「夫婦への日々の御言葉」著者:韓国教会情報センター金ハンアン牧師/日本語訳:姜泰進(日本ナザレン教団赤坂教会牧師)

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4月30日(主日)

官能の喜び

神様が人間を創造された時、最初に語られた言葉は、「見られたところ、それは、はなはだ良かった」と言う感嘆詞でした。その感嘆詞の中には、実に緻密な末梢神経を持つ感覚器官や、性生活を通して得られる快さも含まれています。

それ故、私たちはこの与えられた贈り物を心から楽しんで用いるべきです。夫と妻が、互いに与える喜びを感じる事こそ、神様が人を創られた御旨にかなう事だからです。

神様が愛し合う夫婦に与えて下さったこの素敵な贈り物を、感謝の心で用いる事を忘れてはなりません。

あなたの泉に祝福を受けさせ、あなたの若い時の妻を楽しめ。彼女は愛らしい雌じか、
美しいしかのようだ。いつも、その乳ぶさをもって満足し、その愛をもって常に喜べ。

−箴言5:18〜19−


4月29日(土)

妻を喜ばせるには

一つとなる夫婦とは、結婚によって結ばれ、互いに愛をもって尊重し、相手を捨てがたく思う間柄をいいます。「すてかたく思う<Cherisch>」とは、「相手を大事に思う」、「相手に対して愛情をいだいたり、表現する」ことです。

妻を喜ばせる機会はいくらでもあります。妻にとって特別な意味を持つ日、たとえば婚約や結婚記念日、誕生日などに、「おめでとう。いつもありがとう」という一言が、それまでの妻の労苦を拭い去らせ、夫から愛されているという喜びを与える事ができるのです。

その結果、さらに夫への愛情が深まり、夫婦としての絆が固く結ばれる事でしょう。

人は口から出る好ましい答によって喜びを得る、時にかなった言葉は、いかにも良いものだ。

−箴言15:23−


4月28日(金)

一つ?それとも一人ずつ?

対話の有無によって、その夫婦の関係をはかることができます。
夫婦関係の破綻は、対話の喪失によってもたらされることが往々にしてあるのではないでしょうか。

時々レストランなどで、まったく会話を交わさない夫婦(と推察される)を見かけることがあります。お互いに相手を意識する様子もなく、中には険悪なムードさえ漂わせています。

彼らとて、会話が途切れることなく,夢中で語り合った過去があったに違いありません。しかし、いつの間にか互いの間に溝ができ、会話が途絶えてしまったのでしょう。

会話のない夫婦は、最も近くにいながらも、最も遠い存在です。一つではなく、一人ずつの夫婦ほど孤独を感じることはないでしょう。

わたしは、あなたからいただいた英光を彼らにも与ええました。
それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。

−ヨハネ17:22−


4月27日(木)

愛のアクセサリー

女性の美しさは自然に身に付くものではありません。真心と努力によって作られるものです。では、妻がより美しくなる為に、夫であるあなたにできることは何でしょうか。

妻と共に服を選んだり、化粧品をプレゼントする方法もあります。あるいはイヤリングなどのアクセサリーをプレゼントするのも一案です。
もちろん言葉で愛情を示すことも大切です。

夫の示す愛情表現は、どんな装飾品よりも妻の美しさを引き出すことでしょう。

人の贈り物は、その人のために道をひらき、また尊い人の前に彼を導く。  

−箴言18:16−


4月26日(水)

夫婦生活の周期

「こんなはずではなかった!」、「約束と違う!」、「お先真っ暗だ!」

順風満帆な結婚生活にも、時折「葛藤」という波が周期的に押し寄せてきます。また、挫折と不満の周期、あるいは愛と喜びという周期もあるでしょう。

サーファーが、よい波に乗ることを好むように、私たちの結婚生活においても、どの波に乗るのかが重要です。

周期的に押し寄せる「虚無感」の波に乗るか、忍耐というサーフボードをしっかり掴んで明日を見上げ、「希望」という波に乗るのかは、あなた次第です。

夫婦にとっての一番の幸せは、共に同じ波に乗ることです。

わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。
神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。

−詩篇42:5−


4月25日(火)

なぜ見抜けなかったのか

女性の容貌の美しさは、男性をとりこにする為の一種の罠となります。
男性は、女性の美しさに魅了されてしまい、いかにも容易に彼女たちの手中に陥ってしまいます。

いったん眩惑されてしまうと、理性的な分別力が失われてしまい、その結果、妻、家庭、地位、金など、大切なものよりも、刹那的な喜びに心を奪われてしまう盲目状態となってしまいます。そして、肉的快楽や利己的な関係を築き上げていきます。

そんな彼が真実に目覚める兆しがでるや、たちまち別人へと変身する技を披露します。しかし、どんなにうわべを美しく装っても、いつかはメッキがはがれる日がきます。

外見の美しさは、やがては衰えます。しかし、内面の美しさは衰えることはありません。今、あなたはどこを美しくしようとしていますか?顔ですか?それとも心ですか?


