2013年9月8日(日) 「ろばの子に乗る王」 マタイ21:1-11 竹口牧師
イエス様は、ヨルダン川近くにありますエリコから坂道を上って行かれ、エルサレムの町へと足を進められました。その途中には、イエス様が(ルカ10:30-37)良きサマリヤ人の話しをされた舞台となった所もありまして、強盗の出没する非常に危険な坂道もありました。
で、きょうの1節に出てきました「エルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た」という所のベテパゲがどこなのか、正確なところは分かっていません。
ですから、ある地図に基づいて申し上げるのですが、エリコからエルサレムの方向に上って行きまして、もう殆どエルサレム近くになりますと、まずベタニヤがあり、そして更にもう少し坂道を登っていきますとベテパゲがあり、更に進みますとオリーブ山に着くという順であります。
そしてそのオリーブ山の向こうには、深い谷を挟んで向かい側に、神殿が見える。エルサレムの町が見える、そういう情景であります。 その地図が正しいとして、これから話しを進めて参りますが、実際に、私はベタニヤを通ってオリーブ山まで歩いてみました。結構な坂道で、汗だくで歩いた記憶があります。
ところで、もう一度1節を見ていただきますと「それから、彼らはエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。その時、イエスは弟子をふたり使いに出して・・」とあります様に、イエス様は、弟子を二人お遣わしになったのであります。その目的は、ご自分が乗られるろばの子を調達する為でありました。
イエス様は、こう言われています。 2節「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、一緒にろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。」とです。
ここで、イエス様の言われました「向こうの村へ行きなさい。」とは、どこの村を指して言われたのかという事であります。
1節では、「オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。」とありますので、そこを出発点としますと、明らかにベテパゲではないということになります。「向こうの村へ行きなさい」だからです。また「向こうの村へ行きなさい。」という「向こう」とは、 オリーブ山かエルサレムの町になるのか、あるいは反対方向だとベタニヤとするなら、今先ほど、通って来たばかりの村ということになってしまうのであります。 これは、あくまでも先ほど紹介しました地図からでの話しですが。
もし、向こうの村がベタニヤとするなら、わざわざ通り過ぎてから、エリコの方にまた少し戻り、ろばの子の調達をしなさいとイエス様は、弟子に命じられたという事になるのであります。
ところで、ベタニヤと言いますと、エルサレムの南東約3キロ程の所にありまして、イエス様はこの村をよく訪ねられ、そこには、ラザロとその姉妹マルタとマリヤが住んでいました。 ですから、そういう親しくされていたベタニヤだとしますと、まあもう少し戻ることになりますが、もしかしたら二人の弟子はそこに遣わされたのかもしれません。
イエス様が二人の弟子を遣いに出された「向こうの村」というのが、実際の所、どこを指すのか、ベタニヤなのか、そうではないのか分かりませんが、いずれにしましても、村に行きますとろばが繋がれていて、そのろばのそばに、子ろばがいるので、繋がれているのをほどいて、私の所に連れて来なさいと言われた訳でありました。
ここで、問題になりますのは、勝手に連れて行っていいのかという事になります。 そこでまた、いろいろと読み手の私達は考えるわけであります。 その点について、イエス様は3節でこう言われています。
「もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです。』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」とです。 これは、明らかに、つながれているろばをほどいて移動させるなら、そういう質問が起こることをイエス様は予知されている事になります。
と言いますか、誰でもが考えつくことであるかも知れません。 だから、イエス様も言われたのですし、当然、遣わされる人は、イエス様に前もって尋ねた事でしょう。
注目すべき点は、誰かがその弟子に何かを言うということではなく、なぜ、遣わされた二人の弟子の言う事をろばの持ち主か、あるいは持ち主を知っている人が弟子たちに言葉をかけ、また、それを受け入れるのかということであります。
これについては、考えが二つに分かれます。 一つは、イエス様は前もって言っておられた。 即ち、イエス様は「弟子を遣わすので、子ろばを一時貸してほしい」とそう先手を打って言っておられたというものです。
