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2015年9月6日(日) 「栄光の神」   使徒7:1-16    竹口牧師

先回私たちは、リベルテンの会堂に属する人々が、ステパノに議論をふっかけ民衆や長老、律法学者達を煽動し、ついにはステパノを議会にかけたところを見てきました。彼等の訴えは、エルサレム神殿とそれにまつわる儀式律法の廃棄を教えたという点で、これは、真の神とモ−セとを冒涜したという罪に当るとしました。

これに対して7章1節の所で、大祭司が「そのとおりか」とステパノに尋ねる所から今日の箇所は始まるのであります。ステパノはこの時発言する事を許され、話し始めるのですが、実に延々と話し続けるのであります。

彼の弁証は旧約聖書にあまりなじみの無い方が読まれますと、人名や地名が数多く出てきますので、何の事だかよく分からないと感じられるでしょうし、一体これが本当に弁証している事になっているのだろうか、そう思われるかも知れません。

あるいはまた、旧約聖書をある程度読んでおられる方ですと、イスラエルの歴史の大変大雑把な要約ではないか、そのように受け取られるかも知れません。ステパノはこの話の後、石打ちの刑に会うのですから、その事を考えに入れますと、もっと緊迫感がありそうなものですが、あまりその様な箇所は見当たりません。

が、私たちがこの聖書を読み進む中で、それらしく思える所は、せいぜい、51-53 節の結論の部分でありましょう。

とはいえ、ステパノにとっては最後の、そして最も公の舞台でありましたから、ただ相手の訴えに対して弁証するだけでなく、時間の許す限り、真理を語っておこうと言う意図があったに違いありません。

従いまして、ただ単に歴史を語っているという事に止まらず、そこにはしっかりとした目的があって語っている、とそういえましょう。そしてそれをこれから見て行こうとしているのであります。

さて、ステパノの弁証の第一の点は、彼が冒涜したと言われる「神」がどういうお方であり、そのお方にどの様に従うべきかを見る事ができます。

まず、彼はこう言って話しを始めます。
2節「兄弟達、父達よ。聞いてください。私達の父祖アブラハムが、カランに住む以前まだメソポタミヤにいた時、栄光の神が現れて……」とであります。ステパノは決してイスラエルの伝統に、いたずらに背いているのではない事を示すかのように丁重に語り出しています。そして2節の終りでは「栄光の神が現れて……」と話を進めるのであります。

今ここでこの「栄光の神」とはどういう神か、
という事を考えます時に、その一つの点は、土地と場所に束縛されず、どこにでもおられ、どこにでも現れ、どこででも栄光を現す方である、という事があげられましょう。

ステパノは言います。「私達の父祖アブラハムがカランに住む以前まだメソポタミヤにいた時、栄光の神が現れ…」られた。そして、その神が「あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け。」と言って命じられ、アブラハムは「カランに住み」つくようになりました。

そしてさらに、父の死後、神はアブラハムをこの地、つまり今、議員達が住んでいるイスラエルにお移しになったのだと言います。

ヨセフがエジプトに売りとばされても、9節にありますように、神は彼と共におられ、さらには、モ−セがミデヤンの地に身を寄せても(29)シナイ山の荒野でも現れてくださり、(30)33節では「あなたの足の靴を脱ぎなさい。あなたの立っている所は聖なる地である。」と神は言われた、そういうお方であると言っています。

「エジプトの地」「紅海」さらには「荒野」でモ−セに奇蹟を行わせ、また「イスラエルがカナンに攻め入った時も、その地の「異邦人を追い払い、その領土を取らせて下さった神は(45)、ヨセフと共におられただけでなく、イスラエルの歴史のどの段階においても、どの場面においてもどの舞台をとって見ても、「インマヌエル(神、我らと共にいます。)」というお方であったと言っているのであります。
そもそも、ステパノが神を冒涜した罪で訴えられたのは、無神論者の様に神の存在を否定したからではありません。6章13節にありましたように「この聖なる所と律法とに逆らう言葉を語るのをやめない」からというものでした。

しかし、栄光の神は「この聖なる所」というような一定の場所や土地に拘束されないお方であるとステパノは弁証するのであります。何と言う素晴らしい神様でしょうか。

ステパノの言うように真の神様は時代を越え、場所を越え、私達のこの礼拝の真ん中にもいて下さるのであります。

ところで、「栄光の神様」のもう一つの特長は、神殿いけにえ儀式という形だけで礼拝されるのではなく、色々な形の宗教生活、礼拝生活で交わりうるお方である、という事であります。