 同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるであろう。 −第1ペテロ3:1−


4月24日(月)

心配よ、さようなら!

この世に思い悩みのない人はいないでしょう。
喜びは顔に輝きを与えますが、憂いは私たちの骨を腐らせます。そして、最悪は死に至らせる恐ろしいものです。そのような憂いや悩みを退ける為に、以下の知恵を用いるとよいでしょう。

1.「心配すれば問題が解決するわけではない」という事を悟り、速やかに忘れること。

2.心配は、どう見るかです。決して怪物のように拡大させて見ないこと。

3.死者は心配することもできません。生きているという喜びを味わうこと。

4.問題を避けるのではなく、正面から立ち向かいましょう。その中から解決策が見出されるものです。

5.どうせ心配するなら思いっきりしましょう。しかし、ずるずると行わず、時間を決めること。

6.答えのない問題はありません。ゆっくり落ち着いて対処すること。

7.心配事の提供者が誰なのかを客観的に考察する事。

8.神様は、絶えられない試練にあわせる事はありません。その試練によって得る祝福までも逃さない事。

9.あなたの霊的状態が弱まっているのが不安や心配の原因でもあります。霊的覚醒運動を再開しましょう。

10. 御言葉と祈りによって「解決できる!」という確信を持ち、先ず神様に感謝をささげる事。

わたしの目は憂いによって衰え、もろもろのあだのゆえに弱くなった。
すべて悪を行う者よ、わたしを離れ去れ。主はわたしの泣く声を聞かれた。
主はわたしの願いを聞かれた。主はわたしの祈をうけられる。

−詩篇6:7〜9−


4月23(日)

父母愛中毒症

過剰なまでの干渉や溺愛によって育てられた子どもは、父母愛中毒症におかされています。その症状として真っ先に表れるのは「わがまま」です。

「親」という字は、木の上に立って見る、と書きます。すなわち、常に子どもの傍で転ばぬ先の杖となることが親の役目ではなく、子ども自身が自らの力で立ち上がるよう導くことが親としてなすべき務めです。

過剰な保護は、子どもの依存性を助長し、適応力のない人間を育てます。そのような温室で育った子どもは、世の中のほんの些細な衝撃にも対処出来なくなってしまいます。

過保護や過干渉は、愛情に名を借りた虐待であると言っても過言ではないでしょう。

父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。 

−エペソ6:4−


4月22日(土)

イエス様が小さくなっていませんか?

イエス様は今も生きておられ,御言葉を通して私たちにまみえ、語りかけて下さいます。

その御姿は愛に満ち、悔い改める者には慰めを与え、困難にある者に勇気を与えて下さいます。力の源なる主は、熱い心臓の鼓動のように私たちの日々のいとなみを支えて下さり、その大いなる力を示される事を願っておられるのです。

しかし、父親の怒鳴り声と母親の叱責だけが家庭の中に占めていて、主の御言葉が働けないままにいるなら、イエス様は家庭の中で小さくなならざるをえません。

あなたの家庭では誰が最も力を強く示しているのでしょうか?


生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、
わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。    
                 −ガラテヤ2:20−


4月21日(金)

人生の目標がありますか?

目的地のないままに飛行機が飛ぶ事を想像してみて下さい。その飛行機に自分が乗っているとしたら、何と不安なことでしょう。私たちの人生はどうでしょうか。目標のない人生ほど恐ろしいことはありません。

この世は目まぐるしく変化しており、目的も実に多種多様です。それらの目的を達成する為の優先順位を決定づける事は大変重要です。

では、私たちの人生に於ける優先順位はどのように決定すればよいでしょうか。それは、常に聖書に基づいて決定されるべきです。

1. 私と彼との関係においては、先ず神様と自分との関係を中心に置き、祈りと讃美によって決定する。

2. 妻と夫の関係においては、犠牲と譲る心を夫婦の間に置いて決定する。

3. 自分自身においては、心の中に起る衝動や、欲望に打ち勝とうとする意思と忍耐とを持って、霊と肉の戦いに勝利する事を目標とする。

あなたは今、目的地が定まらない飛行機に乗ってはいませんか?

