2015年8月2日(日) 「いのちの言葉を伝える」 使徒5:12-26 竹口牧師
先回は、教会内部で起きた悲しい出来事を見てきました。 それは、アナニヤとサッピラが自分の持ち物を売り、それで得たお金を献げたのですが、得たお金の一部を残しておきながら全部だと偽って献げた事によって報いを受けたという部分でした。
それも、その報いとは、アナニヤとサッピラの二人の命を神様は取られたのでありました。これによって、教会全体とこの事を聞いた全ての人達とに 非常な恐れが生じました。しかしながら、教会は一段と引き締まり、益々、積極的に伝道を展開していくことになって行きました。
ところで、この積極的な伝道活動を喜ばない人達がいました。 それは4章でも取り上げましたが、サドカイ人達などでありました。 彼等は議会を招集し、尋問した後でペテロ達に「一切イエスの名によって語ったり教えたりしてはならない」と厳しく命じ、伝道活動を禁止しました。
しかしながら、ペテロ達はその禁止命令に従うことはしませんで、むしろ「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください」と言って、ますます熱心に活動しました。その結果は言うまでもなく第二の迫害となって行くのであります。
今朝は、この二度目の、外からの圧力に対して弟子達はどの様に導かれていったかを見たいのであります。まず最初に、12節から16節までを見ることにします。ここには、当時の活動状況が要約的に述べられています。
たとえば、12節を見ますと、「使徒達の手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行なわれた。みなは一つ心になってソロモンの廊にいた。」とであります。
ソロモンの廊というのは、新約聖書では3度(ヨハネ10:23 ; 使徒3:11,3:12 )言及されていまして、1度目は、宮きよめの祭りの時に、イエス様が教えられた事がありました。それがこの場所でありました。 2度目は今開いています使徒の働きの3章で2回出てきます。 生れつき足の不自由な男の人がイエス・キリストの名前によって癒され、歩けるようになった時、驚いた群衆がペテロとヨハネの所に駆け寄ってきたのがこの場所でありました。
この廊は等間隔ですえられた2列の大理石の円柱によって支えられた屋根のついた回廊でありました。
ところで、クリスチャン達の数が1章では120 人程、2章では3000人になり、4章になりますと5000人に脹れ上がりました。そして、今日の箇所では14節にありますように更に信じる人が加えられていった事が分かります。
従いまして、集会の広場は、最初はちょっとした所であればよかったのですが、だんだん増えるにしたがい、そうもいかなくなり、今日の聖書の箇所ではエルサレム神殿にあります「ソロモンの廊」を集会所として用いるようになっていたようであります。
もっとも、人数のせいだけでなく、祈る為に集まって来た人達がそのままキリスト信仰に導かれ、このソロモンの廊に集まるようになっていったのかも知れません。
ともかく、信仰者達は、心をひとつにしてこのソロモンの廊に集まっていましたが、アナニヤとサッピラの出来事がありましてからは、教会全体は勿論のこと、このことを聞いた人々には非常な恐れが生じたのでありました。
そして、人によっては交わりに加わろうとしない人々もおりました。ただし、そういう人達でありましても、このソロモンの廊に集まっている人達を尊敬していたと13節には記されています。これには非常に興味深いものがあります。
いつの時代でも、キリストを信じる人、信じない人、回りから遠巻きに眺めている人などさまざまな人がいるものですが、特にこの当時神様のなさった裁きによって、いい加減な気持ちで、仲間に加わっていくことの恐ろしさを人々は感じ取っていたようであります。
一般の方が外側から見る教会と信仰者が内側から見る教会とでは当然、見え方、感じ方が違うのですが、信仰者達の群れの中に仲間として加わろうとしない人々であっても、その集まっている人達を尊敬していたということは、当時の教会は一般的によい印象を廻りに与えていたといえるでしょう。
そういうイメージは、現在の私たちの教会であっても廻りの人々に対して与え続けたい部分の一つであります。ある教会でのことですが、教会員にアンケートをとったようです。その中の一つに、これからの教会はどのようにあるべきでしょうか、というのがあったそうです。
そしてその答えの中には、明るい教会、誰が来てもくつろげる教会、神様がおられる事が感じられる教会というのがあったそうです。しかし、それらを裏返せば、今はそれがない、あるいは欠けている、とそう感じているからこそ、これからの教会には是非それが欲しいという思いを込めてその意見を出したであろうことを感じさせられました。
そして神様がおられないと感じている様な教会に地域の人々が神様を求めて来るだろうかとも一瞬考えさせられたものでした。
ところが今回の聖書の場合、教会の中で起こった厳しい裁き、それが神様によってなされた時、多くの人々は一様に恐れました。そして、教会の交わりに加わろうとしない人もいました。
しかし、それでも教会の人々を尊敬していたという事は何という素晴らしい証しではないでしょうか。教会の人々のどういう点を尊敬していたのか分からないのですが、教会が、真理のために活動することによって回りに与える影響は大変大きいような気がするのであります。また、大事なのであります。
さて、14節ではこうも記されています。 「そればかりか主を信じる者は男も女も益々増えていった。」とであります。交わりに加わらない人もいたけれども、その反面、信じる者も益々増えて行ったというのです。
なぜ、これ程までに教会の勢いがついたのでしょうか。その理由としてまず、12節にありますような「多くのしるしと不思議なわざ」が使徒達によって行われた事があげられるでしょう。そしてこの行為は、あるいはわざは、前の章の4:30の所にあります「御手を伸ばして癒しを行なわせ、あなたの聖なるしもべ、イエスの御名によってしるしと不思議なわざを行わせてください。」と祈った祈りの成就であったと言うことができましょう。
この祈りは、以前にペテロとヨハネが捕らえられ、議会に掛けられた事がありましたが、その後釈放されて仲間の所に戻って行った時、彼等二人を待っていた人達が行なった祈りでありました。
現在の私達は彼等と同じ様に「いやしと不思議なわざ」とを積極的に求め、それを用いて宣教しようとはしません。 というのは、この癒しと不思議なわざは、イエス様が真の救い主であることを示す働きを持っていましたが、しかし、新約が完成した時にイエス様が真の救い主であることは聖書全体が証明するので、もはやその様な不思議なわざはいらなくなったからであります。
勿論、当時の使徒達のしるしと不思議なわざは大変多くの人々にアピールはしたようでありますが・・。
ところで、私たちが「いやしと不思議なわざ」とを宣教のために用いないとしましても、当時の彼等使徒達が祈り求めたその行為は学ばなければなりません。なぜなら、癒しと不思議なわざとを行なった彼等であっても、祈り求める必要があったからであります。求める事の必要です。
そしてそれに対して、神様は答えてくださり、多くの実を結んでいったのでありました。現在の私たちにとっても、神様の言葉がもっと多くの人に効果的に伝えられる為にはどうすればよいかを祈り求めていかなければならない。 そのように考えさせられるのであります。
次に主を信じる人が益々増えていった理由のもう一つの点は、16節を見ていただければ分かりますように、エルサレムの町だけでなくその付近の町々からも病人が集まってきていると言う点にあります。教会の活動は1つの町の中だけでなく、更に広がりを見せているのであります。
しかも、多くの人々が具体的な体の痛みやあるいは、苦しみの癒しを求めて 彼等の方からやって来ているのであります。悪い知らせが伝わるのは速いものですが、よい知らせが伝わるのもこの時は速かったようであります。
そして多くの人が使徒達の行う癒しを求めてやって来て、その恵みに与ったのでした。しかも使徒達の癒しの行為は、ただ単にそれのみに終わらないで主を信じる者が男も女もますます増えていくという確実な実を結んでいったのでありました。
