初代教会の宣教の歴史:聖霊に満たされた人々のシリ−ズ(2007年1月21日)
「鮮やかな神の人材登用 人は宝です」(使徒8:26-40)

「彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。 彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、
みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。」(使徒11:22−23)



「人は城」といったのは武田信玄の有名な言葉です。 建物としての城が国を守るのではなく、人の忠義が国を守ると信玄は考えていました。昔から有能な指導者は、人材発掘、人材育成、人材登用、人的資源への投資に積極的でした。有能な指導者や経営者は人を豊かに用いる能力にすぐれていました。彼らは人的資源開発のプロでもあったのです。

私は初代キリスト教会の歴史書である「使徒の働き」を読むたびに、そこに登場してくる多くの人物のドラマティックな物語に心をわくわくさせられます。同時に豊に人材を用いられる神様の知恵に感動します。そしていつも一つの思いに導かれるのです。小さくあっても神様に導かれて一つの仕事をしてゆく生活はなんと幸いなことだろうかと。神とともに歩む人生には、目的を喪失した空しさはないのですから。

1 信徒の派遣

ステパノの殺害後に起こった迫害によってユダヤの国から追放された信徒の中には500キロも離れたシリア州の首都アンテオケに逃れた者がいました。アンテオケはローマ、アレキサンドリアに継ぐローマ帝国第3の大都市として栄え、当時の人口は周辺地域をあわせて約80万人と推定されています。この国際的な大都会の中で、クプロス出身のユダヤ人クリスチャンたちはギリシャ語を共通言語とする多くの外国人に「キリストの福音」を熱心に伝えるという独創的な宣教を始めました。生粋のユダヤ人クリスチャンにはまだためらいがあったようですが、普段から国際交流が活発であったクプロス出身のクリスチャンには抵抗が少なかったようです。何よりも、すばらしい救い主であるキリストを仲間や友人に語らないで沈黙するわけにはゆきませんでした。彼らの証しや伝道を通して大勢の異邦人がキリストを信じ、罪を悔い改め、神のもとに立ち返りました。その理由は「主のみて」が供にあったからでした(21)。

彼らはその名前さえ記されていない普通の信徒たちでした。使徒たちのような権威や知識がありませんでしたが、それは大きな問題ではありませんでした。彼らが用いられたのは「主の御手がともに」あったからでした。主の御手とは、キリストの力、導き、愛、恵み、その全てが彼らの上に豊にあることを意味しています。

神の御手がおかれている人とは、神の御手ににぎられている人、神の恵みに豊に生かされている人とも言えます。先週学んだように、「神のなさることをどうして妨げることができましょうか」(17)と、むしろ積極的に神のなさる働きに自由な喜びをもった心で献身してゆく人を指しています。

アンテオケは国際色豊かな町でしたから多様な考え方が存在していました。この町に誕生した国際色豊かな教会もまた多様性を尊重する精神を持っていました。多様性が豊かな中で一致するためには「本質的なことがら」が常に求められました。福音を宣教するためにもっとも本質的なことは、「神の恵みに満たされた人が、神の恵みに動かされて神の恵みを証しする」ということではないでしょうか。神の恵みの御手がおかれていること、それこそがどんなすばらしい宣教プランにもまさって宣教の力なのです。福音とは神の恵みに他ならないのですから、福音を宣教する者もまた神の恵みに生かされている人、神の御手がともにある人が求められているからです。

2 バルナバの派遣

アンテオケ教会が祝福されている知らせがエルサレム教会に届いた時、エルサレム教会はバルナバを派遣することを決定しました。アンテオケに到着したバルナバは「神の恵み」を見て喜びました。神の恵みによって豊かに用いられている信徒と、ただ神の恵みのみを見て心から喜び讃美する指導者、両者の間にズレはありませんでした。何とすばらしい組み合わせでしょう。

バルナバは「心を硬く保って主に留まっている」ようにとアンテオケの信徒を励まし続けました。
「心を硬く保って主に留まっている」こと、これは新しい信者にも古い信者にも大切なことです。クリスチャンになること、クリスチャンであること、さらにクリスチャンであり続けることはもっとすばらしいことなのです。日本のクリスチャンの平均寿命は三年ともいわれています。何と深刻な現状でしょうか。

大都会アンテオケは物質的な繁栄に満ちていました。大都会にありがちなさまざまな誘惑も満ちていました。今日の日本社会にも共通する状況です。私たちも主キリストの次の言葉をもう一度、聞きなおす必要があるように思います。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、
あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:4)

主イエスキリストに生涯、結び合わされて生きてゆくこと、生涯キリストとともに生き抜くこと、ここにこそ真の幸いがあるのです。教会において常に分かち合う唯一の励ましは「生涯、主と主に生きる」というバルナバの励ましではないでしょうか。

3 パウロの派遣

バルナバはアンテオケ教会の信徒の数が増えるに従い、働き人の必要を覚えました。バルナバはエルサレム教会に応援依頼を頼むこともできたはずでしたが、祈りの中で1人の人物が導かれました。復活のキリストと出会い劇的な回心を遂げたパウロです。
そこでバルナバはパウロをタルソに探しに出かけ見出しました。バルナバはパウロを説得して、アンテオケ教会に連れて帰り、牧師として迎えたのでした。視点を変えて表現すれば、
神様がパウロをアンテオケ教会に派遣されたのです。

1年の間、バルナバとパウロは協力し、信徒の教育・育成(26)に力を注ぎました。特にパウロの「教える賜物」の豊かさはバルナバの「慰めや励まし」と一体となって教会の基礎を作り上げたことでしょう。ユダヤ教の背景をもたない異邦人が、創造主の存在、愛の神の救いのご計画、アダム以来の人間の罪性、信仰による義認などの重要な福音的教理を正しく理解し、信仰の内容を教理的にも体系化することは非常に重要だと思われます。この意味でアンテオケ教会は非常によく訓練された教会でもあったといえます。

国際色豊かな多様性が輝く教会、神の恵みを感謝しほめたてる恵みに生きる教会、それでいてしっかりとした信徒教育・信徒訓練がほどこされている教会、これがアンテオケ教会でした。このようなアンテオケ教会に集う信徒たちをやがてアンテオケの市民たちは「クリスチャン」と呼ぶようになりました。ギリシャ語原語のクリスチアノイとは「キリスト党」という意味です。熱心にキリストを宣教し、キリストに従う生活を送っている、キリストに属する人々に対して市民がつけたあだなでした。2000年間にわたって生き抜いている「あだ名」も珍しいのではないでしょうか。

アンテオケ教会の始まりは、迫害によってエルサレムを追放されるという悲しみや痛みを背負った名もない信徒たちによって始まりました。彼らは名前さえ記されていない無名の小さな者たちでしたが、「神の御手がともにあった」人々であり、神様の恵みに捕らえられた人々でした。始まりは小さくても神の恵みの富は絶大です。始まりはいつも神の恵みからです。力は神の恵みの中に隠されています。

神の恵みの御手が置かれた教会、それがアンテオケ教会の永遠の名ではないでしょうか。

神の恵みの御手の中で、一人一人が豊に用いられた教会、それがアンテオケ教会でした。

そして同じ主が、今この日本において、あなたの所属するあなたの教会において、あなたを豊に用いようとなさっておられるのです。神の恵みの御手を置いて・・。

祈り


主よ、私たちもあなたの器として用いてください。あなたの恵みの御手を置き、あなたの恵みにとらえて、私たちを生かしてください。



    

ショートメッセージTOP  HOME

Copyrightc 2000 「宇治バプテストキリスト教会」  All rights Reserved.