2015年12月6日(日) 「教会の前進」 使徒9:19b-31 竹口牧師
先回は、キリスト者を迫害していたサウロがキリストに捕らえられ、回心した部分を見てきました。そして、今回はそのサウロが、どの様にして、教会に受け入れられ、活躍する様になって行くかを見ながら、教会が前進、発展する為の要素を少しみたいのであります。
今朝の聖書箇所は先ず第一に、19-25 節におきまして、サウロがダマスコで、どんなにキリストを宣べ伝えたかが述べられています。次に、26-29 節に置きまして、ダマスコのユダヤ人の迫害を逃れて、エルサレム教会の仲間入りをした事が記されています。そして、そこでもサウロはギリシャ語を使うユダヤ人達に命を狙われ、ついには、兄弟達がカイザリヤに連れて下り、タルソへと送り出してくれるところであります。 それに続きます31節にはこの様に記されています。「こうして教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地に渡り、築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数は増えて行った。」とであります。
私は、この一連の流れを読みながら、迫害者サウロが、教会の仲間に加えられた時、ダマスコに於いても、エルサレムに於いても彼がいなかった時に比べて、何かと問題が生じ、ついに彼はタルソに送り出されて、やっと教会は平安を取り戻したと思わず読んでしまったのであります。 或いは、今朝の聖書箇所よりももっと以前の所から読みますと、今まで迫害していたサウロが回心してくれたので、教会は迫害を免れ「平安を保ち」得たのだとも取れました。 しかし、よくよく読みますと実際のところはそうではないのであります。つまり、31節の「教会は……築き上げられて平安を保ち、……前進し続け…増えて行った。」という結果を生み出すには、それなりの素晴らしい理由があったというわけであります。
ではそれは一体何であったか、ということになってきます。 その理由をまず最初は、19-25 節までの間で見ることに致します。19節の途中から20節に掛けてこうあります。「サウロは数日の間、ダマスコの弟子達と共にいた。そして直ちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めました」とであります。ここでは、二つの点に注目して頂きたいのであります。 一つは、「ただちに……宣べ伝え始めた」という事、もう一つは、「イエスは神の子であると宣べ伝え始めた」という点であります。まず最初に「ただちに……宣べ伝え始めた」という点に目を向けますと、ここに教会が前進した理由の一つを見る事が出来ると言えましょう。 元はキリスト者を迫害者していたサウロでしたので、今までの自分が何をしてきたか、その過去にこだわらずにはおれないのですが、こだわらず、今、現在の信仰を率直に宣べ伝え始めたのでありました。 パウロが「直ちに……宣べ伝え始めた」というその事実には、自分が今まで間違っていた事をしていた。そういう反省も含まれていたでしょうが、その一方で、また真理を知った者が黙っている事の出来ない、伝えずにはおれない、そういう行動へと彼を走らせたと言えましょう。
この、伝えずにはおれなかったという点を考えますと、私は、旧約聖書の中で涙の預言者と言われますエレミヤの事を思い出すのであります。かつてそのエレミヤは、自分の話す事を人々が聞いてくれなかった時、このように告白しております。 「私は、『主の言葉を宣べ伝えまい。もう主の御名で語るまい。』と思いましたが、主のみ言葉は私の心の中で、骨の中に閉じ込められて燃え盛る火の様になり、私は内にしまって置くのに疲れて耐えられません。私が多くのささやきを聞いたからです。」(エレ20:9,10 )、と言っております。 もう語るまいと思っても、内にしまって置く事ができなかったエレミヤ。 たといパウロであっても状況の違いこそあれ、彼を通して働かれる聖霊ご自身の導きに逆らう事は出来なかったでありましょう。