私たち現代において、人々にキリストの福音を伝えるために用いた福音手段、 例えば青少年育成活動、YMCAなどはいつしか目的となって福音を伝える事が失われている。そういう例が少なからず見受けられるのであります。大切なのは体の病が癒される事ではなく、魂が罪から救われる事でありましょう。当時の使徒達の行為は、17節を見ますと、大祭司とその仲間達が妬みに燃えて立ち上がるほどに、人々の心をキリストへと向けさせていたのでありました。
使徒達の働きはただの慈善事業ではなかったのであります。 ヤコブ書の中にはこういう御言葉があります。 「信仰ももし行ないがなかったならそれだけでは死んだものです。」(ヤコブ4:17)とです。
教会が、しっかりとしたキリスト信仰に立って、なおかつ、この世に仕えて行くときに、尊敬のまなざしと共に、多くのキリストに従う民が起こされて来るといえましょう。私たちもまたそうなりたいものであります。
さて次は17節から21節までを見ることにします。 ここでは急激に伸びていく教会に対して妬みが起き、使徒達を捕え、留置するという事態に入っていくのでありますが、この部分で私は人の力の限界と 神の力の偉大さを見るのであります。
つまり、サドカイ派の者はみな、ねたみに燃えて立ち上がり、使徒達を捕らえ、留置場に入れますが、しかし、神様はどうされたでしょうか。
19節にありますように 「夜、主の使いが牢の戸を開き、彼等を連れ出し、『行って宮の中に立ち、人々にこのいのちの言葉を、ことごとく語りなさい。』」と命じられたのでありました。
人は邪魔者を捕らえます。都合の悪いものを留置します。さらに最悪の場合は、命をも取ってしまいます。しかし、それ以上のことは何も出来ません。どんなに厳しく見張っていようとも、またどんなに頑丈に鍵を掛けようとも、神様が見られる時、それは無きに等しいのであります。
イエス様はエルサレムの当時の指導者達に捕らえられ、殺され、墓に葬られました。入り口は封印され、ロ−マ兵が厳重に見張っていました。しかしイエス様は甦られ、そこからなんの問題もなく出られたのでありました。
あるいは、ラザロが死んで葬られ、マルタが「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」(ヨハネ11:39 )という程であっても、ラザロは再び生き返ったのでありました。
牢に閉じ込められた人を助け出すというような事は、神様から見ればたわいのない事であります。それでも人は全力を尽くして神様に立ち向かおうとします。どれだけ人間が罪深く、醜い者であるかを覚えさせられます。
とはいえ、そういう人間であっても神様は決して見捨てること無く、憐れんで下さり、働きかけてくださるのであります。指導者達が駄目なら、一般の人々へと使徒達を遣わされるのであります。「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを、ことごとく語りなさい。」というように、です。
使徒達は議会の警告、おどしを無視して伝道活動をしました。その結果が、留置という状況を招きました。でも、神様はなお、牢の中という束縛から解放し、宮の中に立ちなさい、と言われるのであります。
「どこか、サドカイ派の目の届かないところで伝道しなさい」ではありませんでした。なぜかサドカイ派など指導者達の縄張りである宮の中で再び語れと命じられたのでありました。そうすれば、すぐにまた捕らえられる事は分かっていたのに、であります。
しかし、鍵を開け、番人が戸口で見張っていても連れ出す事の出来る方が使徒達に命じられたのであります。ですから彼等は恐れる事もなく、その言葉に従ったのでありました。
彼等が牢獄から自由にされたのは、逃げるためでも、隠れるためでもなく、まさにこの命令を遂行するためでありました。従って、彼等にはいのちの御言葉を伝える義務があったのであります。
ところで、私たちが今、キリストの恵みによって救われ、しかも自由の身にあるのはなぜだろうかと考えさせられないでしょうか。それは、この世での生活を楽しむため、あるいは神の恵みを自分だけで楽しむため。否、そうではない。むしろ、今こんなに素晴らしい自由が与えられているのは、彼等使徒達に神様が命じられたごとく、私達にも、いのちの言葉をことごとく語れと命じられている。そう認めるべきでありましょう。
私たちは、大宣教命令と言われているマタイ28章の言葉をよく知っています。 そこではイエス様は弟子達にこう言われました。 「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして父、子、聖霊の御名によってバプテスマをさずけ、また、わたしがあなたがに命じておいた全てのことを守るように彼等を教えなさい。見よ。わたしは世の終りまで、いつも、あなたがたと共にいます。」とであります。
使徒達が自由にされたのは、たとい三度捕らえられようとも、出て行って語るためであり、これが彼等の使命でした。私達に自由が与えられているのもその為ではないでしょうか。
病気や仕事の忙しさや、家庭の事情などさまざまな制限はあるでしょう。しかし、その制限のどれ一つをとってみても御言葉を語る事を完全に阻止している理由にはなりません。番兵つきで家に拘束されたパウロでさえ、その中で十分に活動した事を私たちは知っています。今の私たちに与えられている自由をもっと有効に用いるなら何と素晴らしい働きが出来ることでしょうか。
第三番目は、21節から26節までを見ていきます。 21節にはこう書いてあります。 「彼等はこれを聞くと、夜明け頃宮に入って教え始めた。一方、大祭司とその仲間達は集まって来て、議会とイスラエル人の全ての長老を招集し使徒達を引き出して来させる為に、人を獄舎にやった。」と。
神様の行われた事に対していよいよ人は右往左往し始めるのであります。役人を牢に遣わすとそこには使徒達はいませんでした。獄舎は完全に閉まっており、番人がそこに立って見張っているのに、使徒達はいませんでした。
宮の守衛長や祭司長達は、この報告を聞いて、「一体、どうなっていくのかと、使徒達のことで当惑した」と24節にはあります。
今ここで、少し時を遡って、イエス様を殺す事に賛成し、実行した当時の指導者達がイエス様の遺体が無いのを知った時のあわてぶりを想像してみてください。
彼等は集まって協議をし、「夜、私たちが眠っている間に弟子達がやってきて、イエスを盗んで行った」という嘘の話を兵士にさせました。そして内心どうなったのか不安であったであろうと思うのであります。
彼等がもし仮に、今使徒達を牢の中に入れたのと丁度同じ人達であったなら、役人達の報告は相当にこたえたに違い在りません。あるいはまた再び、いなくなったのかと思っても仕方がない状況です。
イエス様の時の指導者達がこの時含まれていたかどうかは別としまして、やがて、次の報告がなされるのであります。 「大変です。あなたがたが牢に入れた人達が、宮の中に立って、人々を教えています。」とであります。
恐らく、宮の守衛長達はすっとんで行ったと思われます。そして「この人騒がせなやつらだ」と思いながらも、手荒な事は慎み、議会の方へと使徒達を連れて行くのでありました。何しろ手荒な事をすれば、群衆の反対にあって 自分達の身がこの時は危なかったからであります。 ここには、自分の身の安全を顧みず、主の命令に忠実に従っている使徒達の姿と、自分達の都合しか考えずに行動している宮の守衛長や祭司長達の違いが如実に表れているのであります。真理のためにではなく、自分の立場、都合によって彼等は行動しているのであります。
イエス様が捕らえられた時は、群衆達は指導者側の方にいました。しかし、今は弟子達の方の側にいるのであります。こういう状況の中で議会の尋問へと進んで行きました。
ペテロ達は、この議会での証言という機会を用いて再び勇敢に「キリストこそ、救い主であり、神の右に上げられた」と証ししていくのであります。それはまた、私たちは、使徒たちが常に与えられているその時その時の状況を積極的に用いながら、証ししているのを見る事が出来ます。
Uテモテにはこう書いてあります。 「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容をつくし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」(4:2)とであります。
使徒達にとって御言葉を伝えるための環境は、公に伝道することが認められていない事からしますと決してよくありません。それでも、使徒達の働きは、多くの実を結んでいきました。
仲間に加わろうとしない人達がいたとしても彼等は尊敬される程、教会の群れはよい印象を与えておりました。使徒達の働きは、隣の町へも伝わるという広がりもありました。また、彼等の働きは、使徒自身の力によらず、神様が働かれる時、彼等の働きは有効に用いられたのでありました。