栄光の神様は、アブラハムがまだメソポタミヤにいて、何の契約も律法も儀式も持たない時に現れてくださり、お言葉をかけて下さいました(3) 。カナンに来て、何の相続財産も無い状態の素手のアブラハムに対して5節を見ていただきますと「約束」を与えておられるのであります。「この地を彼とその子孫に財産として与えることを」でした。

そうかと思えば、8節にありますように「割礼の契約」によって新しい関係に入って下さいました。あるいはモ−セに対して神様は、シナイ山の柴の燃える所を「聖なる地である」と言われ(33)、「荒野の集会」(38)でも、ソロモンの神殿でも(47)神様は礼拝を受け入れて下さいました。

その様な神様を信じているステパノに対して、彼を訴えている者達は、神様を冒涜したのは、聖所を軽んじたからであり、モ−セを冒涜したのは、神殿礼拝にまつわるモ−セの慣例が変わるかの様に主張したからだという訳であります。

しかしエルサレムの聖所は、長いイスラエルの歴史の中から見ますと、そんなに長く続いている訳ではありません。最初にソロモンの神殿が建てられますが、それは壊され、次に第二神殿とも言われていますゼルバベルの神殿が
バビロン帝国が崩壊した後に建てられますが、これも壊され、やがてヘロデによる神殿が建てられることになります。その間、さまざまな形で神様を礼拝せざるを得なかった。そういう現実がありました。

まだ神殿というものが無かった時にはあかしの幕屋であり、それは簡素なものでした。しかし、神様はそれでも受け入れて下さったのでした。アブラハムは99才の時、割礼を受け、神様との契約関係に入りましたが(創世記17:1-27 )、それ以前に彼はもうすでに、神様の選びの中で、契約関係に入れていただいておりました(創世記12:1-3)。つまりステパノのいう神様は、場所に拘束されず、生ける自由な、そして主権的な「栄光の神」として信じていたのでありました。

しかし、この事は勿論、神様は気まぐれに、どこにでも現れるとか、神礼拝は人間の勝手気ままに、どの様にしても良いと言う意味では決してありません。真の神様は歴史の中のある時期に、ある段階に応じて啓示し、交わって来られたという事であります。

従って、神様ご自身は何時の時代でも変わる事なく同じでありますけれども、しかし、その方を礼拝する仕方は、変わってくることは有り得るということであります。

たとえば、救い主イエス様が来られた現在の私達の礼拝は、時代を遡って初代教会が出来てまだ間がない時のその礼拝に対する姿勢は変わりませんが、その仕方、方法は明らかに違っているのではないでしょうか。そして当然ながら、この初代教会の時代とそれ以前のイエス様がまだ来られていない時とではやはりまた違っていたと考えられるのであります。

何故なら初代教会の時は、救い主イエス・キリストが来られていたのですから、それをあたかもまだ来ておられないかのように、救い主を待ち望む事は間違っていると言えるからです。

神様が永久に一つの場所や儀式に束縛されないと信じるステパノの場合、その信仰生活が、神殿にしがみついているユダヤ教徒とは大幅に違って来たことは当然でありましょう。それを明らかにするために、ステパノは、長い旧約の歴史の中で、神殿も幕屋もなかった頃の信仰の先輩達を例として引用するのであります。その人達の特長をこれから見て行く事にいたします。

まず栄光の神を信じる信仰の先輩達の第一の特徴は旅人であり、宿り人の態度でありました。神様はアブラハムに、子孫が「外国に移り住む…」と6節で言われ、29節では「モ−セは逃げて、ミデヤンの地に身を寄せ……」とあり、つまりは、寄留者になったとあるのであります。

ところでアブラハムの子孫の寄留は「400 年間」も続きます(6 )。モ−セの寄留生活は「そこで男の子二人をもうけた」ほどの長い「40」年にも及びます(29-30 )。ですから、ここでいう「寄留生活」とは、一時的滞在とか、永住とかという区別で考えられる仮住まいのことではありません。

彼等は生涯一つ所に住み通す事が出来たかも知れませんが、しかし、その場を最後のより所として腰を落ち着けてしまわない、その土地、近所づきあい、資産に頼りきらない態度で生きたと言うことであります。