第二の点は、彼は直ちに宣べ伝え始めたのですが、その宣べ伝えたものとは一体何であったのか、という点であります。お分かりのように「イエスは神の子である」と言う事でした。これは、とても大切な点であります。と言いますのも、サウロはイエス様にお会いする前までは、イエスは神ではない。救い主ではない。甦ったのではない。と否定してきていたからです。またイエスは神である。救い主である。甦った方であるとそう信じている者を彼は積極的に捕らえていたからです。 しかし、今やダマスコ途上で、イエス・キリストに会ってからというものは、自らの間違いを認め、はっきりとイエス・キリストこそ、神の子、神そのお方であると宣べ伝えるに至ったのでした。27節の終りの方を見て頂きますと、彼はダマスコにおいて、「イエスの御名を大胆に述べた」事が記されていますし、28節では、「主の御名によって大胆に語った」ともでているのであります。 彼が救われて間もなく「イエスは神の子である」と強力に宣べ伝え始めた事は、最初の頃が、人々を大変戸惑わせました。21節にある通りです。「この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者達を滅ぼした者ではありませんか。ここへやって来たのも、彼等を縛って祭司長達の所へ引いて行く為ではないのですか。」とそう見られていたのでした。 確かに、考えてみますと、昨日のパウロと今のパウロの言う事がまるっきり逆になったのですから、回りの人々が戸惑ったのも無理はありません。 しかし、パウロ自身はそれを少しも恥じなかったのでした。真の悔い改めは、それまでの自分の考えや生き方をすっかり捨てて、主に生きるようになるからであります。 キリストこそ真の神であると知った彼は、それを隠す事も、心の中に止めて置く事もしませんでしたし、また出来なかったのであります。そしてその事はまた、当時の教会の人々の信仰の確信を更に強めていったように思われるのです。 パウロの変わり様と、又、その事をして下さった真の神さまのお働きを 信仰者達が見た時、当時の彼等も、じっとしてはおれなかったのでありました。 かくして、教会は今まで以上に活動が活発になったと言えましょう。
ところで、23節になりますと、「多くの日数がたって後……」とでております。この23節と22節との間には、先回も少しだけ触れましたが、ガラテヤ書1:17,18 の記事が入ってくると思われます。 即ち、彼は救われて後3年間、アラビアの地で過した、という出来事であります。アラビヤと言いますと、ナバテヤ王国のダマスコ付近からシナイ半島までの広い範囲の地域を差しますが、その中でも彼は比較的ダマスコに近い場所に退き、一人、神との交わりを持ったと一般的に考えられています。 彼はそこで十分に神様に取り扱われ、主の選びの器として訓練を受けたことでありましょう。そして再びダマスコへと戻ってくるのであります。が、そこで彼が経験したのは、命を狙われるという事でありました。 彼はこの時のことを第二コリント11:32,33でこの様に述べております。「ダマスコではアレタ王の代官が、私を捕えようとしてダマスコの町を監視しました。そのとき私は、城壁の窓からかごでつり降ろされ、彼の手をのがれました。」とであります。 ユダヤ人の要求によってアレタ王の代官までもが、パウロの逮捕に手を貸しましたので、彼を助けるために、城壁の窓からかごで吊り下ろさざるを得なかったというのであります。 以前は、彼はキリスト者の信仰と命を奪うものでありました。そして今は、逆にそうされるようになっていたのであります。恐らくかつての仲間ではなかったでしょうか。この時、教会はそんな危険な状況にあったサウロを黙ってみていたでしょうか。
勿論、そんな事はありませんでした。 教会はすでに、キリストを信じ受け入れたサウロを兄弟として守り、また助け出そうとする。その思い、行動、またその為の人を備えていたのであります。過去のことを問わず、現在の彼の姿を見て、命をかけて兄弟として守り、ダマスコから逃がしてくれたのでありました。 信じた者の過去にはこだわらない。受容的な教会の姿を私はここに見るのであります。一度、神様の前に明確に悔い改めた者を彼等は兄弟として受け入れ、共に行動するようになっているのがお分かりでしょうか。 いつまでも過去にこだわって受け入れない人もいますが、教会は、悔い改めた人に関して明確な切り替えが必要です。今はどうであるのかという状況に目を止めてはっきりと切り替えることが大切であると言えましょう。
