「神と人間の歴史・聖書」

「神と人間の歴史・聖書」 創世記2章1節~3節

 聖書は世界の歴史を記した書物ではありません。それどころか、聖書は、神様が選ばれたアブラハムの子孫、イスラエルの民と神様との歴史が記された書物です。では、なぜ、私たちは、アブラハムの子孫イスラエルの民の歴史を学ぶ必要があるのでしょうか。確かに、聖書は、アブラハムの子孫イスラエルの民の歴史を記された書物ですが、神様はアブラハムを選び、彼と特別な契約を結ばれました。創世記12章1節~3節「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」アブラハムはこの神様の約束を信じて75歳の時に、神様の示す地に旅立ちました。それ以来、神様はアブラハムとその子孫イスラエルの民を特別な民(選民)として取り扱われ、神は、イスラエルの民を通して、ご自身の計画を明らかにされたのです。

1、人間の創造

 創世記の1章と2章に人間の創造について記されています。これは、人間の創造が二回行われたということではありません。創世記の1章では、神の創造の六日間が中心で、最後の六日目に人が創造されたことが記されています。続いて、2章では、人間を中心に、神が人間を地のちりで形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれ、そして、人が生き物として誕生したことを表しています。特に1章では、神は人間をご自身に似せて創られた事。また、その目的は、「海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように」記されています。この個所を読むだけで、神様が私たち人間を特別な者として創造してくださったことがわかります。また、それゆえに、この地上を支配するように特別な恵みを与えてくださったのです。それゆえ、人間だけが神と交わり、神を礼拝する者として神は私たちを創って下さいました。他の生き物は神様を認識することができず、神を礼拝することもできません。神によってそのように創られていないからです。また、どんなに小さな国、小さな部族に至るまで、神として偶像を持っています。それこそが、すべての人間が、神に造られ、神を礼拝するために創られたことの証明なのです。

2、人間の価値

 2章の人間の創造について、神は「地のちり」で人を形作ったとあります。「地のちり」とは、ありふれたもので特別な素材ではないことを表しています。しかし、その「地のちり」に神様が「いのちの息」を吹き込まれて、はじめて、人は生きものとなった記されています。この「いのちの息」が霊を表すのか、魂を表すのかわかりませんが、人とは、神様に「いのちの息」を吹き込まれたはじめて生きものとして存在するものとなったということです。この個所から、神様から離れた人間には、本来の人間としての価値はなく、人間は神様とつながって初めて人間としての価値が存在するということです。

3、人間の罪

 しかし、人間は罪を犯し、人間は神から与えられたこの特権を失ってしまいました。私が子どもの頃、困った状況に置かれた時、必ず神様に助けを求め、祈りました。しかし、どこに向かって、また、誰に向かって祈ったらいいのかわからず、とにかく「神様助けてください。」と祈りました。この体験は私だけではなく、どなたにでもある体験ではないでしょうか。それは、私たち人間が神様を必要とし、神様の助けを求めているからです。しかし、私たちは罪を犯し、神様との親しい関係を失ってしまいました。それゆえ、人は手で作った神々、または、自然、キツネやヘビなど動物を神として拝んできたのです。

4、神との和解

 私は、教会に来るようになり、聖書を読むことによって、自分が求めていた神、自分が知らずに祈っていた神がこの聖書の神だと直感で感じました。それで、熱心に新約聖書を読みました。しかし、その内容を理解することができませんでした。それでも、礼拝に参加し、聖書の学び会に参加することによって少しづつ、神がどのようなお方であるのか理解できるようになりました。以前は、神様とは遠くに存在し、私たちが悪いことをすると、罰を与える怖い神様だと信じていました。しかし、聖書の神は「愛の神様」であるということを知り、それが本当なら、この神を信じたいと思いました。また、その愛は、ご自分のひとり子を、罪人を助けるために身代わりとされた愛であり、イエス・キリストは私の罪の身代わりとして、十字架の上で、いのちを犠牲にされたことを知りました。本当に神がそのような愛の神であるなら、この神を本気で信じたいと思いました。

5、結論

 神は、私たちを神様に親しい者として創造してくださいましたが、私たちは、罪を犯し、この神様からの特権を失ってしまいました。しかし、神様は私たちとの関係を回復するために、アブラハムを選び、その子孫イスラエルの民と特別な契約を結ばれました。しかし、イスラエルの民も神様に罪を犯し、神様からの特権を失ってしまいました。旧約聖書は、その神様とイスラエルの民の歴史の書です。そして、神様は私たちの罪の問題を解決するために、ひとり子イエス様を人としてこの世に誕生させ、私たちの罪の身代わりとして十字架の上でいのちを取られました。私たちは、イエス様の贖い(身代わりの死)によって罪が赦され、神様との親しい関係を回復し、神様を親しく、父として礼拝し、祈る者に回復してくださいました。私たちが最後に、「イエス様の御名によって」祈るのはそのためです。以前は神様を知らず、どのように祈ったら良いかも知りませんでした。しかし、今、私たちは、神様を父として親しく祈り、思いを伝えることができるようになりました。また、神様は聖霊様として、私たちと共にいてくださると約束して下さいました。私たちは神様と遠く離れた存在ではなく、神様が共にいてくださるそのような親しい関係(特権)を回復することができたのです。祈りとは、こちらの願を一方的に投げつけることではありません。神は私たちの祈りに耳を傾けてくださり、私たちに最善をなしてくださるお方です。神が自ら犠牲を払って、神様との親しい関係を回復してくださいました。神様は私たちが、神を喜んで礼拝することと、祈りをとして、親しく語り合いたいと願っておられます。私たちはこの目で、神様を見ることは出来ませんが、礼拝と祈りによって、神に近づくことができます。また、神は私たちがイエス様のように親しく「アバ、父と」祈ることを待ち望んでおられます。神様から与えられた特権を感謝し、神様に祈り、礼拝をささげましょう。