あらかじめ誰かを遣わしておいて、もし弟子が来たなら貸してほしい。その時には、『主がお入用なのです。』と言わせるから、という根回しをしておられたというものです。
あるいは、ろばの持ち主は、イエス様の弟子であり、何かの時には、どうぞお使い下さいと普段から話していたので、実際に綱をほどいて連れて来ることも問題なかったとも考えます。
まあ、このような考えは、イエス様を神的に捉えないで、人間イエスとして捉えた考えであります。もう一つは、イエス様こそ、万物の創造者であられるので、そして絶対的主権を持っておられるので、イエス様のされることに、反対する者はいない。 全く超自然的な予知能力を持っておられ、相手が誰であっても自分の用いようとされる時には自由に用いられるというものです。だから3節のような事がイエス様に言えるのだと考えます。
私は、今言いました後者の方ではないかと思います。 つまりイエス様は、神としての力で、予知され、また、勿論、ろばが繋がれてることも知っておられた。だから、問題なく借りる事が出来たのだと考える訳です。確かに、この地上の持ち主はいます。個人の所有として認められています。
しかし、この地上の全ての物をお造りになったお方は、いいえ、地上だけでなく、全ての世界をお造りになった神様には主権があるのですから、その本当の持ち主であられる主が言われるのであれば、それは、決して違法でもなければ、不思議なことでもない。当然の流れ、という事になります。
新約聖書コロサイ書1:15−18には、こう書かれております。 「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。 また、御子はそのからだである教会のかしらです。 御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。」以上です。
神の御子のご支配の中で、この世界が動いている事を認めるなら、この聖書の流れは、容易に受け入れられるものと言えましょう。
イエス様は、これまでにも、要所要所で、私達には考えられないような事をされて、人を驚かせたり、神の御子としての働きをされました。 ですから、今回の事は全く驚くに足らないと言えましょう。
ところで、一国の王たる者が、いいえ、世界の王である方が、その当時であるなら王であるなら馬に乗るのが普通であったのに、なぜろばに乗られたのでありましょうか。預言の成就のためだったのでしょうか。本当は馬に乗りたかったのに、そして威厳を持って人々にひれ伏させて入りたかったのに、御言葉にあるから仕方なくそうされたのでしょうか。
実はそうではありませんでした。 一般的には、馬は大きく、戦争に用いられる兵力の一つに数えられ、更に王が入城する時は、馬に乗るというのが普通でした。一方、イスラエルでは、ろばは人を乗せたり、荷物を運んだりする、そういう、ごく普通に用いられる動物であったわけでした。
ここで馬を使うかろばを使うか、これは大きな選択でありました。 イエス様はここであえて、ろばを用いられました。 そしてエルサレム入城されるのであります。
なぜ、イエス様は、馬ではなく、ろばであったのでしょうか。 それには、ちゃんと理由というものがあったのであります。 つまりメシヤがろばに乗ってくるというのは、柔和な、平和をもたらす王として来るという事を示しており、イエス様は、それをろばに乗られることによって示されたのでした。
ローマの圧政から武力によって人々を救いだす、そういった政治的権力を持った王としてのメシヤではない。平和の王として、真の救い主として来た。そのことを示すためだったのです。ですから、人々に誤解を与えないということも配慮されています。 御言葉の成就と共に、結果的には、ローマ軍を刺激しないという副産物もありました。
ところで、イエス様がエルサレムに入城された時が、過ぎ越しの祭りの時であったと言われます。これは、イスラエル三大祭りの一つで、大変重要な祭りでした。律法には、エルサレムの周辺約30キロに住む成人したユダヤ人の男子は、過越しの祭りに参加するよう定めていたともある本にはありまして、
「世界各地からユダヤ人がこの最大の国民的祝祭に集まったのである」という風にもありました。ですから、実に多くの人の目に留まる、そういう時に、イエス様は、ろばに乗って入城されたのでありました。
旧約聖書の列王記第二、9章の所では、イスラエルが分裂王国の時で、北イスラエルはエフーが王の時代の事が書かれております。そのエフーが前の王ヨラムに対して謀反を起こし、自分が王になった時、その周りの人たちは、急いで、自分の上着を脱ぎ、入口の階段に敷き、角笛を吹き鳴らして「エフーは王である」と言った事が出ております(9:13)。
そういう事例があったからでしょうか。 イエス様が弟子たちにろばを連れて来させられた時、その上に、人々が上着をかけるとか、更には「群衆のうち大勢の者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。」というこの光景は、王として認めているとするなら、そういう事があっても不思議ではありませんでした。
