2015年10月4日(日) 「真の神の家」 使徒7:44-53 竹口牧師
今、私たちはステパノが捕らえられ、エルサレム議会で弁証させられている部分を見ています。その弁証の中で彼はまず、最初に、「栄光の神様」とはどんなお方かを語りました。
栄光の神様とは、土地とか場所とかに束縛されず、どこにでもおられ、どこにでも現れられ、どこにでも栄光を現す方であり、イスラエルのどの段階、どの場面、どの舞台を取ってみてもインマヌエル「神、我らと共にいます」という方であるという事でした。
次にステパノは「モ−セと律法」とはどんなものか、それを語りました。これは、モ−セとイエス・キリストとの類似点から見ました。モ−セもイエス・キリストも共に、生まれた当時、神様の守り無くしては生存が難しい状況だったということ、二人は共にイスラエルに理解されなかったということ、 更に、二人は共に不思議な業を行ったという事、等々がありました。
また一方で、共に似ていましたが、モ−セが指し示した「私の様な一人の預言者をあなたがた兄弟達の中からお立てになる」と言ったのは、イエス・キリストを指していたとも申し上げました。そしてこのイエス・キリストこそは、モ−セ以上のお方でありました。
従って、このイエス・キリストを信じ、受け入れ、従わない者は、モ−セおよび、モ−セの律法を破っているに他ならないという事でありました。そして今回は、最後にエルサレム神殿という「聖なる所」を汚したという冒涜罪の訴えに対して、真の神の家とは何であるかを論証している部分を見るのであります。
ステパノを訴えた人々に対して、彼はまず主の宮の変遷を44-47 節にかけて語ります。それは、モ−セの時代からヨシュアの時代へ、そして更にはダビデ、ソロモンの時代へと続いています。
まずは、44節から順に見て行く事に致します。44節にはこう出ています。 「私たちの先祖の為には、荒野にあかしの幕屋がありました。それは、見た通りの形に造れとモ−セに言われた方の命令通りに造られていました。」とであります。
モ−セは「あかしの幕屋」を神様の命令通りに作りました。材料、構造、また礼拝する仕方等々、モ−セがシナイ山に上った時、神様から教えられたその指示通りに従いました。詳しいことは出エジプト記25章〜31章にかけて御覧くださればお分かりいただけます。
イスラエルは荒野を旅していた時、その行った先々で宿営し、その場所で「あかしの幕屋」を組み立てて、神様を礼拝しました。モ−セが「あかしの幕屋」を造り、完成させたのは、彼等がエジプトを出てから「第二年目の第一の月、 その月の第一日」(出40:17 )でありました。
以後、彼等イスラエル人は、旅路にある間はいつも、雲が幕屋から上った時に旅立つのであります(出40:36-38)。彼等が荒野を移動するとき、あるいは宿営するとき、どんな時でも、幕屋を中央に置いていました(民2:17)。
カナンに定住した後は、ヨシュアによってシロの町に建てられました(ヨシュア18:1)。そして士師の時代に入りますと、ペリシテ人に契約の箱を奪われた事もありましたが(Tサムエル4:5-11) 、サウルの時代、アヒメレクを祭司としてノブに置かれましたし(Tサムエル21:1) 、イスラエルがペリシテ人との戦いで破れ、 シロの町が陥落した後は、ギブオン(T歴代16:39; 21:29) へと移された事もありました。
そういう過程を経た状況の中で46節にありますように、「ダビデは神の前に恵みをいただき、ヤコブの神のために御住まいを得たいと願い求めました。」しかしながら、皆さんよくご存じの通り、神様はダビデに向かって「あなたは、わたしの名の為に家を建ててはならない」と言われたのでした(T歴代22:8)。
そして、「あなたの息子の中から世継ぎを起こし、王国を確立させ、その子が一つの家を建てる(T歴代17:4-11)」と告げられたのでした。そしてそのごとく、歴史はなって行きました。
実際に神殿を建てたのは、ダビデの子のソロモンでした。 あかしの幕屋は、イスラエルが荒野を旅している間は、持ち運ぶ必要があり、従って移動式でした。また後に主の宮が造られる時には、その内部構造はそのまま受け継ぎ、外部だけが石造りの恒久的なもの、いつまでも変わらない物へと変えられて行きました。
さて、あかしの幕屋の構造を大まかに言いますと、長方形の形をし、内部は二つに分かれ、手前を聖所、その奥を至聖所と呼ばれました。そして、この至聖所の中に契約の箱が置かれていました。
更に、その契約の箱の中には十のことば、いわゆる十戒を刻んだ2枚の石の板が納められていました( 申命記 10:1-5) 。この十の言葉は、命令と言うより、神の御心を発表する神の言葉、宣言でありましたから、「あかし」と呼ばれましたし、あかしの板をおさめる箱は「あかしの箱」と呼ばれました。
