2016年2月7日(日) 「仕える教会」 使徒11:19-30 竹口牧師
時折、開拓伝道を始めたばかりの先生にお会いします。そして、その開拓の苦労話しをしてくださいます。その先生方は、いろんな方法を用いて自分の教会をその土地の人たちに知っていただき、「教会に是非来て下さい」と案内するのですが、なかなか来て貰えないという切実な悩みを持っておられます。 伝道しても伝道しても人が集まらない時、自分がその地に遣わされたこと、その土地の人々の救いのために召されたという事、その事に対する疑いさえ、その困難の中で考えさせられる時があるとお聞きします。 しかし、それでもなお、頑張って続けられているのは、神様は確かに自分を召して下さっているのだという事を、事あるごとに教えられているからだと言われます。 神様は、ある地方に御言葉を伝えさせるために、人を立て、その働きを実りあるものとするために、陰で祈る人を備え、また実際に支援する人を起こし、更には遣わした先生を母教会が積極的に支える様に力を与え、み手を延べられるのであります。困難の中にあっても、続けられる理由はそんな所にあるといえましょう。
ところで、今回の聖書箇所では、アンテオケという場所に福音が宣べ伝えられるのですが、お分かりのように開拓伝道しようとしてアンテオケに、どこかの教会が誰かを遣わしたというのではありません。その場所に教会が生まれ、成長し、更には、他の教会を支援するまでにと変えられて行くという、それこそ最初の出発点こそ違いますが、真に生きた教会の姿をそのアンテオケの教会に見る事ができるのであります。 今朝は、そのアンテオケの教会の姿を、その出発点から始めて、成長振りを見ながら私達の現在の教会の姿がこれからどのようにあるべきかを少しでも考え、教えられたいと思うのであります。
まず、アンテオケという地名が出ましたので、その位置について申し上げておきましょう。 この場所は、現在のシリア・アラブ共和国にあります。それも地中海寄りの北の方であります。もっと北の方には隣の国トルコがありますので、そのトルコとシリアとの国境近くという事が出来るでしょう。 紀元前60年にシリアは、ローマ帝国によって滅ぼされましたが、アンテオケはローマのシリヤ州の首都として成長し、ローマ、アレキサンドリヤにつぐローマ帝国第三の都市にまで発展するのであります。このアンテオケの町に福音が伝えられるのですが、それはこんな経緯からでありました。 ステパノの殉教の死を期にして、キリスト信者に対する迫害は激しさを増し、彼等の多くはエルサレムにおいて信仰が続けられにくくなりまして、あちこちに散らされて行きました。そして、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでに拡がって行くのであります。 かつてイエス様が、「聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなたがたは力を受けます。そしてエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで私の証人となります。」と言われましたが(使徒1:8 )、この言葉が更にその実現へと近くなって行くのであります。 ところで、この時点までで、信仰者がかたくなに守り続けている事がありました。それは、ユダヤ人以外には誰にも御言葉を語ろうとしなかったという点であります。福音はユダヤ人達にと彼等は考えていまして、まだ異邦人には目が向けられていませんでした。
ではこれまでに異邦人には全く御言葉が語られることなく、従って、信じる者は起こされなかったかと言いますと、実は、そうではありませんでした。今までにも見てきました様に、ピリポによりまして、サマリヤ伝道がなされ、またエチオピア人の女王カンダケの高官が救われましたし(8:26-40 )、ペテロによって、イタリヤ隊の百人隊長コルネリオ一家が救われた(10章)といった出来事が見られまして、異邦人伝道は少しずつですが進展しておりました。 もっとも、この二つの例は共に熱心な求道者でありました。 たとえば、今言いましたカンダケの高官は改宗者でありました。 彼はわざわざ礼拝の為にエチオピヤからエルサレムへと上ってきていたのであります。 また、もう一人のコルネリオの場合、彼は「神を恐れかしこむ敬虔な者」と言われている人で、ユダヤ人に対して施しをし、また主に祈る人でもありました。 しかしそれとは違って、今回のアンテオケでの出来事は、今迄のそれよりももっと多くの人が信仰を持つという、本格的な異邦人伝道の新しい展開がなされようとしていたのであります。即ち、20節に有ります様に、「キプロス人とクレネ人達がアンテオケに来てからはギリシャ人にも、主イエスのことを宣べ伝え始めた」のでありました。 これは、今までに無かった事であります。 なぜなら、アンテオケにいたギリシャ人達は、キリスト教とは全く関係のない存在だったと思われるからです。 さて、このキプロス人と言いますのは、地中海の中にキプロス島がありますが、その島から来た人であり、一方、クレネ人たちとは、北アフリカのリビアの海岸の都市から来た人でありまして、その人達が、ギリシャ人に福音を語ったのでありました。 異邦人に対しての伝道に消極的であったユダヤ人。しかし福音は、このキプロス人とクレネ人達によって大きくユダヤ人以外の人々へと広がり始めたのであります。神様はこの状況をどの様に御覧になられたでしょうか。 21節を見ていただきますと、「主の御手が彼等と共にあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った」とありますように、主のみ手が彼等の上にありまして、その働きを助け、祝福を与えておられたのでありました。 従って、信仰者の群れは飛躍的に伸びて行きました。 ユダヤ人にだけでなく、異邦人にも御言葉が、公に伝えられ出しました。このニュースを聞いたユダヤ人達は大変な驚きだったに違いありません。ペテロがコルネリオの所に出掛けて行って語った以上の驚きだったでしょう。何しろ、数において無視できない状況であったのですから。 今回の伝道は、このキプロス島とクレネ地方出身の名もない普通の信徒達によって行われ、それが素晴らしく用いられた訳であります。彼等は無名の信徒達でしたが、そういう人達だったからこそ、この様な思い切った伝道が出来たのかもしれません。 長い間、自分達だけで守ってきた信仰を異邦人にも伝える必要性には、なかなかユダヤ人達は気付かなかったからであります。生粋のユダヤ人達はここにきて新しい発想、神様からの導き、チャレンジを信仰者達から受けたのであります。 願わくは、私たち信仰者も、マンネリ化から脱皮し、神様から伝道に対する新しいビジョン、発想をいただいて、もっと積極的に福音を伝えたいものであります。幸いにして、私達は新しい会堂が間もなく与えられようとしております。この機会を上手に用いたいものです。