ただ、その場合、人々がイエス様をそういう王という目で見ないと、あまり意味がない歓迎となるのであります。
一方イエス様は、これまでに何度か、口止めをされておられました。 マタイ16:20では「そのとき、イエスは、ご自分がキリストであることを誰にも言ってはならない、と弟子たちを戒められた。」
とか、17:9では「彼らが山を降りるとき、イエスは彼らに、『人の子が死人の中からよみがえるときまでは、いま見た幻をだれにも話してはならない。』と命じられた。」 というふうに口止めされていたのでした。
それが、今や堂々と人々の前にろばに乗って入城されたのです。 パリサイ人や律法学者、更にはローマの兵隊は、どう見ていたのか、 次回見ます15節には祭司長や律法学者の思いが書かれております。
それはともかく、きょうの9節にはこう書いてあります。 「そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。『ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。』」とです。 まさに、エルサレム上げての歓迎となったのであります。
イエス様は、戦いの王ではなく、平和の王として来られました。 それが、馬ではなく、ろばに乗られることによって現わされました。 一方、ローマ当局は、その様子を見下げていたでしょうか。
10節を見ますと「こうして、イエスがエルサレムにはいられると、都中がこぞって騒ぎ立ち、『この方は、どういう方なのか。」と言った。』」とあり、訳も分からず騒いだ者もいたのでした。その一方で、11節「群衆は、『この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ。」と言った。』」そういう者もいたのであります。かつてイエス様は、「人々は、人の子をだれだと言っていますか」そう聞かれた事がありました。
その時の弟子たちの答えは、「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」と答えました。
実に様々な見方があったわけですが、人々がどのようにイエス様を見ようとも、イエス様ご自身は、その歩みを通して、少しもご自身のご計画を曲げる事も遅らせる事も、早める事もされないで、着々と進めて行かれるのであります。
群衆は言いました。 「ダビデの子にホサナ」とです。 ホサナとは、どうぞ救って下さい、という意味です。 ダビデの末から救い主が現われると期待していた人々にとってこの方こそ、そうではないかと期待しておりました。
しかし、その期待は、ローマの支配からの解放としての救い主、その意味合いが強かったことを考えますと、イエス様の意図されていた事とはかけ離れておりました。 それ故に、今後のイエス様の行動に、人々は失望する事になって行くのであります。
もし、イエス様が、この東京に王として来られた場合、あなたは、どのようにイエス様を迎えられるでしょうか。今、この東京にではなく、時をさかのぼって、あのエルサレムに自分がいたなら、どのような思いでイエス様を迎えたでしょうか。
よくよく考えて見る必要があると言えましょう。 イエス様は、もう一度来ると言われています。 その時に、雑踏にまぎれて、周りの人の言葉に動かされて、 間違った発想で主を賛美する者でありませんようにと願います。
私の全てを受け入れ、罪から救って下さった救い主が来られた、そのように自覚して、真の意味で喜び迎えたいものです。また、今もその方によって、守られ、平安が与えられている事もこの朝、感謝しようではありませんか。
ろばの子に乗られ、エルサレムに入城されたお方は、まさしく私の救い主であったとこの朝認めて主の御名を崇めようではありませんか。
2013年9月15日(日) 「祈りの家」 マタイ21:12-17 竹口牧師
2013/9/15 マタイ21:12-17 祈りの家 イエス様は、この地上の生涯に於いて何度、エルサレムに上られたでしょうか。 そして、それは、どういう目的であったのでしょうか。
イエス様は、エルサレムの南8キロの所にありますベツレヘムでお生まれになりました。でも、お育ちになられたのは、ずっと北のガリラヤ湖の西の方のナザレという所でありました。
お生まれになったばかりの時代には、親に連れられてエルサレムに上られた事もありましたし、大人になられてから公の生涯に入られるまでにも勿論、エルサレムに上られたでありましょう。それは、折々の宗教行事があったからでありました。特に三大祭のうちの一つには、必ず上られたことでしょう。
小さい頃あるいは大人になられてからというのはともかく、公の生涯に入られてからでは、何回上られたでしょうか。私は、少なくとも4回はエルサレムに上られたと思います。
1回目はヨハネ2:13で過ぎ越しの祭りの時であります。 2回目は、ヨハネ5:1で同じく過ぎ越しの祭りの時であり、 3回目は、ヨハネ7:2で、仮庵の祭りの時 そして最後の4回目は、ヨハネ12:1で、過ぎ越しの祭りの六日前にベタニヤに来られ、その後、エルサレムに入城されたのでありました。 このエルサレムに入城されたのが、今回のマタイの話しにも通じる所であります。