サウロは後にこう書いています。 「だれでもキリストのうちにあるならその人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、みよ。全てが新しくなりました」とであります。 正に、サウロはキリストによって変えられ、彼の回りのクリスチャン達も彼に対して変えられていたのでありました。 もっとも、この事はダマスコに於いてのことでありまして、後に彼は、26節を見ますとエルサレムに着きますが、そこでもまた、以前の彼の行動のゆえに警戒され、恐れられ、受け入れられない状況に遭遇するのであります。 しかし幸いなことに、ここでもまた、その状況打開のために神様は、バルナバという人を備えておられました。そして多くのクリスチャン達の不信を晴らす働きをそのバルナバにさせられるのであります。 バルナバとは「慰めの子」という意味でありまして、彼は、すでに4章の所で登場していました。4:36において、彼は自分の畑を売り、その売った代金を教会に持ってきて献げた人であります。丁度その後にアナニヤとサッピラという人の話がありまして、その二人とは対照的で、バルナバは惜しみ無く捧げる人であったということを以前見たことでありました。 このバルナバが今、まだ誰もサウロと言う人物を信用していなかった時に、彼を受入れ、兄弟達の前で説明した事は何と言う大きな働きだったでしょうか。教会の中で、サウロの件に関して、仲間に入れるか入れないかをもし多数決を取ったなら、恐らく大半の人が仲間に入れない側に回ったと思われます。
仮に大多数の者が仲間に入れるのに賛成であったとしても、あるいはこの逆ではないかと思うのですが、少しでも反対者がいたなら、採決は慎重に行われなければならない、これはそれ程、重要な問題なのでありました。 しかし、この時、バルナバは現在のサウロの真実の姿を語り、良く説明をしたのでありました。かくしてエルサレム教会はサウロが、弟子達と共に、自由に出入りできるように機会を与え、サウロ自身、主のみ名によって大胆に語りました。 ダマスコにおいても、このエルサレムにおいても最初は誰でも警戒しました。また、して当然でありました。なぜなら、言うまでもなく仲間のような行動をしながら、実はスパイであったという例は、キリスト教撲滅の時代にはいくらでもあったからです。
しかしバルナバは、サウロを擁護し、教会はそのサウロを受入れたのであります。ここにエルサレム教会においても彼等の受容的な姿を私は見るのであります。ある人の過去を知らない、分らない故に警戒する、と言う事はあります。 しかしサウロの場合、そうではなく、彼の過去を十分過ぎる位知っているが故に一層警戒感をエルサレムの教会の人達は持ちました。しかし、にも拘らず彼等はサウロを受け入れていったのであります。何と言う素晴らしい決断だったでしょうか。
私達の教会の中にも、バルナバのような兄弟がいて、或いは姉妹でもいいのですが、いろいろな状況の人を理解する人がいて欲しいし、また神様が備えて下さることを願うのです。そして教会全体が正しい方向に導かれて行くなら、必ず前進して行くでありましょう。
サウロのこれからの働きをこの時、誰が予測できたでしょうか。恐らく彼の目が見えなくなっていて、ダマスコで祈っていた時、彼の所に遣わされたアナニヤでさえ、神様が言われた言葉、「あの人は私の名を異邦人、王達、イスラエルの子孫の前に運ぶ、私の選びの器です。」という言葉をどれ程理解していたか疑問なのであります。
神様の選びの器を、彼等は自分達の肉的、経験的な判断ではなく、聖霊の導きによる、受容的な判断でサウロを受け入れて行きました。私たちの教会にも、この様な受け入れる能力をもっと与えられたいと私は願うのです。教会は聖潔であり、神様の前に清くなければなりません。 神様の御名を汚す様な者を会員として迎える事は特に避けなければなりません。しかし、そこには、正しい判断も必要となって来るのです。従って、神様が与えようとしておられる大切な器を、私たちの過去の経験、先入観から間違った結論を出さないように気を付けようではありませんか。
