「主の御名によって祈る人々」

「主の御名によって祈る人々」 創世記4章25節26節

2019年も終わりが近づきました。先日、ある先生との学び会で、日本人の宗教観について学びました。その先生の資料によると、「神や仏を信じますか」という質問に、58%の人が「はい」と答え、「どんな時に意識しますか」という問いに「幸せに感謝する時539人」「自然の美しさや神秘を感じた時320人」「危機に陥った時、脱した時307人」「説明できない体験をした時255人」「誕生や死に立ち会った時230人」でした。また、42%が「いいえ」と答えました。その理由として「科学的でない349人」「存在が証明できない294人」「神頼みしてもかなわない268人」「無神論191人」「頼れるのは自分だけ189人」「意識したことがない130人」でした。

また、日本の宗教人口は二億一千万近くいると言われています。それは、日本の総人口の1,7倍に当たります。なぜ、人口より多くなるかというと、一人の人が神社の氏子であると同時にお寺の檀家であるというケースが多くあるからです。一人の人が、二つ三つの宗教団体に属することによってそのような驚くべき数字になっています。NHKの世論調査によると、日本人の45%の人が初詣には「よく行く」。27%の人が「行くことがある」と答えており、わずか19%の人が行かないと答えたそうです。それは、日本人の約8割が初詣に行くということです。では、日本人の8割の人々は、何をしに初詣に出かけるのでしょうか。その答えは「祈るためです」では、多くの人々は何をお祈りしているのでしょうか。人によって違いはあるでしょうが、「1年間病気をしないように」「1年間事故に遭わないように」「結婚ができるように」「仕事が順調にいきますように」「大学、高校に受かりますように」など、多くの人々の祈りは「ご利益」を求める祈りです。「ご利益」を求める祈りの主人は自分自身になっています。そして、神様を自分の祈りに従わせようとします。しかし、キリスト教の祈りはそれとは逆に、神様が主人となり、自分を神様の御心に従わせることです。例えるなら、Aという大学に入れるように祈ったが、結局Bという大学にしか受からなかった。しかし、神様を信じBという大学に進んだ結果、尊敬できる先生との出会いがあり、人生が変わったというようなことがあるということです。私たちは明日のことも、その先のことも、わからない者です。しかし、神様はその人に一番良いものを与えてくださいます。それを信じるなら、Aではなくても、神様がBを与えてくださったなら、それを信じて前に進むということそれが信仰です。ここで、大切なことは、どのような神を信じるかということです。知らない神様からBの大学に行けと言われても納得がいきません。しかし、自分を愛し最善をなしてくださる神様を信じるとき、私たちはAではなくても、たとえBでも、そこに神様の祝福を見出すことができるのです。

先ほどの統計で、8割の日本人が初詣に出かけ、神様に何らかの祈りをしているということを見ました。日本人だけではなく、世界中の人々が自然に神様に祈りをします。なぜ、私たち人間だけが神様に祈るのでしょうか。それは、神様が人間を祈る存在として特別に創造してくださったからです。創世記の1章26節「そして神は、われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして、彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地をはうすべてのものを支配させよう。」と言われました。(1)「われわれに似るように」とは、神様とコミュニケーションできる特別な存在として創造されたということ。(2)神は人間を地上を管理するものとして創造されました。管理させるためには、神と人のコミュニケーションは不可欠です。しかし、そのコミュニケーションを遮断したのが人間の罪です。神は、罪を犯したアダムとエバをエデンの園から追い出されました。人は、自らの罪のゆえに、神様との親しい関係を失ってしまったのです。また、アダムとエバの子カインは、弟アベルに嫉妬し、彼を殺してしまいました。その結果、カインはさらに神様から遠くに退けられてしまったのです。そして、カインの子孫は、神様から離れ、自分たちの欲望に従って自分の町を作りました。アダムとエバは、カインとアベルという二人の息子を失ってしまいました。創世記4章25節26節のことばは、その後の出来事が記されています。神様は二人の息子を失ったアダムとエバに、もう一人の子を与えられました。二人はその子にセツという名を付けました。そのセツにエノシュが生まれ、その時から、人々は主の名によって祈ることを始めました。しかし、それも長くは続きませんでした。カインの子孫とセツの子孫がまじりあって悪が増大し、神様は人を造ったことを悔やまれ、洪水で滅ぼすことを決心されたのです。しかし、ノアだけは、神様の御心にかない、神様はノアに大きな箱舟を造るように命じられ、ノアの家族8人が箱舟に入って洪水から助け出されました。その後、ノアの子孫から多くの民族が生まれましたが、ノアの子孫も神様から離れてしまいました。そして、次に神様が選ばれたのがアブラハムです。

創世記を通して、神様と人間の歴史を見てきました。神様は人間を神とコミュニケーションできる特別な存在として創造してくださいましたが、人間は自らの罪のゆえに神様から離れ、神様との親しい特権を失ってしまいました。イエス様はその特権をもう一度私たちに与えるために、神の姿を捨て、人として誕生してくださり、十字架の上で私たちの罪の問題を解決するために死んでくださいました。そして、死より三日目に復活して、天の父のもとに行かれ、今も生きています。私たちは、イエス・キリストを神の子と信じる信仰によって、神の子となり、神様との親しい関係を回復することができたのです。多くの人々は、自然に祈りはしますが、祈る対象、神様を失ってしまいました。多くの人々は、知らない神様に祈っています。そして、それは自己中心な祈りでしかありません。しかし、私たちは真の神を知り、イエス様を通して、もう一度、神様との親しい関係を回復した者です。私たちに与えられた特権はどれほど大きなものでしょうか。しかし、私たちは毎日、祈っているでしょうか。神様は、毎日私たちの祈りに耳を傾けてくださっています。私たちも、祈りを通して神様の御心を知る者になりたいと思います。新しい1年を迎えます。来年はさらに、神様に近づき、神様の御心に喜んで従う1年になりますようにお祈りします。