きょうの話しは、イエス様が宮清めをなさったという話しなので大変有名な所であります。しかしそれは、イエス様が行われた行為を始まりとして、宮清めと言われはじめ、それが今日まで続いているように思われがちなのですが、実はそうではないのであります。
つまり、イエス様がお生まれになった時にはすでに、宮清めの日は、一年のうちの何月何日というように、必ず年1回はあったのでありまして、決してイエス様がなさった行為を記念して、それ以後、宮清めと言われるようになったのではありません。
では、イスラエルの年中行事の中で宮清めと言われる日は、どのようにして始まったのかと言いますと、何とイエス様がお生まれになられる前の事、紀元前165年にまで時を遡るのであります。
それよりももっと時代をさかのぼって話しますが、エルサレム神殿がバビロン軍によって破壊されたのち、ゼルバベルによって神殿が再建され、更には、エズラ、ネヘミヤの活躍によって城壁が修復されましたが、その後、ある時期、ユダヤはシリアの支配下に陥ったのであります。そしてその時、神殿が、アンティオコス・エピファネスによって著しく冒涜されたのであります。
いわゆるユダヤ人が嫌いそうなことをあえてさせたとでも言いましょうか。 たとえば、すべての宗教的戒律、ことに祭りを祝う事、 安息日を守る事、割礼を行なう事は厳しく禁じ、違反者は死刑となりました。 あるいは「モーセの律法書」の所持は死罪となり、書物は押収され、焼かれました。 ユダヤ教の儀式は禁じられ、神殿の祭壇には豚の肉が捧げられた、というように、ことごとくユダヤ人が嫌う事を強要したのでした。
そこで当然ながら、ユダヤ人の決起が起こり、ユダ・マッカバイオスによって神殿が奪還され、聖別浄化されて神殿は再奉献され、そのことの記念として、宮清めの日とされ、それが紀元前165年のことであります。
それから毎年キスレウの月、太陽暦で言いますと11月半ばから12月半ばにかけての月でありますが、その25日から8日間守られるようになったのでありました。1日分しかない特別の燭台のための油が、奇蹟的に増量され、神殿のともしびが8日間輝き続けたので、この祭が「ともしびの祭」とも呼ばれ、多くのともしびをともして祝うようになったとも言われます。
現代でもユダヤ人は、この祭りを守り続けております。 ですから先ほども言いましたように、イスラエルでの年中行事とされている宮清めとイエス様が今回された事とは違いますよと申し上げている訳です。
ところで、皆さんは、イエス様に対してどういうイメージをお持ちでありましょうか。優しいお方でしょうか。不思議なお方でしょうか。近寄りがたいお方でしょうか。怖いお方でしょうか。さまざまな思いを皆さんお一人おひとりはお持ちでありましょう。私などは、本当に友なるイエスという感じであります。
が、個人的なことはともかくも、イエス様が今まで、言葉では厳しくパリサイ人や律法学者たちを責められましたけれども、行動においては、荒っぽい事は一度もされませんでした。ですから、そういう意味では、きょうの所は、大変、特異な場面なのであります。
イエス様を優しいお方というイメージをお持ちの方には、今日の部分はないほうが良い。削った方が良い。そう思われる箇所であります。12,13節を読みますと、こう書かれております。
「それから、イエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。そして彼らに言われた。 「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」と、であります。
商売人を追い出し、両替人の台や鳩を売る者たちの腰掛けを倒されたとは、何とひどいことをされたのだろうと理由を知らない人は思います。また、そうされた人たちは、大変な憤りを持ったことでしょう。
なぜ、自分たちが追い出されなくていけないのか。礼拝者の便宜を図っているだけではないか、そういう言葉が返って来そうであります。
しかしながら、イエス様の行動には、並々ならぬ思いが込められ、真の神に対して、人々がこのようであってはならないと思い切った行動を取られたのでありました。 イエス様の時代の神殿は、ヘロデの神殿でありまして、建築は紀元前20年頃に開始され、だいたいの構造は約2年で出来上がり、完成までには約50年近くかかったようです(参照ヨハ2:20)。
そしてその構造は、至聖所、聖所のある本体とそれを囲む建て物、その中には、奥に男子の庭、手前に婦人の庭があり、そしてその建物を更に囲むように塀がありまして、 その囲まれた所に異邦人の庭があり、実は、商売はそこで行なわれていた訳でありました。それも、別に礼拝に関わる事でありましたし、そこは本来、神殿域には属しませんでした。
