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アジアの諸教会のために祈る日の礼拝説教 2001年6月24日
───新しい歴史教科書をつくる会の検定教科書を巡って───
「和解の使者として祈らせて下さい」
(2コリント5:17〜21)
今日はアジアの諸教会のために祈るアジア祈祷礼拝となっています。アジア諸国はかつて欧米諸国の植民地とされ、搾取と貧困と戦争に苦しみ続けてきました。そして天皇を中心とする日本帝国は武力をもってアジア諸国を侵略し、多大な被害と犠牲を負わせ、多くの人々の心に深い傷を残しました。戦後の日本は、戦争放棄を明記する平和憲法を掲げ、アジアにおけるリ−ダ−的民主主義国家となり、奇跡的な経済復興を為し遂げ、国際社会においても地位と発言権を占めるようになりました。しかし、今なお、韓国、中国、台湾、フィリピンの国々では根強い反日感情が渦巻いており、戦後57年たった今も、戦争の傷を癒すことができず、さまざまな後遺症で苦悩している人々が多くいます。
聖書はキリストにあってあたらしく創られた者たちには、「和解の務め」と「和解のことば」が神から委ねられていると教えています。「和解」とは、互いに敵対していた関係にある者同士が「それぞれの怒りをのぞき、赦し合い、平和に満ちた信頼関係を築く」ことです。私たち人間はうまれながらにして神に背き、神に逆らう罪の性質をもち、神に敵対していました。神はそのような罪に対して怒りと罰をくだして裁かれる正義の神です。 けれども、罪を憎まれるけれども、罪人を愛して下さる神は、御子イエスキリストの十字架の身代わりの死によって、私たちの罪を赦し、刑罰を取り除き、和解する道を備えて下さいました。それは神の深いあわれみの心から流れ出た慈悲でした。イエスキリストの十字架の恵みと罪の赦し、つまり福音(ヨハネ3:16)こそが、和解のことばです。
私たちには、さらに「和解の務め」が託されました。務めとは、「和解を知ること」「和解に生きること」「和解を伝えること」の3つ行動を含んでいます。
キリストの十字架の救いの出来事を聖書の教えを通して、歴史的事実として知ること、理解すること、信じること。次に、神との関係において愛に生きること、自分自身との関係、隣人との関係において赦しと愛に生きることです。イエスキリストの赦しを知り、自分自身を受け入れて自己和解できた人は、他者を赦し、他者を受け入れることができるのです。そして最後に、神に愛され、赦された喜びをもって、世界に向かって広くこの和解のことばを伝えることが託されているのです。
和解という聖書的な意味を理解した上で、「アジアの諸教会のために祈る日の礼拝」をささげる今朝、今、アジアの諸国との間で国際問題になっている「歴史教科書問題」を取り上げてご一緒に考えてみたいと思います。
1 アジアの国々との信頼関係を引き裂く教科書問題を知る
今、アジア諸国の中でとりわけ、日本は中国と韓国との間でさまざまな政治問題・経済問題で対立し、その結果、長年に渡って築いてきたパ−トナ−シツプに亀裂が生じ始めています。特にその火種となったのが、「あたらしい歴史教科書をつくる会」が執筆作成した教科書が文部科学省の検定に合格し、来年から中学校という教育現場で使用される可能性が高まったためです。諸外国から検定に合格させた政府の責任を問う厳しい非難が向けられ国際問題となっていることが、「歴史教科書問題」です。
自分の国の教科書を他国にとやかく言われる筋合いではない、内政干渉だ、非難など無視しろと主張し正面突破をはかろうとする強硬論者もいますが、アジアに住む人々の気持ちを踏みにじり、アジア諸国との関係を冷却させる暴論と言えます。80年代まで、文部省は教科書にアジア地域での戦争加害事実を書かせないように教科書の検定を指導していました。しかし中国・韓国から歴史の歪曲と隠蔽との厳しい非難が起こり、国際問題化したため、1982年の鈴木内閣の時、アジア近隣諸国との間で友好親善を深めるために、文部省は検定基準の中に、「近隣アジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際強調の見地から必要な配慮がされていること」いわゆる「近隣諸国条項」を加えることになりました。したがって教科書検定に際して、十分な配慮をしつつ誠実に対処する国際的道義が日本政府にはあります。
