2014年9月14日(日) 「新しい契約」 マタイ26:26-30 竹口牧師
かつてイスラエルの人たちは、エジプトに住んでおり、その時、ある時期、奴隷として扱われておりました。そのイスラエルの痛みを神様は知っていてくださり、エジプト脱出へと導いて下さいました。その脱出に当たってするように命じられたのが、 過越しの食事でありました。
それは、子羊の肉、種入れないパン、苦菜を食べることでした。 特に、子羊の肉と種入れないパンにつきましては、いろいろ準備の過程がありました。 それは、エジプトを出る月を月の始まりとし、その月の10日に、父祖の家ごとに雄の羊1頭を用意し、14日まで見守り、夕暮れにはそれをほふり、その子羊の血を家の門柱とかもいに塗り、その夜に肉を食べるように決して残してはいけないというものでした。
食べる時、種入れないパンと苦菜を添えて食べなければならない。 そのように出エジプト記12章には書かれております。 食べる時の服装も細かく指示がありまして、「腰の帯を引き締め、足に、くつをはき、手に杖を持ち、急いで食べなさい。これは主への過越のいけにえである」と言われました。
こうして、イスラエルの人たちは、その時が来ると、子羊をほふり、血を家のかもいや門柱に塗り、肉を食べたのでありました。
ところで、この時行なった食事は、出エジプト以後、毎年、年の初めには、過越しの食事としてするようになりました。この最初の頃には、勿論、神殿はありませんで、 羊を殺すのも、祭司がするのではなく、その家の家長が家で行ないました。
また、この過越しの食事の一番最初に行なわれた時だけ、出エジプト記によりますと、 「12:29 真夜中になって、主はエジプトの地のすべての初子を、王座に着くパロの初子から、地下牢にいる捕虜の初子に至るまで、また全ての家畜の初子をも打たれた。」というように、大変な出来事が起こったのでありました。
家の門柱とかもいに羊の血を塗っていたイスラエルの民は、初子が殺されることなく、過ぎ越されたのでありました。また神様は、出エジプト12:14で、こう言われました。 「この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない。」とでありました。
ここから、毎年、過越しの祭りが行なわれるようになりました。始まりは、イエス様がお生まれになる約1400年も前の事でした。イスラエルは、その後、荒野の旅を続け、シナイ山に到着しますと、契約の箱、幕屋の造り方、それに律法が与えられました。また、荒野の旅を続け、やがて約束の地カナンに住み着き、王国を築きます。しかし、残念ながら分裂、捕囚、帰還などなどを経験し、イエス様の時代の頃は、ローマの支配下に置かれていました。がしかし、この過越しの祭りは、変らず行なっておりました。
ところで、イエス様は、過越しの食事をする場所を用意され、弟子たちには、食事を用意させ、きょうの聖書箇所の少し前の20節にありますようにイエス様は、弟子たちみんなで食卓に着かれたのでありました。
さて、過越しの祭りが行なわれる日は、二サンの月の15日。 ユダヤでは、夕方6時から一日が始まりますので現代流に言いますと14日の夜、過越しの食事をしました。
ところが、ヨハネの福音書では、イエス様が十字架につけられたのは、過越しの食事をする前の「備え日」であったとありますので、イエス様が、過越しの食事をされたのは、正式の過越しではなかった事になります。つまり、イエス様は二サンの月の14日(木曜の夜)に、独自の立場で、過越しの食事を祝われたのであろうと言われます。
ここで、私たちが覚えておきたいのは、過越しの一番最初です。 小羊がほふられ、門柱とかもいに塗られた家の人は、死人が出ないで神様が通り過ぎられたということでした。そして今、イエス様は、それにとってかわることを、しようとされているという事なのです。
26節以下にこうありました。 「また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、 弟子たちに与えて言われた。『取って食べなさい。これはわたしのからだです。』 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。 『みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。』・・・」というようにであります。
イエス様は、次の日に実際に血を流され、殺されました。 勿論、言うまでもなく命は一つですから、ただ一度だけです。 過越しの子羊もずっと羊は、殺され続けてきておりましたが、しかし、人間や全ての家畜の初子の命を奪う事をされた神様は、その日、一度だけでした。