きょうの聖書の所では、両替人の台や鳩を売る者たちのことが特に取り上げられておりますが、それぞれに役目があった訳でありました。それは、ユダヤ人たちが世界各地からやってきており、彼らが宮の納入金を支払うために、ギリシャやローマの通貨をユダヤの通貨に両替しなければならなかったからです。
ところが、その両替人は多くの手数料を取っていて、莫大な金をもうけていた訳です。 モーセは、すべてのイスラエルの成人男子は半シェケルを宮に納める事を指示しておりましたので、その両替をする必要があり、そのために両替料として10分の1から6分の1ほどの手数料を支払っていたようです。
神殿にはさらに犠牲を捧げなければなりませんでしたが、遠くから生き物をわざわざ連れて来るよりは、更にそれは「聖い生き物か」検査も受けなければなりませんでした。 せっかく連れてきた羊が、ささげものに相応しくないとなれば、そこで買わなければならないという事になり、結局の所、その場で、検査済みの羊を買った方が楽だった訳です。
ところが、この世には悪い者がいまして、商売人の背後に祭司たちがいまして、商人たちの儲けの上前をはねていたのでありました。ありそうなことであります。従って、困った人に配慮しているようで、実際は、暴利をむさぼっていた訳でありました。
ですから、イエス様は怒りを爆発されたのでありました。 イエス様はイザヤ書56:7を引用して言われました。 「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」とです。
そして商売人達を追い出されたのでありました。 イエス様のこの行為から、「イエスも暴力を用いているのだから、キリスト者も暴力を用いて改革する事が許されるという人がいる」そういう人もいるそうであります。 しかし、ある先生は、「イエスはメシヤとしての権威のゆえに、神殿を冒瀆する人々を追い出したのであって、人間が人間に対して、暴力を用いて決着をつけるのと同じレベルで考える訳にはいかないことである」そのように言われております。同感であります。
教会によりましては、この聖書箇所から来ているのでしょうか。 教会では一切、物の売買をしないことにしている、そういう教会があることを耳にした事があります。まあ、私どもの教会でも、暗黙のうちに、信仰と関係のないものを大々的に宣伝し、商売をする事はしていませんし、
親しい間柄の兄弟姉妹同士であっても、慎まなければならない事だと私は考えております。教会をいわば商売の道具に決してしてはいけないと言えましょう。 「私の家は祈りの家と呼ばれる」と言われるような教会でありたい、そう私は願っているわけであります。教会のどこかに静かな空間、私はそれを会堂に求めているのですが、新会堂では、それが叶えられるので期待しております。
ところで、14節にはこう書いてあります。 「また、宮の中で、盲人や足なえがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。」とであります。この節は、13節と非常に対照的であります。13節は、イエス様の非常に荒々しさを感じますし、14節では、非常に穏やかな、そして優しさがあふれています。
そしてこれはまた、同じイエス様から出ているのですから、イエス様を見る時、一面的な、偏った見方をしてはならないとも教えられるのであります。元来、障害がある者は宮の中には入れない事になっていましたので、宮の門か中庭で癒されたものと思われます。問題は、この後であります。
15節「ところが、祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろのことを見、また宮の中で子どもたちが『ダビデの子にホサナ。』と言って叫んでいるのを見て腹を立てた。」とありますように、祭司長、律法学者たちには、大変おもしろくありませんでした。特に、子ども達が「ダビデの子にホサナ。」とはけしからん。そう感じたようです。
先回も申し上げましたが、「ホサナ」とは、「どうぞ救って下さい」という意味でありまして、これは誰かが強制的に言わせているのではありませんで、子ども達の中から、そういう言葉が出てきたのであります。なればこそ、よけいに祭司長、律法学者たちは頭に来る訳です。
そしてイエス様に言いました。「あなたは、子どもたちが何と言っているか、お聞きですか。」とであります。先回の所で見ましたように9節に於いて「そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。『ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。』」これが、大人だけならまだしも、子ども達も「ダビデの子にホサナ」と言っているのですから、我慢できなかったのでしょう。
「このままほおっておけば、あなたはメシヤという事になる。 そうすれば、神を冒涜したことになりますよ」という訳であります。
でも、イエス様は、それに対して決して困った様子もそぶりも見せずこう言われます。 16節「『あなたは幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された。』とあるのを、あなたがたは読まなかったのですか。」とです。