また、幕屋全体を「あかしの幕屋」と呼びました。幕屋のもう一つの呼び名は、「会見の幕屋」でありました。神様がここでの礼拝を通して民と会見して下さる所だったからです。
イスラエルはこの幕屋で礼拝した時、何一つ神の像を見る事はありませんでしたが、神の「あかし」の御言葉によって神のご存在、ご性質、ご要求を知り、霊的に神と「会見」したのでした。ステパノは44節で「あかしの幕屋」が荒野にあったと言いました。
また38節においては、モ−セは「シナイ山で彼に語った御使いや私たちの先祖達と共に、荒野の集会において、生ける御言葉を授かり、あなたがたに与えたのです。」と言っています。
つまり、このあかしの幕屋は教会であったという事ができましょう。たとい荒野にあっても、ただの幕屋であっても、そこで生ける神の御言葉を聞き、神様と会見出来るなら、現在、私たちの時代にある教会と同じ事と言えましょう。
神様の御言葉の朗読がなされ、その説き明かしがなされ、それを通して神様を私たちが礼拝している時、そこには何等違いはないのであります。
かつてイエス様に最初に従った弟子アンデレは、兄弟シモンに出会った時、「私たちはメシヤ、(訳して言えば、キリスト)に会った」と言って、彼をイエス様の御元に連れて来た事がありました(ヨハネ1:41) 。
その様に、私たちも「私たちはメシヤに会った」と人に語って誘えるような教会でありたいと願うのです。幕屋は、神様が、ご自身を明らかにされ、その民と会見される場所ですから、人間がかってに工夫して造る事は許されません。神様ご自身が設計され、指図なさいました。聖所、至聖所の間取りや比率は全て神様のご指示通りに造られました。
44節にあります様に、「それは、見た通りの形に造れとモ−セに言われた方の命令通りに、造られていました」。その事は後の神殿でも同じで、神殿の聖所・至聖所の間取りは、全くあかしの幕屋と同じ比率、同じ構造のままでした。
神殿建立の準備をしたダビデ王は、「これら全ては、私に与えられた主の手による書き物にある。彼は、この仕様書のすべての仕事を賢く行う」とT歴代誌28:19 で述べております。つまり、幕屋にせよ、神殿にせよ、神の設計された「形」があって、それに基づいて造られる外見上の装いが変わっていただけなのであります。
ところで幕屋から神殿に移り変わってそれが恒久的な石造りとなり、エルサレムという一つ所に定まってしまうと、それはもう永久的なものとなってしまうのでしょうか。やがて来ます新天新地、新しい天、新しい地が現れる時にはどうなのでしょうか。
ヨハネの黙示録21:22 によりますとこう記されています。 「私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである(21:22 )。」とであります。
この世が過ぎ去って、新天新地が現れた時には、幕屋も神殿もなくなっているのであります。またヘブル書の記者はこうも記しています。へブル書8章5節から7節ですが、こうあります。
「その人達(すなわち大祭司)は、天にあるものの写しと影とに仕えているのであって、それらはモ−セが幕屋を建てようとした時、神から御告げを受けた通りのものです。
神はこう言われたのです。 『よく注意しなさい。山であなたに示された型に従って、全てのものを作りなさい。』しかし今、キリストは更にすぐれた務めを得られました。それは彼が、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらに優れた契約の仲介者であるからです。もし、あの初めの契約が欠けのないものであったなら、後のものが必要になる余地はなかったでしょう。」以上であります。
結局のところ、幕屋も神殿もキリストが来られるまでの一時的なものであり、さらには天国においてさえ、神殿はないのであります。
さて、その様な事実を踏まえて、手で造った神殿に固執する事の愚かしさをステパノは語ったのでした。48節で、「しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っている通りです。」といって、49,50 節においてイザヤ書66章1,2 節を引用するのであります。
そこにはこう書いてあります。 「主は言われる。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。あなたがたは、どのような家をわたしのために建てようとするのか。わたしの休む所とは、どこか。わたしの手が、これらのものをみな、造ったのではないか。」とであります。
ステパノの信じている神様、即ち、私たちの信じている神でもありますが、何と言うスケールの大きいことでしょうか。彼がどんなに不利な状況の中にあっても、それだからといって、自分の信じている神様を小さくしないで、否、むしろ、自分の信じている神様は、「天はわたしの王座、地はわたしの足台……」とされる方であると、御言葉を信じ、用いて、宮のような小さな器には入り切れない、そんな、どでかいお方であると言っている様でもあります。