過越しの祭りは、毎年同じように行なわれておりますが、初子の命を奪われたのは、ただの一度だけでした。 数回とか数十回とか、或いは今でも年によっては時々起るというものではない訳です。
一方、新約聖書に登場しますパウロは、イエス様が昇天なさったあとで、救われましたが、その彼がコリントの教会にこう書いております。聖餐式の時に読まれる箇所ですが。
Tコリント11:23-25「 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。 すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。『これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。』 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。 『この杯は、わたしの血による新しい契約です。 これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。』」と。
過越しの子羊の血によって、神が過ぎ越されたのは、一度だけであり、あとはそれを覚えるためにずっと続けてきました。それは、神様のご命令でありました。きょうの個所で、イエス様は、御自分が一度十字架にかけられ、身を裂かれ、血を流され、殺される事を指し、実際に殺されますが。
それによって、私達の罪が赦され、生きる者とされる。 それは、その後に生まれた者に対しても、有効でありました。 イエス様は、一度死なれましたが、その死は、これから生まれて来る人に対しても有効であり、それ故に、その後に行なう主の晩餐は、イエス様の言われたように記念として行なっているのであります。その主の晩餐はまた、今日まで続いていますし、これからも、主が来られるまで続けられるのです。
ところで、イエス様はご自分の命を賭して一度、血を流されました。 そのことを覚えて、主のご命令に従って、私達は記念として、聖餐式を行なっています。流された血を表す杯は、米国のピューリタンの禁酒主義の伝統を引継いでいるのでしょうか。ぶどうジュースを私達の教会では用いています。
イスラエルに行った時の教会では、ぶどう酒でした。 パンは、東西両教会で解釈が違っておりまして、ロシアやギリシャでは、イースト菌を入れ発酵させた普通のパンで、これは、最後の晩餐を過越し前夜の食事と見るからだそうです。
これに対して、ロマ・カトリック教会とプロテスタント教会は、中でも、パンにこだわる教会では、必ずイースト菌を使っていないクラッカーを使います。教会によっては、牧師が小麦粉を水でこね、フライパンで焼き、それを人数を見ながら割って行く、あるいは引きちぎっていく。そういうことを人数を見ながらするのだそうです。
私達の教会は、市販の食パンとぶどうジュースを用いていますが、それは決してキリストの体と血を軽視している訳ではありません。それで充分に、私達の罪の身代わりとなって死んでくださった主を思う事が出来るからであります。
気をつけないといけないのは、その聖餐式の時のパンと杯を、キリストの体や血として、神秘化し、魔術的な要素を入れる事であります。それだけは、何としても避けなければなりません。この世の何ものをも決して偶像化してはならないからです。 パンはあくまでもパンであり、ブドウ液はあくまでもブドウ液です。それはキリストの体と血を覚え記念として行なうよう求めておられ、決して神様は、変える事をなさらないのであります。
ところで、「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」というイエス様のお言葉の重要な点は、イエス様が、身体を裂いてまでも与えて下さるものを、私達のための恵みとして頂くという、信仰への呼びかけであると受け止めなければならないという点です。
この呼びかけへの応答は、パンそのものを受ける受け方よりは、そのパンから飛躍してイエス様ご自身を信仰によって受け止めることなのです。「取って食べなさい。これはわたしのからだです」と言われる時「感謝します。これはまさに私のために下さった恵みです」と感謝して受け取るべきでしょう。
キリストの肉だとか血だとか、そのように考える必要は全然ありません。 もし考えるなら、偶像となって行くのです。 食べ物を粗末にしてはいけませんが、それ以上の物として扱うなら、それは、イエス様の本意ではありません。
イエス様が、二千年前に十字架の上で裂かれた体、流された血は、後の教会の歴史に於いて、パンの中に無理にキリストの肉を見ようとしましたが、パンがイエス様の肉に神秘的に変る訳ではありません。そこにあった物は、どこまでも小麦の粉で作られたパンでした。それを受け取る時に、そのパンを噛んで口で味わうだけでなく、同時にイエス様ご自身が「私を生かして下さる天の父のご裁量」と信じて、霊の深みのうちにパンを受け入れるのです。