さて、第二の点は、異邦人にも福音が伝えられ、大勢の人が信じて主に立ち返った、その事に対して、エルサレムの教会では、バルナバを派遣したという部分であります。 14節においてサマリヤの人々が神の言葉を受け入れたと聞いた時、エルサレム教会はペテロとヨハネを遣わしましたが、今回もまた誰かを遣わし、その状況を把握する事の必要性を覚えるのであります。そして、その教会は バルナバ(即ち、慰めの子)と呼ばれます人を遣すのでありますが、こういう決定がスムーズに運んだのも、22節に於いて「それでは神は命に至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」という理解がその下地に十分あったからでありましょう。 バルナバと言いますと、ご存じの様に彼はもうすでに、この使徒の働き4:36節に登場しております。彼は、キプロス生れのレビ人、つまり外国生まれで、外国で育ったユダヤ人でありました。彼はよく献げる人で、自分の畑を売り、その代金を持って来て神様の御用の為に捧げたと言う事もあったわけでありました。 そして、今回、24節を見ますと、聖霊と信仰とに満ちた立派な人物でありました。アンテオケにおいて、異邦人が次々に真の神さまを信じていく中で、異邦人伝道の本質を正しく認識し、エルサレム教会のユダヤ人キリスト者に誤解を受けない仕方で報告できる人物という者がこの時求められていました。そしてその適任者としてバルナバが選ばれたのでありました。彼はここでユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者を正しく結び合わせる役割を果たす事になります。 そういえば、かつてエルサレム教会の人達が迫害者サウロが回心した、という事実を聞いても最初は信じる事が出来なかった時、このバルナバはその説明に当たり仲介を見事にこなしたという人でもあります。 そんな彼がエルサレム教会から派遣されてアンテオケに来て見ますと、そこには、異邦人の集団的回心を目撃し、神様の恵みが満ち溢れていることを味わったのでありました。そして彼は、その新しく生まれたクリスチャン達に向かって、励まし、神の導きを知った者は心を堅く保って、常に主に留まっているようにと励ましたのであります。
私達が神様の恵みによって救われる事は大変素晴らしいことです。そしてまた、クリスチャンで在り続けることが必要なのです。まだ救われたばかりのその人達が、たとい困難に遭っても、なおキリストに留まり続けなければならないのです。 ですから、その事を良く知っているバルナバは、救われたばかりのキリスト者達を多いに励まし、勧めたのでありました。バルナバがなした伝道者としての使命と福音の正しい理解及びその実践は、彼の名前の通りアンテオケの人々にとって慰めとなり励ましとなって、深い影響を与えたのでありました。
24節を見ていただきますと、「大勢の人が主に導かれた」と記されている通りで、彼の働きは目に見えて用いられていたのでありました。やがてこの神様の祝福は、バルナバ一人だけの働きによって、アンテオケの教会の必要に応じる事ができない程になって行くのであります。 そして、同労者の必要を彼は覚え、25節にありますように、サウロを探しにタルソへと足を向けたのでありました。彼はそこからサウロを連れてアンテオケに再び戻って来ます。 タルソという町は学問の都であり、またサウロの故郷でもありました。 熱心なユダヤ主義者から変えられたサウロの最初の頃は、裏切り者として命を狙われ、その危険を避けて、彼はダマスコからエルサレムへ、エルサレムからタルソへと去って行かざるを得ませんでした。 どの位タルソにいたか定かではありませんが、数年間はいたと思われます。そこでしっかりと主に仕える為の準備をしていたでありましょう。バルナバが連れ戻しに来た時、彼の勧めに従ってアンテオケへとサウロは行くのであります。そして1年間、この二人はアンテオケで伝道と共に救われた人達の教育、訓練に当たったのでありました。神様は、彼等の働きを祝福して下さり、更に大勢の人を加えてくださいました。
ところで、ここで特筆すべき事が出ております。 それは、このアンテオケにおいて初めて、信仰者をキリスト者、ギリシャ語で「クリスティアノス」とよばれる様になった事であります。 これはアンテオケに住む異教徒達が弟子達に用いたあだ名でありました。 このクリスティアノスとは、クリスチャン。キリスト者、キリストに従う者、キリストにつく者、キリストの為なら身命をなげうつ者、キリストの為に戦う者、キリスト党などという意味があります。 私たちは一般にキリスト者という言い方よりは、「クリスチャン」という言い方をしますが、これは、ギリシャ語のクリストスにラテン語の語尾がついて出来た言葉だとされています。 ヘロデを支持する人をヘロデ党(マルコ12:13 )、党員を「ヘロディアン」と呼んだ事からしますと、「クリスチャン」もしくは「キリスト者」とは、キリスト党員を表す言葉にもなり得るのであります。
そしてこの事から当時のアンテオケの人達の事を想像しますと、このキリスト者の集団とその存在が、異教徒達の間にそのような者として注目されていたという事、更には、その存在が容認されていたという事が分かります。 アンテオケのキリスト者達は、異教徒との交わりのある所ではいつも、そして繰り返し、キリストの事を語り伝え、賛美しているキリストの民であった。だから、この様なあだ名がつけられたのだと言えましょう。 このアンテオケの信仰者達の事を考えながら、現在の私たちは、日常の歩みの中で、果たして、この世の人々にどの様な印象を与えているのだろうかと考えさせられるのであります。 アンテオケでは、異教徒達によってキリスト者あるいはクリスチャンと呼ばれる様になった。その経緯が、あだ名なのですから、あまり良い意味からではなかったと思われますが、自分がキリストに従う者である事をはっきりと示し、生活を通して証していた事は、現在の私たちにとっても学ぶべき点であると思うのであります。 私たちの毎日の生活の中で、キリスト者としてのあゆみの素晴らしさを表現していきたいものであります。結婚式や葬式の時だけでなく、日常生活の中に於いてもキリストに従う者として表して行こうではありませんか。
第三番目は、27節の部分からですが、このアンテオケの教会が成長し、自分達の必要をまかなうだけでなく、支援するまでに成長したと言う点は真に注目すべきでありましょう。 支援する為にはまず、受ける必要があります。神様の恵みをただで受ける。 これはまず最初に私達が経験する事であります。 そして、その受けた恵みによって成長した時、今度はその恵みを互いに分け合い、喜びを共にしなければならないのであります。
