パウロが愛した弟子オネシモ

「パウロが愛した弟子オネシモ」ピレモンへの手紙1節~24節

文章の伝達方法と言うものは、時代と共に変化、発達してきました。江戸時代は、飛脚という人々が走って手紙を届けました。江戸から京都まで三~四日を要したと言われています。それから、郵便が発達して、82円でどこへでも手紙が送れるようになりました。それでも、相手に届くまでに二~三日はかかります。電話と言うものは便利なもので、すぐに相手と話すことができるようになりました。また、ファクスですぐに文章も送れるようになりました。さらに、携帯電話が普及し、どこからでもメールで連絡することができるようになりました。便利な時代になりましたが、気を付けないと、相手に対して失礼な態度を示すことになります。

新約聖書の後半、使徒の働きの後から、ローマ人への手紙など、パウロが各教会に送った手紙が聖書の中に入れられています。クリスチャンになる前、この個所を読んで、どうして、パウロが各教会に書き送った手紙が神様のことばとして、聖書の中に記録されているのか理解できませんでした。その手紙の内容も、ローマの教会の問題やガラテヤの教会の問題など、各教会の問題であって、現在聖書を読む私たちに何の関係があるのか不思議でした。また、それを読む意味があるのか疑問でした。しかし、聖書を学ぶうちにそうではないことがわかりました。確かに、パウロがその手紙を書いた状況も時代も違いますが、人間は変わりません。同じ問題を繰り返し、同じ失敗を繰り返す者です。そこで、そのような問題解決のために、パウロの書いた手紙が非常な助けとなっているのです。もちろん、時代や背景がちがいますから、聖書のその通りに適応するわけではありません。祈りつつ、神様の御心を求めて判断をするわけです。

特に今日学びます、ピレモンへの手紙とまた、テモテへの手紙、テトスへの手紙は、教会の指導者、牧師に宛てられた手紙として牧会書簡と呼ばれる手紙です。特に、テモテへの手紙、テトスへの手紙は、彼らが教会を建て上げる際、どのようなことに気を付けなければならないか、牧会者としてどのような生活をしなければならないかを、細かくパウロが弟子であるテモテとテトスに書き送った手紙です。しかし、ピレモンへの手紙は先の二つの手紙とは内容的に大きく違いがあります。先の二つは、現代の教会にも必要な内容となっていますが、ピレモンへの手紙は、パウロの個人的な内容で、現代の教会にあまり関係のない内容に思えます。しかし、ピレモンへの手紙は、牧会者であるパウロについて知るうえで欠かせない手紙となっているのです。また、パウロの姿を通して牧会者が信徒に対してどのように接しなければならないかを教える大切な手紙なのです。

パウロとはどのような人物でしょうか。以前は、ユダヤ教の律法学者で、キリスト教を迫害した人です。その彼が、復活されたイエス様と出会って、彼は自分の間違いに気付き、悔い改めてクリスチャンになった人です。また、彼は神様によって異邦人(ユダヤ人以外の民族)にイエス様のことを伝える使命を神様から与えられた人でした。彼は世界中に出かけて、多くの異邦人教会を建て上げました。また、彼が各教会に書き送った手紙が、神のことばとして聖書の中に残され、現代の教会、クリスチャンに大きな影響を与えているのです。

私の持つパウロのイメージは、大学教授のような風貌で近づきがたい雰囲気を感じます。しかし、ピレモンへの手紙を読むと全くそうでは無いことがわかります。この手紙の受け取り手であるピレモンという人は、お金持ちで、自分の家を開放して家の教会とし、その教会の指導的立場にあった人です。また、ピレモン自身もパウロによってクリスチャンになった者でした。ここでパウロはピレモンにオネシモを受け入れてほしいという内容の手紙を書いています。

オネシモとはどのような人物でしょうか。聖書を読むなら、以前オネシモはピレモンの奴隷であったことがわかります。当時の状況は、一部のお金持ちが複数の奴隷をお金で買い、仕事や家庭の中で酷使していました。そのような時代、一部の奴隷は主人の元から逃れ、多くの人が集まる都会の中で隠れて生活していました。オネシモもその逃亡奴隷の一人でした。そのオネシモがどのような、いきさつかはわかりませんが、囚人として家に閉じ込められているパウロと出会いました。オネシモはパウロに伝道されてクリスチャンになりました。それだけではなく、監視されて自由に外出できないパウロの代わりに、身の回りの世話をするようになったと思われます。そんな生活の中で、パウロはオネシモが自分の知り合いのピレモンから逃れてきた逃亡奴隷であることを知りました。当時、逃亡した奴隷が捕まれば死刑になることが決められていました。パウロはオネシモを自由の身とするために、オネシモを許して受け入れてほしいと手紙をピレモンに書いたのです。本来、パウロの立場からすれば、ピレモンに命令することもできたでしょう。しかし、パウロはキリストに仕える同労者としてピレモンにお願いしたのです。しかも、パウロはオネシモがピレモンに与えた損害を私に請求してくださいと書いています。そこまでパウロはオネシモのことを愛して彼に自由な身分を与えたいと考えたのです。ここに牧会者パウロのあたたかな心を見ます。また、それは私たちの見本でもあるのです。

私たちはどのように教会に導かれクリスチャンとなったのでしょうか。私が教会に繋がりクリスチャンとなるために、多くの方々の助と祈りがありました。神様はそのような働きを私たちに求めておられます。誰も初めは何もわからずに教会に入ってきます。そのような方々を優しく受け入れ、親切に教えることによって新しいクリスチャンが生まれるのです。そのために、私たちはこれからも祈り、そのような働きに用いられる者になりたいと思います。