もはや彼等を拘束出来る者は誰もいませんでした。 神様は、彼等に「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちの言葉を、ことごとく語りなさい。」と言われました。
私たちにも今朝、同じ様な言葉で語り掛けておられるのではないでしょうか。 そして、それに応答してゆく為には、たとい使徒達であっても、その基本にあったのは、彼らが祈りつつ、神様の助けを求めながら、伝えて行ったという事でありましょう。
とするなら、私たちもまた互いに心を一つにして、命の言葉を語る知恵と力を与えて下さるように祈り求める必要を感じさせられるのであります。 神様の力がお一人お一人に働かれるとき、もっともっと大きな収穫がこの教会に与えられるのではないでしょうか。
いのちのことばの素晴らしさをもう一度今朝確認し、喜びをもってこの場所から遣わされて行こうではありませんか。
2015年8月9日(日) 「神から出たもの」 使徒5:27-42 竹口牧師
前回は、サドカイ派の者達が使徒達を捕らえ留置しましたが、神様は不思議な方法で牢から出し、「行って宮の中に立ち、人々にこの命の言葉を、ことごとく語りなさい。」と命令し、解放された部分を見てきました。そして再び使徒達は捕えられました。
今回は、その捕えられた弟子達がエルサレム最高議会であるサンヘドリンでどの様に発言し、それに対して議会側は、どう対処するようになっていくかを見るのであります。まず、27節から32節までを見ることにします。
27、28節を見ますとこの様にでています。 「彼等が使徒達を連れて来て議会の中に立たせると、大祭司は使徒達を問いただして言った。『あの名によって教えてはならないと厳しく命じておいたのに、何ということだ。エルサレム中にあなた方の教えを広めてしまい、その上、あの人の血の責任を我々に負わせようとしているではないか。』とであります。つまり、ここには二つの点が述べられています。
一つは、第一回目に捕えた時に命じた、伝道活動の禁止に違反したという事、もう一つは、あの人つまりイエス・キリストを十字架で処刑した責任を今捕えている者の責任にしようとしている、と言う点であります。
ここで時を少し遡って見ますと十字架刑が執行された時の指導者達は、イエス様を処刑するよう総督ピラトに求めました。また大祭司達は、エルサレム市民をそそのかして「その人の血は、私たちや子供達の上に掛かってもいい」と叫ばせました(マタイ27:25 )。
あたかも、この時の事を知らないかの様に、あるいは忘れたかのように、大祭司達は、「あなたがたは、市民の人気を取って、あの罪の責任を私達だけになすりつけようとしている」と言っているのであります。
サドカイ派の者達はもしかしたら、第一回目留置し、また解放した時(使徒達を4章の所で)、まさかこれほど使徒達の活動が活発になるとは予想だにしていなかったのかも知れません。
しかし今や使徒達の働きは、中でもペテロの働きは、非常に多くの人々に知られ、エルサレムのみならず、付近の町々からも人伝えに聞き集まって来るようになっていました。そして、ある人達は霊肉ともに癒され、イエス・キリストを信じる者へと変えられていったのでした。人々の数といい、広がりといい、決してあなどれない状況にサドカイ人達は大変あわてざるを得なかったのであります。
ちょっと厳しくおどしておけば、すぐに収まるだろう等という甘い考えではいけない事に気付き始めた事でしょう。それだけではなく今回ペテロ達に議会で発言を許しますと、彼等はそれを聞いて怒り狂い、33節によりますと、殺そうとまで計るようになっていくのであります。ですから、使徒達は身の危険を感じたに違いありません。
しかし、この状況にたじろぐこともなく、5章の終りの部分では活発に行動して行く様子がわかります。
ところで、言論の自由、結社の自由が認められている現在のこの日本であっても、自分の意に添わない考え、集会に対して、嫌がらせの電話やあらゆる脅迫がなされているというのが現実であります。本の出版を見合わせるとか、 集会も問題を起こしたくないために会場の提供を事前に断る場合もおこっているのであります。
私たちのような国においてさえそうですから、当時の議会側を相手に立ち向かおうとしている弟子達にはどんなに危険であったことでしょうか。ペテロ達は大祭司の二つの訴えに対して29-32 節においてこのように答えていくのであります。
第一番目に、権威者への違反に対しては「人に従うより、神に従うべきです。」と答えました。これは4章19節の所で述べた言葉より随分短く、また断言した言葉であります。当時、イスラエルの最大の権力基盤である議会の前に立って、しかも宗教的、政治的権力は絶大であり、彼等は使徒達に死刑を宣告する事が出来たという状況にありながら、使徒達は大胆に議会と対立し、優先順位を正したのでした。
ところである本に出ていたことですが、生命の危険を犯してキリストの福音を伝えようとしている指導者にテレビのインタビューがあった時、その人はこういったそうであります。
「伝道する事に反対する人達の出来る最悪な事は私を殺す事でしょう。しかし、キリスト者に起こる最悪のことは死でしょうか?」とであります。 何とも大胆な発言ではないでしょうか。
イエス様もかつて言われました。 「体を殺しても、魂を殺せない人達など恐れてはいけません。そんなものより、魂も体も共にゲヘナで滅ぼす事の出来る方を恐れなさい。」とです。(マタイ10:28 )
テレビインタビューを受けたこの指導者は、真の神様がこの世を支配しておられると信じているからこそ言う事が出来た発言と言えるでしょう。そうでなければなかなか言えない事です。しかも、死後についても確信がなければなりません。
さて、大祭司の訴えの第二番目の、権威者への責任転嫁という点については、30,31 節で使徒達はこう言いました。 「私達の先祖の神は、あなた方が十字架に掛けて殺したイエスを甦らせたのです。そして神はイスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。」とです。
今30節の所にあります「十字架」と訳されている言葉がありますが、直訳では「木」であります。従って「木にかけて殺した」という事になります。そして、この木に架けられた人の事を旧約聖書の中の申命記21:22-23 にはこう書いてあります。
「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがたがこれを木につるす時は、その日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は神に呪われた者だからである。」とです。つまり、木につるしたのは処刑のためというより、死刑にされた死体をさらしものにすることにありました。 そしてユダヤ人達はそれを正にイエス様に対して行ったという事になります。 死刑と同時にさらしものであります。 しかし、この事実を少しよく考えて見ますと、「木に吊された者は神に呪われた者」とありながら、実はイエス様の場合、呪われた者となっていない事に お気付きでしょうか。
その事を、30,31 節の言葉で明らかにしているのです。 「私達の先祖の神は、あなた方が十字架にかけて殺したイエスを、甦らせたのです。」と。そしてもう一つ、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました」とです。
つまり、呪われた者になるどころか、ご自分の右に上げられたと言っています。従いまして、今後イエスの名によって伝道活動をしてはならないという禁止命令に対して、その命令を出した当時の指導者達の権威に従うよりも、神様の権威に従わねばならないという明瞭な根拠になっていると述べているのです。
ですから、大祭司が問いただして言いましたこの言葉、「あの人の血の責任を我々に負わせ様としているのではないか」というのに対して、責任を転嫁しているのではない。初めから彼等指導者たちに責任があったのだ。このことを認めて「悔い改め」「罪の赦し」を得るように神様は求めておられる、この事をも含めてペテロ達は話したのでありました。
弟子達は、ただ闇雲にイスラエルの指導者達の間違いを指摘したのではなく、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるためだったと迫ったのです。
