うのはペテロの家であったのではないかと思うのです。
ある本によりますと、ペテロは結婚していて、伝説では、後には、その妻はペテロの伝道協力者になったそうであります。更には、アレキサンドリアのクレメンスという人は、ペテロとその妻は、同じ時に殉教の死を遂げたと言っているそうです。
この時、ペテロは、自分が死ぬ前に妻の死を目撃するという苦しい立場に置かれたそうでありまして、「ペテロが妻が殺されるのを見て、天国に召されていくことを喜び、彼女の名を呼んで、『主をおぼえなさい』と言って力強く励まし、慰めたのであった」とそのようにありました。
夫婦の間を、迫害と死という避けられないものによって、引き裂かれる悲しさ、 しかし、それ以上に、主にあって一つからだ、天でまた会えるという確かな確信ゆえに、ペテロは妻を励ましえたと言えましょう。 私達もまた、愛する者の死、別れというものを経験するのですが、主のみもとに行けるという希望の故に大きな慰めをいただいております。キリストにある者は、何という感謝なことでしょうか。
ところで、そのような時、ペテロの妻の母親は、熱病にかかったというのであります。 現在のカペナウムに行きますと、ここにペテロの家があったと言われている所があります。カペナウムの発掘調査から分かったもので、そこには、岩があり、ガラスで覆われ、その回りを歩くことが出来、それが真ん中にあって、一つの教会になっております。それはまた、ガリラヤ湖の岸辺にあります。
地理的なことをもう少し言いますなら、現在の地図では、ガリラヤ湖の北のほうに、湖はありませんが、聖書地図からは、フーレ湖という小さな湖があります。そしてその回りは湿地帯でありました。
まあ、そういうこともあったからでしょうか。 マラリヤのような高熱を伴う病気がはやっていたようです。 マラリヤ熱は、悪寒と黄疸(おうだん)を伴い、患者は非常に苦しんだそうです。 ペテロのしゅうとめが患っていたのがこのマラリヤであった、そのように言われています。
イエス様がペテロの家に来られて、しゅうとめを見られて、当然ながら可哀想に思われたことでしょう。そしてイエス様が手を差し伸ばされ触られますと、途端に彼女の熱が引き、彼女は起きたのでありました。
いいえ、それだけでは終わりませんで、 そのしゅうとめは、もてなした、とまで書いてあるのであります。 これは、普通に考えますと、非常に驚きであります。 何が驚きかと言いますと、もてなすほどの体力をも与えられているからです。 単に病気が癒されただけではないということです。
余談でありますけれども、皆さんは、ご自分の体温の平熱がいくらかご存知でしょうか。私は、自分の平熱というものが分からないので、2−3年くらい前から、毎日朝晩、計るようにしました。結構、部屋の温度が影響するものでありまして、大体、下は35度7分から上は36度7分です。部屋の中が寒いと、どうも低めになってしまいます。 やせているからでしょうか。原因は分かりません。
ところで、この平熱が1度上がると、もう全く力が出ません。 つまり37度7分になるともう大騒ぎであります。 私はもう、瀕死の重傷くらいに駄目になります。 それが、もし仮にですが、三日も続きましたら、熱が、注射によって下げられたとしても、正常な動きは、しばらくは出来ないのが私の体であります。
たった1度上がっただけで、そうなのですから、まして40度の熱が続いたなら、それはもう大変なことであります。そのようなことを考えてみますと、ペテロのしゅうとめの熱病が癒された場合、その途端に、イエス様をもてなすなどと言うことは、普通ではありえないことが起こったということであります。
いわゆる、社会復帰は、2−3日か4−5日おいてやっと普段の生活に戻れるかどうかくらい時間がかかるものだということです。勿論、個人差というものはありますが。ですから、個人差の事を考えなければ、今回、イエス様が癒された癒しというのは、単に、病気を癒してくださっただけでなく、体力をも同時に回復させて下さったと言うことであります。これは、考えれば考えるほど、私にとっては驚きなのであります。
もう一つ、ここでの驚きは、言うまでもなく癒された彼女は、イエス様をもてなしたと言うことです。イエス様が、自分にして下さったことを、またその喜びを、更にはその感謝を、その恩を、もてなしという形で表した事です。
考えによっては、病気を癒してもらったのだから、それぐらいの事はして当然ではないか、と言う風にも思えます。 とするなら、私達は、何らかの願いを神様にして、もし神様がそれに答えてくださった時には、どれ程の喜びを具体的に表しているのか、考えさせられるのです。
飛び上がる程の喜びを、どのようにして神様に感謝の印として表しているだろうかと考えさせられます。死のふちが、そこまでやってきていたのに助けられた、救われた、なお生きることが赦された。もし死んでいたなら、今の自分はないのだが、と考えれば、やはり喜びと言うのは、どんなに大きいことでしょうか。
もし、それほどの経験を神様がさせて下さったなら、私達はもっともっと大胆に感謝の気持ちを表してもいいのではないでしょうか。そのように私は、考えさせられるのです。あまりにも恵みに満たされすぎて、恵みを恵みと感じなくなっている、そのようになっていないだろうか、そのように思わされます。
今まで高熱でうなって寝ていた彼女が、突然に癒された。 もしかしたら、死をも覚悟していたかもしれません。 とするなら、彼女は、台所で働けることを喜びとし、 また喜んでイエス様をもてなそうと、包丁を手にしたのだろうと思うのです。 実に、彼女の喜びが、伝わってくるようであります。
ところで、喜びもさることながら、病気は一体どこに行ったのでありましょうか。 どこに消えたのでありましょうか。 ペテロのしゅうとめの病気は癒された。そして最初の方で見ました16節の出来事となるのです。「夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみないやされた。」とです。
人々が大勢やってくる。 そして、大勢の人の病気が癒されていく。 では一体、その病気はどこにいったのでしょうか。 マタイはこれを、預言者イザヤの言葉を用いてあらわすのです。
17節「彼が私達のわずらいを身に引き受け、私達の病を背負った。」とであります。 これは、きょうの交読文でも読みましたように、私達の救いの原点ともいえる業であります。その交読文をもう一度今度は、新改訳で読んでみたいのであります。イザヤ書53章4節から9節までをお読みします。
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが私達は思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。 しかし、【主】は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く子羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。 彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。」以上です。
まさに、これからキリストのなさることが、ここにおいて、預言されているのであります。そして、その一端が、今、人々の病気を背負うと言うかたちで、あらわされているのであります。
パウロがローマ書5:6−8節で言いましたように、 「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」 という、その道を、イエス様は今、始められているのであります。
私達は簡単に、主にお願いします。 しかし、それが何を意味しているのか、よく考えてみなければなりません。 それは、安易に願い事をするなという警告ではありません。 そうではなく、イエス様は私達の罪や汚れ、病気、あらゆる負の遺産を背負ってくださって、あの十字架にかかってくださったということを、常に忘れるな、と言うことでありましょう。
イエス様のその働きの故に病気が癒され、また罪も赦され、更には神の子となる特権をいただき、天国への道も用意されていることは、恵みの中の恵み、これ以上はない宝物を私達はイエス様からいただいていると言うことなのです。
単に病気が癒されて喜ぶ、感謝すると言うのではなく、主がいのちをかけて愛してくださったが故に、その恵みに与る事ができた。そのことを覚えようではありませんか。そして、その幸いを、もう一度かみしめ、喜びを表したいものです。
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