目標を目ざして走り、キリストイエスにおいて上に
召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。

−ピリピ3:14−


4月20日(木)

夫から嫌われる妻の十か条

1.夫の理解に苦しむ愚かな行動を好んでする妻

2.暇さえあれば不平不満や愚痴をこぼす妻。

3. 無計画にサラ金を借りまくって返済しない妻。

4. 夫を他の男性と比較して、夫の気をくじく妻。

5. 自分の身の回りには必要以上に気を使うが、家庭内の物事には無関心な妻。

6. 無遠慮な物言いで、親類や友人たちから「要注意人物」に指摘されている妻。

7. 貯蓄しようなどとは露程も思わず、湯水のごとく浪費する妻。

8. 親戚付き合いは徹底的に無視する妻。

9. マンネリの料理しか作らない妻。

10. 夫や子どもよりもテレビに夢中になる妻。

愚かな者の言葉は自分の背にむちを當てる、知惠ある者のくちびるはその身を守る。

−箴言14:3−


4月19日(水)

うちの親は何か違う

「何度言ったら分かるの!もう一度やったら承知しないよ!」
「叩かれないと分からないの!?」
「お父さんに叱ってもらうから覚悟しなさい!」

確かに子どもが起こした問題は、間をおかずに即座に解決しなければなりません。しかし、脅かす事によって父母の力を示すべきではありません。

脅かしたり、一方的に叱って子どもを躾けるのではなく、子どもたちと十分なスキンシップをとる事によって、正しい方向へと導く必要があります。そのスキンシップとして最も大切なものは「親子の対話」です。

なぜいけないのか、何が悪かったのかを対話を通して子どもたちに悟らせなければなりません。それが出来ないのは、父母に忍耐する力が欠けているからです。一貫性のない訓戒と恐怖を植え付ける言葉は、子どもたちに不安感を与えるだけで、何の効果もないばかりか、却って反抗心をあおるだけです。

脅かして恐怖心を与えれば、子どもは言う事を聞くと思うのは、親の自己満足に過ぎず、その時間、子どもたちを恐怖に縛りつけておくだけです。

「うちの両親は他の親と何か違う」
そんな思いを子どもたちが持つために必要な事、それは祈りと讃美の中でなされる親子の対話です。対話よりも優れた教育はありません。

不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。
光とやみとなんの交わりがあるか。    −第2コリント6:14−


4月18日(火)

よい人間関係を築くには

1. きちんと挨拶をしましょう。
2. 笑顔を見せましょう。
3. 名前を覚えて呼びましょう。
4. 親切な助け人になりましょう。
5. 真心を尽くして助けましょう。
6. 真実な関心を示しましょう。
7. 称賛を惜しまないようにしましょう。
8. 出来る限り相手に譲りましょう。
9. 奉仕には速やかに行いましょう。
10. いつも相手を立てましょう。

わたしたちひとりびとりは、隣り人の徳を高めるために、
その益を図って彼らを喜ばすべきである。 

−ローマ15:2−


 

4月17日(月)

愛は誰のもの?

愛は自分のものではありません。
愛を造ったお方は神様です。その神様が、人をお造りになることによって愛を表現し、イエス・キリストを通して具現化されました。愛の実態であるイエス・キリストを迎え入れることによって、人は愛の恵みを体験することができます。

その恵みが満ち溢れるとき、愛は、私たちを通して他人に伝えられます。私たちに神様の愛が満ち溢れる事なしに真の愛を分け与える事はできません。

主の恵みによらない愛、すなわち、自己愛、夫婦愛、子への愛、隣人愛などは言葉だけの愛です。何故なら愛とは、人間が行う事ではなく、神様が人間の中で働いている証だからです。

愛さない者は、神を知らない。神は愛である。     −第1ヨハネ4:8−


 

4月16日(主日)

赦しは傷の治療剤

時折夫婦の間に起こる衝突によって出来る傷は、出来る限り速やかに治療しなければなりません。そのままにしておくとかえって傷を大きくする危険性があります。そのような傷は時限爆弾のようなものです。

