聖霊に満たされた人々のシリ−ズ11 (2006年10月22日)
初代教会の宣教の歴史:聖霊に満たされた人々のシリ−ズ
「洗礼を受けるのに何か問題がありますか」(使徒8:26-40)
「ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。道を進んで 行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私が バプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」(使徒8:35−36) |
戦国時代に明智光秀の娘として生まれ、後にキリスタントなり、関が原の戦いで石田光成が人質に取ろうとした時これを拒み、家臣の手によって自害して38歳の生涯を閉じた細川ガラシャの物語をテレビ番組で見ました。彼女の名は明智玉子、15歳で細川忠興の妻となり2人の子供の母となり幸せな人生を送っていましたが、父光秀の謀反により彼女の人生は一変してしまいました。 細川家の家名を維持するために、忠興はなくなく妻を丹後の山奥に2年にわたり隔離幽閉せざるを得ませんでした。幽閉からとかれ大阪の夫の下に戻った彼女でしたがそこで待っていたのは、夫が側室を迎え子供まで生んでいたという事実であり、屋敷から一歩も外へ出ることがゆるされない孤立した日々でした。夫が九州に遠征に出かけた隙をみて、彼女は意を決して侍女とともにキリシタン教会を訪ねました。始めてみる教会の荘厳な建物や内部の美しさに感動したそうです。すでに信仰の入門書を独学で学び、本をまるまる1冊暗記してしまっていた彼女の的確な質問を受けた宣教師はその聡明さに驚いたそうです。彼女は「もう教会に直接足を運ぶことができないが、今日、洗礼を受けさせて欲しい」と願い出たそうです。身分の高いお方であるが名前を伏せていることから事情があるのではと察した宣教師は洗礼を授けることを躊躇したそうです。この出来事が夫の耳に入り彼女は以後2度と外出を赦されなくなりました。しかし彼女の信仰はますます深まり、グレゴリオ・セスペデス神父の計らいで侍女に洗礼を受けさせ、その侍女によって屋敷内で洗礼を受けました。ガラシャ(英語のグレース「恵み」のラテン語)という洗礼名を受けました。彼女は日本人の女性として始めて夫の苗字細川を名乗りました。明治時代まで男女は結婚しても妻は旧制を名乗っており夫婦別姓だったそうです。夫婦は一体であるとの聖書の教えに日本の武家社会の慣習を破ってガラシャは従ったといわれています。
ガラシャが直接宣教師からではなく、侍女から洗礼を受けたという点に私は深く感銘を受けました。それほどまでキリストの教えに忠実であろうとした彼女の信仰に純粋さを覚えました。
細川ガラシャの話しを最初にしたのは、今日の聖書の箇所が、エチオピアの大臣がピリポからバプテスマを受けるという出来事と重なる思いが強くしたからです。
1 神に従ったピリポ
エルサレムでキリスト教会に対する迫害が起き、クリスチャンは追放されました。ピリポがサマリアの町に入り福音を宣教したところ、大きなリバイバルが起き、次々とサマリア人が信仰を告白しキリストを救い主と受け入れました。こうしてサマリアに教会が誕生しました。
サマリヤで神様に尊く用いられたサマリア教会誕生の立役者であったピリポでしたが神様は天使を遣わし、エジプトからアフリカへと通じるガザの町へ行くように命じました。ピリポは即座に従いました。嫌な場所ならいつでも離れたいが心地よい場所ならば離れたくないのが人情ですが、ピリポは固執することなく次の働きへと従順に従いました。
2 エチオピアの大臣
そこで神様がピリポに出会わせたのはエチオピアからエルサレムに巡礼し帰国しようとして
いたエチオピア人の男性でした。彼は女王カンダケに使える人物で大臣クラスの高官でした。エチオピアからユダヤまで、この距離は九州から北海道ぐらいの距離がありますが、巡礼の旅に出ることができるほど長期の休暇を自分で調整でき、かつ自分の馬車で旅行できる非常に裕福な立場の人物でした。帰路の馬車の中で彼は大声でイザヤ書を読んでいました。古代の読書法は朗読が一般的でした。ぼそぼそと聖書を読むより、声を出してしっかり読むこともたいへん有益だと思います。ピリピが近づいて彼に声をかけました。ガザからエジプトに下る旧街道は荒れた道であったため、車中でも揺れないで巻物をゆっくり読むことができるほど馬車をゆっくり進めていたと想像できます。あるいは、すこしでもまことの神と救いを知りたいとエルサレムで買い込んだ聖書をさっそく読むために、ゆっくりと進むように御者に命じていたのではとも想像できます。いずれにしろ彼の熱心さがうかがえます。
3 手引きを必要とする