では問題となった歴史教科書はどのような内容になっているのでしょう。「平和を実現するキリスト者ネット」発行の請願書に簡潔にまとめられていますので是非、ご覧下さい。つくる会の歴史教科書は、神話と歴史を混同し天皇の権威を称賛する「天皇中心の神の国思想」という歴史観(皇国史観)に貫かれ、かつてのアジア太平洋侵略戦争をアジア解放の戦争だと美化し、国益優先、国家秩序と国家防衛義務を強調する教科書、一言で言えば「日本を戦争ができる国にしよう」とする教科書と言えます。このような国家主義的、戦争肯定的な教科書が中学生たちの意識に与える影響が懸念されています。すでにこの教科書を採用すると決定した中学校も現れています。
2 つくる会の政治運動性
この歴史教科書は「あたらしい歴史教書をつくる会」によって執筆されました。つくる会のメンバ−は、戦後の歴史教科書は日本の侵略戦争と加害事実を強調してきたため日本人が自国の歴史に対して誇りと自信を失い、その結果、今日の青少年の精神的荒廃をもたらしたと主張します。自分の国をおとしめるような自虐史的な教科書に替わって、日本の国の歴史と伝統を重んじ、天皇中心の国家体制を築いて、日本の歴史に誇りをもち、国民が元気になれる教科書が必要だと主張し、1997年1月に設立された団体です。タカ派学者によって構成されていますが、自民党議員の半数が所属している「教科書議員連盟」がバックアッフ゜しており、会員数1万人、全都道府県に支部を設立し、年間4億2000万円を越える収入で活動している巨大な政治的色彩の濃い運動団体なのです。
1993年に細川首相はアジア太平洋戦争について「私自身は侵略戦争であったと認識している」と発言し、その歴史認識は村山首相談話へと発展してゆきました。日本が再び軍事大国化し、日本の再侵略に発展することを恐れるアジア諸国へのメッセ−ジであり、おおむね好意的に受け取られました。しかしおさまらない自民党右派・靖国神社関係の三協議会は即座に105名の衆参議員を集めて「歴史検討委員会」を設置し、2年後の1995年に「大東亜戦争の総括」として委員会結果をまとめて出版しました。総括の骨子は次のようなものでした。
1)太平洋戦争は侵略戦争ではなく、自衛戦争であり、アジア解放の戦いであった。
2)南京事件、従軍慰安婦はでっちあげ
3)ありもしない侵略や加害を書いているので新しい教科書が必要
4)学者を使ってこれらの歴史観を国民の共通意識とする と言うものであった。
この延長上に「あたらしい教科書をつくる会」の設立があるのです。これは、「右派ナショナリストによる統一戦線運動」であると渡辺治 一ツ橋大教授は、つくる会の政治活動性を指摘されています。実は、自民党のみならず、他の政党にも賛同者は多く、水面下では連携し、自衛隊を使って戦争ができる「普通の国」へと転換しようとしているのです。
国際化グロ−バル化してゆく中で、国民意識・国家意識がうすれてゆくことを懸念して「ナショナリズム」が台頭してきます。海外に進出する企業や資産家はその安全を確保するために自国の軍隊の出動派兵を望みます。従って最大のネックになっている「憲法第9条」の改正によって自衛隊の存在を認め、海外派兵にも道を開きたいと願う政治勢力の勢いが次第に強まってきていると指摘されています。
3 私たちの対応と祈り
ではクリスチャンとして、歴史教科書にまつわる隠れた事実を知って、どのように対処したらいいのでしょうか。
1)つくる会の論理にだまされないことです。