傷は夫婦をお互いに苦しませるだけです。時間が傷の治療剤になることはありません。心から滲み出る一言、「私が悪かった」この一言こそが傷の治療剤です。

真実な赦しは幸福の門を開く鍵です。

互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたを
ゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。

−エペソ4:32− 


4月15日(土)

あなたは人であって神様ではありません。

夫婦になったのだから、お互い外見的なものに気を遣う必要はない、という考えは間違いです。何故ならあなたは神様ではなく、一人の人間だからです。

人間関係の中で最も先に感じる魅力は外的要素です。たとえ夫婦であっても、別々の人格がそこにある以上、家庭の中で常に相手がある事を意識しなければなりません。

一日の始めに顔を会わせる配偶者に魅力を感じさせないならどうやって、その一日を実り豊かに過ごす事が出来るでしょうか。

夫婦間だからこそ自分自身を磨き、お互いを高め合う生活をすべきではないでしょうか。

しかし主はサムエルに言われた,「顔かたちや身のたけを見てはならない.
わたしはすでにその人を捨てた.わたしが見ると
ころは人とは異なる.人は外の顔かたちを見,主は心を見る」.


 

4月14日(金)

夫婦の対話を妨げる闇の力

闇の力は夫婦の間に様々な武器を置きます。その武器によって夫婦の健全な対話が妨げられるのです。では、その武器とは何でしょうか。以下の聖書箇所を読んで、共に調べてみましょう。

・ みだりに言葉を出させる(箴言12:18)
・ 自分の意見だけを誇示させる(箴言12:2)
・ 他人を侮らせ、自己満足をさせる(箴言11:12)
・ すぐに怒らせる(箴言12:16)
・ 他人の意見を無視するよう仕向ける(箴言18:13)

敵を知れば勝利を収めることが出来ます。

 


4月13日(木)

えせ夫の聖書解釈

女性は男性に媚びへつらって生きるべきである。男性に意見するなどもってのほかであり、夫のする事にいちいち口を出す妻は良き妻とは言えない。

女性は、男性よりも劣るものであるから、軽率に口を開かず、おとなしく従うべきである。夫の命令に対して質問したり意見するような資格はない。

このように考える男性は、女性を「物」としてしか見ておらず、女性を男性の所有物か都合のよい付属品に格下げしてしまいます。そのような夫は「えせ夫」です。彼が、それらの根拠を聖書に基づいて行っていると言うなら、それは確かに「えせ聖書注釈者」です。

夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しない。

−エペソ5:25−


4月12日(水)

愛は人を妬みません

1.  私はあなたの競争相手ではなく、あなたに犠牲を払う者でありたい。

2.  私は誰に対しても、あなたを褒めます。

3.  私はあなたを他の誰かと比較するような愚かな事はしません。

4.  私は祈りと共にあなたに信頼をよせます。

5.  私はあなたと夫婦である事を誰にでも誇れます。

6.  恵まれた環境や立場にある人々と比較したり、心を動揺させる事はしません。

7.  身近な人々が栄える事に対して嫉妬心を持ちません。

8.  自分の中にある妬む思いを、祈りの中で深く省察します。

9.  人の所有を見て羨ましがることはしません。

10.  貧しい人をさげすむ事はしません。

愛は寛容であり、愛は情け深い。
また、ねたむことをしない。
愛は高ぶらない、誇らない。

 −第1コリント13:4−


4月11日(火)

主に仕えるように夫に仕えなさい

この聖書の御言葉は、夫の支配を受けて奴隷のように屈服せよ、という意味ではありません。妻は、夫の権威が家族から認められるように、知恵を持って計らいなさいということです。

当然、妻は子どもの前で夫を軽視したり、卑下するような言動は慎まなければなりません。妻が、妻としての本分を果たす時、夫もまた自分の役割を認識する事が出来るようになります。

妻の優しさは夫の力です。
妻の判断力は夫の智恵です。
妻の協力は夫の支えとなるのです。

妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。 

−エペソ5:22−


4月10日(月)

主婦の副業

家庭の主婦が副業を持つべきか否かは、主婦自らが判断し,決定を下すべきです。

その選択はもちろん難しいことです。ですから、祈りと事前の検討を十分に行う必要があるでしょう。そして、決定した事柄については、喜びを持って臨むべきです。

しかし、その判断が神様と家庭にとって最善の方法ではなかったと判断した場合は、一旦立ち止まって、一番優先されるべき選択を常に行う事が必要です。

副業の選択は、生涯の伴侶を選択することとは異なります。あくまでも副業であって、本来なすべき働きの妨げになってはならないからです。

彼女は羊の毛や亜麻を求めて、手ずから望みのように、それを仕上げる。
また商人の舟のように、遠い国から食糧を運んでくる。
彼女はまだ夜のあけぬうちに起きて、その家の者の食べ物を備え、
その女たちに日用の分を与える。