ある日の事、預言者達がエルサレムからアンテオケに下って来まして、その内の一人アガボという人が世界中に大飢饉が起る事を預言しました。 この世界中と言いますのは、ローマ帝国全土なのか、或いはパレスチナ全土なのか、その点は分かりませんが、その預言通り確かに飢饉が起り成就したのでありました。 クラウデオ帝の治世即ち、紀元41年から54年の間の出来事でありました。当時の資料によりますと、しばしば飢饉や凶作があった事が伝えられています。この飢饉の為に、アンテオケの弟子達は、それぞれの力に応じてユダヤに住んでいる兄弟達に救援物資を送ろうと立ちあがったのでありました。 ここでまた注目すべき点があります。それは彼等は自分達で決め、しかもそれぞれの力に応じて行なったという点であります。いやいやながらではなく、強いられてでもなく、一人一人が心で決めた通りに行ったのでした。 この使徒の働きの20:35 節には、パウロがイエス様の言葉を引用して「受けるより与えるほうが幸いです。」と言っていますが、このアンテオケの教会は正にそれを実践したのであります。 彼等のこの行為の中で更に注目したいのは、キリスト者になった彼等はまだ生まれたばかりでありましたが、みことばを実行しているという点でありましょう。 彼等は自分達の教会がまだ開拓伝道途上にあり、外部に献げるどころか自分達の教会にこそ献金して欲しい、あるいは支援をして欲しいとは考えないで、 同じ兄弟達が飢饉のゆえに困っていると聞いて、その情報に耳を塞がなかったことにあります。 以前読んだ本の中に、カナダのある小さな教会のことが載っていました。その教会は多くの宣教師を毎年海外に派遣していました。その秘訣はどこにあったのかと言いますと、彼等は、祈り、そして喜んでささげ、自分達が正に遣わされるかのごとくに考えて日々を送っていると言うのであります。 自分達の出来ない事を、その派遣される人が代わってしてくれる。ここに彼等の主に対する奉仕の喜びがあり、またそれを共に分かち合っていたのでありました。
アンテオケの教会、それはまだ生まれて間もない、幼い教会であったかも知れません。しかし、彼等は捧げたのであります。この教会は今後、異邦人伝道の基地となって大きな働きをする。そういう素晴らしい教会となって行くのであります。 後にパウロは、大きな伝道旅行を3度しますが、その出発点はいつもこのアンテオケからでありました。彼にとってこの教会は、福音伝道の基地の様なものであったでありましょう。 私たちの教会ももっと主により良く用いられるためには、またキリストの教会として建てあげられるためには、教会が何かをすべきだという、何か第三者的に考えやすいのですが、そうではなくて、その中にいる私達一人一人が、今一度初心に帰って、自らの信仰を吟味し、主に仕えるとはどういう事かを 考えなければならない様な気が私はするのであります。 誰かが何かをしてくれるのを求めるのではなく、私は神様の御用の為に何ができるだろうかと考え、そしてそれを一つでも実現していく、神様に用いていただくことではないでしょうか。 アンテオケの教会の人達が「キリスト者」あるいは「クリスチャン」と呼ばれるようになったそこには、イエス様を知った者が、その喜びを隠すことができず、自分達の歩みの中で表現して行ったかたらこそ生まれたといってよいでありましょう。 ユダヤ人から、異邦人へと福音の窓口が大きく広がって行っているこの部分を見ながら、私たちの教会が彼等と同じ様に、この教会を基地として、もっと積極的に伝道し、神様に仕えていくものでありたい。そのように願うのです。 キプロス人やクレネ人の様な新しい発想の下に、そして慰めの子と呼ばれるバルナバの様に、また「受けるより与えるほうが幸いである」というイエス様のお言葉を実現して行く教会に今よりももっと近付きたいものであります。 決して大きな働きでなくても、多くの人の中から選ばれた私達が、喜んで成し遂げて行くならば、現在の教会は更により健全な姿へと変えられて行くといえましょう。 私たちの手を、私たちの足を、私たちの身体を、私たちの時間を、そして富を、神様から私達に与えられているあらゆるものを主に捧げ用いていただこうではありませんか。
2016年2月14日(日) 「祈る教会」 使徒12:1-19 竹口牧師
2016/2/14 使徒12:1-19 祈る教会 今朝は使徒の働き12章から見ようとしているのですが、この章には二人の人の死が出ています。一人はヨハネの兄弟ヤコブの死です。彼は、12使徒の内の一人でありまして、イエス様の兄弟ヤコブではありません(ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ)。 もう一人は、ヘロデ王またの名を、ヘロデ・アグリッパと言います。 この二人の死の記事の間にペテロが捕えられ、そのペテロを神様が奇蹟をもって救い出して下さった、という部分を見るのであります。
先ず1節から順に見ていきますと、「その頃、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし……」とあります。ヘロデ王は、紀元37年に王の称号が与えられ、ヘロデ大王の子のピリポの領地を貰い、 39年にはこれまたヘロデ大王の子アンティパスの領地を貰い、更には41年に、ユダヤとサマリヤまでも貰い受けて、ユダヤ全土の王となるのであります。つまり彼は、ヘロデ大王の持っていた領土全体を手に入れた最後の正式の王となります。
このヘロデ・アグリッパは、ローマ皇帝の勢力を背景にしつつ、ユダヤの支配者となり、その地位を維持していくために、彼としては懸命にユダヤ民衆の人気を獲得する必要がありました。 一方、エルサレム教会では、ステパノの殉教を契機としましてクリスチャン達が迫害に会い、あちこちへと散らされて行ったのでありました。そして教会には、指導者だけが残され、その教会の力というものは著しく衰退して行ったのでありました。民衆は、エルサレム教会とその指導者である使徒達に対して敵意と反感を抱いておりました。
ヘロデ・アグリッパの人気取り政策は、こうした民衆のキリスト教会への反感を見逃しはしなかったのでありました。ヘロデ王は、ユダヤ教を遵守しているユダヤ人達がキリスト教徒を異端視し、嫌っていることを知りまして、 キリスト教徒を迫害すれば、ユダヤ人の間に自分の人気を得る事が出来ると考えました。 そして2節にあります様に「ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」のでありました。権力者というものは、自分の政策遂行や、又は名声、権力の維持に役立つならどんな事でもやりかねないものであります。ですから、このヘロデは、ヤコブを殺した事が「ユダヤ人の気に入ったのを見」(3)ますと、彼等から更に関心を買おうとして、次は当時の教会の中心的な働きをしていたペテロを捕えにかかるのであります。 時は丁度、種無しパンの祝いの時期でありました。つまり、過越しの祭りが近かったのであります。過越しの祭りと言いますと、イエス様が十字架に掛けられ、殺される前日という日に当たります。 勿論言うまでもありませんが、イエス様はこの12章での出来事の時にはすでに天におられたのでありますから、きょうの場面は、過越しの祭りよりも何年か後ということになります。