彼らが御言葉を盾として立ち向かって来る時、御言葉を持って応答なさった。 詩篇8:2節を引用してであります。このイエス様の時代にとって、旧約聖書は、 非常に大切な神の言葉であります。それによく通じていて、それに正しく生きているかどうか、それが、いつも問われていました。
だから、現状のあり方に間違いがあれば、それは、正されて行かなければならいのです。イエス様は、それを行なって行かれた訳でした。
考えて見ますと、不思議な事が今回のエルサレム入城に際して次々に起こるのであります。ロバの子の手配にしましても、あるいは、人々がこぞってイエス様を王として迎えた事も、そして、本来なら宮の近くにはいないであろう盲人や足なえがいて、癒されたり、宮の中には子どもはいないはずなのに子どもがいたり、更には、そのこどもまでも賛美するというようにであります。
イエス様の十字架が近くなっていることを考え合わせれば、時の流れが、神様のご支配の中で、着々と進められている事を、私は強く意識するのであります。
イエス様がエルサレムに入城されて1週間以内には、十字架刑となるのですから、非常に密度の濃い時の流れといえます。私達がイエス様を御言葉を通して見る時、イエス様に従うとはどういうことか、教会は今、イエス様の御心を真剣に行なっているのか、イエス様の激しい行動から、そしてまた子ども達の主を賛美している姿から 教えられたいものです。
イエス様は、宮を清められましたが、私達の教会もまた、その対象に入ることのないよう、一人ひとりが、チェックしてみたいのであります。そして「神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません」とのイエス様のお言葉に従って 心から礼拝をお献げしようではありませんか。
2013年9月29日(日) 「神の意志」 マタイ21:18-22 竹口牧師
イエス様は、エリコから坂を上ってエルサレムへ、エルサレムへと 足を進められました。そして、エルサレム入城をまず果たされました。
その時に乗っておられたのはろばでありましたが、人々の大歓迎を受けながらの入城でありまして、王としての風格もあったと言えましょう。しかし、そう見る者もいたでしょうし、また、そう見てほしくないエルサレム当局者もおりました。
いずれにしましても、群衆は「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」そう言って迎えたのでありました。
イエス様の入城を、大体の人が大歓迎しました。そしてまずイエス様のされたことは、宮清めでありました。イエス様は宮に入って行かれ、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒されました。そしてこう言われました。
「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」とでした。
このイエス様の行為は後に、その彼らがイエス様を殺す側に着くための十分な理由となったと思われます。
ところで、その後に書かれていました事は、宮の中で、盲人や足なえの人を癒された事、あるいはまた子ども達が「ダビデの子にホサナ」と言って、イエス様を褒め称えている事に、祭司長や律法学者たちは、腹を立てていたという事でした。これもまた、イエス様を殺す事へとつながっていったと思われます。
さて、イエス様は、その日、ベタニヤに行かれ、そこでお泊りになりました。そのベタニヤには、ラザロやマルタやマリヤがいましたので、もしかしたら、そこに泊られたのかもしれません。
あるいはまた、この同じマタイの福音書26:6には、シモンの家が出ておりますので、そこであったのかもしれません。いずれにしましても、イエス様がエルサレムに来られると、このベタニヤを拠点にして行動されたように思われます。
さて、そのようにしてまず、エルサレム入城一日目が終わる訳です。その次の日に、イエス様はまた私達の想像に反するような事を、つまり、イエス様らしくない行動をされたと書かれています。それは18,19節の事が起きるからです。 「翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に『おまえの実は、もういつまでも、ならないように。』と言われた。」そのように書かれているのであります。
12節のイエス様の行動もそうでしたが、今回のイエス様の行動も、普段、多くの人が抱いているイエス様像と大きくかけ離れている。そのように感じる方も多いのではないかと思います。
が、じつはそうではないことが、ここでは言われているのであります。まず、イエス様が公の生涯に入られた時の事を思い出していただきたいのです。