考えてみますと、当時のイスラエルの指導者達に限らず、私達もかつては神様を知らず、認めず、イエス様を軽んじていました。神様の権威より、自分の考えやこの世の権威者の方を優先してきました。しかし、その様な私達をある日、ある時、神様は変えて下さったのであります。
それは、今も信じる者の内に住んでおられる聖霊様のお働きと導きによりました。神様のお働きを神様のお働きとして見る事が出来なかった私たちを神様は導いて見えるようにして下さったのでした。感謝なことです。 イエス・キリストが悔い改めと罪の赦しを私たちに与えるために、十字架に掛かってくださり、甦って神の右に座しておられることを私達は知っています。使徒達がキリストの証人であると同時に現在の私たちも同じキリストの証人であります。
それだけでなく、聖霊様ご自身もその事の証人となって下さっているのです。 ペテロ達の告白は、現在の私達の告白でもあります。そして、それゆえに恐れずして、この確信を人々に語って行きたいものです。
さて、第一番目は、大祭司の言葉に対して二つの反論を見ましたが、次に見ますのは大きい区分の第二番目、33節から39節までを扱います。 ここでは、ペテロ達の証言に議会の人々は怒り狂い、殺そうと計る事に対して、それをガマリエルという人が押さえ、説得する部分であります。
このガマリエルという人は、派閥から言いますと「パリサイ派」に属していまして、職業から言いますと「律法学者」、人気の点で言えば、「すべての人に尊敬されている」人でありました。
この使徒の働きの書の後の方でパウロという人が出てきますが、そのパウロの恩師でもあります(22:3)。普通のユダヤ教学者を「ラビ」というのに対して特に偉大な先生を「ラバン」をつけて呼ばれていました。
ですから、このガマリエルという人は「ラバン・ガマリエル・ハッザーケーン」という名でありました。当時の人々に相当尊敬されていたようであります。このガマリエルは、議会の中に立って、使徒達をしばらく外に出すように命じた後で、次のように議員に勧めたのであります。
彼は二つの歴史的例をあげました。 一つは、36節にありますように「先頃チゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者の様に言い、彼に従った男の数が400 人ありましたが結局、彼は殺され、従ったものはみな散らされて、跡形も無くなりました。」と。
チゥダとは「神の賜物」という意味であります。とても良い名前ですから当時この名前はよく用いられた事でしょう。 もう一つの例として、ガマリエルは37節で「人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者達もみな散らされてしまいました。」と述べております。
当時ユダヤは、ローマ帝国やヘロデ王家への反逆が度々起こっていました。今開いている書の21章38節にも四千人の刺客を引き連れて暴動を起こした人物の事が出ています。
ガマリエルは36,37 節の二つの例を述べながら、結論として、「あの人達から手を引き放っておきなさい。」というのであります。随分放任的な態度ではないでしょうか。それというのも、「その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまい、神から出たものならば、あなたがたには彼等を滅ぼすことは出来ないだろう。」という考えからでした。
彼の最後の言葉は少し議会に対して警告じみている様でもあります。 「もしかしたらあなた方は、神に敵対する者になってしまいます。」とさえ言うのですから。
ところで、律法学者であって、人々に尊敬されていたガマリエルは、今チュダとユダの二人の例を上げて、ゆくゆくはこのキリストの名を名のる集団もこの二人の例と同じ様な過程を辿るものと考えていました。
ですからペテロ達の集まりを、自分達の力で処理するというより、神の摂理に委ねるという、深い信頼と従順に基づいていました。そして放任するように提案したのであります。なかなかの信仰者の様に見えます。
ガマリエルはまたクリスチャンでは勿論ありませんから、使徒達とは考えを異にしていました。その異なる考えの人に対して、あくまでも寛容な精神を失わない様に努め、議員達にも冷静さを求めたのであります。結果がどうでるか。それは非常に興味あった事でしょう。
さて、もう一度、36節、37節に出てきた「チュダ」と「ユダ」という指導者の最後はどうなったかを見てみましょう。 それは「彼は殺され」「自分は滅び」たのでありました。 では、それと同じ様にキリスト教を考えていたかもしれないガマリエルは、この事実によって大きな間違いを犯している事に、みなさんは気付かれるでしょうか。
もうお分かりの様にそれは、弟子達の発言、つまり「キリストは、甦られて今も生きておられる」この点に違いがあるのです。 チゥダやユダは殺され、滅びた事を知りつつ、ガマリエルはパリサイ派でしたので、死人の復活を信じておりますので、使徒たちとチュダやユダとは、全く違う訳であります。
つまり弟子達の言うことを信じないで、チゥダとかユダと同じ様になると考えることによって、イエスの復活、昇天の証言を否定する立場をとった事になったのであります。その事に彼は気付いていたでしょうか。恐らく気づいていないでしょう。
キリスト教の伝道が、人からのものか、神からのものか、その結果は歴史により明らかになってきます。ならば、ガマリエルを初め議会の者達は今後どうするのでしょうか。ペテロ達の行動を取り締まることはしないだけでなく、ゆくゆくは、自らの考えも変えて従わなければならなくなってくるのであります。
ではガマリエルはその可能性を少しは頭に入れていたのでしょうか。 使徒達の前には寛容であると見せながら、実は、使徒達の教えは、神からのものではない。そういった考えを持っていた様であります。恐らく、神から出たものではないだろう。しかし、仮にも神からのものであっても私は従わない、否、決してそんな事があってはならないのだ。そういう思いでガマリエルは語っているようにも思えます。
ペテロ達は29節でこう言いました。 「人に従うより、神に従うべきです。」と。 それに対してガマリエルは「あの人達から手を引き、ほっておきなさい。……」と言いました。
一見して、寛容的であり、相手の言うことに耳を傾けているようですが、しかし、決して受け入れようとはしない。この状況を神様はどう見ておられるでしょうか。
イエス様はかつてこう言われました。 「わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしと共に集めないものは散らす者です。」とです。(ルカ11:23 )
キリスト教に理解を示す人はこの日本に多くおられます。しかし、キリストの教えを信じる人はほんの僅かです。本物か偽者か、神からのものか人からのものか分からない人、疑問のある人は、歴史の証言を待つまでもなく、聖書から今すぐ調べ始められたほうが良いでありましょう。
あるいはまた、たといクリスチャンであっても事実を確認する事は大いに有効でしょう。なぜなら、更に信仰が深まる事は確実だからです。是非やっていただきたいものです。
ところで、ガマリエルの話が終わった後、弟子達はどの様になったでしょうか。それが40-42 節で明らかにされています。ガマリエルの説得に応じた議会側は、使徒達を再び呼んで、彼等を鞭で打ってから釈放するのであります。
イエス様は以前、このように言われたことがありました。 「あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは、会堂で鞭打たれ、また、わたしの故に、総督や王達の前に立たされます。それは、彼等に対してあかしをするためです。」(マルコ13:9)
そして、その言葉のごとくまず、イエス様ご自身がその身に受けられました(ルカ22:63 )。そして今、弟子達もその鞭打ちを受けたのであります。それは、それは大変痛いものである事は私たちが経験しなくても想像だけでも十分に伝わってきます。人によってはショック死するとさえ言われる程のものでした。
その刑を受けた弟子達が議会から釈放されて出ていくのですが、その時の様子が何と、「御名のために辱められるに値する者とされた事を喜びながら、議会から出て行った」と記されているのです。
イエスの名によって語った事によって受けた苦しみ、しかしそれを彼等は苦しみとはせずに、むしろその事を喜びとしている姿、それを見る時に、彼等がいかに神様の真理に満たされていたかを感じないわけにはいかないのであります。