さて、ヘロデにとって、ユダヤ人の人気を稼ぐには、彼等が大切にしています「過越しの祭り」をペテロの処刑によって中断してしまわない様に、そういう配慮もする必要がありました。そこで捕えているペテロを厳重な警戒の下に止めて置く事になるのであります。
捕えられたペテロは、どうなったかと言いますと、4人一組の兵士4組に引き渡され、監視されるのであります。この監視状況はとても普通では考えられない状況です。ペテロは、二本の鎖につながれ、しかも両脇を二人の兵士で挟まれておりました。更に牢の扉は番兵達が監視していて、第一、第二の衛所がありました。ペテロは4組の兵士によって24時間監視されていたのであります。 ペテロにとっても、また教会の人達にとっても、この様な厳しい監視の中にあっては何の手出しもできませんでした。エルサレム教会では使徒の中から初めてではありましたが、ヤコブの殉教を出しました。その上、今度は最高指導者とも言えるペテロをも投獄されて、しかも、その命も時間の問題という場面を迎えていたのであります。こういう状況の中で、現実しか見えない者にとっては、正にこの世の権力に対して教会は全く無力に見えたでありましょう。
私達は時に、「後はもう祈るしかない」と言うことを口にします。しかし、その言葉の奥には、あまり信仰的な意味が含まれていないのは残念な事です。 ところで、この様な時、エルサレム教会はどうしていたでしょうか。 5節にありますように、「教会は彼のために」つまりペテロのために「神に熱心に祈り続けていた。」のでありました。文語訳も新改訳も「教会は彼のために…」の前に「しかし」を入れて訳していませんが、原文には「しかし」が入っております。 つまり、『ペテロは捕らえられ、厳重に見張られていた。がしかし、教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。』と書かれているのであります。 無力に見えた状況の中でも、彼等は神様を信じて祈っていた、と彼等の祈りが強調されているのであります。 ペテロを解放する為の政治的な行動、陳情、運動を、この時代は、現代の自由主義社会で行われている様には出来なかったでありましょう。しかしその様な何も出来ない、無力とも思える状況の中でも、教会にはたった一つの道が開かれていたのであります。それが祈る事でした。
祈る事、それは非行動的に見えます。 祈る事、それは現実に対して何もしていないように見えます。 しかし、彼等は真剣に祈っていたのであります。 彼等の頭の中には、ヤコブが殺されたという事実がいつもあったでありましょう。ですから、もしかしたらペテロも、という恐れで祈りにも緊迫感があったのではないでしょうか。
すでに殉教者が出ている。 そういった状況の中で祈る祈りには特に力が入っていたと思われます。 彼等は、祈る事しか出来ないから、仕方なく祈っていたのではなく、困難の中でこそ、積極的に祈る事が彼等の取るべき行動であるとして祈っていたのでありました。 ここに私たちの祈りの姿勢と言うものを教えられるのではないでしょうか。決して諦めずに祈り続けていた。これは私たち信仰者にとって特に大切な事であります。これが今朝、教えられる第一の点であります。ですから、決して諦めずに祈ろうではありませんか。
第二の点は、神様は、彼等の祈りに答えて下さって、ペテロを解放してくださった部分を見ます。 ペテロが捕えられますと、クリスチャン達はマルコと呼ばれるヨハネの母マリヤの家に行って、共に祈るのであります。伝承によりますと、この彼女の家で最後の晩餐が行われた。そのように言われています。 この祈っている場所は、エルサレムに於けるクリスチャン達の集会所になっていた様であります。このマリヤの家で私達は、聖書を通して不思議な光景を目にすることになります。つまり、13-16 節にかけての事であります。 それは、熱心に祈っていたはずの彼等が、そして、ペテロが解放される事を 求めて祈っていたはずの彼等が、それにも拘らず、実際にその事実を耳にした時、彼等はそれを直ぐには受け入れられなかったという事です。 これは一体どういう事なのでしょうか。 彼等は、神様の力を信じて祈っていたはず、でありました。 なのに、入り口の戸をたたく音に一人の女性が気付き、戸口に行き、そしてペテロであると確認して、その事を皆に知らせた、にも拘らず、彼等は「あなたは気が狂っているのだ」と言って、信じようとしなかったのであります。 なぜなのでしょうか。
更に16節を見ていただきますとお分かりのように、「彼等が門を開けると、そこにペテロがいたので驚いた。」とあります。なぜ彼等はそこで驚いたのでしょうか。一体、今まで彼等は何を信じて祈って来ていたのでしょうか。あまりにも嬉しさに、我を忘れたのでしょうか。 それにしましても女中に対する言葉は何と冷たい事でしょうか。 「あなたは気が狂っているのだ」であります。 この同じ書の5章を見ていただきますと、そこにもやはり使徒達が捕えられ、 留置場に入れられた事がでております。そしてこの時、主の使いは使徒達を助け出しました。ですから、この事を知っている人たちは、ペテロが助け出されるという事が全く考えられないと言う事はなかったでありましょう。
確かに、ペテロが入れられている状況を知っていたなら、そしてヘロデという人物を知っていたなら、また、ヤコブがこのヘロデによって殺されたという事も知っていたなら、ペテロが助け出されるという可能性は、真の神の力を信じる事なしには考えられなかったでしょう。
ですから、ペテロが入口の所に立っていると聞いても、目の前に彼を見ていても、なかなか事実としては受入れられなかったのであります。私たちは、ここで祈りの姿勢というものを考えさせられます。
最初の方でも言いましたが、困難の中にあっても、しかし彼等は祈っていたのであります。「どうせ祈っても無駄だ」などと完全に諦めていた訳では決してありません。もし諦めていたのなら、祈ってはいなかったでありましょう。 ヤコブの時、私たちは神様に祈ったが私達の願い通りにはならなかった。だから今度も祈っても無駄だ、とは考えないで、ペテロの時も熱心に彼等は祈っていたのであります。 しかし、であります。 正直に言いますと、この場面を見ます限り、彼等の祈りと信仰は、決して完全であったとは言えません。それは事実を前にして直ぐには受け入れられなかった事からも明らかです。つまり、彼等の信仰は不完全であったと言えましょう。