「これはわたしのからだ」という言葉に込められたメッセージは、「これを受ける時には、この私自身を同時に受けよ」という事になります。 それ故、パンを口と胃で受けると同時に、命のパンとしてのイエス様を信仰で受けるのです。もし、その事が欠けるなら、どんなに美しい儀式であっても、また、どんなに荘厳に執行しても、それはただの形だけのものにしかならないでしょう。
パンをキリストの肉に変える儀式権威を考えた中世の人たちは、イエス様が意図されたものとは違った方向に向けたと言えましょう。イエス様のお働きが私達の罪にではなく、パンにばかりに目が向けられるようになったと言えましょう。
杯もまた同じであります。「これは、わたしの契約の血です。」というのも、ぶどう酒を祝福によって、キリストの血に変える権威を持つ者は誰かとか、その資格は誰から与えられるのかなどあるいはまた、聖なる儀式のどの瞬間にワインが血に変わるかを 必死で考えた人たちは、やはり、イエス様の意図を受け止め損ねていたのではないかと言えるでしょう。
もう一つ気になりますのは、パンと杯を祝福するという言い方です。 考えてみますと、パンと杯を祝福して、神聖なものにする力を持っている者は、誰一人いないのです。「イエスはパンを取り、祝福して後」とか、「杯を取り、感謝をささげて後」というのは、どちらもへブル人の食卓の習慣通りの言葉であり、「神をたたえて感謝した」という意味だと言われます
そうだとすれば、パンと杯だけに心が向く事が果たして、正しい事なのだろうかと考えさせられます。
ところで、今まで、私は過越しの行事が、聖餐式へと変って行ったように話しを進めて来ました。そしてその過ぎ越しの食事の流れというものが、まず、その家の主人が祝福するところから始まり、そして一同、最初にワインを飲み、過越しの話しを復唱し、ハレルヤ詩篇(詩篇113または114篇)を歌い、続けて主人がパンを祝福し、その意味を説明します。
そして一同は、野菜、果物、種なしパンを食し、その後、過越しの子羊の肉を食べます。ここで、子どもが祭りの意味を問い、父親がエジプトの奴隷状況からイスラエルの民が救出された話しをします。
そして三番目の杯に対する祈りがなされ、ハレルヤ詩篇(詩篇115-118)がうたわれ 最後に四番目の杯に対して祝福の祈りをささげ、終わるというそういう順番の中の第三番目の杯で、祝福の杯という事になるようです。つまりは、二度の杯を飲む事、野菜を食べる事、過越しの教えを復唱したり、ハレルヤ詩篇(詩篇113-18篇)の前半を歌う事などは、この時以前に終わっていたはずです。
イエス様は、ぶどう酒の入っている杯を取られ、感謝を献げてから、パンと同じように杯を弟子たちに配られました。そして言われました。 28節「これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」と。
この契約につきましては、エレミヤ31:30-34に、シナイ山で契約を結んだものではなく、新しい契約が与えられる事が預言されておりまして、イエス様の血による新しい契約が実現する事を、今、イエス様が述べられているのであります。
「罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」とは、非常に意味のある言葉であります。それは、人の罪が赦されるという素晴らしい事と共に、多くの人のために流されるのであって、全ての人とは、生きている人全員ではないという事であります。これは、私達は覚えておかなければならない事実であります。
イエス様は、このあと29節でこう宣言なさいます。 「ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」とです。
そして、実際に、刑場に連れて来られた時にローマ兵がイエス様に、「苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。(けれども)イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。」というように27:34にある通りであり、十字架に付けられる者の痛みを麻痺させるためのものを拒否され、死の苦杯を最後の一滴まで飲み干そうとはしない、その姿勢を最期まで貫かれるのであります。
30節では、「そして、賛美の歌を歌ってから、みなオリーブ山へ出かけて行った。」と結ばれています。私達は、ここでどうしても見過ごしてならないのは、パンと杯がキリストの体と血に変るかどうかという点に心を奪われ、イエス様の言おうとされていることを見過ごしてはならないという点であります。
