ご覧になる神(エル・ロイ)

「ご覧になる神(エル・ロイ)」創世記16章1節~16節

創世記12章からアブラハムとサラ夫妻が登場します。この夫婦は、最初から年を取っており、アブラハムが75歳、サラが65歳でした。また、この夫婦には後継者となる子がいませんでした。当時、女性の一番の働きは子をたくさん産むことで、子をたくさん産めば産むほど、神様の祝福を受けていることの証明でした。また、その反対に、子を産めない女性は、肩身が狭く、不幸な女性、呪われた女性として世間から低く見られました。サラにとっても同じで、アブラハムの妻としての地位は確かなものでしたが、しかし、子が産めないがゆえに、心に苦しみをためていたと思われます。そんな、アブラハムとサラの夫婦に神様が現れ、創世記12章で、神様と特別な契約を結びました。2節「あなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。」アブラハム夫妻は、神様に約束を信じて、親族から離れ、神様の示す地を目指して旅立ったのです。

神様の約束を信じて旅立った二人でしたが、それから、10年が経過しても、二人には子が産まれませんでした。サラは75歳になっていました。彼女は、自分の力ではもう子を産むことができないと考えたのか、夫のアブラハムに一つの提案をしました。それは、自分の女奴隷を夫に妻として差し出すことでした。女性にって、自分の女奴隷を夫に与えるとは、どんなにつらい決断だったでしょう。それほど、自分がアブラハムに子を産むことができないことに責任を感じ、アブラハムの家を絶やさないためにはこれ以外に方法はないと考えての行動でした。また、神様の約束も、アブラハムの子であればいいだけで、自分以外の女性を通して生まれることも神様の計画と考えたのです。実際に、当時の習慣として、奴隷が産んだ子も主人の子とされました。アブラハム自身もサラのつらい気持ちを知りつつも、これ以外に子を得る方法はないと考え、サラの言葉に従い、エジプトの女奴隷ハガルを妻として受け入れたのです。

ハガルという名は、移住とか離脱という意味で、アブラハム夫妻がエジプトに滞在していた時に、お金で買われた女奴隷であると思われます。ハガルはアブラハムと関係を持ってすぐに子を身ごもりました。アブラハムが85歳になるまで、子を得ることができなかったことを考えると、アブラハムの家にとってこの出来事は大きな喜びでした。人々は、アブラハムの子を身ごもったハガルをほめたたえたことでしょう。今まで、女奴隷として虐げられた彼女にってこの出来事は人生を変える大きな出来事でした。周りの人々は、将来、跡取りになる子の母として、ハガルの地位を高く上げました。当然、サラに対する態度も横柄になって行きました。我慢できないのはサラです。今まで奴隷として扱ってきたハガルが、自分の主人のようにふるまうようになったのですから。サラはアブラハムにこのことを訴えました。アブラハムはサラに「あなたの好きなようにしなさい。」と言いました。サラは自分の妻としての立場を取り戻すために、ハガルをいじめたとあります。ハガルはサラのいじめに耐えられず、アブラハムの家から逃げ出してしまったのです。

そんなハガルを神様は見捨てることはありませんでした。神様は荒野の泉で休んでいるハガルに声をかけました。8節「サライの女奴隷ハガル、あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」彼女は神様に答えました。「私の女主人サライのところから逃げているところです。」主の使いは彼女に言いました。9節「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」また、彼女の子孫を大いに増やし、数えきれないほどにされることを約束して下さいました。また、その子に「イシュマエル」という名を付けるように命じられました。イシュマエルとは、「神は聞かれる」という意味です。彼女は神様の言葉に従い、女主人サラのもとに帰り、アブラハムに男の子を産みました。そして、その子にイシュマエルという名が付けられたのです。

創世記の21章で神様の約束通り、サラがアブラハムに子を産んだことが記されています。アブラハムが100歳、サラが90歳の時です。また、その子に「イサク」という名が付けられました。イサクとは笑うという意味です。アブラハムもサラも、神様が来年の今頃子が授かると神様の言葉を聞いたとき笑ったあります。それは、神様の言葉への疑いの笑いでしたが、神様はその笑いを喜びの笑いへと変えてくださったのです。しかし、そのことは、ハガルとイシュマエルの人生を変える大きな出来事でした。イサクが生まれたとき、イシュマエルは14歳になっていました。イサクの乳離れのお祝いの時、サラはイシュマエルがイサクをからかう姿を見てしまいました。その光景は、サラに大きな不安を与えました。将来、二人が大きくなった時の後継者争いです。そこで、サラは夫アブラハムに、ハガルとイシュマエルを家から追い出すように訴えました。アブラハムにとってイシュマエルも自分の子ですから、サラの言葉にしたがって、イシュマエルを追い出すことにためらいがありました。しかし、アブラハムもイサクの将来のことを考えて、イシュマエルを追い出す決心をしたのです。

創世記21章14節「翌朝早く、アブラハムは、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、それを彼女の肩に載せ、その子とともに彼女を送り出した。」とあります。二人は荒野をさまよい、革袋の水も尽きてしまいました。ハガルは我が子の死を見るのを嫌い、イシュマエルと離れて座り、声を上げて泣いたとあります。そんな絶望の状況で、神様はハガルに声をかけました。17節「ハガルよ。どうしたのか。恐れてはいけない。神があそこにいる少年の声を聞かれたからだ。」18節「行ってあの少年を起こし、彼を力づけなさい。わたしはあの子を大いなる国民とするからだ。」神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけました。ハガルは革袋に水を満たしてイシュマエルに飲ませ、二人は危機を脱しました。また、イシュマエルは、成長して荒野に住んだとあります。ハガルの人生は周りに振り回された人生でした。エジプトで女奴隷としてアブラハム夫妻のもとで奴隷として仕えましたが、女主人が子を産めないがために、アブラハムの妻として差し出されました。そこで、アブラハムの子を宿すと、今度は、周りから特別な存在として扱われ、いきなり高い地位へと祭り上げられました。彼女はこの幸運を喜び、周りに対して高慢に振舞うようになりました。しかし、サラが身ごもると、今度はハガルの立場は大きく変わりました。逆に邪魔者とされ、こどもと共にアブラハムの家から追い出されてしまったのです。しかし、神様はハガルとイシュマエルを見捨てることはありませんでした。荒野において二人を助け、イシュマエルは、神様の約束通りイシュマエル族の族長となり、多くの国民を生み出したのです。ハガルはエジプトの女性でした。イスラエルの民の考えからすれば異邦人、神様の約束から退けられた民です。しかし、イシュマエルもアブラハムの子です。神様はアブラハムのゆえに、二人を祝福し、大いなる国民としてくださったのです。私たちも以前は、神様の約束から遠い存在でした。しかし、イエス様を通して神様と契約した者です。確かに、この世にあって、私たちには艱難や苦しみがあります。それでも、神はイエス様との約束のゆえに私たちを神の民と受け入れ、決して、私たちを捨てることはないと約束してくださいました。神は神により頼むものを捨て去ることはない。これが聖書の私たちに与えられた神様の約束です。