母の苦しみと喜び

「母の苦しみと喜び」Ⅰコリント10章13節

今日は、母の日なので母をテーマに聖書からお話をします。

ルツ記の1章を見ると、「さばきつかさが治めていたころ」とあります。「さばきつかさ」とは「士師」のことで、ルツ記の背景が、士師記の終わりの時代を表し、この時代、リーダとして国を治める者もなく、イスラエルの国が最も混乱した時代を背景にしていることがわかります。また、国が乱れ、ききんに襲われれば食べる物もなく、人々は生きるために国を捨てなければなりませんでした。ここにエリメレクとナオミの夫婦と二人の子マフロンとキルヨンが登場します。この家族もまた、生きるために、イスラエルの国を捨て、隣の国モアブへと移住するために旅立ったのです。外国で暮らすだけでも大変なのに、ここでナオミは夫エリメレクを失ってしまいました。エリメレクがどのような最期を迎えたのかわかりませんが、一家の働き手を失ったナオミの苦しみと悲しみはどれほどのものだったでしょうか。しかも、ナオミは悲しんでいるばかりもいられません。二人の息子のために夫に代わって働かなければなりません。夫を亡くし、外国で二人の男の子を育てることはどんなに大変なことでしょう。それでもナオミは二人の子供のために前に進まなければなりませんでした。何年たったかは、わかりませんが、二人の息子は成長し、結婚する年齢へと達しました。ナオミは成人した息子を見てやっと肩の荷がおりたのではないでしょうか。二人はそれぞれモアブの女性、オルパとルツと結婚しました。「彼らは約10年の間、そこに住んでいた。」とあります。ナオミにとってしあわせな10年ではなかったでしょうか。夫を亡くし、一生懸命働きました。そして、二人の息子はそれぞれ結婚し幸せな暮らしを送っている、母親にとってこれほどうれしい事ははありません。しかし、この幸せも長くは続きませんでした。5節「マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。」とあります。母親にとって息子を失うことほど悲しいことはありません。まして、ナオミは二人の息子を失ってしまいました。その悲しみはどれほど深いものだったでしょう。ナオミは国を失い、夫を失い、二人の息子まで失ってしまいました。後にナオミがベツレヘムに帰った時、人々は「まあ、ナオミではありませんか」と言ったとあります。「ナオミ」とは「快い」という意味です。ナオミはそれを聞いて「私をナオミと呼ばないで、マラ(苦しむ)と呼んでください。全能者が私をひどい苦しみにあわせたのですから。」と答えています。ナオミの苦しみの深さを表した会話です。

この悲しみの中、ナオミは神様がもう一度、イスラエルの国を顧みて、ききんから立ち直った事を聞きました。ナオミはこの知らせを受けて、生まれ故郷に帰る決心をしました。ナオミにとってモアブでの生活は苦しいことが多かったのではないでしょうか。夫を亡くし、二人の息子を失ったナオミは、残りの人生を生まれ故郷のベツレヘムで過ごしたいと考えました。そこで、ナオミは二人の嫁、オルパとルツと別れる決心をしました。それは、二人のためでもありました。自分と別れて、モアブの男性と再婚する方がずっと楽な生活ができるからです。しかし、ここで思わぬことが起こりました。嫁の一人ルツがナオミについて、ベツレヘムに行くと言い張ったのです。ナオミにとっては驚きではなかったでしょうか。モアブの女性がイスラエルの国で暮らすなど、大変なことです。ナオミは何とかルツを説得しようとしましたが、ルツの決心は変わりませんでした。ルツはナオミに言いました。ルツ記1章16節「あなたを捨てて、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まわれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」これは、ルツの信仰告白です。モアブにもたくさん神々は祭られていましたが、ルツはナオミを通して、イスラエルの神を自分の神と信じ、共に歩みたいと決心したのです。ナオミはこのルツの信仰告白を聞いて、ルツと共にベツレヘムで一緒に生活することを決心したのです。

神様はベツレヘムに帰って来た、ナオミとモアブの女性ルツを無視することなく、特別な恵みを用意して受け入れてくださいました。ベツレヘムに着くと、ルツは年老いたナオミのために率先して働きに出ました。ルツはボアズがナオミの親戚であることを知らずに、ボアズの畑で、落ちた穂を集め始めました。ボアズは見知らぬ女性が、自分の畑で落穂を拾う姿を見て、自分のしもべに、彼女が誰であるのかを聞きました。しもべは、近頃、モアブから帰って来たナオミの義理の娘モアブの女性であることを説明しました。ボアズは姑のために熱心に働くルツに好意をいだき、自分のしもべに、ルツに親切にするように命じました。

畑から帰って来たルツがたくさんの大麦を見せたので、ナオミは驚いてしまいました。そして、どこの畑に行ったのかを聞くと、ルツはボアズの畑ですと答えました。その時、ナオミはボアズが夫の親戚であることを思い出したのです。イスラエルの国の法律では、貧しくて畑を売った場合、近い親戚の者がその土地を買い取り、他の部族に土地が移らないようにする法律があります。しかも、子を残さずに夫が死んだ場合、畑を買う者は、その残された女性を妻とし、養わなければならないという法律もありました。ナオミはボアズが買い戻しの責任のある親族であることを思い出し、その背後に神様の働きを感じました。ナオミはすぐにルツを夜中、ボアズの所に行くように命じました。それは、自分たちが助けを必要としていることをボアズに伝え、ボアズに法律に従い、自分たちを買い戻してほしいという意思表示でした。ボアズは夜中に自分の足元に寝ているルツを見て驚きましたが、彼もナオミの意図を理解し、ルツを自分の嫁とするためにすぐに行動に移したのです。信仰深いボアズにとってモアブの女性と結婚することは大きな決断を要するものでした。しかし、彼も神様の導きを信じて一歩前に踏み出したのです。そして、二人は結婚し、オベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデ王が生まれたのです。

ここまで、ナオミの人生を見てきました。ナオミは決して、幸いな人生を歩んで来たとは言えない人生でした。夫を失い二人の息子を失うという悲しみを体験しました。普通、人は幸せになるために神様を信じます。それを「ご利益宗教」と呼びます。ご利益宗教は実は、神様を利用することで、ご利益が無ければ、あれもこれもと自分の都合に合わせ神様を信じます。ナオミはこの苦しみの中でも、信仰を失いませんでした。人は、どうしてそんな苦しみの中でも神様を信じるのかと言います。信仰とは、ご利益があるから神を信じるのではありません。神が真の神だから真の神を信じるのです。また、その神は災いの神ではなく、愛の神様です。苦しみにも意味があります。神様は意味のない苦しみを私たちに与えることはありません。また、私たちは苦しみを通さなければわからない世界があります。また、苦しみを通して達する信仰もあります。大切なことはパウロがコリントの教会の人々に伝えようとした、神様への信頼です。Ⅰコリント10章13節「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」これが私たちが信じる神様の姿です。ナオミの人生は苦しみの連続でした。それでも、神様はナオミを捨てていたわけではありません。苦しみの中でもナオミの信仰は守られていました。そして、彼女がベツレヘムに変えることを決心した時、神様は彼女を最高の祝福を持って準備してくださっていたのです。