こんな事を言いますと、では完全な信仰というものがあるのか、ということになってきます。そこで、聖書の他の箇所の例を一つお話しておきたいと思うのです。 マルコの福音書9章に出ているのですが(14-27)、かつてイエス様が、おしの霊につかれている息子を持つ父親とこんな会話をされたことが書かれています。父親は言います。 「この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、お出来になるものなら、私たちを憐んで、お助けて下さい。」と。するとイエス様は言われました。 「出来るものならというのか、信じる者にはどんな事でもできるのです。」と。 それに対して父親はこう叫ぶのであります。 「信じます。不信仰な私をお助けください。」とであります。
つまり、ペテロが無事に解放される事を願って祈っていたクリスチャン達の祈りは、不完全な信仰の祈りでありました。しかし、それは即ち、私たちの祈りの姿でもある、そういえないでしょうか。私たちの祈りも実は、不信仰な祈りになりやすいのです。これは、悔い改めなければならないことです。 がしかし、それ以上にここで大切なのは祈るのを止めない事であります。たとい不完全な信仰の祈りであっても、つまり、祈っている先から不安が後を着いてくる、あるいは全く委ね切れないでいる、そういう心であっても、しかし、それでも祈らなければならないのです。祈り続けなければならないのです。
もし、自分の信仰が弱く、神様の力に信頼する事が出来なければ、その様な不信仰な自分を素直に認めて、「不信仰な私をお助けください」と祈る必要があるのです。ヤコブは殺され、ペテロは解放されました。その違いは、彼等の祈りの姿勢の不完全さ、あるいは彼等の不完全な信仰の故ではありませんでした。神様の御心が正しくなされたのであります。 なぜなら、神様は、彼等の、或いは私達の不完全な祈りをも聞き上げて、答えて下さるお方だからであります。不可能に見える状況の中にあっても、決して諦めてはいけません。なぜなら、祈りの答えは、祈る私たちの側の完全さによるのではなく、どこまでも、主の憐みによるからであります。 私たちの願った通りにならなくても、決して落ち込んだりしてはいけません。神様は最善をなして下さる方だからであります。イエス様は十字架の刑を前にして、ゲッセマネの園でこう祈られました。 「父よ。御心ならば、この杯をわたしから取り除けて下さい。 しかしわたしの願いではなく御心の通りにして下さい。」と。 そして、父なる神様は、御心を行われました。 そしてそれは、私達にとって、他の何ものによっても得ることのできない幸を受けたのでありました。即ち、イエス様の贖いの犠牲によって、私たちは罪からの赦しを頂いたのです。
私達は、私達の目で見える状況だけで判断し、「ほら、あれ程祈ってもヤコブは殺されたではないか」とか、あるいはまた、ペテロが助け出されても、今度は「ペテロの様にそんなにうまくは行くものか、現実はもっと厳しいよ。」などと、ことごとく不信仰へ不信仰へと傾く事は避けたいものです。 もし、その様に、私達の心が不信仰に傾くとすれば、その人こそは、イエス様の前で、あのおしの霊に着かれた息子を持った父親がした告白、祈りが必要と言えましょう。「不信仰な私をお助けください。」とであります。 不完全な祈りをも神様は聞いて下さるのですから、心を尽くし、思いを尽くして、偉大な神様の力を信じて祈ろうではありませんか。これが第二の点であります。
第三の点は、神様は御使いを通してペテロを助け出された、という点に目を向けてみたいのであります。ヘロデはいよいよ明日、人々の前にペテロを引き出し、処刑しようと考えていた、その夜の事であります。 ペテロは両脇を兵士によって監視されながら、しかし、ぐっすりと眠っておりました。私は、この情景を思い浮かべながら、神様はしばしば絶体絶命の窮地に追い込むまで祈りの答えを伸ばされる事もあるのだな、と教えられたのであります。 もっとも、聖書のあちこちに記されている奇蹟は、そのタイミングがほとんどですが。そして不信仰な者は、そのぎりぎりまで待つことが出来ず失敗するのであります。
ところで、このペテロの場面はその危機的な状況にあっても、ぐっすり眠り込んでいたのであります。これは、生きるにしても、死ぬにしても絶対的な神様のご支配の中にある事を信じ、任せていた、彼の力強い信仰を見るような気が致します。私達はどちらかと言いますと、まあ、人にも寄りますが、 悪い方へ、悪い方へと物事を考え、場合によっては、先の先までを読み過ぎてついには、自らの生涯を絶つことさえする人もいます。 そうまではしなくても、希望のない明日を見詰めて生きるということをするのであります。一般の人がそうするのなら、うなずけます。しかし、死をも勝利されたイエス様を信じる者が、未来に対してそういう思いをもっているとしたら、それは、少し霊的に弱っていて信仰も「赤信号」である事を知る必要があるでしょう。
もう一度言いますが、ペテロの寝ている姿は、絶対者にすべてを任せている、その現れ以外の何ものでもないでしょう。7節を見ますと、そんな彼の脇腹を叩いて御使いはペテロを起こすのであります。 そして「急いで立ち上がりなさい。」「帯を締めて、靴をはきなさい。」「上着を着て、私についてきなさい」と次々に指示を与えたのでありました。 ペテロにとって、御使いの言っている事、している事が現実の事だとは分からず、幻を見ているのだと思われたと9節にはあります。ペテロ自身、後で、 「今、確かに分かった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ人達が待ち構えていたすべての災いから、私を救い出して下さったのだ」と確信するのであります。
私たちは、この一連の出来事を見ながら、神様の私達に対する働き掛けがどの様であるか考えさせられます。これは特別な例ではありません。御使いの存在そしてその働き、それは今もあります。 ヘブル書の記者は1:14においてこう書き記しています。 「御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか」と。つまり、御使いは、私たち信仰者に「仕える霊」として遣わされているというのです。 また詩篇34:7によりますと「主の使いは、主を恐れる者の回りに陣を張り、 彼等を助け出される」とあります。これは、ダビデによる歌です。 目には見えない。けれども昔の信仰者達は確かに、その御使いの存在と働きを信じていました。