神から出たものか、人から出たものか。その答えを知っている者の強みといえないでしょうか。私達の歩みは、何かちょっとあればすぐに信仰がふらふらするようなひよわな信仰でありますが、ペテロ達の信仰は、迫害に対してはますます燃える信仰、それを神様からいただいていたのでありました。
そして、その様な信仰を私達も神様から与えて頂いている筈なのですが、実際はどうでしょうか。些細な事で悩む小さな信仰のように思われます。
しかし、まことの神様は、全てのものを造り、支配しておられる方であり、そのお方が私たちをも導いて下さっているのですから、どんな時にも神様に委ねた歩みをしたいものであります。
イエス様は言われました。 「人の子のために、人々があなたがたを憎む時、また、あなたがたを除名し、辱め、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸です。その日には喜びなさい。天ではあなた方の報いは大きいからです。(ルカ6:22-23 )」と。
あるいはまたペテロも手紙の中でこう書いています。 「もし、キリストの名の為に非難を受けるのなら、恥じることはありません。あなたがたは幸いです。」「キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名の故に神をあがめなさい。」(Tペテロ4:14,16 )。とであります。
使徒達は、迫害にあっても益々強くなって、イエス様の命令を守り、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けたのであります。それは42節にあります様に、宮においてあるいは各家庭において、行なわれたのであります。 使徒達に命令されたイエス様のことば、「全世界に出ていき全ての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15 )でした。それは即ち私たちに対する主の命令でもあります。
イエスがキリストすなわち、世の救い主であると大胆に述べ伝えた使徒達の宣教が神から出たものですから、私たちもまたこの世に神様によって遣わされていこうではありませんか。
2015年8月16日(日) 「役割分担」 使徒6:1-7 竹口牧師
エルサレム教会が成長し、拡大して行くに従い、いろいろな問題も発生してきました。その一つは、教会が受けた外からの迫害であり、もう一つは教会内部において起きた不祥事でした。
特には外部からはエルサレム議会による伝道禁止の命令、内部においてはアナニヤとサッピラによる献げ物を偽るという事件が上げられます。
そういう状況にありながらも、それらに勝利と解決を与えて神様は教会を祝福して下さいましたので、教会の成長の勢いは留まることを知りませんでした。
今朝は、そういう急成長している過程、移り変わっている中で起こった一つの問題を中心に、なぜ起こったのか、またどの様に彼等はそれを解決して行ったかを見る事に致します。そしてこれを通して私達の教会でも共通した点もありますので、教えられたいのであります。
今回起きた問題のそもそもの原因は、1節にありますように、「弟子達が増えるにつれて」という信仰者の増加にありました。聖書にありますこの頃の教会の状況は、組織という面においてはまだきちんとしたものがありませんでした。あると言えば、使徒達を中心にもの事が行われていたという事でありましょう。
ですから、信仰者が増加すればするだけ全体の統制をとるのは難しくなり、問題が起こってくるのは避けられない状況でした。
しかし今回の場合は特に、ただ単にそういう信仰者が増加したからという理由だけではありませんでした。増えた中身、質的にも違っていたという原因がありました。つまり、その増えた人達の構成している言葉、習慣、生活環境などの違いから、同じ信仰者同士の間に緊張関係が生じてきたのでありました。
今朝の聖書箇所の1節をもう一度見ていただきますとこの様にでております。 「その頃、弟子達が増えるにつれてギリシャ語を使うユダヤ人達が、ヘブル語を使うユダヤ人達に対して苦情を申し立てた。彼等の内のやもめ達が、毎日の配給でなおざりにされていたからである。」とであります。
今ここで言いますギリシャ語を使うユダヤ人とは、先祖伝来のヘブル語を忘れてギリシャ語を用い、ギリシャ語訳聖書を読んでいる外地で生まれた人達、例えば、ギリシャやローマなどで生まれ、生活した、外国育ちのユダヤ人のことであります。
そういう人達が祖国へ引っ越してきますと、当然、自分達だけの集まりを作りがちになります。たとえば、9節にありますように、「いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤから来た人々等が立ち上がって……」とある様にであります。
つまり、ギリシャ語を使うユダヤ人達がキリスト教に回心した場合、キリスト教会内に一つのグループを形成したのは、無理からぬ事でした。あるいは、外国住まいのギリシャ語を使うユダヤ人の中で、特に信仰深い人々は、歳をとると共にエルサレムのひざもとに葬むられたいと願って、祖国に帰ってくる事がかなりあった様であります。
そしてこの「外国育ちのユダヤ人達」の場合、老夫婦が移住した後、夫に先立たれた妻が、身寄りのないやもめとして取り残される例はしばしばあったのであります。
一方「生粋のユダヤ人」の場合は、若い者達と一緒に住んでいましたから身寄りのないやもめは必ずしもそう多くはありませんでした。従って、外国育ちのユダヤ人達に対しては特にそうしたやもめ達の世話をする責任を教会は、旧約の民に引き続いて果たしていたわけであります。
ところが、そうしていてもなお、今回の場合「外国育ちのユダヤ人達」の側から、『彼等のやもめたちが、毎日の生活援助の配給で、とかくないがしろにされている』と不平を言うようになっていたのでありました。
まあ、この様な不満は考えてみますと、起こるべくして起こったと言ってよいかもしれません。と言いますのも、急激な信者の増加に比べまして、この書の4章の終りにありましたが、献げ物は12使徒達の足元に置かれ、それが使徒達によって管理、運用されていたからであります。
大勢の信仰者達の世話を毎日、それも12人の使徒達だけが中心になって行っていたなら、なおざりにされたり、見過ごされたりする人が出てきても当然でありました。
人にはそれぞれ出来る限界と言うものがあるからであります。 ですから、これは使徒達が悪いとか、それを手伝っている人達が悪いとかという、そういう責任問題ではないのであります。いうなれば、教会が成長し、拡大して行くときに経験しなければならない一つの段階、あるいは過程だといえましょう。
教会を始めた当初2〜3人から30名位になった時、あるいはそれから60名位になって、更には一気に百名になった場合などなど、それぞれの段階で何かしら考えなければならない事柄が出てくるのは避けられないのだそうであります。
成長が急激であればある程、その対応に教会は追われる様になるのは必至です。しかし、この時大切なのは、どの成長段階にあっても、何か問題が起きた時に、どれだけ教会はそれを真剣に考え、祈りと導きの内により正しく解決出来るかにかかっています。
今、起きている現実をよく把握した上で、正しい対処方法を取り入れ最善の解決策を取る事が迫られるのです。決して、一つの不満や問題から発展して、人を責めたり、分裂したり、党派を作ったりしてはなりません。
私達のような小さな教会であっても、当然、教会員が30人であった頃と比べたなら、60数人にまでなった現在とでは、交わりにおいて、あるいは奉仕の面において、昔と同じ様に行われるのは大変難しくなりつつあることも、もしかしたら、以前からの会員の方々は感じておられるかもしれません。
と言いますか、長い間60人から70人を行ったり来たりして席が定着しておりますので、新会堂が完成する来年以降は、大変問題になりそうであります。 私どもの教会の事ではありませんが、ある教会の昔からの信者さんがこう言ったそうであります。
「この教会では、以前とは様子が違っている。あの頃は丁度よい人数で私達はみな、お互いを知っていた。今は、全体の4分の1の人達さえ分からない。 それに、30分早く来ていないと、誰かに席を取られてしまう。」と牧師に話したそうであります。
私達もその様な悩みを持てるほどに、主の御言葉を求めて集まって来る方々が起こされるよう願うものです。
新会堂は、同じ100名を想定して今考えられていますが、一人ひとりの席を広く取っていますので、余裕のある礼拝風景となります事は、皆さんにとっては、大変良いのではないかと思います。教会の活動に於いても、新会堂に相応しい出発をしたいとあれこれ考えているのが、現在であります。