エルサレムの神殿の荘厳さや儀式のすばらしさに触れて感動したものの、場所を離れれば印象も薄くなってしまいます。感動が新しい内に彼はエルサレムで購入したギリシャ語訳の聖書をさっそく開いて、馬車の中で読みはじめましたが、さっぱりわかりませんでした。「手引きを必要とする」との彼の訴えは重要です。手引きとはコンコルダンスやガイドブックのことではなく、「聖霊と聖霊の導きを受けている人々との交わり」を意味します。求道中の人々に100冊の本を読んでいただくことより、福音を理解し福音に生きている1人のクリスチャンとの交わりを通して福音はさらに深く理解できると思います。信徒による家庭や職場での証しや個人伝道がどれほど大切でしょうか。「手引きを必要とします」との叫びを教会はしっかりと受け止めなければなりません。
4 洗礼
馬車が水場に差し掛かった時、高官はピリポに洗礼を願い求めました。「何か差しさわりがありますか?」 つまり私が洗礼を受けることは無理ですか? まだそのような資格がありませんか? アフリカの黒人にはその資格がありませんか? イザヤ書の意味さえ十分にわからない私では不完全ですか?という気持ちが含まれています。 なぜ急にここで「洗礼」の話しが出てきたのかというと、ピリポがイエスの宣教命令(マタイ28:19―20)と、エルサレムでペンテコステの日にペテロが聖霊に満たされて初めて宣教したときの結びの言葉(使徒2:38)と、そのときに3000人の人々が信じてバプテスマを受けた出来事を証ししたからではないかと思われます。
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:19−20)
「そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」(使徒2:38)
福音の宣教と信仰告白と洗礼は一体です。ガラシャにとってもエチオピアの高官にとっても信仰の告白と洗礼との間に分離がありませんでした。後にパウロは明確に語っています。
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」
(ロマ10:9−10)
ピリポは高官を伴い水場に降りて行き、バプテスマ(浸礼)を授けました。彼の心には大きな喜びが充ち満ちました。ピリポの姿が見えなくなっても不安にならず、ピリポを一生懸命探す努力もしませんでした。心に聖霊による喜びがあったからです。ルカは使徒の働きで11回にわたって喜びを語っています。聖霊に導かれて真理にいたる経験は大きな喜びとなり生涯にわたって続く感動となり、力となります。洗礼の喜び、これは経験したものだけがわかる喜びです。そして誰もこの喜びを奪い去ることはできません。私も30数年前、2月の寒い日に教会でバプテスマを受けました。教会の兄弟姉妹が歌う「主に任せよ、なが身を」の讃美歌を聴きながらバプテスマを受けましたが、キリストと共に古い自分に死に、キリストにあって新しく生きる新生の喜びに包まれたことを今なお忘れることができません。
福音の宣教と信仰告白と洗礼は一体です。キリスト教会は過去2000年間、主イエスの約束に基づいた宣教と信仰告白と洗礼を大事に保ち続け、語り続けてきました。
エチオピアの高官の救いのために、ピリポが選ばれ遣わされ、最初は御使いが用いられ(26)、次に聖霊が働かれました(29)。神様は1人の異邦人であるエチオピア人の救いのために、ピリポと天使と聖霊を遣わしてくださったのです。なんと豪華な導き、ご配慮でしょうか。1人の人の救いのためにこれほどの神様のご用意があるのです。神様はなんと恵み深いお方でしょう。
日本の代表的キリスト教作家に三浦綾子さんがおられます。彼女の小説「細川ガラシャ」も多くの方に読まれています。三浦綾子さんはキリスト教信仰への招きという祈りを胸に秘め、多くの本を書きました。一作目の「氷点」も3作目の「塩狩峠」も「細川ガラシャ」も多くの人々に読まれています。読者の一人一人を神様はきっと御使いと御霊と教会の交わりを通して導き続けてくださっています。宇治の教会にも三浦さんの本がきっかけで教会に来ましたといわれる方が何人もおられます。
もし、イエス様を心に迎えていながらまだ洗礼にためらいを覚えている方がおられたら、「何かさしさわりがありますか」と謙虚にそして大胆に求めたエチオピアのかん官のように、神様にお祈りなさいませんか。そしてあなたの心に響く神様の声をお聞きください。
あなたの信仰告白と洗礼を神様が祝福してくださいますように。
「信じてバプテスマを受ける者は、救われます」(マルコ16:16)
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