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2013年12月29日(日) マタイ22:15-22  「神のものは神に」  竹口牧師

21章に於いてイエス様は、ぶどう園での労働の例え、兄と弟が出てきましたが(28-32)、それと、ぶどう園主のたとえ、主人が旅に出たという(33-41)二つのたとえをもって祭司長やパリサイ人たちを非難されました。ですから彼らとイエス様との間は一層険悪な関係になりました。

そのため祭司長達やパリサイ人たちは、イエスを捕えたいとさえ思ったのでありますが、群衆を敵に回しての行動は出来ませんでした。そして22章に入りまして、王子のための結婚披露宴のたとえを次にイエス様はされました。

また、その話しの締めとして14節で、「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」と言われたところで先回は終わっておりました。そのような状況の中で、きょうは、15節、16節前半において、こういう言葉で始まるのであります。

「そのころ、パリサイ人たちは出て来て、どのようにイエスをことばのわなにかけようかと相談した。彼らはその弟子たちを、ヘロデ党の者たちと一緒にイエスのもとにやって、こう言わせた。」とであります。

まず、今の所にありますように、イエス様を敵とする者は、「ことばのわなにかけよう」としたという事であります。どちらを選んでも、自分たちの都合の良い結果となる罠であります。

もう一つ気になりますのは、パリサイ人だけでなく「ヘロデ党の者たちと一緒に」という点でありました。この「ヘロデ党」なるものは何かでありますが、これは、ガリラヤの王ヘロデの一つの党でありまして、ローマから権力を与えられていたために、ローマに積極的に協力していた人たちであります。

つまり、今回税金の話しになるのですが、ヘロデ党の人たちは、ローマに税金を払うという事を積極的に勧めている、そういう人たちでありました。

一方、パリサイ人と言いますと今までにも何度も登場致しましたが、純正統派でありまして、外国の王に税金を納めるなどということは、神の権限を侵すものであると考えていた人たちであります。という事は、考え方がまるで正反対の者が一緒になってイエス様をはめようとしている、という事になります。

ところで、その当時、ローマ政府が税金を徴収していたものは、三種類あったと言われております。その一つは、地の産物から取れる物でありました。つまり、穀物の十分の一、酒、ぶどう酒の五分の一を、一部は現物で、また一部はお金で納める事になっていました。まあ、これでも十分な税金ですが、

第二番目がありまして、それは、収入の1%を納入する事になっていました。

更に三番目は、人頭税というのがありまして、家族が多ければ、これまた重いものでありました。それには年齢制限と男女の区別がありました。男性は14−65歳まで、
女性は、男性より2歳若く、12−65歳までが納める事。その額は、当時、労働者一日の賃金が40円の時代に、一年に約50円の支払いが命じられていました。

ですから、夫婦、それに子ども3人いるとしますと、その家族は、軽く6日分の労賃を支払う事になるのであります。どこの国もで、税金は少ない方が良い。仮に重くても、それが結果的に人々に還元されると別に不満はないのですが、そうではないから大抵は嫌がるものです。まして、敵のふところに入るとなると、なおさらでありました。ローマに支配されていますので、ローマのものとなる訳です。パリサイ人としては、悔しい限りでありました。つまり、パリサイ人は、払いたくない。

一方、ヘロデ党の者は、ローマに出来るだけ協力して、うまく関係を続けたいという先ほども言いましたが正反対の者同士が、今回は、イエス様という共通の敵を前にして、共同歩調を取り、捕えようとしているのであります。

こうなってきますと、イエス様は、どちらを選んでも攻撃される事になる。まさに、言葉による罠でありました。

ところで、彼らが、この言葉の罠にかけるために、更に、用意周到の準備をしておりました。それは何かと言いますと、16節に出ていたのですが、「彼らはその弟子たちを、ヘロデ党の者たちと一緒に」とありましたように、パリサイ人たちは、「弟子たち」を遣わしたという事であります。

もうすでに顔を覚えられている自分たちではまずい。イエスの知らない者を遣わそう。
それも、パリサイ人たちの考えをしっかりともっていて、十分に対抗できると思われる者を遣わそうと考えて使わした。そういう事であります。

さて、そのようにして準備万端で臨んだ彼らは、実に物腰の低い言い方で迫りました。16節の後半から17節前半ですが、「先生。私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは、人の顔色を見られないからです。それで、どう思われるのか言ってください。」とまず言いました。

