偏見と差別 2025年8月3日 / 久富 牧師 偏見と差別 2025年8月号 新約聖書に「異邦人」ということばが良く出てきます。異邦人とはユダヤ人以外の民族を指しています。ユダヤ人は、自分たちはアブラハムの子孫で神に祝福された民族であり、それ以外の民族は汚れた民と信… 続きを読む →
自分の罪を認める幸い 2025年7月27日 / 久富 牧師 マルコの福音書7章24節~30節 1、人を汚すもの(1節~23節) マルコの福音書7章1節から23節まで、律法学者たちとイエスのきよめについての議論が記されています。パリサイ人たちは昔の人々の言い伝えに従って、手を洗って… 続きを読む →
わたしがいのちのパンです 2025年7月20日 / 久富 牧師 ヨハネの福音書6章1節~15節 マルコの福音書を引き続き見ると、ヤイロの娘を生き返らせた後、イエスは郷里で伝道しました。しかし、そこでは彼らの不信仰のゆえに何人かの病人をいやしただけで終わってしまいました。その後イエスは… 続きを読む →
ヤイロの娘と長血を患った女性 2025年7月13日 / 久富 牧師 マルコの福音書5章21節~43節 イエス・キリストはご自分が神の子であることを弟子たちに示すために、様々な奇蹟を行いました。前回は、嵐を静めることによって、ご自分が自然の力を治める神の権威がある事を弟子たちに示されました… 続きを読む →
イエスを神の子と告白する 2025年7月6日 / 久富 牧師 マルコの福音書4章35節~41節 私たちの人生には様々な出来事が起こります。それは、イエスを神の子と信じるクリスチャンであっても同じです。しかし、その対応においては違いがあります。神を信じない者にとって、災いや死は恐れで… 続きを読む →
種蒔きのたとえ話 2025年6月29日 / 久富 牧師 マタイの福音書13章1節~9節 マタイの福音書13章1節~3節「その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると大勢の群衆がみもとに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆はみな岸辺に立って… 続きを読む →
神の教え安息日の意味 2025年6月22日 / 久富 牧師 マタイの福音書12章1節~14節 イースターの前まで、福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)を通して、イエスの働きを順番に見てきました。前回、ヨハネの福音書5章ベテスダの池で38年間、病に苦しむ人の病を癒したお話しで終わ… 続きを読む →
ダビデ王と息子アムノンとアブサロム 2025年6月15日 / 久富 牧師 サムエル記第二19章1節~8節 先週は、サウル王とその息子ヨナタンについて。また、ヨナタンとダビデの関係についても学びました。今日は、ダビデ王とその息子アムノンとアブサロムについて学びます。 ダビデは羊飼いの家から神に選… 続きを読む →
サウロ王と息子ヨナタン 2025年6月8日 / 久富 牧師 サムエル記第一9章1節2節 イスラエルの民がエジプトを出て40年が経ちました。彼らは自分たちの不信仰のゆえに荒野を40年もさまよい歩きました。神はモーセに変えて新しいリーダーヨシュアを選び、彼によってカナンの地を征服… 続きを読む →
ヤコブとイスラエルの12部族 2025年6月1日 / 久富 牧師 創世記29章15節~30節 アブラハムの家族関係、イサクの家族関係について学びました。今日はヤコブの家族関係について学びます。 ヤコブは父イサクをだまし、兄になりすまし、兄エサウに約束された父イサクによる祝福の祈りを横取… 続きを読む →