ダビデ王の罪と悔い改め

サムエル記第二12章7節~16節

先週はイスラエルの王に就任する前のダビデについて学びました。今日は、イスラエルの王に就任した後のダビデについて学びます。

  • バテ・シェバとの姦淫の罪(サムエル記第二12章)

ダビデがイスラエルの王に就任し、その地位が安定した時、ダビデは大きな罪を犯してしまいました。サムエル記第二の11章で、自分の部下を戦場に送り出した後、ダビデ王は王宮に残りました。そこでダビデは屋上から一人の美しい女性が入浴しているのを見てしまいました。ダビデはその女性について調べさせ、彼女がウリヤの妻バテ・シェバであることがわかりました。ダビデは彼女がウリヤの妻であることを知りながら、彼女を召し入れ関係を持ってしまいました。ダビデらしからぬ行いです。王に就任し高慢になり道徳心も麻痺してしまったのでしょうか。しかし、それは周りの国々では、普通に行われていたことではないでしょうか。王が欲しい物は何でも自由になる、それが王の権威と力です。しかし、それはイスラエルの国では許されない行為です。イスラエルの国は、神が治める国です。いくら王でも神の戒めを破る者は神に罰せられる。それがイスラエルの国の法律です。しかも、バテ・シェバが身ごもったことを知ると、夫のウリヤを激しい戦場に送り戦死させ、彼女を自分の妻にしてしまったのです。ダビデは姦淫の罪だけではなく、正しい者の命さえ奪った殺人の罪まで犯してしまったのです。

12章で、神は預言者ナタンを遣わし、彼の罪を公の前で、たとえ話を通して指摘しました。そこでダビデはどうしたでしょうか。13節14節「ダビデはナタンに言った。『私は主の前に罪ある者です。』ナタンはダビデに言った。『主も、あなたの罪を取り去ってくださった。あなたは死なない。しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起させたので、あなたに生まれる息子は必ず死ぬ。』」ダビデの素晴らしい所は、公の場で自分の罪を認めたことです。普通、王であれば自分の権力を用いてナタンを殺すことも出来たでしょう。しかし、ダビデは神の前に自分の罪を認め悔い改めたのです。そこにダビデの信仰の素晴らしさを見ます。しかし、ナタンの言葉のように、その子は病気になりました。ダビデはその子のために断食して祈りましたが亡くなってしまいました。その後ダビデはバテ・シェバを慰めたとあります。そしてもう一人子が生まれソロモンと名付けられました。ダビデはその子ソロモンをだれよりも愛したとあります。自分の罪を認めることは、地位が高くなればなるほど難しくなります。ダビデは王でありながら、自分の罪を認め、神に赦しを求めました。神はダビデの悔い改めを受け入れ、彼の罪を赦し、その証しとして、もう一人の男の子を与えました。ダビデにとってその男の子は自分の犯した罪が、神によって赦されたことの証し(証拠)となり、ダビデはソロモンを後継者にすることをバテ・シェバに約束したのです。詩篇51篇はこの時のダビデの悔い改めの詩と言われています。

2、ダビデと息子アブサロムとの関係(サムエル記第二13章)

ダビデの長男アムノンは、母親の違う妹タマルを愛し、病気と偽って彼女を自分の部屋に招き入れ犯してしまいました。イスラエルの国では、王の息子といえ姦淫の罪を犯した者は死罪となります。この事を聞いたダビデはどうしたでしょうか。21節「ダビデ王は、事の一部始終を聞いて激しく怒った。」とあります。しっかし、ダビデはアムノンの命を惜しみ正しく彼を裁くことをしませんでした。何の処罰も与えなかったのです。タマルの兄アブサロムは父ダビデが正しくアムノンを裁くのを待ちました。しかし、ダビデ王がアムノンに裁きを下さないので、自らアムノンに裁きを下す決心をしました。満二年の後、アブサロムは羊の毛を刈る祝いの席にダビデの兄弟たちを招きました。そして、自分の部下にアムノンを殺すように命じたのです。アムノンが殺された後、アブサロムはゲシュルの王アミフデの子タルマイの所に逃げました。

三年がたち、将軍ヨアブはダビデ王の気持ちを考え、アブサロムを迎える準備をしました。彼は、王からの許可を得てアブサロムをイスラエルの国に迎えました。しかし、ダビデ王はアブサロムを迎えても和解しようとはしませんでした。アムノンを殺したことを赦すことができなかったのです。14章24節「王は言った。『あれは自分の家に行ってもらおう。私の顔を見ることはならぬ。』アブサロムは自分の家に行き、王の顔を見ることはなかった。」とあります。アブサロムはエルサレムに二年間住みましたが、王に会うことは出来ませんでした。その後、将軍ヨアブの計らいで、アブサロムはダビデ王と会いましたが和解は出来ませんでした。ダビデはどうしてもアブサロムに長男アムノンを殺されたことを赦すことができなかったのです。

15章で、ダビデ王に失望したアブサロムは、ダビデ王を殺し自分が王になる準備を始めました。四年後アブサロムは謀反の計画を実行しました。アブサロムの謀反を知ったダビデ王は王宮から逃げ出し、荒野へと身を隠しました。そして、アブサロムの軍とダビデの軍が激しくぶつかりました。その結果、アブサロムは殺されダビデ王が勝利を治めました。しかし、ダビデ王に喜びはありませんでした。ダビデはアブサロムと和解しなかったことを悔やんだことでしょう。ダビデ王はアブサロムの死を悼み悲しみました。しかし、その事はダビデのために戦った兵士たちに失望を与えました。将軍ヨアブは悲しむダビデ王に、兵士たちの前に勝利の喜びの姿を現わすように進言しました。ダビデ王の兵士たちはアブサロム軍に勝利を収めたのに、ダビデ王の悲しみのゆえに静かにエルサレムに凱旋したのです。

この悲しい出来事の発端は、ダビデ王が息子アムノンの罪を正しく裁かなかったことにあります。ダビデは王としてアムノンを正しく裁くべきでした。そこにダビデ王の弱さがありました。また、ダビデはアブサロムを赦し和解するチャンスがありながらそれを拒みました。息子アムノンを殺されたことを赦せなかったのです。バテ・シェバとのことは自分の罪を認めて悔い改めたのに、アブサロムの時は素直に彼を赦すことが出来ませんでした。夫婦、親子、兄弟、など、家族の赦しの難しさを感じます。しかし、後悔しても過去に戻ることはできません。悔い改めは神が私たち弱い者与えられた神の恵みです。神は私たちが悔い改めて神のもとに帰ることを願っておられます。イエスのたとえ話の放蕩息子のように神は悔い改める者を喜んで迎えてくださいます。それが不完全で弱い私たちの希望であり恵みなのです。神の前に柔軟な心を持ち、常に、悔い改める心を準備をしておきたいと思います。最後に、ダビデは神のために神殿を建設したいと願っていました。しかし、神は、ダビデ王に対して、預言者ナタンを通して神殿を建ててはならないと言われました。それは、ダビデが戦において多くの血を流したからです。神は彼の子が神殿を建てると言われました。そこで、ダビデは、自分の子が神殿を完成することが出来るように多くの準備をしました。自分が神殿を建てたいとの願いがあり、そのことが出来る力があるのに、ダビデは我が子にその名誉を譲ったのです。それも神のことばに従ったゆえです。ダビデは最後まで神のことばに従順に従いました。それがダビデの信仰の土台だったのです。