さて、29節を見ますと、サウロはエルサレム教会に受け入れられてから、自分がタルソ生まれで、ギリシャ語を話していましたので、まずギリシャ語を話すユダヤ人に伝道したようであります。しかしそのうちには、サウロの命を狙う者がやがて出て来るようになるのであります。 その結果、ダマスコにいた時と同じ様に、兄弟達は、サウロの命を気遣い、彼の生まれたタルソへと送り出す事になって行くのでありました。なかなか彼の落ち着き場所は与えられませんでした。 もっとも、後には、彼はあちこちに旅行し、一か所に留まらないで伝道する人になっていくのは皆さんよくご存じの通りであります。31節の言葉をもう一度お読みしたいと思います。「こうして教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地に渡り、築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数が増えて行った。」とあります。
サウロという一人の人間が、悔い改め、あちこちでの迫害を止めたから教会が前進して行ったというのでは決してなかった事がお分かりでしょう。教会が前進して行った第一の理由は、「直ちに……宣べ伝え始めた」サウロの様に、キリストに変えられた者達が、迫害を恐れず、そして喜びに満たされて、積極的にその遣わされた所で、でキリストを宣べ伝えたからでありました。
ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤへと福音がエルサレムから散らされた人々によって宣べ伝えられなければ、今回のその広がりは無かったでありましょう。これは、現在の私達の教会においても同じ事が言えます。即ち、外に向かっての積極的な伝道の働きをしていく事の大切さであります。
第二の要因は、伝道の中身ということになります。 サウロは「イエスは神の子である」と宣べ伝えるようになりました。 これはイスラエル人達が長い間望んでいたメシヤである事を指しています。 救い主であるということであります。
かつて、ペテロは4:12において、こう言って説教しました。 「この方以外には、誰によっても救いはありません。(この方とは勿論、イエス・キリストの事であります。) 世界中でこの御名の他には、私達が救われるべき名としては、どの様な名も、人間には与えられていないからです。」とであります。 私達もこの事実にますます堅く立って、熱心に伝えていく者とならせて頂こうではありませんか。
第三番目の要因は、一旦キリストに繋がれた者は、その人の過去の事は問わず、受け入れて行くと言う受容的な面の必要性でありました。バルナバの果した役割はとても大きいものでした。と同時に、そのバルナバの意見を受け入れた教会の受容度も大変大きかったと言えましょう。 私達の教会もその様な大きな器に今よりももっと大きく変えて下さる様にと神に願っていきたいものであります。
第四番目は、今までの様な結果へ進むことができたのは、他でもない、聖霊なる神様の強力な働きがあったからです。教会が外に向って、内に向って、積極的に活動できる為には、また平安を保つには、そして主を恐れかしこむには、聖霊の励ましが彼等の上にあったということであります。
そして同じ様に、私達の教会の上にも聖霊なる神様のお働きがなければ、同じ前進を、望むことは出来ないのです。聖霊なる神様が、私たち信仰者一人一人の上に臨んで下さり、その上で尚かつ、私達は直ちに、イエス・キリストは神です、救い主ですとはっきりと力強く宣べ伝えなければなりません。 また、そう告白するもの同志、互いに過去の失敗を忘れ、互いに愛し合いながら、同じ目標に向かって前進することでありましょう。昔も今も変わられない生ける真の神イエス様が、私たちを豊かに用い、更に活発にして下さるようにと願うものです。 クリスマスのある月に入ったこの時こそ、伝道のチャンスとして用いようではありませんか。あるいはまた、来会者には完成する新会堂を用いて活発に活動したいものです。 「」