アジア諸国に対する加害の事実を教えると日本に誇りが持てなくなると彼らは主張します。過去の歴史や事実に向き合うことをせず、事実を隠蔽したり、否定したり歪曲したりする不誠実な感覚が、戦後の日本人の誇りを、強いては青少年の大人への信頼感を失わせ、政治不信や人間不信を生みだしているのではないでしょうか。反省し教訓としなければならないことまで自虐的として退けるという感覚がずれています。悔い改めることは自虐でありません。事実を歪曲すること自体が傲慢であり、自らを卑しめることになるのです。犯された罪は告白し悔いあらためがなされて初めて赦されるのです。「真実を知る機会が奪われることは、悔い改める機会を失うことになり、将来に向かって真実な信頼関係を築く機会を奪われることです。」と平和を実現するキリスト者ネットのバンフレットには記されいますが、悔い改めることは真実への第1歩です。聖書は私たちにこの真理と祝福を語ります。1ヨハネ1:12
2)歴史の認識を深め合うことです。
韓国に訪問した時、年配の婦人が「いつ韓国はどこの国の植民地だったのですか」と質問されガイドがことばに窮していました。近代史を中学でも高校でも時間切れで私たちは学んでいません。近現代史が歴史教育の中で無視されています。一方、韓国ではソウル郊外にある独立記念館を子供たちは見学して日本による侵略の歴史を学びます。そこには、日本軍による拷問のシ−ンなどもなまなましく展示されています。反日感情の強さを改めて痛感させられます。中学や高校の国定教科書の記述もかなり厳しい論調で書かれています。
歴史観を共有することは不可能かも知れないが、何が起こったのか、史実性を客観的に検証し研究することは可能だと思います。戦後、軍部も政府も公文書資料を組織的に焼却したり隠蔽してしまいました。連合軍によって戦争責任、戦争犯罪が追求されることを逃れるためでした。真相解明のためには植民地・戦争関係の資料の保存と全面的な公開が急務となります。高齢化してゆく証言者たちの証言も記録化し映像化する必要が叫ばれています。
西ドイツでは、ポ−ランドとの間で30年間にわたって共通の歴史教科書を作るために共同作業を進め、歴史認識を共有化し、その上に立って真実な国際関係を築こうとしています。それは両国間に豊かな交流と相互理解をもたらしました。
ウォルフガング・ウィッパ−マンは「教科書は歴史をつくる。国家間の溝を深くもするが敵を味方にし、橋を創り、互いの国民を行き交いもさせる」と論じ、歴史教科書を友好のかけ橋にすることを提唱しています。日本の東京芸術大学はソウル市立大学とともに歴史教科書改善のための共同研究が始めました。その背景には、村山首相の談話、小渕−金・日韓パ−トナ−シップ宣言、韓国の日本文化開放政策などがあり、政治的に両国間の成熟という流れがあったからこそ可能となったことだと言われています。
心の傷や心の奥にまで刻まれた忌まわしい事件に対する憎悪と恐怖の感情が癒されるには、戦後57年の期間はまだ短いのかもしれません。しかし、両国間の人と文化と情報の交流は必ず信頼関係を成熟させ、共通の歴史認識をつくりあげてゆく助けとなることでしょう。
ある中学生が、大切なことは「日本人の誇り」ではなく、「人間の誇り」ではないでしょうかとホ−ムル−ムで発言したそうです。韓国人も中国人も台湾人もフィリピン人も、人間として誇りと喜びをもって生きているのです。いかなる国家も一人の人間の尊厳と誇りを踏みにじることは許されません。今こそ、創造主の御声を心に留めましょう。
「私の目にあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」(イザヤ43:4)
歴史教科書問題は、5年後、10年後の子供たちのいのちに関わる問題でもあります。21世紀に向かって、政治の世界も今後ますます大きく変動してゆくことは間違いありません。日本はどのような国家に姿を変えようとしているのでしょうか。平和憲法を改正しようとするのでしょうか、それとも平和憲法を護持し、崇高な理想を高く掲げて国際社会に貢献しようとするのでしょうか。家族でもゆっくりと話し合ってはどうでしょうか。教科書問題は私たちに一石を投じています。「平和を作り出す人々は幸いです。彼らは神の子と呼ばれます」(マタイ5:9)