過越の祭りとイエスの十字架

「過越の祭りとイエスの十字架」出エジプト記12:1~14

出エジプト記3章まで終わりました。その後、モーセはエジプトに出かけ、エジプトの王にイスラエルの民をエジプトから旅立たせるように交渉しますが、エジプトの王はモーセのことばに耳を傾けませんでした。そこで、モーセはエジプトに対して、10の災害を下しました。その10番目の災害が、エジプト中の初子のいのちを奪うという災害でした。エジプト中ですから、その中にはイスラエルの民の初子も含まれていました。しかし、イスラエルの民にはモーセを通して一つの約束が与えられました。それは、羊を殺しその血を家々の二本の門柱と、かもいにそれをつけなさいという命令でした。神様はその血をみてその家を通り過ぎると約束して下さったのです。また、神様はこのことを特別な事として、その子供たち、また、その子孫に特別な祭りとして毎年、守るように命じられました。過越しの祭りが行われたのは、BC1445年と言われています。イスラエルの民はこの命令を毎年守ったかというと、それほど、厳格に守られたわけではありません。それどころか、過越しの祭りが毎年守られるようになったのは、イスラエルの国がバビロニヤによって滅ぼされた後のことです。国が滅ぼされた後、イスラエルの民は捕囚として、バビロニヤの地に連れていかれました。その後、神殿礼拝ができなくなったイスラエルの民は、会堂に集まり、今のように、祈りと讃美と神様のことばに耳を傾ける礼拝へと変えられたのです。彼らは熱心に神様のことばに耳を傾け、忠実に神様のことばを実行するようになりました。その時代に生まれたのが律法学者と呼ばれるユダヤ教の指導者です。彼らによって旧約聖書が研究されるようになりました。その後、イスラエルの国が再建され、神殿も再建されましたが、この会堂での礼拝は続けられ、人々は毎週土曜日に会堂に集まり、神様に礼拝をささげるようになったのです。

イエス様がお生まれになられた時代、ユダヤの国は、ローマ政府に支配されていました。また、イスラエルの国は、律法学者と呼ばれるユダヤ教の指導者と祭司階級のサドカイ人の二つのグループによって議会(サンヘドリン)が構成されていました。ユダヤの民衆はパリサイ人を支持し、ローマ政府はサドカイ派と強く結びついていました。イエス様が30歳で宣教の働きを始めると、イエス様と律法学者との間で対立が生まれるようになりました。律法学者たちは旧約聖書を研究し、どうしたら神様の教えを守ることができるのか研究しました。その結果、彼らは神様の戒めに自分たちの戒めを加えるようになり、イエス様の時代には、神様の戒めと律法学者たちの教えとの区別がなくなり、神様の戒めが膨大に膨れ上がってしまいました。また、民衆はそのような膨大な戒めを守るために、重荷を背負わされ、その生活は、律法学者が定めた戒めのために苦しめられていたのです。イエス様は、そのような時代に、神様の戒めが何であるのか、何が人間の戒めなのかをはっきりさせ、民衆に神様の戒めを教えました。そして、イエス様自身、神様の戒めを実行し、律法学者たちの戒めを否定しました。それゆえ、イエス様と律法学者との間に対立が起こったのです。しかし、民衆は喜んでイエス様の教えに耳を傾けました。それを見た、律法学者たちはイエス・キリストを恐れ、自分たちの戒めを守るために、イエス・キリストを捕らえ殺すことを決心したのです。

マタイの福音書26章を見ると、祭司長、民の長老たちはイエス様を捕らえて殺そうと計画しましたが、過越の祭りの時は避けようと相談していました。それは、その祭りが世界中からたくさんの人が集まる祭りだったからです。祭司たちは、イエス様を捕らえた場合、イエス様を支持する人々の暴動が起こるかもしれないと民衆を恐れたのです。しかし、人々は、イエス様のことばにつまづき、多くの群衆がイエス様から離れていきました。それを見た、祭司や民の長老たちは、この好機を逃さず、イエス様を捕らえ、早々に裁判にかけて、イエス様に死刑の判決を言い渡したのです。しかし、それも神様のご計画でした。神の子であるイエス様は過越の祭りの時に殺されなければならなかったのです。