それは、新しい契約関係に入るという事でありました。 過越しの時には、羊が犠牲になりました。 しかし、私達の罪のためには、キリストが犠牲となって永遠の罪の赦しの契約を結んで下さろうとしておられた。そして十字架で、それを完全に果たして下さったという事です。 私たちが、聖餐式に与る時に、まずその事を第一に覚え、新しい契約関係に主が入れて下さった事を感謝したいのであります。
行ないによらず、ただ恵みによってである事を御言葉によって知るなら、そこには、ただただ感謝しかないことを改めて覚えようではありませんか。
2014年9月21日(日) 「希望のことば」 マタイ26:31-35 竹口牧師
きょうの聖書箇所での出来事は、先回の聖書箇所で、主の晩餐が終わった後、ユダを除く11弟子たちとイエス様が、ゲツセマネの園に移動しておられるその途中の時の話であります。つまり、エルサレムの街中の二階座敷から谷を隔てて向かい側のゲツセマネの園にあるオリーブ山に向かわれるその途中での出来事であります。
が、その前にイエス様を始め、弟子たちはどうしたかと言いますと、先回の聖書箇所の最後にありましたように、26章30節「そして、賛美の歌を歌ってから、みなオリーブ山へ出かけて行った。」のでありました。
で、そこにありました讃美の歌と言いますのは、過越しの食事の後に歌う歌でありまして、詩篇115篇から118篇の部分に節(ふし)をつけてハレルヤ詩篇を歌うのがしきたりだったようです。ですから、イエス様をはじめ11弟子たちが歌ったのは、この部分だっただろうと思われます。
実際にその詩篇115篇から118篇を見てみますと、118篇以外は、最後にハレルヤという言葉がついております。ハレルヤとは、つまり「主をほめよ」ということです。 因みに115篇は、神への信頼の勧めであり、116篇は、救いを経験した人の感謝が歌われ、117篇は、詩篇の中で一番短い箇所で、僅か2節しかありません。そのたった2節の中で、異邦人も神賛美へと招かれています。そして118篇は、神の恵みの称賛であります。
今や、刻々と死に向かわれているイエス様が、主の晩餐の後、みんなで讃美の歌を歌ってから、オリーブ山へと向かわれたのでありました。マタイは、この時、イエス様がどんな気持ちで歌われ、そして、その二階座敷からオリーブ山に向かわれたのか、その思いを知る由もありませんで、書いておりません。マタイどころか、他の10人の弟子たちでさえ、イエス様の思いを知らず、過越しの夜のお祭りの習慣に従って、「ハレルヤ」を歌った事でありましょう。
そして、次回見ます36−46節では、イエス様がゲツセマネの園での祈りをなさる所ですが、そこでも、弟子たちは、イエス様の気持ちを本当には、知らなかったであろうことは想像つくのであります。
さて、いよいよきょうの個所31節に入る事にしますが、そこには、こうあります。 その時、イエスは弟子たちに言われた。 「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。』と書いてあるからです。」とであります。
イエス様は「今夜」と言われました。 明日でもなければ明後日でもなければ、更にもっと先でもありませんでした。 今夜、でありました。 そして、今夜起きる事の内容、その根拠となるものをイエス様は、ゼカリヤ書13:7を上げて言われたのでありました。そのゼカリヤ書にはこうあります。
「剣よ。目をさましてわたしの牧者を攻めわたしの仲間の者を攻めよ。――万軍の主の御告げ。――牧者を打ち殺せ。そうすれば、羊は散って行き、わたしは、この手を子どもたちに向ける。」とであります。
「牧者を打ち殺せ」とは、なかなか物騒な箇所であります。 ここを要約しますと、審きの日に神が民のリーダーを打つと、その民は散り散りになってしまう、というものです。で、実際、イエス様が言われたのは、『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。』ということです。
この場合の「わたし」とは、父なる神であり、「羊飼い」とは、イエス様でありました。 つまり、イエス様が、これまでは神の御心を、モーセと預言者の中に読みとられ、その結果、父の御心を結論をとしてご自分の口からはっきりと断言されたのに対して、今回は、これからの出来事の背後にある父の意志を含めて言いなおしておられるという事であります。
イエス様は、御自分のことをヨハネの福音書では、良い牧者と言われました。そして「良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」(ヨハネ10:11)と言われましたが、そのようには見えないだろうと言われるのです。