実に、イエス様をベタ褒めだとは、思われないでしょうか。
実に気色が悪いといいましょうか。ありありと、下心が見えて来るようであります。
でも彼らは、イエス様に警戒心を持たれないよう、精一杯の言葉を使って褒めているのであります。柔らかく、易しく、前置きをし、それから彼らは、本題に入ろうという寸法であります。

彼らは言いました。17節「それで、どう思われるのか言ってください。税金をカイザルに納める事は、律法にかなっている事でしょうか。かなっていない事でしょうか。」

イエス様は、人々の心を読まれるお方である事を彼らは理解していませんでした。
いいえ、神である事を知らないので、こういう質問が出来たと言ったらいいでしょうか。イエスとは、どこそこの出身で、どんな環境で育ち、何を今までしてきたか。調べれば、何でも分かる。

しかしそれは、人間イエスの情報でしかない事は理解しておかなければなりません。
言うまでもなく彼らパリサイ人とヘロデ党の者は、一ガリラヤ人イエスと見ていたのではないかと思います。

しかし、その一ガリラヤ人が、多くの人を巻き込む。
自分たちにとって都合の悪い事ばかり話したり、行動したりする。
このままほっておけば、非常に困るという事で、あの手この手で迫っているのでありますが、肝心の父なる神から遣わされた方である事を見落としていますので、
だから、何とか出来ると思って画策しているのであります。

それに対してイエス様は、はっきりと明確に、嫌悪感を表されました。
「偽善者たち。なぜ、わたしをためすのか。」とであります。
偽善者たちとは、相手にとって聞き捨てならぬ言い方であります。
気が短い人なら、これだけでもう、頭にカチンとくる筈です。
しかし、彼らは冷静を努めて装います。
ここで、喧嘩をしたら、肝心の落とし穴に入ってくれない。
ここはぐっと我慢のしどころと押さえた事でありましょう。
感情的になった時が負けでありますので。

イエス様は19節でこう言われます。
「納め金にするお金をわたしに見せなさい。」とであります。
「そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持って来た。」とあります。
ここに「デナリ」という一枚の硬貨が登場します。ギリシャ語では、デナリオンと書かれています。
このデナリオン銀貨に打ってあった刻印は、表には、皇帝ティベリウスの右向きの顔が出ていて、その周りにラテン語で「神聖なアウグストゥスの子、ティベリウス・カエサル・アウグストゥス」と刻んであるそうです。一方、反対側には、つまり裏側には、皇帝の母リヴィアが椅子に腰をかけて右を向いた図柄だそうです。
平和の女神を象徴していると言われます。そしてその裏面にある文字は、「最高の司教」とあるのですが、これはリヴィアのことではなく、皇帝に奉られた称号だそうです。

パリサイ派の人たちは、この皇帝の横顔を、モーセの律法に反する偶像として嫌悪し、また刻印の「神聖な」あるいは「崇めるべき者の子」という字は、聖なる神を冒瀆するものとして憤慨していたと言われます。それが「税金をカイザルに納めることは律法にかなっている事でしょうか。かなっていない事でしょうか。」という質問に対して、差し出された一枚のコインなのです。

それを、イエス様は、ご自分のふところから出されたのではなく、罠にはめようとした者達から差し出されたのでありました。これは、非常に大切な点ですね。
彼らは、イエス様の言われるままに差し出しました。
1デナリ硬貨を、であります。
そしてイエス様は質問されました。

20節「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」とです。
表には「皇帝ティベリウスの右向きの顔」
裏には「皇帝の母リヴィアが椅子に腰をかけて右を向いた像」
つまり、どちらも皇帝が関係しておりました。
ですから彼らは「カイザルのものです」と答えざるを得ませんでした。
そこでイエス様は言われました。

21節「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。
そして神のものは神に返しなさい。」と。
そしてその結果次の22節に書かれている事は、
「彼らは、これを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。」とあるのであります。

何に彼らは驚嘆したのでしょうか。なぜ、自分たちの主張を述べなかったのでしょうか。本来なら、イエス様に「ローマに支払う必要なし」と言ってもらいたかった。それも過激な言い方で、であります。しかし、イエス様の言われた言葉は、「カイザルのものはカイザルに返しなさい」でありました。