ステパノがここで引用しましたのは、イザヤ書66章の1、2節の途中までですが、実はこの後の3,4 節には痛烈な言葉が続くのであります。彼はそれを語りませんでしたが、察しのいい、或いは聖書に詳しいユダヤ人達は、読み取ったに違いないのであります。
それはこんな言葉であります。 「牛を屠る者は、人を打ち殺す者。羊をいけにえにする者は、犬をくびり殺す者。穀物の捧げ物を捧げる者は、豚の血を捧げる者。乳香をささげる者は偶像を褒め称える者、実に彼等は自分勝手な道を選び、その心は忌むべき物を喜ぶ。
わたしも、彼等を虐待する事を選び、彼等に恐怖をもたらす。わたしが呼んでも誰も答えず、わたしが語り掛けても聞かず、わたしの目の前に悪を行い、わたしの喜ばない事を彼等が選んだからだ。」であります。
つまり、ステパノがイザヤ書66章を引用したとき、彼等は自分達のことを指して「人を打ち殺す者、犬をくびり殺す者、豚の血を捧げる者、偶像を褒めたたえる者等々」と言われた、そう受け取ったに違いないのであります。そしてこの事は議会の人達がどれだけ怒りに燃え上がったかを考えさせられるのであります。
それだけではありません。 今日の箇所の51-53 節にかけて、ステパノは一気に彼等の間違いを指摘しているのであります。54節を見ますと、「人々はこれを聞いて、腹わたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした」とあります様に、相当な怒りであったと思われます。
それでも彼等はよくもまあその怒りを制止できたものだと思います。今や、いつ彼等がステパノに襲いかかっても不思議ではない、そういう状況でありました。
ところで私たちはステパノの厳しい言葉を見ながら、この議会の人達と共に興奮しないで冷静になりたいのです。かつてイエス様が、人となってこの地上に来られた時に、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、誰一人父のみもとに来ることはありません」と言われました。
あるいはまた、「わたしを見た者は父を見たのです。」とも言われましたが(ヨハネ14:6,9)、しかし人々はイエス様をキリスト、救い主としては見ていませんでした。あるいは又イエス様が、「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」(ヨハネ2:19)と言って、ご自身の体の復活の事を教えられても、議会の人達は依然として手で造った宮にしがみついているのです。
あるいはまたイエス様が十字架につけられ、最後を遂げられた時、神殿の幕が真っふたつに裂けた事も起きました。しかしそれでもなお、彼等はユダヤ教から回心しようとはしませんでした。そういう頑固な状況であったのでした。
ヨハネの黙示録3章15節にこういう言葉があります。 「わたしはあなたの行ないを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたがたが冷たいか、熱いかであってほしい。」とです。しかし、議会の人達は冷たくもなく熱くもない。そんな中途半端では在りませんでした。
彼等はまさにこの黙示録の言葉を実行しているかのようで、徹底してステパノを陥れようと悪を図ったのでありました。そしてそれに対し、ステパノは受けて立ったのです。ユダヤ人達の間違った熱心がどんなに恐ろしいことへと発展していくか、この先はみなさんよくご存じの通りであります。
ステパノの殉教という最悪の事態をこの後迎えるのです。 私は自分の信仰の事を考えます時に、果たして神様に対して熱心であるだろうか、あるいはまたその評価と同時に、その熱心が正しい基礎の上に立っているのだろうかと問われているような気が致します。
私たちは絶えず、その事を確認しながら歩む事の必要を覚えさせられるのであります。信仰の成長に不熱心であってはなりませんし、また熱心であっても、間違った熱心は自分の信仰だけでなく、回りの人々にも悪い影響を大いに与えることになるのです。従って、よほどの注意が必要であると言えましょう。
パウロはローマ10:2-3節においてユダヤ人達の事をこう言いました。 「私は、彼等が神に対して熱心であることを証しします。しかし、その熱心は、知識に基づくものではありません。というのは、彼等は神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして神の義に従わなかったからです。」とです。 真に不幸な彼等だったと言わざるを得ません。
さて、今日の聖書箇所でステパノの言いたかった事をまとめて見ることにしますと、それは正しい心の伴わない、形式的な礼拝は礼拝ではないという点でありました。いくら主の宮で礼拝を捧げても、イエス・キリストを否定しての礼拝は、真の神様を礼拝しているとは言えないのであります。