それは、荒野で悪魔の誘惑を受けられたことがありました。 その時、40日40夜断食をされ、空腹であった時、悪魔は、こう言いました。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」 するとイエス様は答えて言われました。 「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。』と書いてある。」とでした。つまり、イエス様は決してご自分のために、ご自分の力を用いることをされなかった訳でありました。
その事を考えるなら、今回も単にご自分の感情で行動されたとは言えない。弟子たちに対する教えがあったと取る方が正しいでしょう。 イエス様は空腹を覚えられた。道端のいちじくの木を見ると実がなっていない。そこで、その木に、「もう、いつまでも、ならないように」そう怒りを覚えて言われた。
おまけにマルコは、この同じ記事を、「いちじくのなる季節ではなかったからである」とそうまで書いているのであります。これはなんでも、イエス様の横暴ではないか、そういう風に受け取る人もおられます。
確かに、そう言われれば、そのように受け取れなくもありません。が、実際はそうではありません。
今回、いちじくが登場しましたので、まずそのいちじくについて申し上げておきますと、「3―4月にかけていちじくはすでに青い実をたくさんつけている。これは6―7月にかけて熟する夏いちじくで、それからさらに、8―9月にかけて、その年の新しい枝についた果実が熟し、これを秋いちじくと言う。」とある本にありました。
要するに年に2回、6−7月に、8−9月に熟する果物であるという事。 それにしましても3−4月にかけて青い実は着けるとしても食べられる状態ではない。時季がずれているのにいちじくを悪く言うのは 正しくないのではないかと言った按配です。
でも、これはイエス様が象徴的に用いられたのであって、目的は、弟子たちを教えるためであったのでありました。
さて、では、イエス様はこの事を通して何を弟子たちに教えようとされたのでしょうか。19節のイエス様のお言葉によってたちまち いちじくの木は枯れました。そして20節「弟子たちは、これを見て、驚いて言」いました。『どうして、こうすぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか。』と。
その理由はこうであります。 じつはいちじくは、昔からブドウ、ザクロと同じようにイスラエル民族を象徴的に現わしている果物です。旧約聖書にこんな話が載っています。モーセは、神様が下さるという約束の地を調べさせるためにイスラエルの12部族から一人ずつ斥候として遣わしたことがありました。
その時取ってきた果物の中に、いちじくも入っておりました。 またその時取って来た物は、いちじく、ブドウ、ザクロであり、 これは、数多く実を結ぶ果物としてイスラエルを代表していました。
それが、今回実を結んでいなかったので、そういう民は、神によって滅ぼされますよ、という、いわば、厳しいイエス様の教えという事になります。
ユダヤに於いて、いちじくはブドウの木のように実を結ぶ事から、それは、言葉や儀式が豊かであっても、きちんと守られていても、霊的に実を結んでいないなら、それはイスラエルの正しいあり方ではありませんよ、ということであります。
葉っぱだけが生い茂って、いかにも実が豊かに実っているように見せて思わせても、実際に実をつけていなければ、それは、駄目ですよという訳です。神様は、いちじくの木のようにイスラエルをされますよ、という事です。
旧約聖書エレミヤ書8:13にこういう言葉があります。 「わたしは彼らを、刈り入れたい。――主の御告げ。――しかし、ぶどうの木には、ぶどうがなく、いちじくの木には、いちじくがなく、葉はしおれている。わたしはそれをなるがままにする。」というふうに、です。 神様が手ずから植えられたイスラエルがしおれている。だから、それをなるがままにすると言われるのです。イエス様時代の宗教事情もまたそうではなかったでしょうか。
立派な神殿、多くのいけにえがささげられ、毎日行なわれている儀式としては申し分ない。しかし、その心は、神から離れていたのでした。
あるいは旧約聖書ホセア9:10では、「わたしはイスラエルを、荒野のぶどうのように見、あなたがたの先祖を、いちじくの木の初なりの実のように見ていた。ところが彼らはバアル・ペオルへ行き、恥ずべきものに身をゆだね、彼らの愛している者と同じように、彼ら自身、忌むべきものとなった。」とあります。
荒野の中で神様が大事にされたイスラエル。 しかし、彼らの行ないは、主から離れた歩みでした。 真の神様に正しくお従いする事によってイスラエルが、イスラエルとしての存在意義があったのに、信仰を捨て、きらびやかな儀式と壮麗な神殿だけになった今、いちじくは、その存在意義を失い、枯れてしまった。そうイエス様は言われるのです。
ですから、イエス様が空腹を満たしたいと思われましたが、実がなっていなかったので、いちじくの木を枯らす奇跡をされた、ただそれだけではなかったということでした。従って、決して自分の為にされたわけではありませんでした。つまり、イエス様は弟子たちを実物によって教育されたわけです。
