神によって変えられたヤコブ

「神によって変えられたヤコブ」創世記32章22節~32節

先週は神様に選ばれた夫婦と題して、イサクとリベカの夫婦から学びました。今日は、その二人の双子、エサウとヤコブから学びます。双子というと、姿かたちもそっくりで、趣味や性格までそっくりな双子を思い出します。しかし、双子の場合、一卵性双生児と二卵性双生児の二つに分かれ、二卵性双生児の場合、必ずしも姿かたちが似るということはないようです。小学校の頃、二組の双子がいて、一組は一卵性双生児で、見分けがつかないほどそっくりでした。もう一組は、二卵性双生児で、本人から聞くまでは双子とは全く知りませんでした。

エサウとヤコブは、二卵性双生児だったのでしょうか、姿、形、性格も全く違っていました、エサウは毛深く、ヤコブの肌はなめらかでした。また、エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいたとあります。また、エサウが狩りでお腹を空かせて帰ってきた時、ヤコブは家の中で「赤い物(煮物)」を煮て料理をしていました。族長のイサクから見れば、巧みな猟師である兄のエサウを自分の後継者として考えるのは当たり前のように思えます。さらに、ひ弱で、家の中で料理をしている弟のヤコブを後継者にと考えることは論外だったでしょう。しかし、神様の選びは違いました。神様は二人が生まれる前から、兄は弟に仕えると、母リベカには伝えていたのです。

母リベカは二人の兄弟をどうみていたのでしょうか。確かに、兄であるエサウは、体格もよく、猟が得意で族長に向いているかもしれません。しかし、その性格を見る時、粗暴で、短絡的、我慢ができないエサウを見て、族長として一族をまとめることができるのか不安に思っていたかもしれません。それに比べ、穏やかな性格で、知恵のあるヤコブの方こそ族長にふさわしいと考えていたのではないでしょうか。

性格分析をするとき、気質(テンプロメント)性格(キャラクター)人格(パーソナリティー)の三つに分類して考えます。気質とは、生まれたときに持つ先天的な性質を言います。周りから影響を受けたり、教えられて身に着けた性格ではありません。例えば、ヤコブの穏やかな気質は、育った環境や両親の影響によって身に着けたものではなく、生まれたときから自然に身についた気質です。それと同じように、エサウの粗暴な性質も、生まれつきの気質と考えられます。それに比べて性格は、周りの影響や教育によって身に着けられていくと考えられています。優しい性格やおっとりした性格は、核に穏やかな気質がありますが、豊かで守られた環境で育てられることによって身に着けられる性格です。人格とは、その人自身を現わす言葉で、土台となるのが、気質と性格です。私たちは、この人格として対人関係で接し、また、物事を判断して、行動に移します。それゆえ、私たちの判断の基準と行動に影響を与えるのが、気質と性格です。そして、この気質と性格を変えることは出来ないと言われています。しかし、人格を変えることによって、対外的な反応や行動を変えることはできます。また、性格には裏の面と表の面があり、性格の一面だけで良い悪いを判断することはできません。例えば、おとなしいという性格は、マイナス面を見れば、消極的と見られますが、別の面を見れば、慎重な性格と言えます。ことさらに、性格を変えようとせず、性格のよい面を出すことによって、対人関係や人生を変えることができるということです。

私は、子どもの頃からおとなしくて、目立たない存在でした。そんな性格がいやで、中学生になった時、自分を変えようとして、ことさらに、目立つ行動を行い、積極的な人になろうと努力しましたが、いつも途中で疲れて、本来のおとなしい性格に戻ってしまいました。何度か、自分を変えようとしましたが、自分の力ではできませんでした。しかし、神様に出会って、ネガティブな性格からポジティブな性格へと変えられました。ネガティブな時は、何時も、失敗を恐れ、失敗することしか頭にイメージすることができませんでした。しかし、神様に出会ってから、人の意見は100人いれば100通りあり、不変的ではない、神様の判断こそ、絶対的で、神様にさえわかってもらえば、満足で、人の評価を気にしないようになりました。それから、失敗が怖くなくなり、物事を積極的に受け取ることができるようになりました。

エサウとヤコブはそれぞれ分かれて成長し、エサウはエドム人の祖となります。ヤコブは狡猾で人をだまし押しのけるような性格でしたが、神様との出会いによって変えられ、イスラエル民族の祖として尊敬される者となりました。

1.神との第一の出会い(創世記28章10節~22節)

ヤコブは、兄エサウの怒りを恐れ、叔父のラバンの元へ逃げて行きました。その時、ヤコブは初めて、砂漠で夜を過ごしましたが、彼は、夢の中で、天に届くはしごを見ました。この時、神様はヤコブに言われました。創世記28章15節「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこに行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」この言葉は、砂漠で一人で過ごすヤコブにどれほど励ましの言葉となったことでしょう。

2.神にしがみついたヤコブ(創世記32章24節~32節)

兄エサウの怒りを逃れて20年後、神様はヤコブに生まれ故郷に帰るように命じました。ヤコブはラバンの下で得た家族を引き連れて、生まれ故郷に旅立ちました。しかし、20年たってもヤコブは兄エサウへの怖れが取り除かれませんでした。不安の中、ヤコブは家族を川の対岸に渡らせ、一人になりました。その時、ヤコブは夜明けまで格闘したとあります。神との格闘の中で、ヤコブのもものつがいが外されました。しかし、ヤコブは神様から離れずに神様にしがみついたのです。そこで、神様はヤコブに「イスラエル(神と戦う)」という名を神様から与えられたのです。

兄エサウは、力と財産もあり、神様に頼る必要がありませんでした。しかし、ヤコブは、ひ弱な故に、神様を求め、神様に頼ることを学びました。今の日本で生活していくうえで、神様の助けを必要とする人はどれぐらいいるでしょうか。兄エサウは十分な財産を得たために、神様の助けを必要としない人生を選びました。しかし、ヤコブは、父イサクをだましてでも神様の特別な祝福を求めました。また、ヤコブは、自身が弱さを覚えるため、神様の助けを求めました。それゆえ、神はヤコブの神となって下さり、彼の生涯を祝福して下さったのです。私たちが神様を信じるために、自分の本当の姿、弱さを受け入れなければなりません。私たちが本当の自分の姿に目を留め、自分の弱さを受け入れたとき、神は、はじめて、私たちの神となって下さるのです。