ナオミの苦難と喜びの人生

「ナオミの苦難と喜びの人生」ルツ記4章13節~17節

昔、ある先生が、良い説教をするために、良い小説をたくさん読み、良いドラマをたくさん見なさいと教えてくださいました。それを聞いたとき、私はまだ若く、その意見に反発の思いを持ちました。人が書いた小説やドラマよりも、聖書をたくさん読むべきだと思ったからです。しかし、今、50歳を過ぎて、その先生が言われた意味がわかるようになりました。小説やドラマには人の人生が描かれています。ドラマや小説を通して、人間の苦しみや喜びを知り、また、人間について深く洞察することが、説教に深みと人間味を与えるからです。

今日は、母の日で、女性をテーマにしたお話、ルツ記からお話します。今年、4月から始まった、とと姉ちゃんとルツ記には共通点があります。ルツ記の出だしは、エリメレクとナオミと二人の息子が、飢饉のためにベツレヘムから、隣の国モアブに移住するところから始まります。それから、しばらくして、ナオミは夫エリメレクを亡くし、ナオミは一人で二人の息子をモアブの地で育てなければなくなりました。ナオミにとっては、モアブの地は外国であり、身寄りもなく、誰の助けも得ることができません。そのような環境で二人の息子を育てることは、とても大変だったと思います。とと姉ちゃんも、家族5人で浜松で暮らしていましたが、お父さんが病気で死んでしまい、お母さんと娘三人になってしまいました。お母さんは一生懸命働きますが、上の二人を女学校に通わせるのは難しく、東京にいる母を頼って上京しました。しかし、親子の意見が対立し、その家を出ることになりました。そして、母の実家を出た四人は、隣の弁当屋に住み込みで働きながら、新しい生活をはじめました。ルツ記とトト姉ちゃんの共通点は、母親が苦労して子供を育てる点です。モアブの国でも、日本の昭和のはじめでも、女性が一人で働いて、家族を養うことは大変な苦労です。ルツ記の背景にはそのように、苦労して二人の息子を育てた女性ナオミの人生があるのです。

それから、10年の歳月が流れ、二人の息子は成長し、二人ともモアブの女性と結婚しました。二人の息子の結婚はナオミにとって幸いな時ではなかったでしょうか。しかし、その幸も長くは続きませんでした。ナオミは今度は二人の息子を失ってしまいました。母親にとって息子を失うことほど、つらいことがあるでしょうか。しかも、ナオミは二人の息子をうしなったのです。ナオミのつらさはどんなに深いものでしょう。ナオミは、夫を亡くし、そして、二人の息子も亡くしてしまいました。家族を失ったナオミの気持ちは、神をも呪いたいほどではなかったでしょうか。ナオミはここで一つの決心をしました。それは、一人で生まれ育ったベツレヘムに帰ることです。一人で帰ることに決めたのは、二人の嫁のためでもありました。二人の嫁を連れてベツレヘムで暮らすことは、モアブの女性にとってはつらいことです。それよりも、モアブに残り再婚した方が幸せになると考えたからです。また、ナオミにとってもベツレヘムでどのように生活になるか不透明でした。一人で暮らすのも困難を覚えるのに、二人の外国の女性を連れてベツレヘムで暮らすことは、より困難なことに思えたからです。

ナオミは二人の嫁と別れる決心をしました。それを二人の嫁に伝えると、一人の嫁は納得して、ナオミから別れていきました。しかし、もう一人の嫁ルツは、ナオミについてベツレヘムに行きたいと申し出たのです。これは、ナオミにとって意外ではなかったでしょうか。ベツレヘムにルツの知り合いがいるわけでもなく、外国人が他国で暮らすことは苦労が多いことはわかっているはずです。それでも、ルツはナオミについてベツレヘムに行きたいと申し出たのです。それは、人間的な思いから出たことではなく、ルツの信仰から出た願いでした。ルツは、ナオミとの生活の中で、ナオミの信じる神を自分も信じ、自分もイスラエルの民となりたいと願っていたのです。ナオミはルツの決心が堅いのを見て、共にベツレヘムで生活する決心をし、ベツレヘムへと旅立ったのです。

ナオミは、ベツレヘムでのルツとの暮らしに希望を持っていたでしょうか。持っていなかったと思います。希望よりも生活の不安が大きかったと思います。どうやって生活していくか。それは、ナオミのことばに表れています。ナオミがベツレヘムに帰ると、彼女のうわさが町中に広まりました。彼女は、周りの人々に言いました。「私をナオミ(快い)と呼ばないで、マラ(苦しむ)と呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。」これまでの彼女の人生は苦しみでした。夫を失い、二人の息子も失いました。彼女のこれまでの人生は苦しみでしかなかったのです。しかし、神様は彼女の人生を苦しみで終わらせようとはなさいませんでした。彼女の知らないところで、神様は彼女への最大の幸せを準備されていたのです。ルツは姑のために一生懸命畑で働きました。その彼女の働きに目をとめたのがボアズでした。イスラエルの国では未亡人を助けるために、一つの法律がありました。それは、女性が、子供を残さずに夫を亡くした場合、その亡くなった者の名を絶やさないために、兄弟、または、近い親戚が、その未亡人と結婚しその家族を養う責任があったのです。ボアズはナオミの夫エリメレクの近い親戚でした。ナオミはそのことに気付き、神様の導きを感じ、ルツにボアズに近づくように命じました。ボアズも、モアブの女性であるが、姑についてベツレヘムまで来たルツの信仰を見て、彼女に好意を持ちました。また、ボアズは、ルツが自分の親族の未亡人であることを知り、彼も神様の導きを信じて、ルツを妻に迎えたのです。そして二人にこどもが生まれました。ナオミはどんなに喜んだことでしょう。それだけではなく、神様はさらに祝福を準備しておられました。ボアズとルツのこども、オベデがエッサイの父となり、エッサイはダビデの父となったのです。ナオミがモアブの女性ルツと共にベツレヘムに帰ることによってルツとボアズが結婚し、その家系からダビデ王が誕生し、また、その家系は救い主を生み出す家系となったのです。ナオミの人生は苦難の多い人生でした。しかし、神様は彼女の人生を苦しみだけで終わらせませんでした。ナオミが最後まで神様から離れなかったゆえに、本人も考えられなかった大きな祝福を準備し、幸いな人生としてくださったのです。ナオミの人生から学ぶことは、(1)苦しみはいつまでも続くものではない。(2)神は、神を信じる者を決して、失望で終わらせることがないということです。ヤコブの手紙1章12節「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束されたいのちの冠を受けるからです。」