ところで、次に疑問になりますのは、イエス様がなさったことに対して弟子たちが質問しました。「どうして、こうすぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか。」とでありました。
するとイエスは答えられました。 「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。」とであります。
これはまた非常に誤解を受けやすい言葉であります。 と言いますのは、信仰をもって、疑うことなく願うなら、「山に向かって、『動いて、海にはいれ。』」と言った場合、そのようになる。 もしならなければ、それはあなたの信仰、あなたの信念に問題があるのです。それを直さなければ、神様は聞いて下さらないですよ、 という風に間違って受け取る事になるからであります。 また、願ったことがその通りにならなければ、それは、神様にではなく、あなたの信仰に問題があるのですよ。そのように受け取るという間違いを犯すからです。
もし、私たちの側のいかんによって、願う事が叶う、叶わないが決まってくるとするなら、私達の個人的な信念による、あるいは力の強さによるという事になるからです。
実際の信仰とは、そういうものではないはずです。 いつも申し上げておりますように、全てのものは、神様がくださったものです。信じる信仰も、またその結果受けた恵みもすべてであります。
つまり、すべては神様からの贈り物で成り立っているのです。私達信仰者は、一人ひとりのうちに聖霊なる神様が宿って下さり、私達が見る事の出来ない所で、清め続けて下さっています。それ故に、御心を求め、御心を行なうことが求められているのです。
ですからきょうの21,22節をあたかも自分たちの信仰の信念にかかっていると取るなら、それは大きな間違いであります。21節、22節をもう一度読んでおきましょう。
「イエスは答えて言われた。 『まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、【動いて、海にはいれ。】と言っても、そのとおりになります。あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。』」とあります。
これは、私達の側に大きな力が与えられているというよりも、真の神様とはそういうお方であるということです。神様が意志されると、その業は必ずなるという宣言であります。
いちじくについても、山についても、その神様のご意思がその背後にあります。生ける神の意思とその力が、人の考える事の出来る全てのことを越えて、いわば「あり得ない」ということを行なって下さるのです。
それゆえ、私達がすべきことは、自分の意思と願望を「祈り」の名で神様に押し付けるのではなく、信じて待つこと、生ける神に信頼して、神の意思をなしとげてくださるよう主に願う事であります。
私達は、自分の力や精神力で何とかしようと頼る間違いを犯さないようにしたいものです。枝や葉は茂って、あたかも実があるように見えても、実がなければ意味がありませんし、また、実をつけて下さるのは、全くの神の超自然的な力である、そのことを肝に銘じたいと思います。
もしかしたら、あの人の祈りは聞かれる。あの先生の祈りなら、願いが聞いてもらえるそのように考えるなら、それもまた、間違いであることを、この朝覚えたいものです。
ペテロは、福音書では、イエス様に対して、いわばイエス様の弟子としては相応しくない言動が多く見られますが、しかし、使徒の働きの中において、使徒10:26のことば「お立ちなさい。私も一人の人間です」と言うのは、イタリヤ隊の百人隊長コルネリオという人がペテロの足元にひれ伏し拝んだ時のペテロの言葉であり、心に留めるべき価値があるものであります。
イエス様は、今ある神殿がこの先どうなるか、ご存じでありました。 40年後には、壊されるのであります。見掛け上は立派な神殿、真の神様を礼拝もしている。そのように見える。
しかし、その心は、神から遠く離れている。宮清めをイエス様はしなければならなかったし、いちじくの木が枯れるように命じて、神様がしようと思われる事は、そのようになると、弟子たちに教える必要もありました。
私達は今、新しい会堂を建てようとまさに心を傾けております。 しかし、会堂を建てようとの思いが強すぎて、私達の信仰が、どこか違う所に行っているとするなら、それは、非常に危険であります。
私達は、祈りをもって「わたしの家は、祈りの家と呼ばれる」そういう家を神様が建てさせて下さるよう願うべきです。もしそうでなければ、あの立派なヘロデの神殿となんら変わらない物が建ち上がると言っていいでしょう。それは、決して御心ではないのです。
外側だけの信仰ではなく、内側の部分がとても大切であることを この朝、覚えようではありませんか。建てるも壊すも全て、主が実権を握っておられることを覚え、祈りの家と真に呼ばれる建物を建て上げさえて頂きましょう。
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