過越の祭りとイエス様の十字架の死とは幾つかの共通点があります。

  1. 過越の祭りは、エジプトに降る神様からの裁きからの救いでした。イエス様の十字架の死は、私たちの罪のゆえに降る、神様の裁きからの救いです。
  2. 過越の祭りでは、羊が殺されその血を二本の門柱とかもいに塗り、神様はその血を見てその家を通り過ぎると約束されました。イエス様の救いは、ご自分のいのちを十字架でささげ、血を流しました。そして、私たちがイエス・キリストを神の子と信じるなら私たち救うと神様が約束して下さいました。
  3. 神様はモーセを通して、この過越の祭りを毎年守るようにイスラエルの民に命じました。イエス様はご自分が十字架の上で殺される前に、最後の晩餐の時、弟子たちにパンとぶどう酒を与え、この儀式(聖餐式)を守るように弟子たちに命じました。

過越しの祭りは、イエス・キリストの十字架の死と救いをあらわしたお祭りです。現在私たちは過越の祭りを守ることはありませんが、聖餐式を通して、神様が私たちに与えてくださった救いの約束を忘れないようにと、聖餐式を特別な日として守っているのです。信仰とは、神様の約束を信じることであり、約束をしてくださった方、神様は必ず約束を守られる方だと信じることです。

神様は何故、エジプトに対して10の災いを与えられたのでしょうか。それは、エジプトの王パロがモーセとの約束を何度も破ったからです。しかし、もう一つの意味は、イスラエルの民に対して、神様の力を証明するためでした。神様は初めから初子を殺すという災害ではなく、アブや、イナゴの災害、暗闇などを通して神様の力を示してきました。イスラエルの民はそのような奇蹟を見て神様の約束を信じたのです。ノアは、神様によって洪水が起こることを知らされ、箱舟を作るように命じられました。何年、何十年かけて、ノアの家族は箱舟を完成させたのでしょう。周りの人々はノアの家族がしていることを気がくるっていると笑い者にしました。ノアの家族は神様の約束を疑わなかったのでしょうか。しかし、ノアの家族が箱舟を完成されると、神様の約束通り洪水は起こり、ノアの家族と箱舟の中に入った動物以外は皆、洪水で滅ぼされてしまいました。アブラハムは75歳の時に、神様と出会い、親族から離れ私が示す地に旅立つなら、あなたを大いに祝福し、その地をあなたの子孫に与えると約束をいただきました。アブラハムは神様に従いカナンの地に入りますが、その地にはすでにカナン人が住んでおり、アブラハムは一坪の土地も神様から与えられませんでした。それどころか、高齢になった二人には、後継者となる子供すら生まれませんでした。不安に思うアブラハムを神様は外に連れ出し、夜空を見せながら、あなたの子孫は空の星のようになると言われたのです。アブラハムはそれを見て信じたとあります。アブラハムは自分の年齢やサラの年齢を考えると不可能に見えましたが、それでも、神が約束して下さったことは必ずそうなると人間の力を超えた神の力を信じたのです。イエス様は天に昇られる前に、弟子たちに世の終わりについてお話になられました。世の終わりは突然に現れると。それゆえ、いつでも目を覚ましていなさいと言われました。私たちはその言葉をその通り信じているでしょうか。災害は忘れた頃に現れると言われます。イエス様が生まれて2017年がたちました。しかし、いまだに、世の終わりは来ていません。へブル人の手紙には、救われる人のために神様が忍耐をもって待っておられるとあります。神様の約束は必ず成就します。私たちはその時を、忍耐を持って、また、信仰を持って待ち望みましょう。