現代に生きる私たちも、決して目には見えない存在、霊的な存在である主の使いの働きを無視してはいけません。ペテロは、御使いの働きをその時には気付かず幻を見ているのだと感じ、そして後で、御使いの働きであったことを知りました。 私達もまた、現在進行形の時には気付かないかも知れません。しかし、後を振り返ってみた時、確かに神様はあの時、私達の目には見えないみ手をもって守って下さり、助け出して下さったと知ることが出来るでありましょう。 その時は、声高らかに、主のみ名をほめたたえたいものです。 もし、目に見えないから信じられないというのなら、真の神様でさえ、霊なるお方ですから信じられない事になります。いつでもどこでも、神様のお働きとお守りがあるのですから、その事に信頼して歩もうではありませんか。
「信じて祈る教会」 そこには、神様の力強い未来の青写真が与えられている様にも思えます。 困難の中にあっても、真の神様の力を信じて、互いに祈り、神様がこれから私達にして下さろうとしておられる事を期待しながらの歩みは、どんなに素晴らしい事でしょうか。 祈る事をやめないで、信じて祈り続けようではありませんか。 結果がすぐに目に見えなくても、神様の力を信じましょう。なぜなら、真の神様は、私たちが見たり、考えたりしている以上にどんな事でもお出来になられる方なのですから。
2016年2月21日(日) 「栄光は神に」 使徒12:20-25 竹口牧師
今回取り上げます聖書箇所の中心人物は、ヘロデ王であります。この王は、その昔、イエス様がお生まれになった頃、2才以下の男の子をことごとく殺したヘロデ大王の孫に当たり、その名をヘロデ・アグリッパと言います。 この聖書箇所の他にも何人かのヘロデという名の王が出てきますが(ヘロデ・ピリポ;マタイ14:13 アケラオ、支配者ヘロデ;マタイ2:22)、中でもバプテスマのヨハネを殺害したヘロデ王がいます。この王はヘロデ・アンティパス、或いは国主ヘロデと言います。そしてこの国主ヘロデは、今回出てきますアグリッパから言いますと甥に当たります。
さてこの使徒の働き12章には、非常に対照的な二人の死が出ています。 その一人は、1,2 節あります、ヨハネの兄弟ヤコブの死であります。 それに対するもう一人は、23節にありますヘロデ・アグリッパの死であります。一方は生前、神様の栄光を現し、他方は、キリスト者に対して手を振り上げる者でした。即ち、神様に対して手向かう者でありました。一方は神様から慰めを受けて死に、他方は呪いを受けて死ぬのであります。同じ生きている人間が死んで逝くのに、そこには真に大きな違いがあった事に気付かされます。果して現在生きている私達は、神様に対してどの様な態度で生き、また過ごしているでしょうか。 私たちはこの世にあって、間違った歩みをしない為にも、正しい生き方を知って、祝福された、慰めをいただける歩みでありたい、またその様な生き方をして死にたい。そう思うのは私だけでなく、皆さんも同じでしょう。
さて、先回の部分を少しだけ振り返っておきますと、ヘロデ王は、まずヤコブを殺しました。そしてその事によってユダヤ人達から人気を勝ち得たと取りますと、更にもっと人気を得ようとして今度はペテロをも捕らえにかかるのであります。そしてやがてペテロを捕らえ、いつになく厳重に見張りをさせたのでありました。ところが神様が不思議な方法でペテロを牢から解放して下さいました。
一方、ペテロがいなくなったという知らせは、ヘロデをひどく驚かせました。従ってすぐに捜索させると共に、その一方で、番兵達を取り調べにかかりました。しかし、残念ながらどこにもペテロを見つけ出す事はできませんでしたし、ペテロがいなくなった様子を聞いても、ヘロデには理解できなかったでありましょう。なぜなら番兵達さえも理解出来なかったと思えるからです。従って、ペテロがいなくなったその背景には、番兵達が何か企んだに違いないとそう考え、あるいは、単なる仕事の怠慢ということにしてでしょうか? ヘロデは、その番兵達を処刑するようにと命じたのでした。 番兵達は別に仕事に怠慢だった訳ではなかったのですが、その任務上、責任は免れませんでした。彼らはとんだとばっちりを受けたことになります。ヘロデは12使徒の一人、ヤコブを殺したものの、最有力のリーダーであったペテロを取り逃がした事によって、キリスト教に対する弾圧政策が不成功に終わった事を認めざるを得なくなりました。そしてこの不思議な事件から彼は自分の身を引くかのようにエルサレムから離れ、ローマのユダヤ支配の行政上の中心地となっていたカイザリヤへと下って行きました。 そして、そこに彼を待ち受けていたのは死でありました。しかし、彼は、その事をしるよしもありませんでした。彼は王としての権威、威光あるいは威勢をもってカイザリヤの町へと入ったでありましょう。今朝はこのあたりから話しが始まるのであります。
20節にはこうあります。 「さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。そこで彼等はみなで揃って彼を訪ね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた」とです。 ツロとシドンと言いますのは、ガリラヤ地方よりももっと北の海岸地方、フェニキヤの地中海沿岸にあります。ここの人達は、ユダヤ、特にガリラヤ地方から穀物を輸入しておりました(T列王5:11;エゼキエル27:17)。
ところが、困った事が起きました。それはツロとシドンの人達に対してヘロデ王はなぜか機嫌をひどく損ねていたのであります。その事は彼らにとって、ヘロデの領土であるガリラヤから穀物が輸入できなくなるということでした。従いまして、彼等は何とか和解の道を探ろうと、ヘロデの侍従ブラストに取り入り、ヘロデ王のご機嫌取りをしようと画策するのであります。現代でも、なにも武器をもって戦い、勝利を獲得するという方法だけではありませんで、輸出入禁止措置によって相手の国に大きなダメージを与える手もよく用いられております。最近は特に輸出入の自由化が叫ばれ、解放されつつありますので、物によっては、外国に全く依存しなければならないものがあります。もっとも、日本においては、そのほとんどがそうですが……。食糧にしても、燃料にしても、みな輸入であります。
昔、レバノンでは、輸入に頼っていたのでした。ですから何とか、ヘロデの機嫌を取り戻したい。この事にツロとシドンの人達は心を傾けておりました。なかなかヘロデ王のそばには近寄れない彼等でしたが、やがてチャンスが到来するのであります。それが、21節にあります「定められた日」でありました。この「定められた日」と言いますのは、多分、8月1日の皇帝誕生の日であったであろうと言われています。 この日の事を同時代の人でユダヤの歴史家ヨセフォスは、その著書「ユダヤ古代誌」に詳しく記しております。これはある本からの引用ですが紹介したいと思います。それは次のように記されていました。少し長いのですが、引用致します。