 −箴言31:13〜15−


4月9日(主日)

認められる夫になる為の10の智恵

聖書は夫を一家の頭であると述べています。
良き夫がいる家庭の中は喜びが絶える事なく、家族皆が幸いになれるのです。

1.家族に「誠実な夫」と言われるよう努めましょう。

2.日々自分自身を磨き、成長する姿を見せましょう。

3.家族の言葉に耳を傾ける誠意を見せましょう。

4.礼儀正しい夫になりましょう。

5.根気強い姿を見せましょう。

6.言葉ではなく行動で実践する夫になりましょう。

7.趣味を持つなどして、ゆとりある生活を心がけましょう。

8.円満な対人関係を行う夫になりましょう。

9.生きた信仰を持ち、生活を通して証する夫となりましょう。

10.  「夫は私を守ってくれる」と、妻から信頼される夫になりましょう。

夫たる者よ、妻を愛しなさい。つらくあたってはいけない。 

−コロサイ3:19−


4月8日(土)

夫婦喧嘩のルール

1.  喧嘩の前、又は後に神様に喧嘩する(した)事を報告する祈りを大きな声でしましょう。

2.  喧嘩の発端になった問題を究明しましょう。

3.  過去の問題を引き出しての喧嘩は絶対に行わないようにしましょう。

4.  侮辱的な言葉や、人格を傷つける言葉は言わないこと。

5.  相手の痛いところを攻撃する愚かな喧嘩は止めましょう。

6.  すぐに解決できない問題があった時は、一旦休戦カードを出しましょう。

7.  喧嘩するときは、極力相手の近くで行いましょう。手をつないでおこなうのがベストですが、無理な場合は、せめて顔を向かい合わせて行いましょう。

8.  喧嘩する前には、録音機などを用意して証拠確保の備えをしましょう。

9.  喧嘩の後は、ゆったり風呂につかって新たな衣服に着替えた後、和解の食事をしましょう。

10. 喧嘩の後は外出は避けましょう。

夫婦喧嘩は戦いではありません。多少、不協和音的な面もありますが、夫婦生活増進のための一種のスポーツです。その為、一定のルールを守らなければなりません。どんなスポーツもルールを守らなければ反則です。ルールに反する喧嘩は後遺症を残す事になるので、気をつけましょう。

知者の口の言葉は惠みがある、しかし愚者のくちびるはその身を滅ぼす。
愚者の口の言葉の初めは愚痴である、またその言葉の終りは悪い狂氣である。

−伝道の書10:12〜13−


4月7日(金)

真の貧しさとは

結婚式で新郎新婦が神様の前に「富める時も、貧しい時も、愛し合う事を誓います」と約束する言葉があります。この「貧しい時」を、多くの人々は、「物質的貧しさ」と捉えがちですが、結婚生活における真の貧しさは、精神的困窮に陥いる事です。

また、この「貧しさ」とは霊的な貧困であり、信仰と信仰による血縁共同体から離れた危険な状態を指します。物質的に豊かになればなるほど精神的渇きが生じ、次第に「孤立の沼」へと吸い込まれていきます。それらの前兆として表れるのは「対話の貧困」です。

先ず自分自身の良心との対話を失い、やがて配偶者との対話が途絶え、結果、神様との祈りによる対話も讃美も断絶させてしまう、最も恐ろしい「貧しさ」なのです。

現在、あなたは貧しくはありませんか?

人の道は自分の目にことごとく潔しと見える、しかし主は人の魂をはかられる。 

−箴言16:2−


4月6日(木)

ワンダフル カウンセラー

「世は変わる」と人は言います。しかし、実際は、世ほど変わらないものはないのではないでしょうか。人を苦しませる問題や罪は、昔も今も変わりなく繰り返されています。現在、私たちが受けている苦しみは、昔に生きた人々も同じように苦しみ、悩んだのです。

その中で私たちにとっての救いは、全能なる神様と神様の御言葉も決して変わらないという事です。昔と今で何か違いがあるとしたら、先祖たちは、最高のカウンセラーであるイエス・キリストから直接御言葉の力を体験したのに対し、今の時代は、御言葉の中で主と出会うという事でしょう。

私たちが不治の病におかされた場合、どのような行動を取るでしょう。あの病院、この病院、あの薬、この薬、すべての手だてを尽くし、絶望的な状況になって、ようやく最後にイエス様を訪ねはしないでしょうか?