2015年12月27日(日) 「主にある力と生命」 使徒9:32-43 竹口牧師
使徒の働きの中では特にペテロとパウロの二人が活躍するのですが、その中で、パウロの活動を見た後で、再びペテロの活動を私たちはこの朝は見ることになります。 イエス・キリストの福音が、エルサレムから始まってユダヤあるいはサマリヤへと広がって行く中で、使徒ペテロは、あちこちと新しく生まれて行くキリスト者の群れを巡回し、指導していました。
今回の聖書箇所の最初32節にも、「ペテロはあらゆる所を巡回したが、ルダに住む聖徒達の所へも下って行った」とある通りでありました。ペテロのこの働きを考えます時に、彼はキリスト教会全体を監督する立場にあったことが分かります。 ところで、今回まず登場しますルダと言う町についてですが、旧約時代にはロドと呼ばれていまして(T歴代8:12: エズラ2:32: ネヘミヤ11:35 )、かなり古くからありました。 位置的にはエルサレムの西北方向に40KM辺りの所にあります。また、そこを通り過ぎて約15km程行きますと地中海に面した港町ヨッパがあります。このヨッパは、その昔、ヨナが主のみ顔を避けてタルシシュへ逃れようとして下って行ったその所でもあります。今回は36節からの話しに出てきます。
ではまず、二つの大きな奇蹟のうちの最初のもの、病気の癒しの部分を見ることに致します。33,34節に書いてあるのですが、ルダの町に「8年の間も床に着いているアイネヤという人がいました。 彼の病気は中風でありまして、その人に向かってペテロはこう言いました。「アイネヤ。イエス・キリストがあなたを癒して下さるのです。立ち上がりなさい。そして、自分で床を整えなさい。」と。 ここには私達信仰者にとって大切な教えが含まれている事に気付かされます。即ち、病気と信仰との関係です。私達は病気にかかった時、その重さにもよりますが、医者に掛かったり、薬を飲んだりします。 ある人は、非常に我慢強く、出来るだけそういう物に頼らないで頑張ってみる。そういう方もおられます。が、私などは特に虚弱体質だと自覚しておりますので、決して無理を致しません。過去何回か我慢をして、何とか自分の体力で治そうと試みた事がありましたが、良くなったためしはありませんでした。むしろ、病状が進んで治りが遅くなったものでした。 ですから結局は、早めに医者に行く事に現在はしております。従って、最近ではどんな些細な病気でも、医者にかかっております。それが、不信仰だと言われる方が、もしかしたらおられるかもしれませんが、私は、決して不信仰だとは思っておりません。 むしろ、神の宮である体を肉体的にも健全に保つことの方が、実に信仰的だと信じております。それぞれが与えられています抗体というものが、強い人、弱い人がいますから、一律に不信仰と決めつけることは、正しくはないでしょう。 見るからに華奢な体つきの私が、今日ここまで来れたのは、神様のお守り、導き以外の何ものでもありません。早めに医者に行くことが、功を奏してか、今まであまり大きな病気には至らずにやって来ることができました。
ところで、病気は医者が直すのか、薬がなおすのか。はたまた、キリスト者は、そのようなものに頼って良いのか、そういう問い掛けも起きて参ります。 旧約聖書の中の第二歴代誌16:12 を見ますと、ユダの国の王アサという人の事が出ています。 そのアサ王は両足が病気になり、しかもその病気は重かったと出ていまして、その所で、歴代誌の著者は、「ところがその病の中でさえ、彼は主を求める事をしないで、逆に医者を求めた」と記しているのであります。 そして、この箇所からかどうか分かりませんが、クリスチャンのある人達の中には、医者に掛ったり、薬を飲んだりすることは不信仰で、ただ神に頼り、祈って直す事が信仰的だとそう考えているグループもいるのであります。 が、果たしてそうでしょうか。 神様はこの世のある人には医者と言う職業を与え、病んでいる人を癒すのを許しておられる事を考えますと、あながち医者にかかる事が即、不信仰とは言えないとわたしは思うのであります。 自分の病気を癒すための方法、手段と、それに対する信仰との関係はどの様に受け止めれば良いのでしょうか。
