約束を守られる神

「約束を守られる神」ヨハネの福音書14章1節~6節

神様が人を創造されたとき、神様は人をご自身に似せて作られたとあります。その目的は、人にこの地上を管理させるためでした。そういう意味で、神様が人をご自身に似せて創造されたという意味は、人の外見が神様に似ていると言う意味ではなく、神様は人をご自身と近いものとして、または、人が神とコミュニケーションができる者として特別に、創造されたという意味です。なぜなら、人がこの地上を神様の御心にそって支配するためには、神様と意思の疎通ができなければ、御心にそって地上を管理することができないからです。人間が他の動物と大きく違う点は、人間だけが神を認識し、唯一、神を礼拝することができる存在だということです。世界中のどの未開の部族でも、神々が存在するのはその証拠です。人間こそ、神を礼拝するために、神に創られた唯一の存在なのです。しかし、私たちはその唯一の特権を失ってしまいました。そして、真の神との信頼関係を失った人間は、真の神を捨てて、自然(太陽、月など)を神として礼拝し、または、人間の手で作られた神々を礼拝するようになったのです。

神から離れた人間は、自分の欲望に従って歩み、この地上を悪で満たしてしまいました。神は人を作ったことを悔やみ、洪水で地上の全てを滅ぼそうと計画されました。しかし、ノアだけは、正しい人で、神と共に歩んだとあります。神様は地上を洪水で滅ぼすことをノアに教え、ノアに箱舟を作るように命じられました。ノアとノアの家族は神様のことばにしたがって大きな箱舟を作りました。そして、神様は地上を洪水で滅ぼし、ノアの家族と箱舟に入った動物たちとで、もう一度、この地上をやり直そうとされたのです。洪水の後、神様は再び洪水で地上を滅ぼすことはないと約束されました。そして、その契約のしるしとして神様は虹を起こすと言われたのです。また、神様は虹を見てこの契約を思い出すと言われたのです。これを虹の契約と呼びます。

また、ノアの子孫も神様から離れ、地上にまた悪が増大するようになりました。次に、神様が選ばれたのがアブラハムです。神様はアブラハムとまた、その子孫と契約を結ぶことによってもう一度、神様と人との親しい関係を回復しようとされました。それをアブラハム契約と呼びます。しかし、アブラハムの子孫、イスラエルの民も神様から離れてしまいました。

次に、神様が選ばれたのがダビデです。神様はダビデの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させ、その王国をとこしえまでも堅く建てると約束されました。それをダビデ契約と呼びます。ダビデの子ソロモンの死後、イスラエルの国は、北と南に分裂しました。そして、北イスラエル王国はアッシリヤに滅ぼされ、南ユダ王国はバビロニヤに滅ぼされ、ダビデの子孫は、バビロニヤに捕囚として連れていかれてしまいました。その70年後、南ユダ王国は再建されましたが、完全な独立はなりませんでした。その後、南ユダ王国の人々は、ダビデの子孫から救い主が生まれ、ユダヤの国を再建してくださると救い主を待ち望むようになったのです。

そのような、期待の中、イエス様は生まれ、30歳で宣教の働きを始めました。それゆえ、人々は、イエス様に、ユダヤの国の再建を期待したのです。しかし、イエス様はこの地上にご自分の国を確立するために生まれた方ではありませんでした。イエス様がこの地上にお生まれになられた目的は、私たちの罪の問題を解決し、罪人である私たちが神様との親しい関係を回復するためでした。そのために、イエス様は十字架の上で、私たちの身代わりとして、私たちの全ての罪を背負って十字架の上で死んでくださったのです。

初めにお読みしました、ヨハネの福音書14章の個所は、イエス様が捕らえられ十字架に着けられて殺される前に、イエス様が弟子たちに語られた、惜別のことばです。この時、すでに、イエス様の周りでは、イエス様を捕らえて殺そうという計画が進められていました。また、イエス様自身弟子たちに、自分はエルサレムで捕らえられ、十字架に着けられて殺されることを預言しておられました。また、ご自身の死からの復活も弟子たちにお話になられていましたが、弟子たちは誰も理解した者はいませんでした。そのような緊迫した中で、弟子たちは不安な日々を送っていたのです。

イエス様がここで弟子たちに約束されたことは、父の家(天の御国)に永遠の住まいを備えに行くということです。そして、また、天の御国に迎えに来るという約束です。イエス様が弟子たちに「わたしの行く道はあなたがたも知っています。」と言うと、弟子のトマスはイエス様に言いました。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」イエス様はトマスに、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と言いました。トマスは、この地上の道の事しか頭にありません。しかし、イエス様が言われた道は、父の家(天の御国)のことです。私たちが父の家(天の御国)に行くためには、イエス様を通してでなければ誰も行くことができないのです。

イエス様は、約束通り、十字架で死に、三日目に復活して、天の父なる神のもとに昇って行かれました。また、イエス様を主と信じる者には聖霊を遣わすという約束も、五旬節(ペンテコステ)の日に成就しました。神様の約束でまだ、現実に起きていないのはイエス様の再臨だけです。聖書の中で、神様は人と何度も契約を結びました。しかし、人間は何度も神様との契約(約束)を破りましたが、神様は一度も約束を破ったことはありません。約束されたことはすべて、そのようになってきました。そう考えるなら、最後の約束「イエス様の再臨」も必ず果たされます。その時は、いつであるかはわかりませんが、イエス様はその前兆として、戦争、飢饉、地震をあげています。神様の約束の時は近づいています。私たちはその時が来て、慌てたり、後悔しないように、しっかりと目を覚ましてその日を、信じて待ち望みたいと思います。