「ヘロデ・アグリッパは、王になる前、ローマで皇帝テベリオの怒りを買って投獄されたことがありました。その時、同じ様に縛られていた囚人の中の一ゲルマン人が兵士に、『あの鎖につながれ一本の木によりかかっている紫の布を着た囚人は誰か』と尋ね、それがアグリッパだと知ると、近付いて来て一つの預言をしました。 その木には一羽のふくろうが止まっていたのですが、彼が言うのに『ヘロデ・アグリッパはまもなく許されるが、あなたが再びこの鳥を見る時、その時こそ5日と生き延びられぬと知りなさい』と言ったのでした。そして、その預言どおり、ヘロデは赦されたばかりか、次の皇帝の代には王位を授けられました。
さて、ユダヤ全土を3年治めた時、昔は´ストラトンの塔´と呼ばれていたカイザリヤの町にやって来た。(このストラトンの塔と言いますのは、シドンの王であるストラトンが建設したものであろうと言われ、それをヘロデ王によって海沿いのカイザリヤへと拡大されたものであります。)彼はそのカイザリヤの町で、皇帝の安泰の為に誓願を立てて祝う祭りがある事を知らされたので、皇帝を崇める催しを開きました。 その祭りには、彼の領土のおもだった人や身分の高い人々が、おびただしく集まって来ていました。祭りの二日目にヘロデは、全体が銀と素晴らしい織物とで出来ている衣をまとい、朝早く劇場に入って来ました。
時に、衣の銀は日光のまばゆい反射に照らされて驚くほど輝いたので、彼を見詰めていた人々に恐れを引き起した程のきらめき様であった。やがて彼にへつらう人々が、一人またひとりとあちこちから、(彼の徳の故ではなかったのですが)、彼は神様だと叫び始め、『我々を哀れんで下さい。今まであなたを只の人間として敬ってきましたが、今後は、朽つべき者に勝る方として崇めます。』と語り加えた。王はこれを聞いて、彼等をしかりもせず、へつらいを退けようともしなかった。
ところが、やがて王が目を上げると、頭上にある一本のロープに一羽のふくろうが止まっているのを見て、直ちに、この鳥こそかつて自分に良い知らせを伝えた使者であったように悪い音信の使者である事を悟って、この上ない悲しみに沈んでしまった。 また、腹に激痛が起こり、それももっとも激しい調子で始まった。こうして王は急ぎ王宮に運び入れられ、5日間悶え苦しんだ後、紀元44年、54才で7年間の支配を終わったのであります。」以上でヘロデの死の状況の引用は終わります。
ところで、王の死因は一体何だったのでしょうか。この書の著者である医者ルカは、その原因を「主の使いがヘロデを打った」からだと23節において告げています。ここで「打った」と訳されている言葉(パタソー)は、御使いがペテロの脇腹を「たたいて」起こしたという7節の言葉と同じであります。つまり、脇腹を「静かに叩いて」起し、ペテロを助け出した「主の使い」が、今度はヘロデを「打った」、それも「強く打った」ので、ヘロデは「息が絶えてしまった」というのであります。
別の箇所では同じ言葉が「打ち倒す」とか「打ち殺す」という意味でも使われているのでありますが(マタイ26:31;マルコ14:27;使徒7:24)、この事は即ち、ヘロデは明らかに神様の裁きを受けたことを意味しています。それも、ルカは同じ23節において、「彼は虫に噛まれて息が絶えた」とも記しておりまして、王という地位、名誉、権力あらゆるものをほしいままにでき、恐れるものは何もないと思われがちな者が、小さな「虫に噛まれて息が絶えた」と記しているのです。 何と言う皮肉でしょうか。神様はどんな人間であろうと、御旨に反する者に対して「小さな虫」のような物ででも用いて裁かれるのであります。
さて、このヘロデが亡くなったという出来事は、「主のみことばがますます盛んになり、広まって行った」という24節の言葉へと繋がっていきますので、この関係を次に見てみたいのであります。 ちょっと見ますと、迫害の王が死んだので、伝道の妨げがなくなり、従って主の御言葉がますます広まって行ったという様に感じます。しかし、よくよく注意して読みますとそうでない事に気付かされます。つまり、聖書には、ヘロデが主の使いによって打たれたのは、ヤコブを切り殺した罰だったとか、ペテロを逮捕した報いだったとも、何とも言われていないのであります。
ただ「ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである」(23 節)というこの理由によりました。そして、23節から24節にかけての繋がりにおいては、原文では軽い意味の「しかし」あるいは「さて」という意味の言葉が入って続いております。 新改訳では入れて訳されていませんが、文語訳では「かくて主の御言葉は……」と訳され、「かくて」という言葉が入れてあります。人々から「神の声だ」と称えられたヘロデ王の演説は、たちまち起った腹痛のためにとぎれました。神様に栄光を帰する事をせず、自らに栄光を受けて快しとしていた王の言葉は滅びた。
しかし、「主の御言葉は、ますます盛んになり、広まって行った」と言う事であります。このあざやかな対比は「主の御言葉が広まる」のは、単に迫害の王が生きているか死ぬか、あるいは迫害が続くか止まるかという様な外的な事情で左右されるのではない。むしろ、もっと根本的な「神に栄光を帰する事をしない」王の傲慢さ、また神にではなく、国家権力に栄光を帰そうとする民の不信仰が、一方において裁かれているのであります。 では、御言葉の伝わり方はといいますと、神はそのような事に関係なく、主権者としてその御言葉を広めていっておられる、という状況が描かれていると言えましょう。25節には「任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れてエルサレムから帰ってきた」とあります。
11:30 の所で、アンテオケの人達は、ユダヤに住んでいるクリスチャンが飢饉で苦しんでいることを聞き付け、救援物資を贈った事から続いているのでありますが、貧しさの中にあっても、お互いが助け合うクリスチャン仲間、そこには、上げへつらいによって何とか食料を手に入れようとしたツロやシドンの人達とヘロデとの関係とは全く違うのであります。人々の生活の苦しさの中にあっても、神の恵の豊かさ故に、人々は益々神様を求めて行ったと言えましょう。