ところで聖書に戻りますが、この頃の教会における信仰者は、自分の財産を献げ、その献げられたものを使徒達がそれぞれの必要に応じて配分しておりました。その仕事量がもう限界を越える状況になっていて、ギクシャクした面が出てきていたのが現実でした。
大体一人で出来る仕事量というものは、決まっています。 どんなに仕事をこなせる人でも、普通の人の10倍、20倍出来るという訳はありません。そういう点で言いますなら、同じような例が聖書の他の場所にもでております。
それは、昔イスラエル人がエジプトを出てカナン、つまり、現在のイスラエルに向かって荒野を旅している時の事でした。モ−セ一人がイスラエルの民全体のあらゆる問題、あらゆる事件を裁いていたことがありました。
何十万、何百万の人と家畜が移動している中ですから、恐らく、いろいろな事件や問題が起こったに違い在りません。その問題の質や量の多少に関係なく、モ−セの所に持ち出されていた訳でありました。
しかし、言うまでもなく、モーセにも限界というものがあり、そのぎりぎりのところまで来ていたのでありました。その事に気付いたモ−セのしゅうとは、こう言ってモ−セに助言を致しました。
「あなたのしていることは良くありません。あなたも、あなたと一緒にいる民も、きっと疲れ果ててしまいます。この事はあなたには重すぎますから、 あなたは一人でそれをする事は出来ません。……」と言って千人の長、百人の長、50人の長、10人の長を民の上に立てるように提案しました。そして、難しい事件のみをモ−セの所に持って行くよう助言したのでありました。( 出エジプト18:12-27)
このモ−セのしゅうとの助言は、正に適切であったといえましょう。 同じ様にこれから、使徒達が行おうとする事もまた、時に適って正しかったといえます。
2節で使徒達は全員を集めてこう言いました。 「私達が神の言葉を後回しにして食卓の事に仕えるのはよくありません。」と。 ここで注意していただきたいのは、この使徒達の言葉は決して食卓の事はどうでもよいといっている訳ではありません。御言葉が伝えられる事がおろそかになってはいけない、とそう言っているのであります。どちらも人にとって大切なことなのです。
ですから、ここではその大切な働きを分担しようと考えているのです。 私達の教会では、食事当番の方が責任をもって食事を作って下さっていますが、これもまた教会が活動するための重要な働きをしていますし、また大切な奉仕の部分なのであります。これによって、午後の活動が何の心配もなく続けられるのであります。
ですから、それに携わる人も、手伝う人もまたその大切な働きを担っている事を覚えながら、その責任を積極的に果たし仕えていただきたいのであります。
余談ですが、作ることの出来ない人も、配膳の準備や皿を洗う事などなども必要な奉仕のひとつであります。年齢、男女に関係なく、これからも奉仕をお願いする次第であります。
さて、今日の聖書箇所では、教会が組織化されていく途中の段階でありますので、食卓のことだけに仕えるというよりも、使徒職の他に新しい職務を認め、それを組織化しようとするものでありました。
これは今までにない事であり、この制度や組織を設ける事によって教会の運営がよりスムーズにいくようにする為でした。ですから、これを決めるにあたっては、教会内に分裂や対立や不調和を生み出してはなりません。従って、あてがわれた仕事の処理能力があればよい。そういうものでもありませんで、 教会の一致と建徳の為になる能力を必要としていました。
そこで使徒達は問題解決の為に、仕える人を選ぶ基準を示しました。それが3節に出ております。第一は、御霊に満ちた人、第二は知恵に満ちた人、第三は、評判の良い人であります。そして最後は、あなたがたの中からということでした。
あなたがたの中から、とは当然、エルサレムの教会の中からという事であります。どんなに有能であっても他の教会の人を呼んできて、その仕事に従事させなくても、神様は必要な人材をそれぞれのその教会の中に備えておられると使徒達は認めたのでありましょう。これは非常に大切な点です。ですから、私達の教会の役員も私達の教会員の中から選び出すことをするのです。
さて使徒達が提案した第一の資格は御霊に満ちた人という事ですが、それがどんな人のことでありましょうか。御霊に満ちるとは何か特殊のように思われますが、例えば、よく異言を語るとか、癒しの賜物を持っているとかそのように思われがちですが、ここではむしろ「評判の良い」模範的クリスチャンに当然なものとして語られています。
信仰生活を忠実に、また誠実に過している中に、聖霊の守りや導きが鮮やかに示されているクリスチャンこそ、御霊に満ちたクリスチャンであります。 また第二の資格は、知恵に満ちた人であります。 御霊と知恵とが一括されていることからも分かりますように、ここでの知恵は、御霊の実としての知恵のことです。 それは、御言葉の正しい理解とか、それを人々に示す働きに長じている人であります。そしてこの資格を備えた7人の筆頭に8節にありますようにステパノがあげられています。彼は「恵みと力とに満ち、人々の間で素晴しい不思議な業としるしを行っていた」という人でありました。
資格の第三は、評判の良い人です。 これはただ単に世間の聞こえがいいという程度のことではありません。この元々の意味は、「証しされている人」という事ですから、教会内でも世間でも裏表の無いクリスチャンだという、良い証しが出来ている人であります。
この様な条件を満たした人をどの様にして当時の人々は選んだのでしょうか。現在の私達が教会の役員を決めるように選挙で決めたのでしょうか。それとも、権威ある人がいて、その人が7人を選び、会衆はそれを承認し、使徒達の前に立たせたのでしょうか。実際のところは何もわかりません。
ただ言えますのは、使徒達の提案を会衆は皆承認し、会衆が7人を選んだということであります。そして、使徒達の前に立たせたのです。この選ばれた7人がみなギリシャ語名であるところから、全員が外国育ちのユダヤ人であったという人もいますが、これも定かではありません。
ただ、少なくとも、一人は、アンテオケの改宗者ニコラオと出ていますから、明らかに異邦人からの改宗者であったといえましょう。使徒達が選んだのではなく、会衆が選んだ。そして使徒達の前に立たせたということであります。 使徒達はそこで、手を彼等の上に置き、祈りました。
この任命に当たって行われた按手は、旧約時代から祝福を与えるためや、後継者を任命するために行われた行為でした(創世記48:13 以下: 民数記27:23 )。ここでは、新しい任務が彼等に与えられることを公にし、その働きに必要な神からの恵みが与えられる様に祝福を願い求めたのでした。
ですから、7人が按手を受けることによって聖霊の賜物が付与されたという事では決してありません。彼等はすでに聖霊に満たされた人々でした。
さて、この選ばれた7人は現在の私達の教会ではどういう役職に入るのでしょうか。教会の伝統的な考えで行きますと、「執事」と呼ばれています。「執事」は多くのキリスト教団体において限定された意味で、教会の財政事務に責任を負う人々に用いられています。
執事(deakon)という言葉の語源であるギリシャ語はここでは用いられていませんが同じ語源の名詞(daiakonia )が用いられています。それは、1節で「配給」,2節で「仕える」、4節で「奉仕」という事に共に用いられています。
ですから、さし当たって7人の任務については、施し物を分配する人達とするほうが適当でありましょうが、彼等の活動は、明らかに決してこの種の奉仕に限られていた訳ではありませんでした。
また彼等は教会内での指導者とみなされていたと思われます。 この書の著者であるルカは、選ばれた7人の中でも特に、ステパノとピリポの二人の活動を取り上げ、他の奉仕の分野でも良い働きをした事を明らかにしています。
使徒達の提案が受け入れられ、執事達が決まり、体制の整った教会は7節にありますように、「こうして神の言葉はますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常に増えて行った。そして多くの祭司達が次々に信仰に入った」のでありました。
教会内に発生した組織・制度上の問題も、分裂することなく、7人の選出により一段落し、教会は再び進展の道を辿り始めました。特に、多くの祭司達が次々に信仰に入ったとありますのは注目に値します。それはユダヤ教専門家をも説得できる程に、神学的にも充実し始めたことが伺えるからです。