この寄留生活の第一の表れは、3節にありますように、神様がアブラハムに「あなたの土地とあなたの親族を離れよ。」と命じられたことにありました。
そしてこれは、故郷、収入、不動産、身内を捨てる信仰であったのでした。
これをヘブル人への手紙11:15-16ではこの様に説明しています。

「もし、出てきた故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼等は、さらにすぐれた故郷、即ち、天の故郷にあこがれていたのです。」と書いています。

同じ信仰は、アブラハムが神の示される地に来た時、5節「ここでは、足の踏み場となるだけのものさえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした。」とあり、その事によって、彼は強められたのでした。

彼は“これでは約束が違う”と言ってさっさと里帰りをしませんで、ヘブル11:9にありますように、「信仰によって、彼は約束された地に他国人の様にして住み、同じ約束を共に相続するイサクやヤコブと共に天幕生活をしました。」とあるのであります。
さらには、きょうの5節にありますように「子供もなかった彼に対して、この地を彼とその子孫に財産として与えることを約束された」のでした。この時には、アブラハムの信仰は、いよいよ目に見える物に頼れない事を悟りました。ヘブル書の記者が11:13 でこう言う通りであります。

「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していたのです。」と。見えるところによらずの信仰でした。

あるいはまた、神の摂理への信頼が最も明らかになるのは、ヨセフ物語であります。9節にありますように「族長達はヨセフを妬んで彼をエジプトに売り飛ばしました。しかし神は彼と共におられ」摂理的に救って下さいました。

10節で神様は「あらゆる患難から彼を救いだし、エジプト王パロの前で、恵みと知恵をお与えになったので、パロは、彼をエジプトと王の家全体を治める大臣に任じました。」と、まことに、ヨセフの一生のどんでん返しと、それによるイスラエルの救いとは、ヨセフの信仰、即ち、神の摂理への全面的信頼によったものだと言えましょう。

神様は、一つの所や儀式に縛られる方ではありません。
どこでも、どんな形でも現れたもう生ける神様であられます。
従って、この神様と交わる人は、誰でも、どこであっても、目に見える所を捨てて、ただ神様の導きのみに全身を投げ掛ける人でなければならないと言えましょう。信頼しきった信仰でなければならないのです。

さて、もう一つの点を見てみたいと思います。
それは、栄光の神様を信じるアブラハムの子孫とはどいう人のことかであります。ステパノは8節でこう話しています。

「また神は、アブラハムに割礼の契約をお与えになりました。
こうして、彼にイサクが生まれました。
彼は八日目にイサクに割礼を施しました。
それからイサクにヤコブが生まれ、ヤコブに12人の族長が生まれました。」と。

ここはただ「生まれる」事だけでの繋がりではありません。
割礼を施すという神様の命令と契約、それが引き継がれてきていたのであります。生むと共に割礼を施すと言う二重の結び目によって後継者として来たのです。

しかしながら、イシュマエルはアブラハムの子でしたが、省略され、エサウはイサクから生まれましたが除かれました。それは、彼等は肉による割礼は受けていたのですが、信仰において心に割礼を受けておらず、契約のすえではなかったからでありました。

51節を見ていただきますと、そこでステパノが「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人達」と叫んでいるのはこの事なのであります。サンヘドリンの議員達もリベルテンの人達も、確かに肉によれば、アブラハムのすえ、割礼の儀式から見ても、契約の子孫でした。しかし、イシュマエルやエサウの様に、アブラハムからヤコブ、ヨセフへと流れる信仰の系列には属していなかったのであります。

ここでちょっとだけ、イエス様とユダヤ人との会話を取り上げたいのですが・・。時間の関係でヨハネの福音書8:30以下であることを申し上げ、読むのは、8:36,37節だけにします。こうあります。

「ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由なのです。わたしはあなたがたがアブラハムの子孫であることを知っています。しかし、あなたがたはわたしを殺そうとしています。私の言葉があなたがたのうちに入っていないからです。」以上です。

つまり、そこで言われている事は、わたし即ち、イエス様を殺そうとするあなた方は、アブラハムの子孫ではないという事であります。口先だけでイエス様を信じていても、首筋が堅くて自分の考えに固執する者は「アブラハムの子孫」ではない。「心と耳とに割礼を受けて」神様に全面的に信頼し切る人こそ、アブラハムの子孫だということです。