さて、23節で主の使いがヘロデを打ったのは、ヘロデが神に栄光を帰さなかったからであるとありましたが、この点についてもう少し見てみたいのであります。聖書の中には、このヘロデの様に自分に栄光を帰し、自らの破滅を招いた例と共に、他の人から礼拝されても、自分は神ではないと言って断っている人々についても記されているのであります。その例を二、三挙げておきましょう。 例えば、この出来事の少し前に出て来るペテロの行動がそうでした。ペテロがコルネリオの家を訪れました時に、コルネリオは平伏して、ペテロを礼拝しようとしました。その時、彼はこう言いました。 「お立ちなさい。私も一人の人間です。」(10:26 )とです。
また、パウロとバルナバは、ルステラの人々が花輪やいけにえを運び込んで来て礼拝しようとした時、着物を裂いて叫んで言いました。 「皆さん。どうしてこのようなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこの様な空しい事を捨てて、天と地とその中にある全てのものをお造りになった生ける神に立ち返るように福音を宣べ伝えている者達です」(14:15)と語り掛けました。 栄光は神に帰すべきであって、自らのものとすべきではないのであります。あるいはまたヨハネは、幻のうちに現れた天使を拝もうとすると、これまた天使にたしなめられました。 「いけません。私は、あなたや、イエスのあかしを堅く保っているあなたの兄弟達と同じしもべです。神を拝みなさい」(黙示録19:10,22:9)とであります。 このように、「神に栄光を帰する」とは、間違って自分に不当な栄誉を帰そうとする相手に誤りを指摘する事と、正しい神礼拝を教える事を意味するのであります。神ならざるものに栄光を帰するあらゆる迷信とへつらいを指摘すると共に、栄光を帰すべき真の神を示す事であります。
ところで、ここで少し神様ご自身の栄光について触れておきたいのです。旧約聖書において、栄光は「神様の尊厳、卓越性、完全性」など全てを表しています。神様の栄光は、そのみわざと顕現、臨在を通して表されています。その神様の顕現の顕著な例は、エジプト脱出の時の出来事に見ることができます。そして、民はその栄光を見たのでありました(出14:18; 16:7 )。旧約には他にもいろいろありますが(出24:15-17; 29:43; T列王8:11など)、新約に入りますとイエス・キリストと結び付いて神の栄光が表されています。
イエス様は「父の一人子としての栄光」に満ち(ヨハ1:14)、「神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れ」(ヘブル1:3)であります。神様の栄光は、御子の誕生の時に現れ、(ルカ2:9 )、イエス様のしるしによって明らかにされましたが、(ヨハネ11:40,17:4)、最も強く現れたのは、十字架と復活を通してでありました(ルカ24:26;ピリ2:9-11)。 「キリストを甦らせて、彼に栄光を与えられた神」(Tペテロ1:21)は、イエス様を栄光のうちに天に上げられたのであります。
しかしまた、イエス様が神としての栄光を完全に現されるのは、再臨の時、この地上に再び来られる時であります(マルコ8:38)。神様が私たちに表してくださる栄光。それは驚きであり、不思議であり、ほめたたえるに相応しいものです。 逆に、私たちが誇るべき栄光には何があるのでしょうか。 多くの富を持つことでしょうか。社会的な地位の高さや権威でしょうか。 力と威信でしょうか。私達は、それらをどこから得て、誰の前に誇る事ができるのでしょうか。
神様の前に罪人であり、霊的には死んでいた者であった私たちを、神様は全く新しい命を与え、造り変えて下さいました。私たちが今もっているそれぞれに与えられている地位、名誉、技能、ありとあらゆるものは、神様が下さったものなのです。 とすれば、人々の前で、何を誇ることが出来るのでしょうか。誇れるものがあるのでしょうか。いいえ。何もないのです。にも拘らず、ヘロデは、「神の声だ。人間の声ではない」と人々に立て奉られたのでありました。そしてそれを自分でよしとしました。否定しなかったのであります。従って、神様はその様なヘロデを打たれたのでありました。栄光は神様に帰すべきだったのです。
私たちは、ヘロデが神様から受けた報いを見ながら、恐ろしい神様と考えて神様に従うべきでしょうか。いいえ、決してそうではありません。そうではなく、むしろ全てのものを惜しみ無く与えて下さっている神様に感謝をもってお仕えし、ほめたたえるべきなのです。
私たちは、自慢しやすいものです。自己讃美しやすいものです。人にほめられるとついいい気になりやすいものです。しかし、それは大きな落とし穴です。なぜなら正に、自分に栄光を帰しているからです。誰が言ったのでしょうか。「伸びた爪は切れるが、高くなった鼻はおれない。」とです。なかなかうまいことを言ったものであります。 人と比べて、いつの間にか優越感を味わっている人は特に気をつけた方がいいでしょう。なかなか、神様の前に謙遜になり御名を褒めたたえ、神様に栄光を帰するのは難しい事であります。
がしかし、それゆえに絶えずあらゆるものは神様が与えて下さったものだという事実をいつも確認する必要があるのです。みなさんは、素晴らしい賜物をお持ちであります。それらは、人々の前に誇るためではなく、御名の栄光のために積極的に用いて行くべきものなのです。
マタイ5:16にこういう御言葉があります。「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父を崇めるようにしなさい。」と。自分の行ないによって、自分が輝くのではなく、その後ろにいて下さる神様の御名がほめたたえられるようにしたいものであります。
またこういう御言葉もあります。Tコリント6:20「あなた方は代価を払って買い取られたのです。ですから、自分の体を持って、神の栄光を現しなさい。」と。私たち信仰者は、イエス・キリストの尊い贖いの血によって買い取られ、新しい命を与えられたものです。神様は、私たち一人一人に特別なご計画をお持ちです。その為に必要なものは全て与えて下さっているのですから、誰一人として、私には何もないと自己卑下する必要はどこにもないのであります。
また間違った謙遜も避けなければなりません。私は何も出来ないのですと何もしようとしないのも正しくありません。私たちが用いられるのは、今いる所だけではありません。行く所どこにおいてもであります。教会でそれぞれに与えられた賜物を生かしてそれを献げるだけでなく、それぞれの家庭に於いて、学校に於いて、職場に於いて、さまざまなサークルに於いて、やはりキリスト者として仕えて行くべきでありましょう。それを通して御名が崇められるためであります。 願わくは、お一人お一人の欠点がキリストによって隠され、キリスト者として御名が崇められるために用いて頂こうではありませんか。
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