モーセの家族関係について考える

「モーセの家族関係について考える」出エジプト記2章1節~10節

先週はヤコブの12人の子どもたちの兄弟関係から学びました。ヤコブは4人の妻を持ち、それぞれに子供が生まれ、その子供たちが一つの家庭で生活していました。また、その中でもヤコブはラケルの子ヨセフを特別に愛したとあります。そのような家庭が平和に暮らせるわけがありません。兄弟たちはヨセフに嫉妬し憎み、ある時、エジプトに行く商人にヨセフを奴隷として売り渡してしまいました。また、父ヤコブには、ヨセフが獣に襲われて殺されたと報告したのです。

ヨセフはエジプトで苦労しながらもまじめに働きました。しかし、主人の奥さんに嘘をつかれ、監獄に入れられてしまいました。しかし、神様はエジプトの王に不思議な夢を見させ、この夢の意味を解き明かす者を探させました。そこで、以前、ヨセフが監獄で、自分の夢を解き明かしたことを思い出した献酌長官は、ヨセフをエジプトの王の前に呼び寄せたのです。ヨセフはエジプトの王の夢を解き明かし、エジプトの総理大臣に任命され、来る飢饉に備えることになりました。そんな中、ヨセフと兄弟たちはエジプトで出会い、ヨセフの弟ベニヤミンの事を通して、兄弟たちは和解することができました。また、ヨセフがヤコブの家族をエジプトに呼び寄せたので、ヤコブの家族はエジプトで暮らすようになったのです。その数が70人であったと聖書は記しています。

ヤコブの家族がエジプトに移住して、200年~300年がたちました。ヤコブの子どもたちはエジプトの国で、ものすごい勢いで増え始め一つの民族として成長しました。そのころ、ヨセフのことを知らないエジプトの王が誕生し、このヘブル民族の増加に恐れを持つようになりました。そこで、エジプトの王は、ヘブル人に苦役を与え苦しめましたが、それでも人口の増加はとまりません。そこで、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦に命じて、ヘブル人の女が男の子を産んだら、その子を殺さなければならないと命じたのです。そのような迫害の中、モーセは誕生しました。出エジプト記の2章にモーセの誕生のことが書かれていますが、ここにはモーセの両親の名前は書いてありません。出エジプト記6章16節から20節を見ると、モーセの父アムラムはケハテの子でレビの孫にあたることがわかります。また、アムラムは父ケハテの妹ヨケペデと結婚し、ミリアムとアロンとモーセを生んだことがわかります。

モーセが生まれたとき、モーセの両親はモーセのかわいいのを見て、その子を三カ月間隠したとあります。しかし、これ以上隠すことができず、モーセの母は、モーセをかごに入れてナイル川の岸において来ることを決心しました。誰かに拾われて無事に生き延びることを願ったのです。我が子をかごに入れて、ナイル川の岸に置いて来なければならない母の気持ちはどんなに苦しかったことでしょうか。それを知ってか、モーセの姉ミリアムは、モーセがどうなのかじっと、近くで様子を見ていました。この時ミリアムが何歳であるかわかりませんが6歳から7歳ではないかと思われます。すると、エジプトの王の娘が水浴びにナイル川までやって来ました。そして、モーセが入ったかごを見つけ、拾い上げたのです。エジプトの王パロの娘は、その子がヘブル人の子であることに気が付きました。自分の父がヘブル人を迫害しているのを知っている彼女は、この子を哀れに思い、自分の子として育てる決心をしました。そしてその子にモーセ(引き出すという意味)の名を付けたのです。エジプトの王がヘブル人を恐れヘブル人の子を殺させているのに、神は皮肉にも、エジプトの王の娘にモーセを引き出させ育てさせたのです。

