希望の光(クリスマスイブ礼拝)

クリスマスイブ礼拝「希望の光」ヨハネの福音書1章9節~18節

「希望」という言葉は、人々に明るい未来を想像させます。しかし、先の参議院選挙の希望の党の失速によって、「希望」という言葉が色あせ、政治の世界にも混迷の色合いを深める結果となってしまいました。もともと、イスラエルの国は、モーセによってエジプトから旅立ったヘブル人たち(男性だけで60万人)がヨシュアによって、カナンの地を征服し作り上げた国家です。しかし、その国もソロモンの死後、北と南に分裂し、北イスラエルはアッシリヤによって紀元前720年に滅ぼされ、南ユダ王国は、紀元前585年にバビロニヤによって滅ぼされてしまいました。イエス・キリストの時代はユダヤの国はローマ帝国に支配されていました。当時のユダヤ人たちの希望は、自分たちの国をもう一度独立させることでした。旧約聖書には、救い主が誕生されると預言されていましたが、人々が求めた救い主は、外国の支配を退け、自分たちの国を再建する新しい王の誕生を意味していました。イエス・キリストが誕生し、30歳で宣教活動を始められましたが、イエス様の説教と奇蹟によって人々は、イエス・キリストこそ、旧約聖書で預言された救い主(メシヤ)ではないかと人々の期待が高まりました。しかし、イエス・キリストは一切、政治的活動はなさいませんでした。その結果、人々はイエス様への期待が裏切られ失望し、イエス様から離れてしまいました。また、それを見たユダヤ教の指導者たちは、この時とばかり、イエス様を捕らえ、神を冒瀆した罪で、十字架に付けて殺してしまったのです。

今、私は、お茶の水でカウンセリングを学んでいます。最近、「孤独」というテーマで学びました。講義の最初に先生がこのように言われました。「人間は一人で生まれ、一人で死んでいかなければならない、人間とは孤独な存在である。」人は、孤独を仕事や愛する人、好きなことに熱中することによって、孤独を覆い隠すことは出来ます、しかし、それもつかの間の出来事で、人は孤独から解放されることはありません。最近、韓国の有名な歌手が自殺しました。日本でも、有名な芸能人が何人も自ら命を絶っています。また、日本において毎年三万人近くの自殺者があります。ジャン・バニエという人が孤独についてこのように述べています。「孤独とは、自分が何物にもつながっていない。まったく切り離されていると感じることです。また自分の価値がないと感じること。世界が自分に敵意をもっているように思われ、うまくいくことができないという絶望のことです。・・・孤独は死の予感です。」孤独とはつながりというものが、希薄になること、また断たれてしまうことによって生じる感情といってよいでしょう。

私自身、中学3年生の時、自殺を考えました。友達がいないわけではありませんでしたが、本当の自分の気持ちを打ち明ける友だちはいませんでした。両親、兄弟と共に住んでいましたが、誰にもこの気持ちを打ち明けることができず、孤独でした。また、自分の価値を失い、自分が生きている意味さえ失ってしまい、自分が死んでも誰も悲しまないだろうと思えました。ある時、本気で自殺を考え実行に移そうとした時、頭の中に母の顔が浮かびました。

母だけは自分のために泣いてくれる。母を悲しませてはいけないと、自殺を思いとどまりました。私は孤独でしたが、母とのきずながあったゆえに、自殺を思いとどまることができたのです。孤独でも誰かとつながることによって自殺を思いとどまることができます。講師の堀先生のお話ですが、ある時、夜中の3時に、一人の女性から今から自殺することを決めましたという電話を受けたそうです。そこで先生は、自殺をしてはイケないと説教したのではなく、自殺のプラス面とマイナス面について話し合い、翌朝の9時に先生の所に来ることまで約束ができたそうです。そこで、彼女は自殺を思いとどまり次のように言ったそうです。「私が自殺を思いとどまったのは、先生が私に話してくださったお話ではなく、夜中の3時に電話をかけたにもかかわらず、しっかりと30分も辛抱して私の話を聞いて、私が自殺することをやめるように説得してくださる方がいてくれたということです。そんなことがあるのなら、もしかしたら本当に人生に、生き続けることに、もういちどチャンスを与えてもいいじゃないかと思ったからです。」彼女は堀先生との関係を通して人とのつながりを回復し、自殺を思いとどまった例です。

聖書の話に戻って、ヨハネの福音書1章9節「すべての人を照らすまことの光が世に来ようとしていた。」とあります。イエス・キリストは私たちの心に光を照らすために来られました。人間とのつながりも大切ですが、神様とつながることはもっと大切なことです。神様はこの世の全ての物を六日間で完成されました。六日目の最後に人間をご自身に似せて創られたとあります。似せてとは、神様に外見が似ているというより、神様に近い存在、神様とコミュニケーションができる存在として創造してくださいました。しかし、私たちの先祖アダムとエバが罪を犯すことによって二人はエデンの園から追い出されてしまいました。それと同じように、私たちも罪を犯したがために神様と親しい関係を失ってしまいました。神様は私たちが失った神との親しい関係を回復するために、イエス様を人として地上に誕生させ、私たちの罪の身代わりとして十字架の上で殺させたのです。私たちは、イエス・キリストを神の子と信じることによって、神様との親しい関係を回復することができるようになりました。神様は私たちを高価で尊い者として親しい関係を回復したいと願っておられます。今日、心を開いて、神様の愛を必要とする方は、どうぞ、心の中で神様に祈ってください。神様は目には見えませんが、私たちの心の中に働きかけ、私たちの心に希望の光をともし、心に平安を与えてくださいます。