現在、いろいろな教会が、さまざまな問題を抱えながらも、主にあって御言葉の宣教がなされていることを覚えるときに、神様の守りと導きを感じないわけには行きません。と同時に、私たちは絶えず、教会が負っている使命は この世に向かって御言葉の宣教をすることであるといつも確認しなければならないと言えましょう。
なぜなら、それを目指しながら、気が付いたら分裂し、御言葉宣教の能力を失っていたということにもなりかねないからであります。ギリシャ語を使うユダヤ人から発した苦情は、更に教会が大きくなる一つのステップになった事を見ながら、私たちもまた、さまざまな問題に、ぶっつかった時、最善を尽くしてそれに当たり、またそれが今まで以上に成長するためのステップとなるよう願います。
教会内のあらゆる奉仕、分担も、御言葉の宣教という使命の上にたっていなければなりません。また、あの人がしているから、手伝わなくても良いという訳でもありません。
それぞれの分野でそれぞれが助けを必要としているからです。パウロは言いました。「キリストによって、体全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」とです。(エペソ4:16)
今一度、教会の中における自分の位置というものを考え、積極的に、教会の奉仕に参与していこうではありませんか。また、神様が用いて下さるよう願い献げて行きたいものです。
2015年8月30日(日) 「主のための生と死」 使徒6:8-15 竹口牧師
昔も今も教会は、内側から外側から容赦なく試されています。先回も初代教会において、ギリシャ語を使うユダヤ人から「彼等のうちのやもめ達が、毎日の配給でなおざりにされてい」るという苦情が申し立てられ、ともすれば、ヘブル語を使うユダヤ人との間に教会が二分されるとも限らない状況が起きました。
しかし彼等は、使徒達の勧めに従って、食卓に仕える人を7人選び、任命し、その人達にあたらせることによって事の解決を計りました。この提案は、全員の承認するところとなり、7人が選ばれ、これが後の教会における執事の始まりとなりました。
彼らが活動する事によって、それまで以上に神様の言葉は伝えられ、エルサレムで弟子達の数が、非常な勢いで増えていきました。そして、こういう状況の中でまたもやキリスト教会は大きな試練を受けることになるのであります。
その大きな試練とは、一人の非常に長けている人に対して、それを喜ばないで、妬みや嫉妬の対象としていく。そのように進んで行ったことでありました。そしてその話しにステパノという人が登場するのであります。
彼は使徒達の提案によって食卓に当たる人として、選ばれた人であり、その基準は3節をみますと御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人を選ぶ事にあり、ステパノはまさにその通りでした。そして、選ばれたステパノも7人の内の一人でした。
8節によりますと更にこの様にあります。 「ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、素晴しい不思議なわざとしるしを行っていた」とです。恵みと力とに満ちていたとはどういう人だったのでしょうか。
使徒パウロによりますと、恵みとは、全く価なしの者が神からいただけるものである、とそう言います。(ローマ5:15: エペソ3:7 )恵みをいただく手段は信仰です。 しかし、その信仰も実は神様からの賜物である、とそのようにパウロはエペソ2:8 で言っています。つまり、恵みとは、人間の価値や資格を越えて、神様から与えられる一方的な憐れみを指し、ステパノはそれを頂いていたという事になります。
また力とは、かつてイエス様が昇天なさる時にこう言われた事がありました。 「聖霊があなた方の上に臨まれる時、あなたがたは力を受けます。」とであります。つまりこのイエス様の言葉のごとく、聖霊なる神様が信仰者一人一人にお働き下さって与えて下さる力、それによってステパノは満たされていた、ということになるわけです。
従ってその様な恵みと力とに満たされていたステパノであるゆえに「人々の間で、すばらしい不思議な業としるしを行う」事が出来たのでありました。この素晴しい不思議な業としるしとは、人々がそれを見て驚き、神様から遣わされたという天的な裏付けと後押しとを感じとれるほどのものでありました。
これまでは、「使徒達によって、多くの不思議な業とあかしの奇蹟が行われて(使徒2:43)いたのですが、今や、それは使徒達だけに限らず、ステパノにもその様な力が与えられていたということになります。
イエス様は使徒達の言葉による証言に力を与え、また、ステパノの奉仕による証言にも力を与えて、教会が、言葉においても奉仕においてもご自身を証しする証人として立てられたといえましょう。
ところで、「恵みと力とに満ち、人々の間で、不思議な業としるしを行っていた」ステパノに対して議論をもちかける者が出てきました。その人達は、9節にありますように、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジアから来た人々など……」でありました。
リベルテンとは「解放奴隷・自由にされた人」という意味で彼等の生い立ちをと言いますと、紀元前63年に、ロ−マのポンペイウス将軍によってユダヤが征服された時にユダヤ人は捕えられ、ローマに連れて行かれたのだそうです。そして、奴隷として売られた人々でありました。
彼等のうちのある者は解放されて、自国に帰り、エルサレムで自分達の会堂を作ったのでありました。この会堂にはクレネ人、つまり北アフリカのリビヤの海岸都市付近にいた人々がおりました。
かつてイエス様の十字架を無理やり負わされたシモンという人がいましたが、この人はクレネ出身のユダヤ人であったと思われます。またこの会堂には、アレキサンドリヤ人つまり、エジプト北海岸の一つの都市の人もおりましたし、
さらにはキリキヤ人、即ち小アジアの東南の沿海地帯にある人々もいました。 このキリキヤはパウロが生まれ育ったタルソという町のある所でも知られています。
この様にリベルテンの会堂に属する人々はみんな色々な所から集まって集会をもっていました。そんな彼等が9節の終りの方に在りますように立ち上がってステパノと議論したのであります。
一体何を議論したのでしょうか。 この頃のステパノの行動をある本はこの様に述べておりました。 「ステパノの行なっていた福音宣教は、ユダヤ人にとっては容認出来ないものであった。ステパノは、キリスト教信仰の視点にたって、ユダヤ教及びユダヤ主義者に対して激しい批判を行なっていた。
即ち、ユダヤ人にとって決して捨てることの出来ない2つの事柄、神殿と律法に関する新しい理解を、福音の立場から提示した」のだ、とであります。しかもその行為は、知恵と御霊によって、つまり神の知恵、それも御霊の導きの内に語っていたのですから、リベルテンの人々はステパノに対抗できるはずもありませんでした。
しかしリベルテンの人達はそれでも引き下がるような人達でもありませんでした。11節にありますように次の行動へと移って行ったのでありました。 「……彼らはある人をそそのかし、『私達は彼がモ−セと神とをけがす言葉を語るのを聞いた』」と言わせました。
大体、世界各地のヘレニスト、つまりギリシャ語を使うユダヤ人達は、ギリシャ語訳聖書を使い、神殿礼拝無しの信仰生活を送ってきていましたし、外国ではおおむねルーズでリベラルな考え方に染まっていたと思われます。
その様な人達の中でも、このリベルテンの会堂に属する人々は、その状況に満足すること無く、わざわざエルサレムに帰ってきて神殿の近くに集まって来ていたと言う程の人達ですから、非常に信仰熱心であったことが分かります。
先程も言いましたが、キリキヤのタルソ生まれのパウロもステパノ迫害者の中に名を連ねて、先祖伝来の律法に誰よりも熱心であったことは後に見ます8章1節などからも分かります。
この熱心なユダヤ教徒達にステパノは、ついには捕えられ、囚人として引かれて行くのであります。そして議会で裁判に掛けられることになります。このエルサレム議会には、今までに少なくとも2度、使徒達が捕えられ、尋問を受けました。しかも、その判決はどちらも「伝道してはならない」という厳しい禁止の命令が下ったという経過もありました。