さて、私たちは今まで、私たちの信じている栄光の神様とはどんな方かをみてきました。その方がどんな方だったか、もう一度振り返ってみますと、栄光の神様は、土地とか場所とかに束縛されず、またどこにもおられ、どこにでも現われ、どこにでも栄光を現わす方であると言うことでした。イスラエルの歴史のどの段階、どの場面、どの舞台を取ってみても「インマヌエル『神われらとともにいます』」という方でした。

もう一つは、栄光の神様は、歴史の中のある時期に、ある段階に応じて交わって来られたということでした。従って、イエス様が来られた段階では、それに相応しい礼拝を捧げる必要が出てきたのであります。

イエス・キリストが来られているのに、救い主がまだ来ておられないかのごとく礼拝することは正しくないからです。神殿で礼拝を捧げても、その中心にキリストがおられ、その方を救い主として礼拝されなければならなかったのです。

さて、栄光の神様と言うことを見ましてから、次にその方を信じていた信仰の先輩者達の特徴を見ました。彼等は旅人であり、宿り人の態度であったということでした。また神様の摂理と導きに全面的に信頼しきった人達であった、ということも見ました。そして最後に、「心と耳とに割礼を受けている人」こそがアブラハムの子孫であるということでした。

この様に、栄光の神様とは、あるいはその神様を信じている信仰者の姿を見ながら、では一体、私たちの捧げているこの礼拝は、どうであろうかと考えさせられるのです。

私たちが信じている神様は、どんな方だろうかと確認させられるのです。
そして、正に、ステパノが言っているごとく、栄光の神様は、昔も今も変らない方であり、私たちに正しく礼拝するように求めておられることを覚えずにはおれないのです。

キリストなしの礼拝ではなく、キリストが中心の礼拝であり、心と耳とに割礼を受けた者こそが、アブラハムの子孫として礼拝を捧げるべきであると教えられるのです。
私たちの捧げているこの礼拝は、真の神様を礼拝するに相応しい場所であり、時であり、思いでしょうか。勿論、私はそう確信していますし、また皆さんもそうだと思います。

ならば、その様に、私たちを導いて下さった真の神様に感謝の祈りを捧げようではありませんか。そして来る週も来る週も変わらずに神様を第一とした歩みを続けさせて頂こうではありませんか。

私達は今、新しい会堂を建てつつあります。
それは、よりよい礼拝をお献げするためであります。
そのために、長い間祈り、待ち望んで来たのでした。
そして今まさに、与えられつつあるのです。
栄光の神様を正しく、心から礼拝させていただきたいものです。

2015年9月13日(日) 「モ−セとキリスト」    使徒7:17-43   竹口牧師 

今、私達は、ステパノがリベルテンの会堂に属する人達に、偽りの証言によって訴えられ、エルサレム議会で弁証している部分を見ています。
ステパノはこの機会に長々と話し続けるのでありますが、その中で先回は、栄光の神様とはどんなお方か、その神様を信じている信仰の先輩達はどの様な態度であったか、そして、「心と耳とに割礼を受けている人」とはどういう人かを見てきました。

これらの事は、ステパノが神への冒涜の罪にあたるとされた事に対して弁明するためでした。そして今回は、モ−セとその律法に対する反逆という訴えに対して、弁証している部分を見ようとしているのであります。

ステパノは、モ−セの前半の生涯を17-29 節において述べ、また30-36 節においては召命について述べており、更にまた、37-43 節までは、イスラエルの荒野の旅を話しながら、モ−セという人がどの様にしてイスラエル民族の指導者となったかを説明しています。

今回の聖書箇所を読んでいますとモ−セの歩みがイエス・キリストと共通している点がいくつかある事に気付かされます。その点をこれから少し見ていこうと思うのであります。

まず第一番目は、19節の言葉です。
「この王は、私たちの同胞に対して策略を巡らし、私たちの先祖を苦しめて、幼子を捨てさせ、生かしておけないようにしました。」とあります。

イスラエル人達がエジプトに身を寄せていた時、かつてのヨセフの働きを知らない王がエジプトに誕生致しました。そして、この王がイスラエルを苦しめて、「幼子を捨てさせ、生かして置けないようにした」のでありました。

それは、イスラエル人は多産であって、おびただしく増え、すこぶる強くなり、エジプトにとって脅威に思えてきたからでありました。従いまして、この時代に生まれてきたヘブル人の男の子は受難の時代であったと言えましょう。そういう中にモ−セは生まれたのでありました。

