使徒信条(10)とこしえのいのち

「使徒信条(10)とこしえのいのち」コリント人への第一の手紙15章50節~58節

今日は、使徒信条の最後、「からだのよみがえりととこしえのいのち」について学びます。聖書は、イエス様の復活だけではなく、イエス様を信じる者も復活して永遠の国(天国)で神とともに永遠に暮らすことを教えています。また、そのよみがえりは、魂だけが永遠に生き続けるのではなく、肉体(体)を持って復活することを教えています。イエス様が弟子たちに復活して現れたとき、扉が閉められていたのに、イエス様はその扉を通って弟子たちの前に姿を現されました。そしてその手とわき腹の傷を示されました。復活されたイエス様の体は、この世の法則に支配されない新しい体によみがえられたのです。先程、お読みしたコリント人への第一の手紙15章では、40節「天上のからだ」と表現されています。それは、イエス様だけではなく、終わりの日に、私たちに与えられる新しい体です。聖書は、私たちもイエス様と同じ栄光の体でよみがえると教えているのです。天の御国は永遠の世界です。私たちがその永遠の国で暮らすためには、その国に相応しい朽ちない体を必要とするのです。

ここで一つのの疑問が起こります。私たちが復活する体は、いったい何歳の体で復活するのでしょうか。80歳で亡くなった方は、80歳の体で復活するのでしょうか。また、1歳で亡くなった赤ちゃんは1歳の体でよみがえるのでしょうか。私は、神学校でそのことを先生に質問したことがあります。その時、先生はこのように答えられました。「復活については、これから起こることなので、明確にはわかりません。しかし、私の想像では、その人にとって一番良い時の体で復活させて頂けるのではないでしょうか。」という答えでした。そうであるならば、もう一つの疑問が浮かび上がってきます。それでは、私たちは天国での再会の時、誰が誰であるのか判断がつかなくなってしまうのではないかということです。先生はその質問に対して、二つのか答えがあると言われました。一つは、「神様の恵みによって、誰であるのかがわかるように神様がしてくださる。」もう一つの考えは、「神様はあえて誰であるのかわからないようにされる。なぜなら、すべての人が天国でわかってしまったら、天国に来れなかった人も誰であるのかわかります。そうすると、私たちは、天国で会えなかった人のことを思って悲しむのではないでしょうか。天国は悲しみの無い国です。であるなら、神様はあえて、誰が救われ、誰が救われなかったかを私たちがわからないようにされる。」と言う考えです。そのときになってみなければわからないと言うのが先生の意見でした。ヨハネの黙示録によると、天の御国は、神と共に私たちは住み、夜が無く、死も、悲しみも、苦しみもない世界だと教えています。そのような素晴らしい国で、私たちは永遠に暮らすのです。

とこしえのいのちとはどういうものでしょうか。とこしえのいのちとは、この地上で永遠に生き続けるいのちのことではありません。また、私たちは、死んでから、永遠のいのちがあたえられるわけでもありません。聖書によれば、私たちが、イエス・キリストを信じたその瞬間に私たちに永遠のいのちが与えられると約束されています。ヨハネの手紙第一5章11節~13節「そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあると言うことです。御子を持つものはいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。」とあります。

新約聖書の中で、多くの手紙を書いたパウロは、自分が生きている間に、イエス様の再臨があると信じていました。しかし、あれから2000年以上がたっても、聖書で預言されている終わりの時はきていません。ペテロが生きていた時代にも、人々は世の、終わりが本当に来るのかと疑いを持った人々がいました。そのような人々に、ペテロはこのように答えています。ペテロの手紙第二3章9節「主は、ある人がおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」世の終わり、イエス様の再臨の時は、いつおとづれるのか誰にもわかりません。確かなことは、神様の約束ですから、いつか、必ずおとづれると言うことです。イエス様が誕生されて2000年以上がたちました。確かなことは、私たちは、ペテロやパウロが生きていた時代よりも遥かに終わりの日に近づいているということです。イエス様は弟子たちに、終わりの日がいつきてもいいように、目を覚まして備えておきなさいと言われました。私たちの多くは、すでにこの永遠のいのちを神様からいただいています。しかし、私たちの家族、友人はどうでしょうか。イエス様は、私たちの家族、友人が救われるのも忍耐を持って待っておられます。わたしたは、イエス様がいつ来てもいいように備えておきましょう。