ある先生は、こういう言い回しをされておられます。 「羊飼いが打たれて死ぬのは、弱さのゆえに人々の手にかかるように見えるだろう。 しかし、本当は、天の父の愛のご意志が羊飼いの死を許しておられるのだ。 それは敗北ではなく、神の勝利であることに、後になって気付け・・・。」とであります。そしてそれがこの『わたしが羊飼いを打つ。』に表わされています。という風に言われます。
実際、このイエス様のお言葉を聞いた時、弟子たちは、どう反応したかは、33節以下に書かれておりますが、『わたしが羊飼いを打つ。』とは、イエス様が殺される事でありますので、弟子たちの心は穏やかならぬ思いでありました。しかしイエス様は、その後にもう一つ大事なことを言われました。それが32節であります。
「しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」とであります。
つまり、この31節と32節は、イエス様にとっても、弟子たちにとっても 大変な宣言だったのでありました。イエス様には、御自分の死であり、また甦りの宣言であり、しかし、それはまた弟子たちには、一大事でありました。32節の甦りの宣言などは、弟子たちの耳に入らなかったかの如く、彼らの心は、騒ぎ始めるのでありました。
実際の所、イエス様は、幾度となくご自分の死の事を今までに語って来られました。 マタイ16:21では、「その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。」とありますし、
あるいはまた17:22-23では、「彼らがガリラヤに集まっていたとき、イエスは彼らに言われた。『人の子は、いまに人々の手に渡されます。そして彼らに殺されるが、三日目によみがえります。』すると、彼らは非常に悲しんだ。」とであります。
つまり、弟子たちは、これまでにもイエス様の死と甦りの事実を、幾度となく聞かされ、その度に、そうあってほしくないと思いつつ、今日まで来たのでありました。しかし、ここに至っては、もはや曖昧には出来ない。「今夜」がその時である。つまり捕えられる時であると言われたのでした。
ペテロは、16:21の時がそうでありましたが、つまり、捕えられてほしくない思いであの時は、22節で「するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。『主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。』と言い、そのあとで、厳しくイエス様に叱られたものでした。
今回もまた、11弟子の先頭を切って、ペテロが物申す訳であります。 33節「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」というようにです。
これは、この時のペテロの本心であったでしょう。 この世には正直に告白できる人、心には思っても口には出さない人、言おうとするのですが、人の言葉に遮られて、言葉が出なくなる人、などなどいろいろな人がいます。 どちらにしても、11弟子のイエス様に対する思いは一緒でしょう。
ペテロの言葉に対して、イエス様はこう言われます。 34節、イエスは彼に言われた。 「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」とです。一度だけでなく三度も、あるいは一度だけでなく、二度でもなく三度も繰り返して否定する。実際の所、ペテロが否定する場面が三場面あるのですが、これは、イエス様がその三場面を知っておられて言われております。
本来なら、回数の問題ではなく、徹底的に否定するという意味にも受け取れるのであります。つまり、今回のペテロは、その否定に当たります。
35節「ペテロは言った。 『たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。』」とであります。自分の命をかけて、イエス様の側につくというのです。
もし、本当にペテロがそのような行動を取ったなら、そして、35節の最後にありますように、「弟子たちはみなそう言った。」とありますので、イエス様の弟子、全員が、彼らの告白通りであったなら、実際の所どうなっていたでありましょうか。
もし仮にですが、全員逮捕という事態になっていたなら、一体、その後の歴史はどうなったであろうかと考えさせられるのです。よく歴史に、「もし何々であったなら」とは言えないと言われます。歴史は、変えられないからでしょう。