納税を認められたばかりでなく、義務として命じられた。イエス様の積極的な答えでありました。これは、彼らの予期しなかった答えだったのかもしれません。
税金など大きな問題ではないと無関心であったのではなく、むしろ積極的に税金を納めてカイザルに従うように、これがイエス様の答えでありました。これは後に、イエス様が昇天なさったあと、ペテロが書いた手紙第1、2章13-14節に、こう書いているのであります。

「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。
それが主権者である王であっても、また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。」とペテロは、そのようにキリスト者に勧めているのであります。

これは、たといローマの支配下あっても、あるいはまた、以前は王として君臨していた時は、ヘロデ大王でしたが、その時であっても、そして今は、その子どもが一領主としてガリラヤ、ペレヤを治めているヘロデ・アンティパスに対しても税金を納めるべきは納めなければならないという事です。

それはまた、現在の私達も同じであります。
外国に行って、私は日本人だから日本に税金は払うが、外国に行った先々では払わないというのは、通じないのです。カイザルのものはカイザルに返さなければならないのです。

ところで、イエス様のことばは、ここで終わっていない事にお気づきでありましょう。
つまり「そして神のものは神に返しなさい。」という言葉が続いているのです。そしてこれこそ私たちキリスト者は、特に注目しなければならない点であります。「神のものは神に返しなさい。」であります。

では何が神のもので、何が神のものではないのでしょうか。
実は、その質問自体正しくありません。
なぜなら、もともと、全てのものは神様のものだからです。
ですから、カイザルのものはカイザルにと言っても、カイザルのものでありながら、カイザルのものではないのです。すべては、神のものなのです。

私達は祈りつつ献金をお献げしております。
しかし、よく考えますと、献金をお献げしていますが、本当の所は、神様の所に帰って行っているのです。これは私のもの、これは神様のもの、これは国のもの。
そのように、区分けをしますけれども、正しくは、みんな神様のものなのです。

でも、イエス様は、あえてあのパリサイ人やヘロデ党の者達に、「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」と言われて、それぞれに返すべき所を示されたのでした。

私達はここで、よく考えなければなりません。
それは、全てのものは神様のものであるという事を、です。
毎月お献げしている献金があります。不定期に献金しているものもあります。
それらは、どれ一つとってみても「献げましょう」と勧められていても、決して金額は定められていませんし、強制されてもいません。

パウロは、Uコリント9:7で、こう書きました。
「一人ひとりいやいやながらではなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます」と。
ですから、私たちはそうしているのです。

それは何も、お金だけではありません。
時と賜物、すべてであります。
普段の日に教会に来て、掃除してくださるのも、
素晴らしい神様に対する奉仕であり献げものです。
主の日に、ちょっと空いている時間に掃除してくださるのも、
大切な奉仕であり、献げものであり、神様はちゃんとその行為を
見ていてくださるのであります。

税金は、国や地方自治体から請求がきます。
ですから、否が応でも納税しなければなりません。
しかし、神様はそうなさいません。
「神のものは神に返しなさい」とは言われますが、強制的に取ることをなさいません。
しかし、命じておられる事だけは確かです。
一つ一つのものに、これは私の物、これは私の物と言って、神の刻印が押されている訳ではありません。

しかし、押されていなくても神様のものなのです。
考えてみれば、私たちが今持っているたった一つの命も
神様が下さっているものであり、与えられているものです。
神様は、それをいつでも取り上げることができるお方であり、今は、与えて下さっているのであります。
それ故に、私達は生き、生かされていること自体、神の恵みであり、祝福だといえましょう。

従って、その神様の恵み豊かさを決して忘れてはならないのです。
これからも神様の物は、神様に喜んでお献げして行きたいものです。
ある方、献金の時に「一部をお返しします」というふうにお祈りされる方がおられます。それは、正しいお祈りだと思います。

しかし、私達が献金とあえて言っていますのは、そこには、私達の心からの思いが詰まっているからです。その事を忘れてはならないでしょう。心が詰まっている故に献金なのです。献げものなのです。

私達は、その献金を心からさせて頂いていることを、この朝、神様に感謝しようではありませんか。この一年間、365日、食べ物がなくて、ひもじい思いをしたという事は一日もありませんでした。一年間の神様の恵みに感謝して新しい年を迎えたいものです。



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