20節によりますと「彼は神の目にかなった、可愛らしい子で、三か月の間、父の家で育てられ」た事が出ています。可愛い自分の子供をもはや隠し通す事の出来なくなった親は仕方なく、川に捨てることになって行くのであります。あわよくば、誰かが拾って育ててくれることを願ってでした。
そこには、子供が誰かに拾われるという保証など少しもありませんでした。

ところで今、イエス様の誕生の時の事を思い出していただきますと、やはり同じ様に、まもなく死の危険にさらされる体験をされた事に気付かれると思います。

実は、イエス様も人となって来られ、ベツレヘムの小さな町にお生まれになってまもなくの事、このイエス様を恐れたヘロデ王は、ベツレヘムとその近辺の二才以下の男の子は残らず殺せと命令を下したのでありました。そこで御使いはヨセフに現れ、エジプトへ身を避ける様に告げたのであります。暗黒の中でモーセとキリストの両者は神様の守り無くしては生存が難しい状況でありました。

さて、共通の第二番目は25節の言葉です。
「彼は自分の手によって神が兄弟達に救いを与えようとしておられることを、皆が理解してくれるものと思っていましたが、彼等は理解しませんでした。」とあります。

モ−セは川に捨てられますが、後にエジプトの王の娘に拾われ、「エジプト人のあらゆる学問を教え込まれて」何不自由のない王子、教養人として育つのであります。しかしながら、やがて「40才になった頃、モ−セはその兄弟であるイスラエル人を顧みる心を起こす」のであります(23)。

そんなある時、自分の同胞である一人のヘブル人を、あるエジプト人が打っているのに出くわします。それを見たモ−セは、この時エジプト人を殺してヘブル人を助けたのでありました。ところが次の日、何と今度はヘブル人同士が争っているではありませんか。

そこで、モ−セは悪いほうに向って「なぜ自分の仲間を打つのか」と言って注意をしますと、27節にありますように、「隣人を傷つけていた者が、モ−セを押しのけてこう言いました。『誰があなたを、私たちの支配者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺した様に、私も殺すのか』」と言いました。モ−セはこの時、自分の手によって神が兄弟達に救いを与えようとしておられることを、みんなが理解してくれるものと思っていました。

が、彼等は理解しませんでした(25)。一方、イエス様はどうだったでしょうか。イエス様はこの地上に来られ、その生涯をかけて、神様について、救いについて、話してこられました。

がしかし、多くの人々には理解して貰えず、それどころか、ついには「十字架につけろ!十字架につけろ!!」とさえ言われ、排斥されて殺されたのでありました。両者は同じ様に、回りの無理解の中に立たされました。

さて、第三番目は36節の言葉に注目してください。
「この人が、つまりモ−セが、彼等を導き出し、エジプトの地で、紅海で、また40年間荒野で、不思議なわざと、しるしを行いました。」とあります。

モ−セはエジプトにいた時、その国を出る為に色々な不思議なわざを行いました(36)。ナイル川の水をことごとく血に変えたり、かえるやぶよ、あぶの異常発生をさせたり、疫病を起こさせたり、紅海ではエジプト軍の追っ手が迫る中で海を渡ったり等々でありました。その他にも多くの事があげられるでしょう。

そして同じ様に、イエス様もまた、多くの人の病を癒したり、湖の上を歩かれたり、風を叱って鎮められたりと、数々の奇蹟を行われたのでありました。イエス様については、ペテロはこの使徒の働き2:22節でこの様に言っています。

「イスラエルの人達。この言葉を聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で、力ある業と、不思議な業と、あかしの奇蹟を行われました。それらの事によって、神はあなた方に、この方のあかしをされたのです。」とであります。

モーセもイエス様も共に真に不思議なわざとしるしを行なったのでありました。

第四番目は、7:37節にご注目ください。
「このモ−セが、イスラエルの人々に、『神はあなたがたのために、私の様な一人の預言者をあなた方の兄弟達の中からお立てになる』と言ったのです。」とあります。

ここで、注目したいのは、モ−セが言った「私の様な一人の預言者をあなたがたの兄弟達の中からお立てになる」とは一体誰の事だったのでしょうか。その答は、この同じ使徒の働きの3:22節前後にあります。その所のペテロの言葉を御覧になれば、イエス・キリストを指している事が分かります。