ステパノは52節で言っています。 「あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が誰かあったでしょうか。彼等は、正しい方が来られることを前もって述べた人達を殺したが、今やあなた方が、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。」と言いました。
彼等の捧げているそのような礼拝は、頑なで、心と耳とに割礼を受けていない者のすることであり、聖霊に逆らっているということであります。建物の規模が問題ではありません。イエス・キリストよって、礼拝しているか否かが問われるのであります。イエス様はサマリヤの女の人とこの様な会話をされた事がありました。
彼女は言いました。「先生。あなたは預言者だと思います。私たちの先祖は、この山で礼拝しましたが、あなた方は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」(すると)「イエス様は彼女に言われました。『わたしの言う事を信じなさい。あなた方が父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時がきます。
救いはユダヤ人から出るのですから、私たちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊と真によって父を礼拝する時がきます。今がその時です。
父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。 神は霊ですから、神を礼拝する者は霊と真によって礼拝しなければなりません」(ヨハネ4:19-24 )と、そう言われたのです。
形だけの礼拝なら、サンヘドリンの人達も、パリサイ人達も熱心にしていたことです。しかし私たちは決して彼等のようであってはならないのです。私たちは聖霊なる神様の導きによって、彼等の間違った行動を教えられ、正しい礼拝の在り方を聖書を通して教えられているからです。
真の神の家、それは、イエス・キリストを中心に集まり、礼拝している場ということが出来ましょう。私たちはその場において、心から霊と真をもって、全てのものの造り主であり、支配者であられる方を正しく崇め、礼拝しているのであります。
私たちの主は「栄光と誉れと力とを受けるに相応しい方」なのです。 心から御名をほめたたえようではありませんか。
2015年10月11日(日) 「主のための命」 使徒7:54-60 竹口牧師
神とモ−セとに反逆し、聖所を破壊するというかどで訴えられたステパノは、イスラエルの歴史を振り返りながら、弁明を続けてきました。そしていよいよ最後に彼は、そのまとめのごとく51−53節においてこのように間違いを指摘しました。
51節「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人達。あなた方は先祖達と同様にいつも聖霊に逆らっているのです。あなた方の先祖が迫害しなかった預言者が誰かあったでしょうか。 彼等は正しい方が来られる事を前もって宣べた人達を殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。 あなたがたは、御使い達によって定められた律法を受けたが、それを守った事はありません。」とであります。
議会の人達の心は、正に鋭い矢で刺されたようでした。 今ステパノは裁判を1対70人で受けているのでありますから、何を言っても不利な状況でした。しかし彼は、恐れずに真理を語りました。
みんなが仲良くしていく為には、少しぐらい真理が曲げられてもいいではないか。どうしてそこまで言わなくてはいけないのだろう。もう少し、ものの言い方はなかったのだろうかと、とかく和というものを大切にしたがる人たちは、そう言いたくなります。
しかしながら、「あなた方の先祖が迫害しなかった預言者が誰かあったでしょうか。」とステパノが厳しく言いました様に、昔のイスラエルの人達はことごとく預言者に対してかたくなな態度を取ってきましたし、そして今や自分を訴えている彼等もステパノに対して偽証人を立て、民衆や長老、律法学者達を煽動し、立ち向かって来ていたのであります。
もはやここに至っては、ステパノは真理をそのまま伝える以外にはありませんでした。彼等がそれを聞いて受け入れるか否かはステパノが心配することではなく、神様がなさる事ですから、神様に委ねるしかありません。
彼等が心を一層かたくなにするか、あるいは、自分の罪を認めて悔い改めるか、どちらにしましても、厳しい言葉で迫られれば迫られる程、その答えはより明確になってくるのであります。
反発も大きいでしょうが、悔い改めへと導かれるなら、神様がして下さった行為に対しての感謝もまた大変大きいと言えましょう。しかし、そうはならないのです。