しかし、もしあえてここで、言うとするなら、本当にキリスト教は、どうなっていたのでありましょうか。どんな展開になっていたか見当もつきません。 私は、人の弱さをも用いられる神をここに見ざるを得ません。
調子の良い時には、調子の良い事を言う。 本気で、ペテロのごとく、「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」というかもしれません。 あるいはまた、「たとい、ご一緒に死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」と本気で言うかもしれません。
「弟子たちはみなそう言った。」とあるではないか。 その時は、みんなそんな気持であったに違いない。 しかし、実際にその時が来ると変るかも知れない。 だから、みんな、その時、その時を精一杯生きればよいのだ。 そういう人がいるかもしれません。 しかし、それで果たして済まされるのかということであります。
マタイは、この後三度、ペテロが否定する記事をこの同じ26章の終りの方に書いております。そして、ペテロは、イエス様のお言葉を思い出し、「激しく泣いた」とまで書いております。
ところが、そのことをイエス様が責められたとは書いておりません。 その点、ヨハネは、イエス様が甦られてガリラヤに現れられた時、ペテロに三度「私を愛しますか」と問われた事を書いております。そして三度目の時のペテロの気持ちもこう書いております。
ヨハネ21:17 「イエスは三度ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。』ペテロは、イエスが三度『あなたはわたしを愛しますか。』と言われたので、心を痛めてイエスに言った。『主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。 あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。』イエスは彼に言われた。『わたしの羊を飼いなさい。・・』」とです。
神様のご計画というものの、詳細部分は、私達には知らされておりません。 世の初めから世の終わりまでを、聖書を通して大まかに教えられているだけです。 従って、御言葉をいただきながら、ある時には、確信を持って、またある時には、御心を求めつつこの世を歩むという事が現実であります。
私達は、嘘を言うつもりではなく、その時は真剣にそう思っていた。 しかし、その時が来ると、弱さのゆえに心が折れたり、気が沈んだり、神の御心とは違う言葉を発している。あるいはそういう行動になっている。その事を私達は、この世の中で経験するのであります。
マタイがなぜ、32節の希望ある言葉に対してコメントを書かなかったのか、知ることはできませんが、私達は、きょうの所で教えられます事は、人の弱さの中に、32節のような救いの言葉がある、ということではないかということです。
イエス様の言葉に対して開口一番、ペテロが元気よく、イエス様のお言葉を否定しておりますが、これを書いているマタイも同じ思いであった筈であります。そして、マタイも自分の弱さを感じ、自分の失敗も認めてこの福音書を書いたに違いありません。
それ故に、32節のイエス様のお言葉を、入れる必要があったように思います。私達は弱さを持った人間です。どんなに強がりを言っても、時には躓き倒れるものであります。
しかし、そのような者でも、イエス様は、「わたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」だから、必ず後から来なさいよ、と招いて下さるのであります。
弟子たちに見捨てられたイエス様が、弟子たちを見捨てないで、むしろ、招いていて下さるのであります。マタイは、そのことを大きくは書かないで、ここにそっと入れて、あとは28:7で御使いの言葉として託しているのであります。そこにはこうあります。
「ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」とです。
そこには、大きな希望がある事にお気づきでしょう。失敗してもなお心に留め、受け入れて下さるイエス様の愛。招き、待っていて下さる主がそこにはおられるのです。 私達が弱くてもなお希望があるのは、真実に悔い改め、主に従おうとする者を主は見捨てず招いて下さるという事であります。 何という幸いでありましょうか。
自分の弱さに悔いるばかりではなく、 その弱い私達を強いお方が包み込んで下さり、 強くし、立たせて下さる事に感謝し、 これからも喜びを持ってお仕えしていこうではありませんか。
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