希望があるうちに、ワンダフル カウンセラーと御言葉の中で出会う家庭であってほしいと願います。

キリストのうちには、知惠と知識との宝が、いっさい隠されている。

−コロサイ2:3−


4月5日(水)

霊魂も懲らしめを受ける?

人は誰しも生まれながら罪の性質を持っています。幼子たちも例外ではありません。
この罪性は、自分自身に仕え、思いのまま生きるように誘惑します。そして、悪を行おうとする力でもあります。

神様が懲らしめを与えるのは、この罪性の奴隷となっている肉と古い性質であって、霊魂にムチをあたえるのではありません。

故に、罪は憎むべきですが、人を憎んではならないのです。

子を懲らすことを、さし控えてはならない、むちで彼を打っても死ぬことはない。
もし、むちで彼を打つならば、その命を陰府から救うことができる。

−箴言23:13〜14−


4月4日(火)

私のノート

お気に入りのノートを一冊用意して下さい。

その中に、何か嬉しい事があった時、その喜びについてを記しましょう。
また、悲しい事があった時や苦しい事があった時も、あなたの気持ちのままをしたためてください。

あなたの心の思いは神様と、その「私のノート」にだけ打ち明けましょう。

いつか、あなたが何日も家を離れねばならない時、あるいは、思いがけない病いで入院するような事が起った時、家に残っている夫に渡しましょう。
あなたの事を思い出しながら読むようにと・・・。

もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、
一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。

−第1コリント12:26−


4月3日(月)

限界を認める人と認めない人

夫婦は、互いに相手の粗を探す為にあるのではありません。相手の限界を認識し、足りなさを補い合う事こそ夫婦のあるべき姿であり、理想的な夫婦と言えます。

自分の限界を認め、主の前に謙遜な姿勢で祈り求める時、神様はあなたの代わりに助け手を備えて下さいます。しかし、自分の力だけで何とかしようともがくなら、主はいつまでも待たれるでしょう。

私たちの忍耐は限界がありますが、神様の忍耐には限界がありません。

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

−ローマ8:28−


4月2日(日)

私の両親

子どもの年齢によって、両親に対する感じ方は様々です。
さて、あなたは今、子どもからどのように見られ、或いは思われているでしょうか。

・ 胎児期−ー誰かな?何処かな?分からない。

・ 幼児期−ー望みをきいてくれる大好きな人。時々とても怒るけど何でだろう?

・ 5〜6才−ー何でも知ってて、何でも出来るパパとママって凄い!.

・ 7〜8才−ーパパが世界で一番素敵!でも、時には一番怖い人。

・ 10代−ー思っていたほど両親は何でも知っているわけじゃなかったんだ。うちの親の考えはもう古いよ。

・ 20代−ーうちの親は何て気の毒なんだろう。私だったらもっと要領よくできるはず。私は絶対あんなふうに生きたくない。

・ 30代−ーうちの両親はどこで知恵を得ていたのだろう。確かに自分より色々な事を知っているようだ。

・ 40代−ー両親が言っていた通りだ!すべて私の事を思って言ってくれていたのだ。やっぱり、わたしの両親は最高!

・ 50代−ーそう、親の判断は正しかった。全く隙間が無かった。

・ 60代−ーなぜもっと早く気付かなかったのだろう。もう一度会える事ならどんなに嬉しい事だろう。

子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。 

ー箴言22:6ー


4月1日(土)

赦しとは・・・

赦しは驚くべき癒しの効果をもたらす特効薬です。
赦しとは、限りなく受納することです。それは自分自身の傷と苦痛を受け止め、その苦痛をもたらす原因となった人をもまた受納することです。

また、赦すことは自分を与えることであり、その結果に対して相手から何の代償も求めないことです。

憎む相手に対する愛の心を持つには赦ししかありません。罰を受けて然るべき相手に愛の手を差し出すことが赦しです。

犯した過ちに対して罪の意識に苦しむ人に、真の平和と微笑みを与え、立ち上がる力を与えることこそ赦しです。

わたしは、彼らの不義をあわれみ、もはや、彼らの罪を思い出すことはしない。

 −ヘブル8:12−