かつてペテロが聖霊のお働きによって人々に「神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなた方は十字架につけたのです。」と語った時がありました。
人々はそれを聞いて心を刺され、ペテロと他の使徒達に対して、「兄弟達。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言って、積極的に自分の罪を悔い改めようとした事がこの使徒の働き2章では見られます。(使徒2:36,37 )。
しかしながら、このサンヘドリンの議員達はどうかと言いますと、54節によれば悔い改めるどころか、ステパノに対して憎しみを一層新たにしたのでありました。ステパノの言葉は非常に厳しいものでしたが、彼が語ったその言葉の裏には、口ではいうことの出来ない愛があったことを私は見逃すわけにはいかないのであります。 今朝は、このステパノの最後の模様を見て行く事に致します。
まず54節から見てゆきますが、今も言いました様に、サンヘドリンの人達は、自分の罪を悔い改めるどころか、腹わたが煮え返る思いでステパノに向かって歯ぎしりしておりました。
「腹わたが煮え返る」、これは直訳では「のこぎりで引き切る」という事ですから怒りで彼等の心はずたずたに引き裂かれたというさまがよく分かります。もっとも自分の間違いを認め、神様の前に悔い改めるならば、その裂かれた傷口は一瞬にして消えてしまいます。
否、それどころか、裂かれた事を感謝すらするようになるはずなのでありますが、事態はそううまくは行きませんでした。悪い方へ悪い方へと進んでいくのであります。 この状況をステパノが察知しないはずはありません。そしてその事が自分にとってどのように跳ね返ってくるかも恐らく想像出来たでありましょう。ステパノは事態を落ち着いて受け止め、55節によりますと、
「聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見て」おりました。彼の心は、恐れではなく、平安そのものでした。昔の預言者達は、時の指導者や回りの人々を恐れることなく命を掛けて真理を語り続けましたように、ステパノも語るべき事はもはや語り終えたという満足感さえあるようでもあります。
ステパノは言いました。 「見なさい。天が開けて人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」とであります。 そしてこの言葉を聞いた人々は 「大声で叫びながら耳をおおい、一斉にステパノに殺到し」 ました(使徒7:56)。 今や議会は、議会らしからざる状況になってしまいました。
ところで、今55節の言葉をもう一度見ていただきますと、そこには「見なさい。天が開けて……」とあります。しかし、今ステパノは議場内にいるのですから見たのは外の青空ではないことが分ります。
という事は、言葉通り議員達は「見なさい」と言われて見上げれば変りばえしない天井を見ることになったはずであります。もっとも、そんなに素直に聞いて従う耳があったなら、彼等はもっと冷静に審理が出来たはずでありますが……。
何はともあれ、ステパノの霊の目にだけ56節にありますように、神の御座が超自然的に開き示されたと思われます。
彼は次にこう言いました。 「人の子が神の右に立っておられます。」と。 この「人の子」という言い方はダニエル書7:13に出てきます、 「見よ。人の子のような方が天の雲に乗って来られ、…」という預言から取られたメシヤ称号でありまして、イエス様がご自分の事を表すのによく用られた言い方でした。
ですから、ステパノが「人の子」といえば、当時の人々にとっては、メシヤを指し、しかもイエス様がよく使っておられたというふうに、すぐに分ったのであります。そこでステパノはイエス・キリストという名前を使わないで、この「人の子」という言い方を使ったのでありました。
イエス様は以前、こう言われたことがありました。 「私が言っても、あなたがたは決して信じないでしょうし、わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう。しかし今から後、人の子は神の大能の右の座に着きます。(ルカ22:67-69)」 とでありました。
つまり、ステパノが56節で 「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」と言ったのは、「神冒涜の罪で死刑にされたイエス様は、『正しい方』であった証拠としてあの裁判のときの証言通り、現に今、神の右におられる。」と言ったのであります。
ところでイエス様は、ご自分は「神の大能の右の座に着きます」と言われたのですが、ステパノは「神の右に立っておられる…」と言っていましてそこには違いがみられます。