ステパノが捕らえられたのはその後ですから、そして、恐らく議会のメンバーも殆ど変化していない。そういう状況の中で審議される事になって行くのであります。これはもう悪い判決が出るのを待つまでもなく、結果は決まっていたと言ってよいかも知れません。ステパノにとっては圧倒的に不利だったと言えましょう。
もっとも、ステパノが石で打ち殺されるといった最悪の事をこの時点で予想出来た人が果たしていたかどうかは分かりません。ステパノにとって訴えられた時の状況がさら悪いことには、リベルテンの人々は議会に対して偽りの証人を立てたのでありました。
申命記にはこういう御言葉があります。 「2人の証人または3人の証言によって、死刑に処さなければならない。ひとりの証言で死刑にしてはならない」とであります(17:6)
これは、より正確さを期するために神様がイスラエルに与えられた大切な配慮だったといえましょう。従って、その配慮はこの時のエルサレム最高議会にも取り入れられてはいました。
しかし、いくらその様な議会法にのっとって証人が立てられようとも偽証する人を立てているのですから、正しい判決が下るはずもありません。訴えた者の思う壺になっていくのであります。
ところで、今ここでの裁判の成り行きを見ます時に、それはちょうど、弟子達が受けた裁判以前にイエス様がこの同じ議会で裁かれた事を思い出さずにはおれないのであります。その記事の出ているマタイの福音書26章59節 から少し見たいのであります。
そこには、この様に出ています。マタイ26章59節です。 「さて、祭司長達と全議会は、イエスを処刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。偽証者が沢山出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後に二人の者が進み出て、言った。「この人は、わたしは神の神殿を壊して、それを三日のうちに立て直せる』と言いました。
そこで、大祭司は立ち上がってイエスにいった。「何をも答えないのですか。この人達が、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。しかし、イエスは黙っておられた。
それで大祭司はイエスに言った。「私は生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」そして64節に至って、イエス様は答えられました。「あなたの言う通りです」とであります。
この言葉を聞いて大祭司は、大変怒ったのは言うまでもありません。そして死刑の判決へと進んだのでありました。イエス様の言われた言葉を二人の証言者はその意味はよく理解していませんでしたが、偽りではありませんでした。 ではその言葉の本当の意味は何だったのでしょうか。それについてヨハネがこの様に記しています。次にヨハネの福音書2:19-22 節を御覧ください。 イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でこれを建てよう。」
そこで、ユダヤ人達は言った。 「この神殿を建てるのに46年かかりました。あなたはそれを三日で建てるのですか。」しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことをいわれたのである。それでイエスが死人の中から甦られた時、弟子達はイエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われた言葉とを信じた。」とであります。この真理を弟子たちが理解したのは、ずっとあとでした。
従って、リベルテンの人達は、真に熱心な信仰者であったとはいえ、ステパノの言葉を理解することは困難であったことでしょう。それだけに、その彼らの信仰は、あるいは熱心は、真に卑劣なやり方で偽証人を立て、自分達の都合の良いように進めようとしたのでありました。
彼らのこの姿を私たちはどの様にみればよいのでしょうか。律法に忠実な者達と見るべきでしょうか。
決してそういうことはできません。 律法に忠実ではなく、律法を破っているのであります。彼らは外見上、真の神様を礼拝しながら心では何のためらいもなく、偽証人を立て、ステパノを罪人にしようとしているのですから、冷静に考えれば、正しく行おうとして不正を行なっている、その事に気付かなければならなかったのでした。しかし、そうはなりませんでした。
もう一度使徒の働き6章に戻って見る事にしますが、ステパノに対する訴えとは一体どの様な内容のものだったかと言いますと、11節でリベルテンの人々はこう言わせます。
「私たちは彼がモ−セと神とを汚す言葉を語るのを聞いた。」と言わせたのでありました。 これはつまり、言わせた内容は、冒とく罪にあたります。 また13-14 節で偽証人はこう言います。 「この人は、この聖なる所と律法とに逆らう言葉を語るのをやめません。『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モ−セが私たちに伝えた慣例を変えてしまう。』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」とであります。
11節の「神を汚す」とは「この聖なる所」と言われている事に逆らうことを指します。また「モ−セを汚す」とは、モ−セの「律法」特に「モ−セが私たちに伝えた慣例」すなわち、儀式的律法に逆らうことであります。
それも「語るのを止めません。」といっていますから、がんこで首尾一貫した冒とく罪ということになります。ステパノが語って止めない冒とく的言葉とは、「あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モ−セが私たちに伝えた慣例を変えてしまう。」というものですが、ちょっと先の 7章48節を見て下されば分かりますように、 「しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。」預言者が語っている通りですといって、宮という建物そのものに意味を持たせることにステパノは問題を感じ、否定致しました。
しかし、これが即ち、決して聖所を壊すということではありませんでした。 先程イエス様が裁判を受けておられる所を見たときに「この神殿を壊してみなさい。私は、三日でそれを建てよう」と言われた事は、イエス様ご自身の からだである神殿のことであった事を見ました。
という事は、ステパノが宮での礼拝を否定したのは、主の宮での礼拝が、主ご自身において成就したということ。つまり、主を信じ、霊的礼拝を捧げない者は、正しく神礼拝をしていないということになるのです。たとい、その聖なる宮と言われている所で礼拝をしてもです。
これは皮肉な事ですが、真の聖所である主を十字架につけて殺したユダヤ人こそ、聖所を打ち壊した事にほかなりません。旧約で言われている事が、主イエス・キリストにおいて成就した、という点の分からないユダヤ人達には、ステパノの教えは、モ−セの律法に逆らう言葉と聞えたのでありました。 また主イエスご自身がモ−セによって与えられた慣例を変えてしまうのだとしか理解できなかったともいえます。 これらはユダヤ教の人々の立場からしますと、当然の成り行きだったかも知れません。そしていわゆるリベルテンの会堂に属するユダヤ教の信者達は、人々をそそのかし、また民衆や長老や律法学者達を煽動し、ステパノを死へと導いていくのであります。
しかし、ステパノは決して恐れることなく、又動じることなく、信じるところをはっきりと表明いたしました。15節にこう書いてあります。「議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。」とであります。それはまさに、変貌の山におけるイエス様のように(マタイ17:2)、神様が臨在され、共にいてくださる事実を示す輝きであり、それは神の栄光に包まれた御使いのようであった事でしょう。
願わくは、私たちの一生が、100歳を超える長生きをさせていただけるのも神さまの祝福に違いありませんが、若くても、神さまの教えに忠実であり、その教えを全うするなら、決して人生の長短が、その人に対する神さまの祝福を決めるものではない、その事を覚えたいのであります。
パウロは言いました。「私にとって、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」(ピリピ1:21)とであります。キリストに献げた一生でありたいものです。
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