つまりは、モ−セもあるいはまたイエス様も、神様とイスラエルとの間の仲保者としての働きをした、あるいはされたという共通点があることが分かります。

ステパノは、今日の聖書箇所の7:38節において、更にこの様に説明を加えています。「また、この人が、シナイ山で彼に語った御使いや私たちの先祖達と共に、荒野の集会において、生ける御言葉を授かり、あなたがたに与えたのです。」と。

今ここで「集会」と訳されています言葉は、他の場所では普通「教会」と訳されて使われています。従って荒野の集会とは、荒野の教会とも言う事が出来ます。モ−セは立派な宮や会堂の整のっていない「荒野の教会」で神様から「生ける御言葉を授かり…」イスラエルを指導したのでした。その後現れた多くの預言者達は、このモ−セの働きのように「生ける御言葉」を語り続けました。

ともすれば、形式的な宗教儀式に陥りやすいイスラエルに対して「生ける御言葉」を語り続けたのでありました。その預言者の流れを汲んだ人々の中で、ステパノがここに引用しているモ−セの預言の言葉、「私のような一人の預言者」とは即ち、先程も言いました様に、活ける御言葉を伝えた預言者達の頂点におられるイエス様の事を指しているのであります。

預言者達が絶えず行なってきた宗教改革は、イエス・キリストにおいて完全に成就したのでありました。ステパノはモ−セに逆らったと言って訴えられましたが、キリストに従わない者こそモ−セに逆らった者なのです。
なぜなら、イエス・キリストご自身も自分の事をこの様に言われているからであります。

ヨハネ5:45-47 節にあります。「わたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると思ってはなりません。あなたがたを訴える者は、あなたがたが望みをおいているモ−セです。
もしあなたがたがモ−セを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モ−セが書いたのはわたしの事だからです。
しかし、あなたがたがモ−セの書を信じないのであれば、どうしてわたしの言葉を信じるでしょう。」以上であります。

まさにそうなのです。モーセとモーセの書を信じなければ、イエス・キリストを信じる事が出来ないのです。

ところで、モ−セとイエス・キリストとの似た点は今迄に色々ありました。
繰り返しますけれども、二人は共に生れた時、死の危険にさらされる様な目に遭った事。
また回りの無理解の中に立たされた事。
あるいはまた、力ある業と不思議な業とを行なわれた事。
更に付け加えますなら、二人は共に荒野において試みを受けられたのでありました。

モ−セとイエス・キリストとはよく似ていました。がしかし、イエス・キリストはモ−セ以上のお方であった。この事は言うまでもありません。ヘブル書の記者が3章2-3 節でこう言っています。

「モ−セが神の家全体の為に忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実なのです。家よりも、家を建てる者が大きな栄誉を持つのと同様に、イエスはモ−セよりも大きな栄光を受けるのに相応しいものとされました。」とであります。

イスラエルの指導者達は、モ−セの教えに忠実に従っているものと思っていました。しかしながら、そのモ−セが指し示したイエス・キリストの教えに聞き従っていませんでした。

では彼等はどうなるのでしょうか。
それは言うまでもなく、彼等こそは裁かれなければならないと言うことです。
従ってステパノは39節からなおイスラエルがモ−セに聞き従わなかったことを述べますが、この事は即ちイエス様に従わないユダヤ教の罪をも取り上げる事になっていく事はお分かりでありましょう。

議会の人達にとって、これから述べます事がはっきり分かれば分かるほど、ステパノに対する憤りは益々強くなっていくのは目に見えるようであります。

今39節からのイスラエルの罪に入るその前に24-28 節にあります罪をみておきたいと思います。先ほども似た点の一つとして取り上げた箇所ですが、モ−セが40才の時、彼は自発的に救いの手を伸べようとしたことがありました。

しかし、イスラエル人はそれを理解せず、受け入れませんでした。
「だれがあなたを、私たちの支配者や裁判官にしたのか。
きのうエジプト人を殺したように、私も殺すきか。」という具合でありました。

恐らく、モ−セはがっくり来たに違いありません。
自分の行った事を理解するどころか、27節にありますように、モ−セを押しのける程の態度を示したからです。真に、この時のイスラエルは恩知らずだったといえましょう。