ペテロが言っております。 「イエス・キリストがあなたを癒して下さるのです。」とです。 この言葉は大変重要だといえましょう。 つまり、病気を癒して下さるのはイエス様であるという事です。 それと共に、その癒して下さる方法にも、いろいろあるという事でありましょう。 医者を通して薬によって、運動によって、食事療法によって、などなど方法はさまざまであります。が、そこで私たちがどうしても忘れてならないのは、 神様がそれらを用いて最善を成してくださる、と言う事なのであります。
ところで、8年間も中風で床に着いていたアイネヤ。 彼は癒される事を信じて待っていたのでしょうか? 慢性の病人にとって、誰しも直る事に対して諦めがちになってくるのは普通でしょう。 しかし、クリスチャンであるなら、それは決して信仰的とはいえません。 なぜなら、神様に不可能な事はないからです。 それ故、神の御心ならば、必ず癒されるという望みを私達クリスチャンはいつでも持ち続けなければならない。そういう事ができるでしょう。
もう一つの注意点があります。 それは、体が不自由で人の手に頼らなくてはならない事が長く続いた場合、人がしてくれるのが当然のように考えてしまう事の危険です。 時には甘える事も必要でしょう。 が、今自分の出来そうな事は自分でしようと、心がけながら療養に当たる事は、その人にとってとても大切なのであります。
勿論、例外があるのは言うまでもありません。 ペテロはアイネヤに言っております。 「立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」と。 自分の事は自分でする様にペテロは命令しているのです。 最初、アイネヤは、ペテロの言葉に戸惑いを覚えたかも知れません。 と言いますのも、寝たきりの自分に、「立て、」と命じられ、 またそれだけでなく、「自分で床を整えなさい」とまで言われたからです。 そんな事が今、自分には出来ると果たして彼は考えられたでしょうか。ですからペテロは言うのです。「イエス・キリストがあなたを癒してくださるのです」とです。その言葉には、彼の信仰が掛かっていたように思われます。 アイネヤには、イエス・キリストを信じる信仰があったかどうか分かりませんが、32節では、ペテロがあらゆる所を巡回し、ルダに住む聖徒達の所へ下り、33節では、そこにはアイネヤという人がいたとありますので、たとい信じていなかったにしましても、キリストの福音を聞いたことがあったに違い有りません。少なくとも今、彼は、信じて立ち上がるのであります。 有り難い事に、彼は癒されていました。 そして、この出来事は本人の驚きもさる事ながら、35節にありますように 「ルダとサロンに住む人々は皆、アイネヤを見て、主に立ち返った」程でありました。主のなさった大いなる業に人々は驚き、同時に彼らの心も変えられたのでした。
こういう出来事を読みます時に、私は本当に主イエス様にある力というものにひかれます。と言いますのは、「イエス様はどんな事でも出来る」と信じていて、信じた通りになり、どうして信仰者は驚き、また喜ぶのか。これもまた不思議と言えば不思議な事だからです。 ただ、私達の信仰と言うものは、徐々に深められて行くものですから、その様な経験をしながら、信仰の高峰へと更に深められていく事も確かでありましょう。
ところで、ここで私たちは、注意しなければならない事があります。 それは、気を付けないと、イエス様に目を向けないで、業を行なった人、つまりこの場合、ペテロに目を奪われやすいという事です。 そしてあたかも彼が癒す力を持ち、それによって直したと取りやすい事であります。幸いにして、ルダとサロンに住む人々は皆、主に目を向けた事は何と言う正しい、導きであったでしょうか。 彼等の心の目が主に向けられていた故に、彼等の心も大きく変えられていったのであります。素晴らしい業を行う人、またその業から益を受ける人、更には、その回りにいる人すべてが、主の導きの中にいるのです。素晴らしい光景ではないでしょうか。