この所の解釈を昔の多くのキリスト教教父達はこの様に解釈しているようです。即ち、「神の右に『座し』ておられたイエス様が、愛する僕を迎えるために、座から『立ち』上り、身を乗り出して下さる姿である。」とであります。もしかしたら、ステパノはその様に、『立ち』上り、身を乗り出して下さっている人の子、イエス様を見ていたのかも知れません。
さて、57節になりますと 「人々は大声で叫びながら耳をおおい一斉にステパノに殺到し」ます。かつてイエス様はこう言われました。 「…わたしの友であるあなたがたに言います。体を殺しても、後はそれ以上何も出来ない人間達を恐れてはいけません。 恐れなければならない方をあなたがたに教えてあげましょう。 殺した後でゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を 恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。 この方を恐れなさい。…」とでありました。
またこうもいわれました。 「…そこであなたがたに言います。 誰でも、わたしを人の前で認める者は、 人の子もまた、その人を神の御使い達の前で認めます。 しかし、わたしを人の前で知らないと言う者は、 神の御使い達の前で知らないと言われます。(ルカ12:4,5,8,9)」 とであります。
イエス様の執り成しと、迎えの幻に励まされて、ステパノは体を殺しても魂を滅ぼすことの出来ない者どもの前で、大胆に、人の子を言い表したのでありました。そして安らかに彼の霊をイエス様に委ねていくのであります。
さて、事態は大混乱のうちにステパノは議場から連れ出され、更には町の外に連れていかれ死刑執行へと進むのであります。 以前にもペテロ達が捕えられ、同じ所で裁判を受けましたが、彼等は脅迫、おどし鞭打ちの刑が行われただけでした。
しかし今回は、死刑が行われようとしているのであります。 それも、ステパノの言葉に興奮した人々の憤りが最高潮に達しているただ中にいわば成り行きに任せて行なわれようとしている。そんな感じすら私にはするのですが、事実はそうではありませんでした。
と言いますのは、聖書をよく読みますと分かるのですが、死刑を行うために、何と一つ一つ、規則どおり進められているからであります。まさに計画的であったとさえ言えましょう。
もっとも、正式な判決に基づく処刑ではありません。 なぜなら、イエス様を処刑した時の事を思い出していただきますと分かりますように、ユダヤの議会には死刑の執行権は与えられていなかったからであります。ロ−マ総督の許可が必要だったのです。従って、今回の処刑は、非合法でありました。
がローマはそれに対して黙認したと言う形になった様に思われます。 では、ユダヤ教の規則によればどうかと言いますと、レビ記にこういう言葉があります。
「あの、のろった者を宿営の外に連れ出し、それを聞いた者はすべて、その者の頭の上に手を置き、全会衆は、その者に石を投げて殺せ。」とであります。 またこうもあります。 「主の御名を冒涜する者は必ず殺されなければならない。 全会衆は必ずその者に石を投げて殺さなければならない。 在留異国人でも、この国に生まれた者でも、御名を冒涜するなら、殺される。 (レビ24:14,16) 」とです。
これらの言葉から考えますと、 人々はステパノを議会の建物から出しただけでなく58節を見ますと更に町の外に追い出していますし、次には証人が自分達の上着を脱ぎ、そして彼等は石を投げ付けているのであります。まさに計画的であったとさえ思えます。
ある注解書によりますと、一般的にユダヤ法に則って死刑を行うには次の様な順序で行われたそうであります。 「冒涜者はまず町の外へ引かれて行きます。市外の処刑場であります。 今回の場合、イエス様が処刑された所と同じだったかどうかは分かりませんが、ともかく処刑場に着くと、死刑執行地点の4キュビト約2mくらいでしょうか、 の所で囚人は衣を剥がされ、激しく鞭打たれ、それから少なくとも人の背丈の倍以上の高い崖の頂上に立たされ二人以上いる証人の一人が「囚人をまっさかさまにうつぶせに突き落とします。 囚人はこれで死ぬのですが、死ななければ第二の証人が大きな石を囚人の胸元めがけて落すのだそうです。その石は二人の手で担がねばならないほど大きいもので、従って、証人は上着を脱ぐのでした。
この大石の一撃を食らってもなお息がある時は、他の人が一斉に大小の石つぶてを投げて殺す」のだそうです。真に残酷無残であります。
ステパノの場合、彼等証人達が石を投げつけているのは分かりますが(59)、 他の人まで石を投げる必要があったかどうかは分かりません。
いずれにせよ、ロ−マ総督の許可が出たとも思われない非合法な処刑ではありましたが、自分達のやり方だけは律法どおり守るようでありました。この様な処刑の方法に対してステパノはどういう思いだったのでしょうか。
