「神様からのクリスマスプレゼント」

「神様からのクリスマスプレゼント」 ヨハネの福音書3章16節

いよいよ今年もアドベントが始まりました。今年も皆様と共にイエス様の誕生、クリスマスをお祝いすることが出来ることを感謝します。クリスマスは、世界中で行われますが,こどもの頃、どうして世界中でクリスマスが行われるのか、その意味を知りませんでした。もちろん、小学生の高学年には、クリスマスが、キリストの誕生をお祝いする日であることは知っていました。しかし、それが、日本で、また、キリスト教を信じている家庭でもない、我が家でどうして、クリスマスを祝うのかその意味を知りませんでした。もちろん、私の父も母もその理由をしらなかったでしょう。日本では、町中がクリスマスだクリスマスだと浮かれて、その意味も知らずに、クリスマスの日を過ごしているのではないでしょうか。

私の子どもの頃のクリスマスのイメージは、クリスマスケーキとクリスマスプレゼントです。当時は、誕生日以外はケーキを食べるという習慣がありませんでした。それゆえ、クリスマスは、誕生日以外でケーキを食べれる特別な日でした。また、おもちゃやゲームなども、誕生日以外は中々買ってもらえませんでした。それゆえ、クリスマスは、好きなおもちゃを買ってもらえる特別な日でした。家族でデパートに行き、おもちゃ売り場を自由に歩き回れる素敵な日でした。私が中学生になると、一緒に集まって食事をしたり、ケーキを食べるということもなくなってしまいました。ケーキは家に準備されていても、それぞれが、時間がある時に食べるようになり、クリスマスという特別な日もなくなってしまいました。

私が、社会人になった頃、会社主催のクリスマスパーティーがあり、それが終わると、各部署主催のクリスマスパーティーが行われ、その後、親しい者たちが集まって三次会が行われました。三次会が終わるのが、明け方の2時、3時で、家に帰りつくのが、朝の5時ごろでした。それから、布団に入り、起きるのが午後1時とか2時で、その日は二日酔いで頭が痛く、一日中ゴロゴロ過ごすのがクリスマスでした。何かがおかしい、そう、私は、イエス様のいないクリスマスを25年間も過ごしてきました。私がはじめて、本当のクリスマスをお祝いしたのが25歳の時でした。25歳の夏に、教会に誘われ、10月に洗礼を受けました。そして、その年のクリスマスをはじめて教会で過ごすことが出来ました。その日の礼拝で、イエス様の誕生の意味が説教され、イエス様が私の罪を担うために、人として生まれてくださったことを頭(知識)ではなく、心で理解することができ、感動して礼拝をささげることが出来ました。今まで、知識として、イエス様の十字架の死によって私たちの罪が赦されたことは理解はしていても、自分の罪のこととして理解はしていませんでした。しかし、その日の礼拝を通して、確かに自分の罪がすでに赦されていることを実感することができたのです。

ヨハネの福音書3章16節は、聖書の中で一番有名な聖書のことばです。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」とあります。この言葉の中から三つのことばを取り出して考えたいと思います。(1)愛(2)滅び(3)永遠のいのちです。

1、神の愛について

神様は私たちと違って、肉体を持ったお方ではありません。しかし、私たちと同じ人格を備えたお方です。それゆえ、私たちと同じように、人を愛し、怒りや悲しみの感情さえお持ちの方です。そのことは、旧約聖書にも示されています。それゆえ、神様は創造されたすべて、宇宙、地球、全ての物を愛されました。それが、「世を愛された。」という意味です。また、世だけではなく、私たち一人一人をも愛されています。聖書では「私たちの髪の毛の数さえ知っておられる。」とあります。神様は遠くにおられて、宇宙全体を眺めておられる神様ではありません。神様は私たちにいのちを与え、私たちを個人的に愛し、私たちを祝福したいと願っておられるお方です。

2、滅びについて

神様は創造主であられるがために「主権者」でもあられます。「主権者」と言うことは、この世の「善と悪」を裁く権威をお持ちの方ということです。神はこの世を良い物として創造してくださいましたが、人はその罪のゆえに、この世を歪んだ姿に変えてしまいました。この世の終わりが定められているのは、人間が犯した罪のゆえです。この世が人の罪によって歪められたため、神はそれをもう一度、正常な姿に戻されます。それが、世の終わりであり、その後に現れるのが天の御国です。その新しい天の御国に私たちが入るためには、私たちの罪の問題を解決しなければなりません。最後の審判の時、罪ある者と罪赦された者に分けられます。イエス様の十字架の死によって罪赦された者は、天の御国に迎え入れられ、罪ある者は、自分が犯した罪のゆえに裁きを受けなければなりません。

3、永遠のいのちを持つ

神は私たちを愛し、私たちを滅びから救いたいと願われました。しかし、神は同時に、裁き主(裁判官の立場)ですから、罪人をそのままで赦すもとはできません。それゆえ、神様が取られた方法が、罪の無い、神の子イエス様を人としてこの世に誕生させ、全ての人の罪の身代わりとして(人々の罪を背負って)十字架でいのちを奪うという方法です。神は、ご自身のひとり子イエス様のいのちを犠牲にすることによって、全ての人の罪の代価を支払われたのです。そして、イエス様の死が自分の罪の身代わりであることを信じる者は、罪が赦され、神と共に、天の御国で永遠に暮らすことが出来る。それが、永遠のいのちを持つということです。

神様は私たちを滅びから救うために、神のひとり子イエス・キリストをクリスマスプレゼントとして私たちに与えてくださいました。プレゼントですから強制ではありません。そのプレゼントを受け取るか受け取らないかは、私たちの判断に任されています。しかし、その結果は私たちが責任を持たなければなりません。イエス・キリストを信じなくても天国に行けると思っている人に、このプレゼントは不要なものになります。しかし、自分の罪がわかり、天国に入るためにはこの神様の恵み、プレゼント(イエス・キリスト)が必要だと思っている人には、神様からの大切なプレゼントです。アドベントがはじまりました。今年は22日がクリスマス礼拝で、24日(火)にクリスマスイブ礼拝、キャンドルサービスの時を持ちます。ぜひ、それまでに、神様が私たちのために送って下った素敵な、クリスマスプレゼント、イエス・キリストをご自分のものとされますようにお祈りします。