かつて、弟子のヨハネがイエス様にこう言った事があります。「先生。先生の名前を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」と。 するとイエス様はヨハネにこう言われました。 「止めさせることはありません。私の名を唱えて、力あるわざを行いながら、すぐ後で、わたしを悪く言えるものはいないのです。」(マル9:38,39 ) つまり、イエス様の名前を語って他にも業を行なう者がいたようであります。 その事を考えますとイエス様にどれだけの力が秘められているかがお分かりでしょう。
さて、今回はもう一人の人が登場致します。 それは、アラム語でタビタ、ギリシャ語ではドルカス即ち、「かもしか」という意味の名の人です。 旧約聖書ではこの言葉は「美しい、やさしい、すばやい者」などの比喩に使われています(雅歌2:9,17,; 8:14 Uサムエル 2:18)。彼女は弟子の一人で、生前、多くの良い業と施しをしていました。しかしその彼女は今や、病気になって死んでしまい、人々はその遺体を洗って、屋上の間に置いておりました。 彼女の身寄りについて考えてみます時に、41節には、彼女が死んだ時、その場に「聖徒達とやもめ達」が登場しているのですが、家族は出てきておりませんので、やもめであったのかもしれないと言われております。 また彼女の生前の歩みにおきましては、自分の持てる賜物を十分に生かして、即ち、その賜物とは、針仕事だったようですが、それで下着や上着の数々を作っては、やもめ達に与えて、大変喜ばれていたようであります。そんな彼女でしたから、その死は多くの人々に大変惜しまれ、また深い悲しみを誘っていたのでありました。 ところで、彼女の死んだ所のヨッパは、ルダという町に近かった事から、もしかしたら、ルダでペテロが中風のアイネヤを癒したというニュースがヨッパにも伝わっていたのかも知れません。 弟子達は二人の人を遣わしてペテロを呼びに行くのであります。 何をペテロに求めて、ヨッパからルダに彼等は遣わされたのでしょうか。 この時、ヨッパの人達の心には、もしかしたらタビタは生き返らせて貰えるかもしれない。そういう考えがあったのでしょうか。 もう死んでいるタビタを前にしてなお希望を捨てていなかったなら、何と言う信仰の大きさでしょうか。否、それとも、神様がタビタをこれまで用いて来られた、その体ゆえに、死んでしまったとはいえ、その遺体を厳かに葬ろうと考え、ペテロにその式をお願いしようと考えたのでしょうか。いずれにしましても死んだ人に対する彼らの信仰的な思いが伝わってくるようであります。
さて、ペテロが連れて来られた時、回りの人々は彼女の生前の行ないをペテロに話して聞かせたのでありました。その情景は恐らくこんな感じではなかったでしょうか。「いま着ているこの下着、今身に着けている、ほら、この上着、これらはみんな彼女のおかげです。」という具合に、であります。 彼女の生前の行いが真実であった事を彼等は一生懸命表したでありましょう。タビタの様な歩みをした人に最も相応しいと思える御言葉があります。 それは、黙示録の14:13 です。 「…今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。『御霊も言われる。』しかり。彼等はその労苦から解き放されて休むことができる。彼等の行いは彼等について行くからである。」とであります。 タビタの行なった事に対して主は豊かな報いを与えられる事でありましょう。と同時に、まだ生きている人にとっては、ダビタはこの世を去りましたが、実は、タビタの作品がタビタの人柄をいつまでも記念させ、彼女という人を飾り立て、なお語っていたのであります。 「主にあって死ぬ」人とは、この様な人の事を言うのではないでしょうか。