彼は最後の息をふり絞ってこう祈りました。 「主イエスよ。私の霊をお受けください。」とであります。 これは、主が十字架上で祈られたのとよく似ている事にお気付きでしょう。 「イエスは大声で叫んで言われた。 『父よ。わが霊を御手に委ねます。』こういって、息を引き取られた」 とルカの福音書にはあるからです(23:46)。
そればかりではありません。ステパノの最後の言葉、「主よ。この罪を彼等に負わせないで下さい。」もそっくりなのであります。イエス様はこう祈られました。 「父よ。彼等をお赦しください。 彼等は、何をしているのか自分でわからないのです。」と。
ルカは福音書と、この使徒の働きを書きましたが、主の死の模様を書いたその後でこの使徒の働きの書も書き、それも、ステパノの死を記すにあたって、殆ど同じ様な祈りの言葉で書いているのは、大変興味深いのであります。
殉教者ステパノは、まるで第二のキリストの様に死んで行った事になるからであります。これはキリスト者であるなら、このようにありたいと願うのではないでしょうか。私達は自分で、キリストが歩まれたごとく歩もうとするのですが、なかなか難しい事を常日頃感じさせられています。ましてや、死の時などはなおのこと、私には、同じ様に振る舞うことが出来るとはなかなか思えないのであります。皆さんはどうでしょうか。
自分と同じ様にみなさんを考えては申し訳ないのですが、自分の命を正に奪おうとする敵を前にして、その敵のために、主に向かって「主よ。この罪を彼等に負わせないでください。」とは、なかなか祈れないような気がするのであります。せめて、「主よ。お助け下さい」が精一杯ではないでしょうか。
ステパノは、いよいよ最後という状況にありながらも、自分のために祈るだけでなく、人のために祈る。それも、自分の命を取ろうとしている彼等のために、執り成しているのであります。
ある時、ペテロがイエス様に向かって 「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、 何度まで許すべきですか。7度まででしょうか。」 と聞いたことがありました。
その時、イエス様は「7度を70倍するまで」(マタイ18:21-22)と答えられました。まさに無限の愛を持って赦す様に言われたのでした。
一方、ステパノは命をも賭して祈っているのですから、何と言う愛に溢れた行為でありましょうか。それに比べて私達は、命どころか、些細な意見の食い違いの時でさえ、ともすれば受け入れる事ができなかったり、赦せなかったりするのであります。
ところが、ステパノは、最後のドタン場でも、イエス様の様な祈りをしたことを考えますときに、なるほど、彼がみんなの世話をする人として選ばれるに相応しい人だったのだなと思わされるのです。
私達が日々に忠実に神様に仕えて行く事の大切さは勿論の事、それを人生の最後の最後まで続けることが出来るなら何と幸いな事でしょうか。果して、私たちは日頃考えた通りに振るまい、かねてから準備していた事を言って 死んで行く事が出来るのでしょうか。
人生の最後にはもはや自分で自分を演ずる事は難しい。石で打たれるステパノの姿は正に目を覆うばかりの悲惨、そのものでありました。しかし、ルカは、全ての戦いを終えて天に帰っていったステパノのことを「眠りについた」 と記しています。 外側の悲惨さではなく、ステパノの内側の平安をあらわして終わっています。今生かされている私達は、私達に神様が与えて下さった一生の一部である事を覚えつつ、神様が召してくださるその時までステパノのごとく、喜んで主にお仕えしていきたいものであります。
ステパノが石打ちの刑にされる時、証人の服を預かる係りをしていたのはサウロでした。彼はキリスト教会にとって最も恐れられる人物となります。しかし、その彼がやがて神様によって全く変えられ、次のような言葉を残すのであります。
ロ−マ人への手紙14:8,9にこうあります。 「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。 ですから生きるにしても死ぬにしても私達は主のものです。」
もう一つ。第一テサロニケ5:10で 「主が私たちのために死んで下さったのは、私たちが目覚めていても、眠っていても、主と共に生きるためです。」とであります。
パウロを変えられた生ける真の神様は、私たちを変えることなどいとも簡単であります。ステパノが最後まで従い通すことが出来たのも、全能なる神様の助け、守りがあったからでありました。
生きるも死ぬも主の為だった。これがステパノの歩みでした。 私たちもまた、同じ様に神様から助けと導きをいただきながら一生の最後の最後まで主の為に歩ませて頂こうではありませんか。
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