そして、イスラエルの第二番目の罪は、39節以下にあります。
エジプトにおいて数々の奇蹟を行い、紅海も渡り、神様から生ける御言葉を取りついできている途中で起こりました。イスラエルの人達は、神様の命令でモ−セがシナイ山に上っている時、こう言ってアロンに頼むのであります。
「私たちに先立っていく神々を作ってください。私たちをエジプトの地から導き出したモ−セは、どうなったのか分かりませんから。」そしてアロンは民の要求通り「金の子牛」を作ったのです。
彼等イスラエルは、子牛を作り、この偶像に供え物を捧げ、彼等の作った物を楽しんでいたのでありました。この事によって神様の怒りは一気に爆発するのですが、ステパノはイスラエルの民の心の内を39節でこの様に言っています。

「私達の先祖は彼に従う事を好まず、かえって退け、エジプトを懐かしく思って…」とであります。「懐かしく思って」とは欄外を見ていただきますと分かります様に、「心の中で振り向き」であります。

そして、このエジプトを振り向いた事をもう少し思い出していただきますと、この金の子牛を作った時ばかりでなく、何度も何度もエジプトを振り向いた事が上げられるのです。

例えば、後ろにエジプト軍、前に海というあの絶体絶命と思われた時、彼らが口にしたのは「エジプトに仕えるほうが……よかった。(出エジプト14:12 )」、と彼らは言ったのでした。

また、シンの荒野にいた時、食べ物がなくてこうモ−セに言いました。
「エジプトの地で肉鍋のそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていた時、私たちは主の手にかかって死んでいたら良かったのに。
(出エジプト16:3)」とでありました。

更には、レフィデムで宿営している時、水を求めて、
「一体、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのですか?
私や、子供達や家畜を渇きで死なせるのですか。
(出エジプト17:3)」とそう言ったのでした。

危機的な状況の中でイスラエルは、ますます神様に依り頼もうとするのではなく、むしろ神に頼っているそのモ−セから離れようとしたのでした。そして神の立てられた器であったモ−セに従う事を好まなかったのであります。否、好まなかったというより、逆らったのでした。

ステパノはその様な数々の不従順なイスラエルの例の中から特にこの金の子牛の場合を取り上げているのであります。そして、この様なイスラエルに対して神様はどの様な態度をおとりになったかをステパノは42,43 節で述べるのであります。

ステパノは言います。
「そこで、神は彼等に背を向け、彼等が天の星に仕えるままにされました……」とであります。神様が怒られ、それを表された罰のひとつは、彼等に背を向けられたことです。つまりイスラエルが、神とモ−セに背を向けた罪の罰として、神様ご自身もイスラエルに背を向け、冷淡になられたのでありました。

もう一つは、天の星、つまり異教の偶像神を拝むままに放置されたというのであります。ステパノはイスラエルの民のこの偶像礼拝を立証するために旧約の預言書アモス書を題材にしながら預言者達の書全体から語ったと言えましょう。

またこの聖書箇所はステパノがヘレニスト・ユダヤ教徒らによく分かるように考えユダヤ教徒のために作られたギリシャ語訳、いわゆる70人訳を引用し話したと思われます。

ステパノは51節以下からこう言います。
「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人達、あなたがたは、先祖達と同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が誰かあったでしょうか。……」と。

そして更に53節では、
「あなた方は、御使い達によって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」と厳しく言っています。「栄光の神」と生きた交わりをしていないリベルテンの人達、そして、モ−セの教えに忠実に従っていると言いながら、実は、そのモ−セの指さしていたイエス・キリストに気付いていない彼等、従っていない彼等を見る時に、現代の私たちの時代であっても、聖書読みの聖書知らずになっていないだろうかと先回に続いて今週もまた考えさせられるのであります。

色々なことをよく知り、また熱心であっても、私たちの仲保者、仲立ちとなって下さったイエス・キリストを抜きにした業、あるいはそのような礼拝は、どんなにむなしいことでしょうか。礼拝を捧げに集まってきながら、実は、
イエス・キリストが崇められないで、別のものが崇められ、何か別の物を礼拝していたならば、どんなに神様の怒りを買うことでしょうか。

多くのページを割き、否、時間を使ってモ−セのことを語ったステパノの本当の狙いは、モ−セとモ−セの律法に従うとは、私たちの唯一の救い主であり、仲介者であるイエス・キリストに従うことに他ならないと示したかったと言えましょう。

私たちはいま一度、そのイエス・キリストという方が私達にして下さった働きの数々を覚えながら、その方の命令に従うことがどんなに幸であるかを確認しようではありませんか。そして、イエス・キリストに従う事で、本当の幸いを心から味わい、喜び、主に感謝したいものです。

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