さて、ルダから招かれたペテロは、まず最初に何をしたかと言いますと、40節にあります様に、皆の者を外に出し、それからひざまずいて祈ったのでありました。そしてその遺体の方を向いて「タビタ。起きなさい。」とそういいました。すると、彼女は目を開け、ペテロを見て起き上がったのでありました。 ところで、このペテロのやり方は、かつてイエス様が会堂管理者ヤイロの娘を生き返らされた時と同じ様な経過を辿っていることに気付かれる方もおられるでありましょう。(マルコ5:22-24; 35-43)。例えば、人を外に出された事、手を貸して立たせられた事、彼女が生き返ったのを見せられた事、などであります。 しかし、その一方で、この二つの奇蹟には根本的な点で大きな違いがあることも見過ごせません。それは、イエス様は、ご自分の力で娘を生き返らせましたが、ペテロは、ひざまずいて祈り、主に願ってから「タビタ。起きなさい」と命じた事であります。 タビタという言葉は、アラム語ですから、アラム語で呼び掛けたペテロの言葉は「タビタ、クミ」となります。イエス様が会堂司ヤイロの娘を生き返された時の言葉が「タリタ、クミ」ですから、非常によく似ているといえます。たったの「ビ」と「リ」の違いだけです。 言葉はよく似てはいますが、そこには大きな違いがあります。 なぜなら、イエス様の言われた「タリタ、クミ」とは、 「わたしが立たせるから、娘よ。起きなさい。」であり、 ペテロの場合は「タビタ、クミ」、すなわち、 「主が立たせて下さるから、タビタよ。起きなさい」という勧めだからです。
最初に取り上げました中風の人にペテロが話しかけた時の言葉も「アイネヤ。イエス・キリストがあなたを癒して下さるのです。 立ち上がりなさい。」でありまして、全く同じキリストを証言する言葉となっているのであります。 42節を見ますと「この事がヨッパじゅうに知れ渡り、多くの人々が主を信じた」という結果となりました。これは35節で「ルダとサロンに住む人々は皆アイネヤを見て、主に立ち返った」という出来事に続く大きなものでありました。 栄光を現わされたのはペテロではなく、主だったのです。 私たちの罪のために、この地上に、人となって来てくださり、私たちの罪の身代りの死を遂げてくださった、そして今は甦り、天に座しておられるイエス・キリスト、その方が癒してくださったのであります。生き返らせてくださったのです。 イエス・キリストにこそ、力と生命が秘められているのです。 私たちはアイネヤのように、あるいはタビタのように、この当時と同じ様な形での奇蹟は求めません。なぜなら、イエス様の時代、あるいは使徒達の時代は、奇蹟によってイエス・キリストとその救いを表されたからであります。
即ち、イエス様は神の子であるということ、また使徒達が教会の礎として主に任命されているのだ、という証しのために、それら奇蹟を用いられたからです。現在の私たちには、神の御心を知らせるに十分な完結した啓示の書である聖書が与えられています。従って、当時の様な形での奇跡を持ってして 私たちに語られる必要はなくなりました。 しかし、その事によって、私たちのさまざまな願いに神様は答えられなくなったと考えるのは間違いです。今でも、主は、奇蹟の必要を感じられたならば、いつでも、どこでも、何の制限も受けること無く行なう事の出来るお方であられます。その事を私たちはしっかりと覚え、期待して良いと言えましょう。
ルダとサロンに住む人々は、アイネヤを見て、主に立ち返ったとあります。 立ち返ったと言う事は、主から離れていた事を意味します。 私達の信仰もいつしか、主イエス・キリストを信じていると言いながら、 実は、その方のうちにある本当の命と力を忘れかけている、 そう言うことはないでしょうか。 罪のために死んでいた私たちを、あるいは、この世をさ迷っていた私たちを、 その罪から救い、死から命へと変えてくださったその事実を もう一度思い起こしていただきたいのです。 この事実こそ、この聖書の中に出てくる様々な奇蹟に勝るとも劣らない、奇蹟といえるでしょう。ペテロはイエス・キリストによって立つ者とされました。その彼が、今やイエス・キリストの名に於いて、人々を立たせるものとして用いられているのです。 イエス・キリストにある命と力をいただいている私たちも、その事をあらためて確認し、キリストにある素晴らしさを味わいながら、人々にもそれを明らかにして行こうではありませんか。 2015年ももう間もなく終わろうとしております。 一年間の恵みに感謝し、また新しい一年に主の恵みの豊かさを期待したいものです。
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