使徒信条(4)十字架に付けられて殺された神

「使徒信条(4)十字架に付けられて殺された神」マタイの福音書27章15節~26節

先週は使徒信条の3回目「主は、聖霊により、おとめマリヤより生まれ」より、どうして、イエス様は、おとめマリヤから生まれなければならなかったのか、処女降誕の意味について学びました。今日は、イエス様の十字架の死の意味について学びます。

初めに、ポンテオ・ピラトという名前が出てきます。ピラトはローマ政府から遣わされた総督で、実質的にユダヤを治めていました。資料によれば、紀元26年~36年まで、ユダヤの総督であったことが記録されています。イエス様は二度、裁判にかけられました。一度は、ユダヤ人の宗教裁判です。その裁判において、律法学者、祭司たちは、イエス様を「神を冒涜した罪」で、死刑の判決を下しました。しかし、当時、ユダヤはローマに支配されていたゆえ、公に罪人を死刑にする権限を持っていませんでした。そして、公に罪人を死刑にする権限は、ローマ総督のピラトだけが持つ権限でした。そこで、祭司、律法学者たちは、イエス様を、わざわざ、ローマ総督の前に引き出し、死刑にするようにピラトに要求したのです。祭司、律法学者たちは、自分たちの法律でイエス様を殺すこともできました。しかし、彼らは、その後、イエス様の弟子たちによって、イエス様の教えが広がることをおそれたのです。それゆえ、あえて、イエス様を罪人として処刑することによって、完全にイエス様の教え自体も葬ることを考え、ローマ総督ピラトにイエス・キリストを死刑にするように要求したのです。

聖書を見ると、ピラトは、イエス様が律法学者、祭司たちのねたみにより、イエスを死刑にしようとしていることを知っていました。それで、ピラトは、イエス様を釈放しようと、祭りの日に罪人を恩赦することを思い出し、それを利用して、イエス様を釈放しようと試みました。しかし、祭司、律法学者たちの働きによって、群衆は、バラバを釈放し、イエス様を十字架に付けて殺すように要求したのです。バラバとは、強盗と殺人で捕えられていた囚人です。群衆は、その強盗と殺人を犯したバラバを釈放し、無実のイエス様を十字架に付けて殺すように要求したのです。ピラトは驚きました。なぜ、強盗と殺人を犯したバラバを釈放し無実のイエス様を十字架に付けて殺さなければならないのか。ピラトは何とか、イエス様を助けたいと思いましたが、ユダヤ人の声が激しくなり、暴動が起こりそうになって、しかたなく、イエス様を十字架に付けて殺すことを許可し、ユダヤ人たちにイエス様を引き渡したのです。

祭司、律法学者たちは、世界中から熱心なユダヤ教徒が集まる過越しの祭りの間は、イエス様を捕えるのを避けたいと思っていました。群衆の暴動を恐れたからです。イエス様は弟子たちに、過越しの祭りの間に自分が祭司、律法学者に捕えれ殺されることを告げていました。しかし、弟子たちは、イエス様のことばの意味を理解できませんでした。イエス様を捕える側の、祭司、律法学者たちは、過越しの祭りは避けたいと思っていました。しかし、実際にイエス様が捕らえられたのは、イエス様が弟子たちに伝えていた過越しの祭りの日だったのです。そのことを考えると、イエス様の十字架の死は人の計画ではなく、初めから、神様の計画だったことがわかります。過越しの祭りは、イエス様が誕生される約二千年も前にエジプトで行われた神様の奇跡に由来したお祭りです。当時、イスラエルの民は、エジプト人から迫害を受けていました。そして、彼らが神様に助けを求めた時、神様からイスラエルの民を救い出すために遣わされたのがモーセです。モーセはイスラエルの民をエジプトから助け出すためにエジプトに10の災害を与えました。その最後の災害が、エジプトにいるすべての初子を殺すという神様の裁きでした。しかし、イスラエルの民には、モーセによってその災害から助けられる約束が与えられていました。それが、羊を殺しその血を門とかもいに塗ることでした。神様はその血を見てその家を通り過ぎると約束してくださったのです。その日、エジプト人の家には、神様の裁きが下されましたが、イスラエルの家には神の裁きは下りませんでした。それは、イスラエルの民がモーセによって与えられた約束を守って、羊を殺し、門とかもいにその血を縫ったからです。神様はモーセを通して、この出来事を記念し、過ぎ越しの祭りとして毎年、守るように命じられたのです。この過越しの祭りは、二千年たってもイスラエルの民に大切な祭りとして守られていました。イエス様はまさに、人々を神の裁きから救い出すために生まれ、過越しの祭りの日に、新しい子羊として血を流し、死ぬために誕生された救い主だったのです。そのことを、イスラエルの民のわからせるために、神様はあえて、イエス様を過越しの祭りの日に、イエス様のいのちを犠牲とされたのです。

また、救い主が苦しみを受けて殺されることは、イエス様が生まれる700年も前に、預言者イザヤに告げられていました(イザヤ書53章)。しかし、イスラエルの民はその意味を理解することができませんでした。イエス様の時代、人々は、偉大なダビデ王のような救い主を求め、ユダヤをローマ政府から助け出す、勇敢な救い主待ち望んでいたのです。イエス・キリストは、忠実に神様の計画に従い、苦しみを受けて十字架の上で死んでくださいました。しかし、弟子たちも、ユダヤ人たちもその神様の計画を信じることができませんでした。しかし、イエス様は死より三日目に復活され、弟子たちにその姿を見せてくださいました。弟子たちは、イエス様の復活を見て、初めて、十字架の死の意味を理解することができたのです。また、弟子たちはそのことを聖書に書き記し、私たちにそのことを伝えています。今、私たちは、復活されたイエス・キリストの姿を見ることはできません。しかし、神様は私たちに神様のことばである聖書を残してくださいました。私たちは、聖書をとおして、イエス様の十字架の死が空しい死ではなく、私たちの救いの完成であることを知るのです。使徒信条の「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」とは、イエス・キリストが歴史上の人物であり、私たちの罪の身代わりとして苦しみを受けられたこと。また、「十字架につけられ」とは、十字架の死は、イエス様の失敗ではなく、私たちを救うための神様の計画」であることを告白しているのです。