また、この光景を見ていたミリアムはすかさず、王の娘の前に現れ、この子のために乳母を連れてきましょうかと話し、自分の母をエジプトの王の娘の前に連れて来たのです。そして、エジプトの王の娘は、モーセが大きくなるまで、モーセの母にモーセを育てさせたのです。この事は、後に大きな意味を持つことになります。モーセが40歳になった時、モーセは同胞ヘブル人の苦しみを見て、彼らを助けたいという思いを持ちました。それは、モーセが幼い頃、母の下で、ヘブル人として生活したからです。もし、モーセが母の下で暮らすことがなければ、モーセはヘブル人を助けようとは思わなかったでしょう。モーセは、幼い時母の下でヘブル人として育てられました。また、大きくなってから、エジプトの王宮で、エジプトの王パロの娘の子として最高の教育を受けることができたのです。また、モーセが王宮で暮らしたがゆえに、後に、モーセがヘブル人をエジプトから助け出す時、当時のエジプトの王と交渉ができたものと思われます。

ヘブル人を助けるためにエジプト人を殺してしまったモーセは、エジプトの王を恐れ、荒野へと逃げて行きました。モーセはそこでミデヤン人の祭司イテロと出会い、彼の娘チッポラと結婚しました。モーセは羊飼いとして40年静かに暮らしました。神は80歳になったモーセに現れ、イスラエルの民をエジプトから助け出すように命じられたのです。この時、モーセは神の命令を拒んだとあります。モーセは「自分は口が重くことばの人ではありません」と神様の命令を拒んだのです。神様はモーセに、モーセの兄アロンがあなたの口の代わりになると言われ、モーセの重い腰を動かしたのです。その後、モーセとアロンは再会し、アロンはモーセを助ける役割を担ったのです。

出エジプト記15章20節21節に、エジプトを出た後、紅海を渡る時、ミリアムはタンバリンを叩きながら踊って女たちを導いたことが記されています。この時モーセが80歳だとするとミリアムは86歳か87歳と考えられます。ミリアムは喜び踊りながら女性たちの先頭に立って導いたのです。

そんなモーセの姉ミリアムと兄アロンですが、ある時、二人が共謀してモーセを非難したとあります(民数記12章)。ここでミリアムとアロンはモーセがクシュ人の女をめとったことを非難したとあります。実は、二人が問題としたのは、モーセが自分たちの上に立ち命令することに腹を立てたのです。ミリアムにとってモーセは自分より年下です。また、幼い時、モーセを助けたという思いもあったでしょう。ミリアムはアロンを味方につけて、「なぜ、あんただけが、私たちの上に立って命令するのか。」とモーセを非難したのです。神は、モーセを非難したミリアムを怒り、彼女はツアラート(らい病のような皮膚の病)に冒されてしまいました。この病気の者は皆と共に宿営で生活できず、宿営の外で暮らさなければなりませんでした。ミリヤムはこの病のために七日間宿営の外で暮らしたとあります。その後、モーセの祈りによって赦され、民のもとに戻って暮らしました。

モーセの姉ミリアムと兄アロンは、兄弟であるがゆえに、モーセに与えられた神の権威に気が付くことができませんでした。新約聖書でも、イエス様の家族はイエス様の権威に気が付きませんでした。幼い時の姿を知っているからでしょうか。ミリアムはいつまでも自分はモーセの姉であり上だと思っていました。それゆえ、モーセに与えられた権威に逆らったのです。しかし、モーセに与えられた権威は神様から与えられた権威です。それゆえ、それに逆らったミリアムは神から大きな罰が与えられたのです。その後、ミリアムもおとなしく神様の権威に従ったものと思われます。モーセの兄アロンも、モーセが神の山に登り十戒を神様からいただく時、周りの民から神々を作ってくれと頼まれ、金の子牛を作ってしまったという失敗をしています。それでも、神様はアロンを用いて、彼の子孫を神に仕える祭司として用いられたのです。私たちも、ミリアムやアロンのように失敗の多い者ですが、神様に信頼して、信仰の道を歩んでいきたいと思います。